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2006年2月28日 (火)

さあ3月だ!!

2月の頭からこのブログを始め、早いものでもう1ヶ月が過ぎようとしています。日付が変わると3月ですね。

先週末からオープン戦も始まり、今週末はWBCのアジアラウンド。お陰で例年より約1ヶ月も早く、真剣勝負を観ることが出きますね。

3月のオープン戦とイースタン教育リーグの日程が発表されると、敗戦処理。はワクワクして観戦予定を組み始めます。今年の初っぱなは4日の教育リーグ、鎌ヶ谷のファイターズ対ジャイアンツ戦。いや厳密に言えば1月2日に東京ドームでマスターズリーグの試合を生観戦しているのですが、マスターズリーグは昨年からの続きと考えれば、今週末が2006年度の初観戦となります。

翌5日はWBC三昧。中国対チャイニーズタイペイ戦と日本対韓国戦を続けて生観戦します。その次の日曜日には岩本勉が引退記念の始球式を務めるファイターズ対バファローズ戦、その週の週末には藤田元司さんの追悼試合に当たるジャイアンツ対ホークス戦、そしてまた鎌ヶ谷でファイターズ対シーレックス戦。春分の日にはジャイアンツ球場でジャイアンツ対スワローズ戦を観戦予定です。

ここまで計画を練ったのですが、肝心のパ・リーグ開幕日に当たる25日の土曜日には仕事が入ってしまい、観戦が出来そうもないのが辛いところ。ベースボールフォーラムで知り合った友人から札幌ドームのファイターズ対ゴールデンイーグルス戦を観戦しようと声をかけていただいているのですが、仕事が入りそうなので無念のお断りをしました。万一休めたら、この日はイースタン・リーグが開幕するので、横須賀でシーレックス対ファイターズ戦を観戦するか、武蔵浦和でマリーンズ対ジャイアンツ戦を観戦しようかなと考えています。(しかしロッテ浦和球場で開幕戦、しかも相手がジャイアンツとなったら観客をさばききれるのだろうか?)

陽仲壽が観たい! 辻内崇伸が観たい! 八木智哉が観たい!

いつも理屈っぽいことばかり書いている敗戦処理。ですが、この時期、一番胸が膨らむ時期です。年間の観戦数の三分の一弱が3月と4月の上旬に集中してしまう敗戦処理。の観戦スタイルです。あぁ早く週末が来ないかな!!

生観戦の感想は、冷静でいられたらこのブログに書き連ねようと思います。どうぞ、お楽しみに。

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ダルビッシュの恒例行事

24日のWBC日本代表対12球団選抜の練習試合に12球団選抜の先発投手として登板したファイターズのダルビッシュ有が、登板後に右肩の張りを訴えて緊急帰京した。ファイターズファンの敗戦処理。にとって日本代表メンバーの調整云々以上に気になるニュースだった。

ダルビッシュは昨年の今頃にも別の理由でチームを離れており、この時期にダルビッシュがお騒がせをするのは恒例行事となるのかもしれない<苦笑>

27日に都内の病院で精密検査を受けたダルビッシュはスポーツ報知WEB版によると

>右肩の張りを訴えた日本ハムのダルビッシュ投手(19)が27日、東京都内の病院で精密検査を受け、異常なしと診断された。キャッチボールはすぐに再開でき、3月4日に1軍に合流する予定。中垣チーフトレーナーは「もともと肩が緩いので、腱板(けんばん)がうまく機能していない。開幕には影響なさそう。本人も痛みはないと言っている」と話した。

とのことで、まずは一安心。

北海道に移転後、移転元年にはあっと驚くSHINJOの獲得。二年目には甲子園を沸かせたダルビッシュの獲得と話題性のある選手を次々と獲得してきたファイターズであったが、三年目のこのオフは石井一久の獲得に失敗するなど、これといった話題性のある補強が出来なかった。それであるならば既存の選手の底上げで昨年の五位からの浮上を成さなければならないのであるが、投手陣ではカルロス・ミラバル、岩本勉、入来祐作が抜けたためシーズン二桁勝利を挙げたことのある投手が金村曉ただ一人という淋しい現実が露呈されてしまう。

そこで昨シーズン、高校卒ルーキーながらいきなり5勝を挙げたダルビッシュに期待がかかり、それゆえに先のようなリタイヤというニュースが入るとどきっとさせられるが、高校卒二年目の選手のこの時期の異変でおどおどせざるを得ない投手編成にこそ問題があるということに今さら気がついた<苦笑>

最近の高校卒ルーキーの活躍といえば、2002年にジャイアンツの真田裕貴が6勝、ホークスの寺原隼人が6勝を挙げたが、両投手ともその後順調に育っているとは言い難い。高校卒でなくても「二年目のジンクス」にはまってしまう選手は少なくないが、本来身体作りに重点を置く時期に一軍での舞台を任せられることの反動か、故障に泣かされるケースも少なくない。ダルビッシュが今シーズン結構苦しむのではないかと敗戦処理。は気を揉んでいる。

ダルビッシュはひょっとしたら二百勝も狙えるかもしれない素材だと思う。成長の過程で苦しみ、試合で痛い目にあったりして高い授業料を払っていきながら成長するという意味で今シーズンのマウンドで苦しむというのなら仕方ないが、結果を焦ってつまらない故障で大切なものを失うということだけは避けて欲しいものだ。今回の右肩の張りも異常なく、今週末には戦列に復帰するというが、無理をしないで欲しい。

それにしても、このチーム、ダルビッシュがいなかったらどうなってしまうのだろう?

