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2006年4月16日 (日)

「生」観戦した野球場(6)-多摩一本杉球場

Photo_1 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第6回 多摩一本杉球場 観戦球場ファイル-6-

これまで5回は特定球団の本拠地球場であったが、敗戦処理。が六番目に観戦した球場は東京都多摩市にある多摩一本杉球場。

昭和60(1985)1月19日、前年限りで現役引退を表明していた江夏豊の引退式を観るために敗戦処理。はこの球場に初めて足を運んだ。ON全盛期のジャイアンツに正面からぶつかっていったタイガース時代を皮切りに、野村克也監督の発案で抑えに転向したホークス時代、ストッパーとして「優勝請負人」の称号を欲しいままにしたカープ、ファイターズ時代を経てライオンズで現役生活を終えた江夏豊。通算829試合登板、206158193セーブ。通算奪三振2987、通算防御率2.491971年のオールスターゲームでの一試合9連続奪三振1979年日本シリーズでの「江夏の21球」など輝かしい実績を誇る大投手であったが、最後に所属したライオンズで広岡達朗監督の方針についていけず、喧嘩別れのような形で球団を去らざるを得ない形になったため、球団が引退試合のような場を設けなかった。

江夏はこの後、米大リーグのブリュワーズのテスト生として海を渡り、大リーグへ挑戦するが、その壮行会も兼ねた「江夏豊たった一人の引退式」がこの東京の西にある球場で行われた。

江夏ほどの大選手の引退セレモニーが何故この球場で行われたかは謎だ。退団までのいきさつから所属球団の球場が使われないのはわかるが、何故この多摩一本杉球場で。

初めは前座のような形で地元の少年野球の試合が行われた。途中で守備側のチームのベンチからビートたけしが登場。審判に「ピッチャー江夏」と告げる。捕手も辻恭彦に代わり、江夏は地元の野球少年を打ち取る。

すると今度は攻撃側のベンチから武田鉄矢が登場。「代打落合」を告げる。落合博満の登場だ。ここで少年野球の選手達はお役ご免。たけし軍団が守備につき、江夏と様々な選手の一打席対決が続く。落合の後、高橋慶彦、福本豊、山本浩二、大杉勝男、斎藤明夫、江藤慎一が一打席対決をし、打ち終わったらマウンドに歩み寄って江夏と握手する。大杉と江藤以外は全員現役選手。1月というオフシーズン期間ながら所属球団のユニフォームを着て参加するという野球協約違反も辞さない強者もいて、江夏の最後を盛り上げてくれた。

その後この球場では80年代に一度だけ一軍のオープン戦が行われた。90年代後半には8月の終わりに年一回、マリーンズ主催のイースタン・リーグ公式戦、対ジャイアンツ戦が定期的に行われていて敗戦処理。も地元ということで観戦に行ったものだが、ここ数年は開催されていない。他に近くにジャイアンツ球場があるとはいえ、多摩市民の一人としては再びイースタン・リーグ開催を待ち望んでいるところだ。

敗戦処理。は当時も今も、この球場と同じ多摩市に住んでいる。大学生だった敗戦処理。はこの時、進級を賭けた大切な学年末試験を控えていたが、いてもたってもいられなくて江夏の最後を見届けに行った。

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