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2006年4月25日 (火)

濱中治はもっと早く復活出来たのではないか?-濱中復活を遅らせた二人

開幕から強いのか弱いのか今一つはっきりしないタイガースにあって、気を吐いているのが濱中治。ここ数年ずっと悩まされていた右肩の不安からほぼ解放され、「六番・右翼」に座り好打を連発している。

しかしこの濱中の復活。うまくすればもっと早く実現出来たのではないか?

濱中のアクシデントは2003年にまでさかのぼる。5月20日のカープ戦で走者として牽制で帰塁した際に右肩を負傷。「右肩捻挫」と診断された。肩の負傷ということでその後代打で試合に出ていたが6月13日のジャイアンツ戦でライトの守備につきスローイングした際にまた右肩を負傷。今度は「右肩脱臼、右肩関節唇損傷」と診断され、残りのシーズンを棒に振った。

ジャイアンツ戦でのスタメン復帰(ライト)はまだ肩が完治しない状態での見切り発車だった。星野監督ら首脳陣の意向で、打球が行ったらセンターの赤星憲広やセカンドの今岡誠をすぐそばまで行かせるからスローイングは無理をしなくていいという配慮をしての起用だったが、地元甲子園での伝統の一戦で無理をしなくていい等というのは無理な相談で、一塁線を抜かれた打球の処理で返球の際にやってしまったのである。

これは敗戦処理。に言わせれば人災であった。監督公認で「無理をしなくてもいい」と言われていても、あの超満員の伝統の一戦でそういうプレイは出来ないだろう。星野監督以下コーチ陣のミス、過失である。

7月に右肩の修復手術を受けた濱中は日本シリーズでこそDHで出場し、活躍の場があったが翌年は代打要員としてスタート。しかし5月に肩の張りを訴えて登録抹消。「右上腕二頭筋長頭の炎症」と診断され、以後一軍出場無し。7月には右肩の関節内クリーニングと腱板の縫合手術を受けた。昨年は交流戦のビジターゲームでDHでスタメン出場の機会が増え、7月には二軍戦でライトを守る実戦テストをこなし、一軍のジャイアンツ戦でも試合途中からライトの守備についた。そして8月4日のベイスターズ戦(横浜)ではライトでのスタメン出場を果たした。岡田監督は濱中の起用にはかなり慎重な姿勢だった。ようやく今季、開幕三連戦こそスタメン落ちしていたが、その後ライトに定着。打棒爆発はご存じの通りである。

悔やまれるのは星野監督による焦った復帰である。あれがなければこんなに遠回りしなかっただろう。

それと昨年の後半からテスト的にライトの守備位置についた濱中だったが、肩に不安があるのならライトに入れるよりレフトに入れるのが定石。肩に不安のある選手がライトにいると相手走者は一塁からライト前の安打で容易に三塁まで行けるが、レフトを守らせておけばレフトから一塁へ遠投するケースはほとんど無く、また走者二塁の場面でもレフト前の打球だと無死または一死だと二塁走者は安打になるのを確認してからスタートを切るので三塁に止まるケースが殆どというようにレフトの方がライトより明らかに肩に不安のある選手を守らせるには好都合なのだ。

ところがタイガースのレフトには連続フルイニング出場を続ける金本知憲がいる。この金本、実は守備範囲が広くなく、肩もそれほど強くない。おそらくは記録がかかっていなければ(年齢的な要素も絡み)守備要員との交代が頻繁になされてもおかしくない選手だ。金本をライトに回して濱中をレフトに回すという発想があればもっと早く濱中の打棒を活かす方法もあったのだろうが岡田監督はそれをしなかった。ヘタをすれば外野に二つ穴が出来ることになるからだろう。

昨季37歳にして自己最高の打撃成績を残した金本だが、「三番・金本、四番・濱中」の打線が実現した時に現状での最強打線が組めると敗戦処理。は思っている。ジャイアンツを応援している敗戦処理。にとっては厄介なことだが、当面、今岡と濱中の打順が入れ替わる程度のことはあっても三番・金本、四番濱中という打順は実現しないだろう。ジャイアンツはそれまでに貯金を稼いでおいた方が無難だろう。

敗戦処理。の観る限りでは濱中のスタメン復活を遅らせたのは上記の二人の存在が絡んでいると思う。二人ともタイガースファンやマスコミにとってはおいそれと批判出来ないカリスマ的存在である。後者は本人の問題ではないが前者には過去にも酷使によって若い投手の芽を潰してきた疑いがある。濱中復活を素直に喜ぶだけでなく、(他の選手を含め)再発防止の意味でも何故ここまで時間がかかったかをきちんと検証すべきではないか。

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