金村がいて、新外国人のフェリックス・ディアスが仮に働くとしても、その次の名前がすっと出てこない<苦笑>。敗戦処理。的には根拠は全くないが、須永英輝が二桁勝つと思っているのだが、くどいようだが根拠はない。江尻慎太郎、正田樹、鎌倉健、押本健彦、八木智哉と実績のない選手がいるにはいるのだが…。

早いものでシーズン開幕まで一ヶ月を切ったのですね。上記の投手達の中からオープン戦で信頼を勝ち得た投手を順番に使っていくしかないのですね。それはそれで楽しみでもありますが…。

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2006年2月26日 (日)

WBCの落とし穴、投手球数制限!!

23日からWBC日本代表の壮行試合、練習試合がスタートした。一次予選に当たるアジアラウンドが3月3日から5日までの3日間だから、この三日間がちょうど一週間前に当たる。この三連戦に先発する三投手がそれぞれ中六日でアジアラウンドで先発する予定だという。しかしWBCには投手の球数制限があり、アジアラウンドでは65球。そのため日本代表では各試合に「二人目の先発投手」を用意する。第一戦は先発・上原浩治の後に二人目の先発として清水直行を、第二戦には松坂大輔の後に和田毅を、第三戦には渡辺俊介の後に杉内俊哉を予定しているという。

12球団選抜との練習試合第二戦に先発した松坂はアジアラウンドでの球数制限の65球を目前に控えた四回表、62球目に村田修一に決勝の本塁打を浴びた。松坂のこの試合でのイニング別投球数は以下の通り。

    1回 2回 3回 4回

投球数  16  21  15  16

累計数  16  37  52  68

投球数が累計で65を超えているのは、打者の途中で65球を迎えた際にはその打者まで投げ続けられるという規定によるからだが、制限数を間近に迎えたイニングではどうしてもストライクを揃える傾向になるのだろう。

首脳陣としては、第一戦の上原のように62球で5イニングきっかりを投げてくれれば問題なく二人目の先発投手にスイッチできるのだが、この試合の松坂のようにイニングの途中で制限数を迎えると、松坂の直後に二人目の先発投手をつぎ込むのではなく、イニングの途中から投げることに慣れているリリーバー要員を間に挟まなければならなくなり、藤田宗一を二番手として起用し、二人目の先発投手に当たる和田を次の5回から投入するという形を取らざるを得なくなった。

こういう課題が顕在化するというだけでも、練習試合の成果と言えるだろう。普段慣れていないルールに合わせざるを得ない選手をフォローするのは首脳陣の役目だと敗戦処理。は考えているので、本番で同じようなことが起きても松坂を責めることはしない。王貞治監督以下、首脳陣は例えばこの試合のような展開になったら先発投手を3イニングで降ろすことも考えなければならないだろう。

26日にはマリーンズ単独チームとの対戦。今度はどんな課題が顕在化するだろうか。

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2006年2月25日 (土)

ジャイアンツ開幕戦の始球式の人選を予想しよう

始球式に関連したトラックバックがついたところで…、

実は敗戦処理。のホームグラウンドはまだまだこのブログではなく、@niftyのベースボールフォーラム http://forum.nifty.com/fbball/ なのですが、その中の球団別掲示板の一つ、読売ジャイアンツ掲示板 http://bbs1.com.nifty.com/mes/cf_wrent/FBBALL_B018/wr_page=1/wr_type=T/  で、毎年この時期にお遊びをしています。

2672.【恒例】今年のジャイアンツの開幕戦の始球式は誰?

http://bbs1.com.nifty.com/mes/cf_wrentT_m/FBBALL_B018/wr_type=T/wr_page=2/wr_sq=FBBALL_B018_0000002672

ジャイアンツの公式戦開幕戦、3月31日の対ベイスターズ戦のセレモニーで誰が始球式を務めるか、予想して投票しようというお遊びです。既に常連の皆さんはほとんど投票を終えていますが、このブログを読んで下さった方にもよろしければ参加していただければと。

もちろんジャイアンツファンでなくても大歓迎です。

ベースボールフォーラムの読売ジャイアンツ掲示板の発言は誰でも閲覧できますが、発言の書き込みには@niftyのIDが必要です。

上記の発言内にも書かれていますが、ジャイアンツの開幕戦の始球式には大半は女性タレントが起用されています。シーズン開幕の大切なセレモニーなのだから、その球団あるいは野球界に貢献した人物に始球式を依頼するのが筋だろうという意見にはその通りだと思いますが、このお遊びではとりあえず堅い話は抜きにして、楽しみましょう。

ちなみに昨年はフィギュアスケートの安藤美姫選手が起用されましたが、トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香選手は所属がプリンスホテルですので、3月25日のパ・リーグ開幕戦、ライオンズ対バファローズ戦に起用されるのではないでしょうか。

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2006年2月24日 (金)

巨人のドラフト指名を拒否した男

この時期、週刊ベースボール2月25日増刊号(ベースボール・マガジン社刊)をはじめ、今年のプロ野球の選手名鑑が発売され始めましたね。敗戦処理。は選手名鑑と毎年3月頃に発売される小関順二氏の「プロ野球 問題だらけの12球団」シリーズ(草思社刊)を観て新人選手の顔と背番号、プロフィールをインプットするのをこの時期の恒例行事にしているのですが。

今年の新人選手は高校生ドラフトで指名された選手と大学・社会人ドラフトで指名された選手と両方いるので、週刊ベースボールでは高校生ドラフトでの指名順位を○で、大学・社会人ドラフトでの指名順位を□で囲って区別していますが、それ以外にも希望枠入団は「希」、昨年までの自由獲得枠は「自」と表記したり、年度によって呼び方が「ドラフト○位」だったり「○巡目」だったりと、混迷するドラフト制度の実態が名鑑からもうかがわれますね。

