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2006年2月 1日 (水)

「生」観戦した野球場(1)-後楽園球場

Photo いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第1回 後楽園球場 観戦球場ファイル-1-

敗戦処理。が初めてプロ野球を生で観たのが後楽園球場。

昭和49年3月、父に連れられてジャイアンツ対オリオンズのオープン戦を観ました。三塁側の内野席だったような気が。

「プロ野球のメッカ」といわれ、東京ドームが出来るまでのジャイアンツ、ファイターズの本拠地。今の東京ドームがある位置のすぐ隣に存在していた。たぶん東京ドームホテルがあるあたりだろう。

以後、昭和63年に東京ドームが出来てその役割を終えるまで14年間、いろいろなドラマを見させてもらった。

そういえば後楽園でジャイアンツが最後に公式戦を行った試合も観た。1987年のリーグ優勝を決めた後の消化試合だったが、結果的に江川卓の公式戦最終登板でもあった。吉村禎章がカウント2-4から本塁打を放ったことも後に話題になった。

両翼90mと表示されているのに実際はもっと狭いだとか、いろいろと揶揄される点があったが、個人的には野球に興味を持ち始めた時期に最も脚を運んだ野球場だから思い入れは深い。敗戦処理。は後楽園に行くにはJR総武線で新宿から行くことが多かったが、飯田橋から電車が水道橋のホームにさしかかる直前に車内からジャンボスタンドの中が遠くに見え、球場に向かう橋を渡るファンの群れが眼にはいると、いかにも「これから後楽園で野球を観るんだ!」と意識が高揚したもので、電車を降りるとどうしても早足で改札に向かってしまうものだった。この魅力はドームになった今では残念ながら二度と味わえない。

さて、このブログに書き込むに当たって、敗戦処理。が初めて後楽園で観戦した試合の内容を毎日新聞の縮刷版で調べてみたので、蛇足ながら書き加えておきます。ある年代にとっては懐かしい名前が並んでいますよ。

1974年3月24日=後楽園・春季オープン戦】

O 004 100 000 =5

G 530 000 02× =10

O)●城之内、八木沢、村田-村上、榊

G)新浦、○倉田、小林-森、吉田、矢沢

本塁打)王3ラン(城之内・1回)淡口2ラン(城之内・1回)高田2ラン(村田・8回)

両軍スタメン

オリオンズ   ジャイアンツ

()岩崎    ()柴田

()長谷川   ()上田

()山崎    ()

()アルトマン ()長島

()池辺    ()末次

()前田    ()黒江

()村上    ()淡口

()千田    ()

()八木沢   ()新浦

オリオンズの先発が城之内邦雄だったが、これはかつてジャイアンツで「エースのジョー」のニックネームで親しまれたエース級の投手で、一度現役を引退していたがオリオンズの金田正一監督に誘われてこの年に現役復帰したのだった。

古巣ジャイアンツとの因縁対決となったため、「先発バッテリー発表」と「スタメン発表」の時にそれぞれ大きなどよめきが起きたことが印象的だった。が、初回にいきなり王貞治と淡口憲治に本塁打を浴び1回でKOされている。

そういえばKOされてリリーフ投手が出てくる時、当時の後楽園は両翼のポールの下、外野席と内野席の境にブルペンがあり、そこから男性運転手が運転するリリーフカーに乗ってリリーフ投手が出てくるのが常だったが何故か登場が遅れ、マウンドにいた金田監督が捕手を相手に投球練習をするパフォーマンスをしていたっけ<>

ところで城之内と金田監督にはちょっとした因縁があったらしい。

金田正一が通算400勝というとてつもない記録の持ち主であることは有名だが、さすがに400勝に辿り着く頃には完全に力が衰えており、先発で自分の力で勝利投手の権利を勝ち取る力は既に無く、400勝目を狙った時も先発投手が勝利投手の権利を得る5回を投げずにマウンドを降り、チームがリードしている状態で金田につなぎ、金田が勝利投手になるように工夫したモノだった。そしてその日の先発投手が城之内だった。

城之内は入団五年目には100勝を突破し、入団から7年連続で二桁勝利を挙げるほどの投手だったが、この年は初めて一桁勝利(4勝)に終わった年で以後急速に成績が悪くなるのだが、苦しんだ年に貴重な白星の機会を奪われたことを当時快く思っていなかったらしく、その事が間接的に金田にも後で伝わり、金田も気にしていたという。そんな関係もあって金田は自分が監督になったチームに一度引退した城之内を迎え入れたが二年のブランクが大きかったのか、この年の公式戦では一勝も出来ずユニフォームを脱いだ。

ちなみに知っている人は知っていると思うが、元おニャン子クラブ会員番号17番・城之内早苗の大叔父に当たる。

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