「生」観戦した野球場(4)-西武ライオンズ球場
いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。
このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。
第4回 西武ライオンズ球場 観戦球場ファイル-4-
西武鉄道、コクドグループ総帥、堤義明氏が所沢に作った球場。当初はプロ野球試合を招致して沿線利用者が沿線を使用してくれればという発想で作られたそうだが、球団を買収して本拠地とした。
それまでの野球場が土地があってその上に野球場が建っているという感じであるのに対し、狭山丘陵を掘り下げてつくっているため、たいがいの球場が入口を入ってから階段を上ってスタンドにたどり着くのに対してこの球場は階段を下りてスタンドにたどり着くのが特徴的。
昭和54年に西武がライオンズを買収して以来の本拠地球場であり、当初から前述のような球場設計は将来的にドーム球場化する前提で作られたと専ら語られたが、ドーム球場としては東京ドームはもちろんのこと、福岡、大阪、ナゴヤの後塵を拝した。しかも完全なドームでないため、春先と秋口は寒く、夏は蒸し暑いという観戦のしづらさがある。また昨年からネーミングライツを取り入れ、情報通信サービス業のインボイス社が権利を取得。インボイスSEIBUドームとなった。
西武線沿線のさいはてにあり、都心や
埼玉県でも近隣以外から行くのに時間がかかるため、観客動員では苦戦を強いられている。そもそもが西武鉄道の戦略として、他の首都圏の私鉄各社が都心から郊外に人を運ぶコンテンツがあるのに西武グループには乏しかったため無理矢理所沢に作ったといわれている。例えば小田急なら箱根、東武なら日光、形成なら成田、東横ならヨコハマと、都心から人を運ぶ目玉になる施設がある強みがあるのだが、西武鉄道グループにはこれといった施設がないため、野球場を作り、稼働率を高めるために球団を所有したとの見方もあるほどだ。
郊外であるならば車で球場に行こうと考える人も多いはずだが、年間予約席契約者以外の駐車場が無く、この球場に来るには西武鉄道か西武バスで来るしかない。昨年敗戦処理。が観戦した5月14日の交流試合のライオンズ対ジャイアンツ戦は延長11回までもつれ22時を回ってイニングの合間にはスコアボードに終電情報が流れたが、この不安があるから観客動員に苦しんでいるというのもあろう。ファンのニーズがあって球場があるのでなく、はじめに西武鉄道グループの事業計画ありきなのだろう。
敗戦処理。は先日たまたま80年代の堤オーナーの記事を目にしたが、堤オーナーは地域密着というテーマについて語ってはいたがその中に「埼玉」とか「所沢」といった地域名は出てこない。彼の表現によると「約300万人の西武沿線住民」なのである。この人が何を考えているかよくわかりますね。
敗戦処理。が初めてこの球場を訪れたのは昭和57年の日本シリーズ、ライオンズ対ドラゴンズの第4戦だった。当時は日本シリーズはデーゲームで行われるのが慣例で秋晴れの好天のなかシーソーゲームが繰り広げられ、谷沢健一が小林誠二から九回表に放ったセンター・オーバーの本塁打が決勝点となり、3対2でドラゴンズが勝って対戦成績を二勝二敗の五分にした試合だった。
敗戦処理。は年に一、二回この球場で観戦する。前述の昨年の交流試合では23時近くまで試合が長引いたが、敗戦処理。は球場の裏から試合終了に合わせて運行される西武バスと多摩都市モノレールで帰宅するので「足が無くなる」心配をしないですむのはラッキー。それでもこの日は帰宅が24時を回ったが<苦笑>。
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