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2006年2月22日 (水)

バファローズ、野茂を獲得へ

昨シーズン、ヤンキースの3Aに所属したままシーズンを終え、今シーズンの所属が未だ決まっていない野茂英雄投手に関し、日本のバファローズが「力は衰えていない。戦力には十分なる」と獲得に興味を持っているという。今日(22)のスポ-ツニッポンが報じている。

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2006年2月18日 (土)

千葉茂さんのカツカレー

今日は何年かぶりで銀座に行く用事があったので昼食をガス灯通りにある「グリル・スイス」で取りました。

この店は日本プロ野球初期の大スター選手、今は無き千葉茂さんが贔屓にしていた洋食店で、千葉さんの「カレーライスにカツ丼をつけてくれ」という一言でカツカレーが発案されたというカツカレー発祥の店として有名なのです。

(http://r.gnavi.co.jp/g306400/)

千葉さんの一声で産まれたカツカレーは今でも「千葉さんのカツレツカレー」としてこの店の人気メニューであり続けている。

「銀座」という街の、言ってみれば裏通りにあるこの店は四人が座れるテーブルが六個ある小さな店だが昼食時にはいつも相席を余儀なくされる。今日は14時を回っていたがそれでもほぼ満員だった。メニューに千葉さんの笑顔の写真があり、壁には千葉さんの色紙や千葉さんを偲ぶ故郷の愛媛新聞の記事が貼られている。

「千葉さんのカツレツカレー」通称「チバカツ」は三年前と変わらぬ味だった。味が変わらないことが何より嬉しい。

千葉茂さんは日本プロ野球初期のジャイアンツの二塁手として活躍。長嶋茂雄さんに「背番号3」を譲った人物としても有名。ニックネームが「猛牛」だったことから旧近鉄の監督になった時にチーム名が「バファロー」となったことはあまりにも有名だ。監督のニックネームがチーム名に反映された例はおそらく他にないだろう。

近鉄バファローズという球団は、2005年の球団合併により、事実上消滅した。敗戦処理。が日本のプロ野球に興味を持って約四十年。球団の身売りという事例にはいくつか接したが、合併・吸収によって消滅するなんて信じられなかった。

合併しても「バファローズ」という名前だけは残った。しかしそんなことは気休めにしかならないと思っているバファローズファンは少なくないようだ。事実、合併球団の小泉隆司球団社長兼代表は一連の騒動の最中さかんにチーム名を「バッファローズ」と呼んでいた。形だけ名称を残しているという魂胆が明らかだ。

バファローズ球団がこういう末路をたどったのは球団のいっこうに改善されない赤字体質が原因であるが、親会社である近畿日本鉄道自体の経営も逼迫しており、赤字のグループ会社を切り捨てざるを得ない状況であった。球団が吸収され、あの愛着のある猛牛マークも消滅した。実はあのマークは球団だけでなく一部の近鉄グループでも使用されていて、近鉄物流のトラックが車体にこのマークをデカデカと掲示していたが、その近鉄物流も球団同様に切り捨てられ、別の資本が入ることでこのマークを使わなくなってしまった。球団が消え、本拠地大阪ドームは破産して競売にかけられる。その前の本拠地であり、大阪ドーム誕生後もファームの試合に使われていた藤井寺球場も取り壊しが決まり、日生球場に至っては跡形もない。

敗戦処理。は旧バファローズのファンではない。ファンでもない者が軽々しくノスタルジックに語るのは申し訳ない気持ちもあるが、日本のプロ野球そのものを愛している身として、景気や社会情勢で球団の親会社が変わることは仕方ないにしても、球団そのものがこうした形で消滅、姿を変えてしまうのは許し難い。バファローズにまつわるものがどんどんと消えていく中、銀座ガス灯通りにあるこの小さな店にはいつまでも変わらぬカツカレーを提供し続けて欲しいものだ。

旧バファローズのあの猛牛マークが岡本太郎画伯のデザインであることは有名だが、岡本太郎画伯が球団のペットマークを作ることになったのは千葉茂さんと岡本画伯が懇意にしていたからだという。

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2006年2月16日 (木)

「生」観戦した野球場(2)-明治神宮野球場

Jinguu00 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第2回 明治神宮野球場 観戦球場ファイル-2-

スワローズの本拠地としてだけでなく、東京六大学野球と東都大学リーグ第一部の春と秋のリーグ戦、高校野球の東京都予選、社会人野球にも広く使われるアマチュア野球のメッカ的存在。

一部には既に賞味期限の過ぎた球場との声もあるが、東京ドームと違って屋根がないから夜空を観ながらビールを飲んでの野球観戦に独特の味わいがあり、捨てがたい魅力がある。グラウンドが狭く、本塁打量産球場との印象もある一方、他球場に比べてファウルグラウンドが狭いため、ファウルフライがスタンドに入りやすく、打者にとっては結構美味しい球場といわれている。そのうえスタンドの傾斜が緩やかなため、ファウルボールを客が取り合う状況になっても危険が少なく、今では多くのスタジアムで当然のように行われているスタンドに飛び込んだファウルボールを取った観客にプレゼントするというサービスを常打ち球場では最初に導入しようとしたスタジアムである。また最近では珍しい、スタンドからブルペンでの投手の調整を観ることが出来るのもグッド。

ただ東京の青山というオシャレな街にありながら、地下鉄の東京メトロ銀座線の外苑前駅、JR総武線の信濃町駅、千駄ヶ谷駅と、どの最寄り駅から行っても十分以上歩くのが玉に瑕。前回の後楽園球場の時にふれたが、最寄り駅から球場周辺までのシチュエーションというのは野球観戦の高揚感には不可欠なだけにちょっと残念。

敗戦処理。にとっても、おそらく後楽園、東京ドームに次いで多く足を踏み入れた球場であろう。プロ野球はもとより大学野球、社会人野球スポニチ大会、夏の高校野球の予選、定時制高校の大会、さらには花火大会でも足を運んだことがある<>

敗戦処理。が初めて明治神宮野球場-通称神宮球場に足を運んだのは昭和50年4月5日に行われたセ・リーグ開幕戦。スワローズ対カープ戦だった。

今年のカープを率いるのはマーティー・ブラウン監督だが、この年もジョー・ルーツという外国人が監督をしていた。就任一年目のシーズン途中に試合中の審判とのトラブルが元で退団してしまったが、古葉竹識監督に引き継いでこの年のカープが球団創立以来初の優勝を果たしたため、ルーツ監督の手腕も今なお高く評価されている。

審判とのトラブルから即退団となったことでもわかるように相当短気な性格だったようだが、この開幕戦観戦で印象的なのは、監督自ら三塁のコーチを務め、二塁から三塁を回ってホームを狙う走者を誘導し、そのまま走者と一緒にホームベースの近くまでかけよった熱血ぶり。

ちなみにその試合で完投勝利を挙げたカープの外木場義郎は通算100勝目。

カープの話題で想い出したが、広島の新球場建設問題()が一段落したら、次に話題になるのはおそらくこの球場だろう。幅広いジャンルに使われる球場だけに、それぞれのジャンルの選手だけでなく、ファンをも悲しませるようなリニューアルだけは避けて欲しいものである。

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2006年2月14日 (火)

広岡巨人臨時コーチ、二岡の外野コンバート案を披露

巨人の宮崎キャンプに臨時コーチとして指導に参加している広岡達朗氏が二岡智宏の外野コンバート案を報道陣に披露したそうだ。

二岡は現在故障で別メニュー調整中であるが、マリーンズから移籍してきた小坂誠の守備力を高く評価している広岡氏としては、小坂を遊撃手として起用し、二岡を外野に回した方が守備力のアップとポジションのだぶりを解消できるという考えらしい。

小坂のジャイアンツへの移籍が決まってから、一部マスコミやファンの間から、原辰徳監督が前回の監督の時に折り合いが悪かったとされる仁志敏久を外すために小坂を獲得したのではないかという声が聞こえてくる。敗戦処理。は個人的には仁志の二塁守備が好きなのでそれには反対なのだが、それ以前に小坂を二塁でという発想に異を唱えたい。

普段ジャイアンツやセ・リーグの試合を主体として観戦している方々の中には、遊撃手としての小坂のすばらしさを認識していない方も少なくないのではと思うからです。つまり同じ仁志がはみ出される状況になるにしても、「二塁・小坂」によってはみ出すのではなく、例えば「遊撃・小坂、二塁二岡」となって結果的に仁志がはみ出すと考える方が自然なのでは無いかと言うことです。広岡氏はおそらくそうした事態を避ける意味も含めて、まだポジションが一つ空いている外野に二岡を回し、小坂を遊撃に入れる案を提言したのでしょう。

敗戦処理。は広岡氏やそのライバルといわれた元タイガースの吉田義男氏の現役時代を知りませんが、リアルタイムで観た中では元ホエールズの山下大輔氏と、小坂が遊撃手としての守備が双璧だと思っています。たとえて言うならば、山下さんは「華麗」という点でナンバーワン。小坂は「堅実」という点でナンバーワン。

小坂を獲得した時の清武英利球団代表のコメントによる「原巨人は絶対的競争主義を掲げ、巨人軍を1度ぶっ壊すつもりで補強し、再生を目指している。」という方針を掲げています。これが本当であるならば、内野のポジション争いに関しても、初めに二岡ありきというような発想は捨て、小坂と二岡を競争させて欲しいくらいです。

小坂の守備力を評価するのであれば、二岡のポジションを動かすという発想になっても不思議ではありません。それをせずに初めに二岡ありきという発想でいるならば、これまでと変わらない生え抜き選手重視、外様軽視のチームカラーから何ら変わっていないと言うことになります。

小坂獲得の時点ではJ・ディロンやイ・スンヨプの獲得が決まっていなかったので敗戦処理。は「一塁・小久保、二塁・仁志、三塁・二岡、遊撃・小坂」という布陣もバリュエーションとして考えていましたが、広岡氏がキャンプで清水隆行のスローイングを徹底的に指導しているというのでイや二岡を外野も出来るようにし、清水にセンターを守らせようと言う腹案があるのかなとも考えています。

ちなみに広岡氏によると、二岡はドラゴンズの福留孝介選手クラスの外野手になれる素質があるそうです。

いずれにせよ、清武代表や原監督の言う「絶対的競争主義」が何処まで本気なのか、二岡と小坂の起用法がその試金石になると思います。そのためにも二岡、早くケガを治してくれ!

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2006年2月12日 (日)

ファイターズが前バファローズの岩下を獲得

ファイターズは名護キャンプにテスト生として参加して

いた前バファローズの岩下修一投手の獲得を発表しまし

た。

左のリリーフ投手が手薄なのは誰の目にも明らかなファ

イターズの救世主になるか、注目したいです。

岩下は2000年に旧ブルーウェーブに入団。新人の年にい

きなり44試合にリリーフ登板してチームに貢献しました

が、翌年に急性骨髄性白血病を発病、4ヶ月の入院生活

を余儀なくされた。その後懸命なリハビリで戦列に復帰。

2002年には18試合に、2003年には20試合に登板するも一

年目ほどの力は発揮できなかったようでその後は登板機

会が激減し、昨シーズン後に戦力外通告を受けました。

ファイターズは昨年、ベテラン高橋憲幸の自転車乗車中

の事故で左のリリーバー不足が露呈。前半戦は2003年の

先発ローテーション投手、吉崎をセットアッパーに回し

フル回転させましたが登板過多でリタイヤ。その後は先

発要員だったブラッド・トーマスを仕方なくリリーバー

にしていました。2003年にそこそこがんばっていた清水

章夫がケガ、佐々木貴賀、加藤竜人は一本立ちできずと

惨々でしたから、昨年の大学生・社会人ドラフトで八木

智哉、武田勝と即戦力候補のサウスポーを二人獲得でき

たとはいえ、まだまだ不安ですから、キャンプ期間での

テストとなったのでしょう。

獲得する以上はファイターズで戦力となって働いてくれ

ると信じたいですが、今年で33歳になるという年齢と、

バファローズで年々登板機会が減少していたという事実

に正直不安視の方が大きいです。それでも大病を克服し

た強い意志の持ち主なのでしょうから、何か他の選手と

違うメンタリティの強さで伸び悩む同タイプの投手達に

プラスの刺激、影響を与えてくれるのではないかなと期

待しています。

がんばれ、岩下!

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2006年2月11日 (土)

仰木さん、近藤さん、藤田さん…。

このオフシーズン、個性的な監督経験者が三人相次いで

亡くなられたのですね。

仰木彬さんと藤田元司さんは1989年の日本シリーズで旧

バファローズとジャイアンツの監督として対戦。バファ

ローズが三連勝の後、ジャイアンツが四連勝するという

ドラマチックな日本シリーズでしたね。

近藤貞雄さんと藤田元司さんは1982年のセ・リーグペナ

ントレースでドラゴンズとジャイアンツの監督として白

熱した争いをしました。ジャイアンツの絶対的エースだ

った江川卓を最後に攻略してドラゴンズが逆転優勝しま

したね。

近藤さんと仰木さんはどちらもアイディアマンとして複

数の球団の監督として行く先々で話題を振りまいていま

したね。

プロ野球の監督って、長くやると身体に良くないのでし

ょうね。

今懸命にリハビリに励んでおられる長嶋茂雄さんと仰木

さんは同じ学年。そしてゴールデンイーグルスの新監督

となった野村克也さんも同じ学年。

昨年は不成績ながらチームを作っていこうという姿勢が

多くのファンに支持された田尾安志前監督をあっさりと

解雇してしまった三木谷浩史オーナーの元、名将野村さ

んも苦労が絶えないと思う。野村さん、「最後のご奉公」

とか言っていましたが、ゴールデンイーグルスの監督の

代わりはいても、野球界に野村克也の代わりはいません。

あまりにも弱い新規参入球団を何とかしようという想い

はひしと伝わってきますが、くれぐれもお身体を大切に。

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2006年2月 9日 (木)

古き良き時代のジャイアンツ野球-藤田元司監督の時代

ジャイアンツの元監督、藤田元司さんが9日、亡くなら

れた。74歳だった。

藤田さんは1981年から1983年の三年間と、1989年から

1992年の四年間の二度にわたりジャイアンツの監督を務

めた。一回目が長嶋茂雄監督の世紀の解任劇の後、二回

目が王貞治監督の後と、非常に厳しい状況下での監督就

任だったが二度とも就任一年目に即日本一と結果を出し、

「常勝」を旗印にするチームの危機を救っている。

敗戦処理。がいだく監督としての藤田元司像は采配より

人材を活かす妙でチーム成績を高めた監督というイメー

ジが強い。王監督時代に「ノミの心臓」といわれていた

斎藤雅樹を「平成の大エース」と呼ばれるほどの投手に

育て上げた実績がそういう印象を持たせるのか…。

川上哲治監督時代のV9が終わり、ドラフト制度の効果

などでそれまで万年Bクラスだったカープやスワローズ

が優勝し、セ・リーグ各球団のチーム力が均衡して長嶋

巨人が低迷した後を受け、今のようなFAやドラフト逆

指名という手っ取り早いチーム強化法がなかった時代に

主に投手力をアップさせてチームを強くさせた藤田さん

の手法がその後のジャイアンツに活かされなかったのが

残念でならない。

敗戦処理。は別に、第二次長嶋政権から続く補強に次ぐ

補強によるチーム編成を必ずしも否定しない。しかし、

藤田さんがドラフトで自ら引き当て、愛弟子と言ってい

た原辰徳監督でさえ、二度目の就任に当たるこのオフ、

手当たり次第に補強に走っている感があるのが残念だ。

ジャイアンツには藤田さんの遺伝子を受け継ぐ人はいな

いのか。

例えば、敗戦処理。は2001年のジャイアンツの本拠地最

終戦を生観戦した。この試合は長嶋監督が退任を発表し

ており東京ドームでの最終戦ということでセレモニーが

用意されていたが、同時に槙原寛己、斎藤雅樹、村田真

一の三選手の引退セレモニーも用意されていた。この三

選手はいずれもジャイアンツの生え抜きで、槙原と斎藤

はドラフト1位のエリートではあったがそのスタートは

ファームで、村田も含め三人ともジャイアンツの叩き上

げの選手だったから敗戦処理。に限らず多くのファンは

この三人の引退に大いに感情移入を出来たと思う。この

先、FA移籍や逆指名入団でジャイアンツのユニフォー

ムを着た選手達の引退セレモニーの際にどれだけ感情移

入が出来るか、少なくとも敗戦処理。には想像できない。

藤田さんの愛弟子に当たる原監督にはチームの再建を託

すにあたり、あの古き良き時代のジャイアンツ野球をも

う一度再現させて欲しい。もうV9などという夢は望ま

ない。V9以降の世代のジャイアンツファンに最も慕わ

れたという藤田時代の再現こそがジャイアンツや讀賣グ

ループが気にするTV視聴率の向上などで表されるジャ

イアンツ人気の復活にもつながると敗戦処理。は睨んで

いるのだが。

最後になりましたが、謹んで藤田元監督のご冥福をお祈

りします。

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片岡篤史、あれから四年…。

8日夜のスポーツ報知のWEB版を観ていたらこんな記

事があった。

非力痛感の片岡」

スワローズの古田敦也プレイングマネージャーがキャン

プで初めて捕手としてブルペン入りしたというニュース

を抑えてトップ記事となっている。片岡がキャンプ中の

昼休みに特打をしたら、94スイングで柵越えゼロという

結果だったという。また昨年は3月にケガをして出場数

が激減したというので今年は気をつけるという。その程

度の記事だ。しかしファイターズ時代の片岡篤史を応援

していた敗戦処理。にとっては、久々に片岡報道に接し

た感じがした。

ファイターズの片岡がFA権を行使してタイガースに移

籍したのは2001年のオフ。悩みに悩み、迷いに迷った末

の決意という感じであった。ファイターズファンである

敗戦処理。にとっては非常に寂しい思いとともに、チー

ムの主軸がFA宣言したにもかかわらず手を挙げたのが

タイガース一球団だけだったことに若干の物足りなさを

感じたモノだった。当時の報道では片岡にタイガースは

「五年契約、総額十二億円」という破格の待遇を用意

したといわれた。それがせめてもの救いだったか。あれ

から四年、早いもので片岡はもう契約最終年を迎えた。

タイガースでの片岡ははっきりいって役に立っていない。

タイガースファンでない敗戦処理。が断言してしまうの

はおかしいかもしれないが、大金をかけて獲得した球団

の期待に応えているとはとても言い難く、タイガースフ

ァンの思いは察するに難くない。いくつかの故障に見舞

われたり、セ・リーグの野球に順応できていなかったり、

タイガースという、ファイターズとは全く環境の異なる

人気球団でのプレッシャーに負けたなど複数の要因がか

らみあっての悪循環なのだろう。今季も三塁に今岡誠が

いて、一塁にアンディ・シーツがいることを考えれば活

躍の場が限られていることは明らか。

片岡の抜けたファイターズはその後小笠原道大を中心と

したチームに生まれ変わった。かつて片岡が守っていた

ホットコーナーには新リーダーの小笠原がどっしりと構

え、片岡がいたことなど忘れ去られているかのようだ。

北海道
移転後にファンになった人の中には片岡がファイ

ターズの選手だったことを知らない人もいるのではない

か。

敗戦処理。はセ・リーグではジャイアンツを応援してい

るのでタイガースに今年もがんがん走りまくられては困

る身だが、片岡には何とかがんばって欲しいものだ。前

述のようにレギュラー復帰はかなり困難だが、せめて体

調を万全にして代打の切り札とか、存在感を示して欲し

いものだ。たとえ特打をして94スイングで柵越えゼロで

あろうと片岡の魅力は長打力ではない。粘り強く左右に

打ち分ける安打製造機が片岡の本来の姿だったはずだ。

過去四年間苦しみもがき、今年37歳になる片岡に今さら

モデルチェンジは望めまい。片岡らしさをもう一度呼び

起こすことが再起への早道だろう。いや、早道というよ

り、唯一の命綱であろう。

甦ってくれ、片岡篤史!!

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2006年2月 4日 (土)

堀江容疑者の絶頂期

自室の整理をしていたら、古いビデオテープが出てきた。

一昨年の球界再編騒動の最中に放送されたテレビ朝日、

「朝まで生テレビ」を録画したものだ。

2004年6月13日に唐突に発表された当時のブルーウェー

ブとバファローズの合併。これに端を発した球界再編騒

動で、ライブドアが旧近鉄バファローズを買収すると名

乗りを上げ、ホリエモンとライブドアという会社が一躍

脚光を浴びた。プロ野球選手会、古田敦也会長も立ち上

がり、実質的な支配者とされる当時のジャイアンツの渡

邉恒雄オーナーとの会談を申し込むが、「たかが選手が」

と一蹴される。この時の同オーナーの不遜な態度がプロ

野球ファンのみならず広く一般大衆の反発を買い、世論

までもがプロ野球界の合併反対という大きな流れを作っ

ていった。そんななか、プロ野球オーナー会議では「さ

らにもう一組の合併が進行中である」とファンや世論が

求める方向と真逆な方向に水面下で進みつつあるのは誰

の目にも明らかだった。そんな7月の末に、テレビ朝日

の「朝まで生テレビ」がこの問題を取り上げた。古田選

手会長と、球団買収に名乗りを上げた企業の社長の初の

対面()ということもあり話題を集めた。もちろんシー

ズン中なのでスワローズに試合がない日の昼間に収録さ

れた。

約3時間のビデオを通しで観てみた。

まず出演者を紹介しておこう。

朝まで生テレビ、第208弾「激論!ド~する?! 日本プロ

野球」

パネリスト(紹介順。肩書きは番組内で紹介されたまま)

栗山英樹  プロ野球解説者

古田敦也  ヤクルトスワローズ プロ野球選手会会長

堀江貴文  ライブドア社長

二宮清純  スポーツジャーナリスト

広瀬一郎  経済産業研究所 上席研究員

三宅久之  政治評論家

東尾修   プロ野球解説者

坂井保之  プロ野球経営評論家

ヨネスケ  落語家

遙洋子   タレント、作家

江本孟紀  プロ野球解説者

司会

田原総一朗 ジャーナリスト

寺崎貴司(テレビ朝日アナウンサー)

長野智子

ちなみにまだこの時点では楽天は球界への参入を表明し

ていない。

思えばこの時期が堀江容疑者の絶頂期だったのではない

か。

例によってTシャツ姿で出演し、渡邉氏の盟友として出

演した政治評論家の三宅久之氏に「こういう場にふざけ

た格好で来るな。ネクタイくらい締めてこい!」と酷評

されながらも、球界参入への強い意思表示を続けたホリ

エモン。もちろん放送当時には、球界参入を志願したI

T業界の時代の寵児が球界参入の意気込みを語るという

のも目玉の一つだったが、現役プレイヤーである古田が

選手会長という立場で出演したことの方がインパクトが

大きく、前述の三宅氏らも明らかに古田には気を使って

いた。

また出演した選手OBの間でも、ホリエモンに対するス

タンスが二分された感じだったのが印象深い。司会の田

原氏をサポートする役割を兼ねていた感のある栗山氏は、

ホリエモンに好意的なスタンスを示していた感じであっ

たが、パ・リーグひとすじの東尾氏はホリエモンを快く

思っていないことが顔に出ていた。

東尾氏は放送中、何度かパ・リーグの良い部分をとくと

くと語っていたが、それが経営面に好影響をもたらすこ

とがなかったのが現実でそれが故にパ・リーグでは過去

もセ・リーグより多い身売りの歴史があった訳だし、つ

いには身売りどころか、球団合併という瀕死の危機に陥

ったのだが、永年その世界で苦闘を続けてきた誇りがあ

ったのだろう。この若者の口から出る「理想論」に何か

胡散臭さを感じていたのかもしれない。

ちなみに江本氏はホリエモンの参入案、改革案に具体的

な反対理由を挙げていた。

討論番組といっても各参加者が言いたいことを言い合っ

て結論などまとまらないのがこの番組の持ち味であり、

視聴者は誰が言っていることが最も説得力があるかを確

かめるか、自分と同じ、あるいは似た意見を発する論客

が他の論客からどう攻められるかに興味を持ってみるの

がこの番組のベターな見方であると思う。それでも評論

家が机上の空論をぶつけ合うばかりでなく、複数の当事

者が出演して議論に加わったことで、興味を持つファン

にはそれなりに有意義な内容になったと思う。

ホリエモンの逮捕後、今までやたらに持ち上げておいて、

手の平を返したように批判している人のことを非難する

論調を方々で見かけるが、犯罪の容疑がかかって逮捕さ

れた以上、評価が一変するのは避けられないと思う。敗

戦処理。個人としては、あの合併騒動の最中にライブド

アという会社が旧バファローズ買収に本気で名乗り出た

という事実は、球界の縮小化に反対する多くのファンを

勇気づけたし、仮に球界参入のために会社を実態以上に

健全に見せようとして一連の錬金術を駆使してそれが不

法行為に走らせた一因であったとしても、歴史上の事実

として球界の縮小化を阻止した一助になったことは疑い

ようのない事実だと思う。楽天もソフトバンクも、まだ

あの時点ではNPBに縁もゆかりもなかったのだから。

番組のエンディングで、ホリエモンはついに「渡邉さん

の前に出る時はネクタイ締めて行きますよ」と重大決意

をした。その対面は渡邉オーナーの失脚で実現せず、ホ

リエモンも逮捕されたため今後もないかもしれない。

野球の世界では「れば」と「たら」は禁物だとされてい

るが、もしも「仙台ライブドアフェニックス」が誕生し

ていたら、いや「大阪ライブドアバファローズ」が誕生

していたら、2005年のプロ野球はどんな形になっていた

のだろうか。そして二年連続での球団オーナーの逮捕と

いう不祥事にプロ野球界はどういうたいしょをしていた

のだろうか。

「朝まで生テレビ」ではこの後にも一回、プロ野球再編

問題を取り上げたと記憶している。機構側からも出演が

あり、またスポーツライターの玉木正之氏がさかんに

「楽天の立候補はライブドア潰し」と連発していた記憶

があるから、楽天の参入表明以降だったと思う。

今週の日曜日にNHKのBS1で「ディベート・プロ野

球改革」という番組が放送された。マリーンズの瀬戸山

隆三球団代表やホークスの小林至取締役、選手会の松原

徹事務局長等が出演して熱い議論を交わしたそうだ。敗

戦処理。は都合で放送を見ることが出来なかったので明

日5日の13:10からの再放送を楽しみにしている。

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2006年2月 2日 (木)

清原和博の使い途

ジャイアンツから戦力外通告を受けてバファローズに、

というか故仰木彬氏に拾われた清原和博のキャンプ初日

の一挙手一投足が各メディアで大々的に報じられていた。

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2006年2月 1日 (水)

プロローグ

野球場で「生」で野球を観戦する。

これが敗戦処理。の至福の瞬間です。

草野球以外にプレー経験のない敗戦処理。ですが、敗戦処理。なりの目線で「生」観戦記を書いていきたいと思います。

もっとも最近ではCS放送まで含めればほとんどのプロ野球の試合を球場に行かずに観戦できます。敗戦処理。はイースタン・リーグなどマニアックな試合を観るのも好きなので、そういった試合を中心に書き込もうと考えています。

今のところ第一回は3月4日に予定されているイースタン教育リーグ、ファイターズ対ジャイアンツ戦(鎌ヶ谷)の観戦記を予定しています。

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真の観客動員力がある球団はどこか?

日本のプロ野球は一昨年の球団合併発表からの再編騒動によって、大きな改革の必要性が露呈されましたが、「改革元年」と言われた昨年、つまり2005年度には交流戦が実施されたことと、以前まではおおざっぱな概数で発表されていた観客動員数が実数で発表されたことくらいしか、眼に見える「改革」は無かったような気もします。

まあしかし、観客動員の実数発表がなされたことで、新たなデータがとれるのではないかと考えました。それは「真の観客動員力のある球団はどこか?」ということです。

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「生」観戦した野球場(1)-後楽園球場

Photo いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第1回 後楽園球場 観戦球場ファイル-1-

敗戦処理。が初めてプロ野球を生で観たのが後楽園球場。

昭和49年3月、父に連れられてジャイアンツ対オリオンズのオープン戦を観ました。三塁側の内野席だったような気が。

「プロ野球のメッカ」といわれ、東京ドームが出来るまでのジャイアンツ、ファイターズの本拠地。今の東京ドームがある位置のすぐ隣に存在していた。たぶん東京ドームホテルがあるあたりだろう。

以後、昭和63年に東京ドームが出来てその役割を終えるまで14年間、いろいろなドラマを見させてもらった。

そういえば後楽園でジャイアンツが最後に公式戦を行った試合も観た。1987年のリーグ優勝を決めた後の消化試合だったが、結果的に江川卓の公式戦最終登板でもあった。吉村禎章がカウント2-4から本塁打を放ったことも後に話題になった。

両翼90mと表示されているのに実際はもっと狭いだとか、いろいろと揶揄される点があったが、個人的には野球に興味を持ち始めた時期に最も脚を運んだ野球場だから思い入れは深い。敗戦処理。は後楽園に行くにはJR総武線で新宿から行くことが多かったが、飯田橋から電車が水道橋のホームにさしかかる直前に車内からジャンボスタンドの中が遠くに見え、球場に向かう橋を渡るファンの群れが眼にはいると、いかにも「これから後楽園で野球を観るんだ!」と意識が高揚したもので、電車を降りるとどうしても早足で改札に向かってしまうものだった。この魅力はドームになった今では残念ながら二度と味わえない。

さて、このブログに書き込むに当たって、敗戦処理。が初めて後楽園で観戦した試合の内容を毎日新聞の縮刷版で調べてみたので、蛇足ながら書き加えておきます。ある年代にとっては懐かしい名前が並んでいますよ。

1974年3月24日=後楽園・春季オープン戦】

O 004 100 000 =5

G 530 000 02× =10

O)●城之内、八木沢、村田-村上、榊

G)新浦、○倉田、小林-森、吉田、矢沢

本塁打)王3ラン(城之内・1回)淡口2ラン(城之内・1回)高田2ラン(村田・8回)

両軍スタメン

オリオンズ   ジャイアンツ

()岩崎    ()柴田

()長谷川   ()上田

()山崎    ()

()アルトマン ()長島

()池辺    ()末次

()前田    ()黒江

()村上    ()淡口

()千田    ()

()八木沢   ()新浦

オリオンズの先発が城之内邦雄だったが、これはかつてジャイアンツで「エースのジョー」のニックネームで親しまれたエース級の投手で、一度現役を引退していたがオリオンズの金田正一監督に誘われてこの年に現役復帰したのだった。

古巣ジャイアンツとの因縁対決となったため、「先発バッテリー発表」と「スタメン発表」の時にそれぞれ大きなどよめきが起きたことが印象的だった。が、初回にいきなり王貞治と淡口憲治に本塁打を浴び1回でKOされている。

そういえばKOされてリリーフ投手が出てくる時、当時の後楽園は両翼のポールの下、外野席と内野席の境にブルペンがあり、そこから男性運転手が運転するリリーフカーに乗ってリリーフ投手が出てくるのが常だったが何故か登場が遅れ、マウンドにいた金田監督が捕手を相手に投球練習をするパフォーマンスをしていたっけ<>

ところで城之内と金田監督にはちょっとした因縁があったらしい。

金田正一が通算400勝というとてつもない記録の持ち主であることは有名だが、さすがに400勝に辿り着く頃には完全に力が衰えており、先発で自分の力で勝利投手の権利を勝ち取る力は既に無く、400勝目を狙った時も先発投手が勝利投手の権利を得る5回を投げずにマウンドを降り、チームがリードしている状態で金田につなぎ、金田が勝利投手になるように工夫したモノだった。そしてその日の先発投手が城之内だった。

城之内は入団五年目には100勝を突破し、入団から7年連続で二桁勝利を挙げるほどの投手だったが、この年は初めて一桁勝利(4勝)に終わった年で以後急速に成績が悪くなるのだが、苦しんだ年に貴重な白星の機会を奪われたことを当時快く思っていなかったらしく、その事が間接的に金田にも後で伝わり、金田も気にしていたという。そんな関係もあって金田は自分が監督になったチームに一度引退した城之内を迎え入れたが二年のブランクが大きかったのか、この年の公式戦では一勝も出来ずユニフォームを脱いだ。

ちなみに知っている人は知っていると思うが、元おニャン子クラブ会員番号17番・城之内早苗の大叔父に当たる。

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初めまして、敗戦処理。と申します。

皆様初めまして。敗戦処理。と申します。

日本プロ野球が大好きで、なかでもジャイアンツとファイターズをこよなく愛し続けて約三十年です。この両球団を初め、プロ野球を中心に、野球に関して感じたことを自分の言葉で書き、それを目にした皆さんから、ご意見、ご感想をいただいて語り合えればと思い、プロ野球界の元日ともいえる2月1日にブログを立ち上げることにしました。

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