清原和博はなぜ死球が多いのか?
20日のファイターズ対バファローズ戦でダルビッシュ有から死球を受けて途中交代した清原和博は骨折も懸念されましたが診断の結果、打撲で全治三週間だったそうです。清原は死球の日本記録保持者であるくらい死球が多いのですが、選手生命をかけて臨んだシーズンに受けた通算196個目の死球に相当の怒りを覚えているようです。
20日の死球で、自身が持つ最多死球のプロ野球記録を196に更新。清原は1989年に死球に激高して相手投手に暴行したことを振り返り「あの時は一時的な感情でバットを投げつけてしまった。すごく反省した」と言う。しかし今回の死球については「5年、10年と野球をできるわけではない。次からは命をかけてマウンドに走り相手を倒したい。周囲の非難よりも大切なものを守りたい」と怒りをあらわにした。
(スポーツ報知WEB版-2006年04月21日より引用。http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20060421-OHT1T00318.htm)
大切なものとは「家族の生活」だそうですが、何とも物騒な発言ですね。来年には40歳になる人の発言とは思えません。その後多少冷静さを取り戻した清原は新たにこう語ったそうです。
ここ2、3日、やはり心の中で思うことが多かった。久しぶりの東京ドームで、ああいう形で去ってから球場に立ったわけですが。なんていうか、またくしくも(2004年の阪神戦と)同じ東京ドームで骨折か…と。新たに再スタートを切ったところでね。
昨日(20日)は、うちのチビを久々に東京ドームに呼んで、その1打席目でデッドボール。チビが涙いっぱいこらえながら、病院に見送ってくれて…。もうこれ以上…。(死球をぶつけた投手へ向かうことは)17年我慢してきましたし、大切なものを守らなくてはいけない、と昨日は強く感じました。その半面、(心では)半分以上は骨折と思っていた。
これから、故意にしろ故意じゃないにしろ、僕は守るべきものを命を懸けて守りたいと思います。もし、そういうことがあれば、命を懸けてマウンドへ走っていき、そいつを倒したいと思います。周囲から非難、制裁を受けても。もう5年、10年も野球をできるわけじゃないですから。死球を受けたすぐ後に説明するのも格好悪いと思って、あえて今、こういう形で言わせてもらいました。
野球ですから、決してインコースに投げるな、と言っているわけではありません。ただ、大切なものを守るために、命を懸けて突っ走っていきたい。今、世界中で戦争が起きています。相手は決して憎くて殺すんじゃない。みんな、大切なものを守るために戦っている。
昨日は悔しくて眠れなかった。チビの涙ためる姿を見てオレはもう…。やられっぱなしで、2、3か月けがで入院するぐらいやったら、こっちから行って…守るべきものを守りたいよね。
(スポーツ報知WEB版-2006年04月22日より引用。http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20060422-OHT1T00056.htm)
来年には40歳になる人の発言とは思えません。「四十にして惑わず」という故事がありますが、清原には当てはまらないのでしょうか。
そもそも、なぜ清原には死球が多いのでしょうか?
「ホームランバッターの宿命として、相手投手から内角ぎりぎりに攻められることが多く、結果として死球になってしまうことが多い」という意見を聞きます。たしかにそれもあると思いますが、それだけでしょうか?多くの野球ファンが知っている通り、清原は打者として内角球に弱いという弱点を持っており、それを克服できないからいつまでたっても相手投手に内角攻めをされているということの方が本当の原因だと敗戦処理。は推測しています。
それが証拠にジャイアンツ時代の清原はとにかくよくぶつけられましたが、同じ時期松井秀喜が清原ほどのえげつない内角攻めをされたという印象がありません。内角攻めはホームランバッター対策というより、清原対策なのでしょう。
松井にも容赦なくえげつない球が投じられていた時期がありました。1998年にはセ・リーグの死球王になっています。(といっても年間で8個ですが。)この年に松井は初めて本塁打王に輝いています。入団時から将来のホームランキングを予感させていた松井秀喜がセ・リーグで本塁打王争いに絡むようになって三年目で念願の初タイトル。その打棒がいよいよ開花したシーズンだったわけですが、この年を境にさらに相手投手からえげつないせめかたをされたかというとさにあらず、以後死球の数は減ります。これは松井が内角攻めを克服したということと、セ・リーグのライバルチームの投手達が松井を一人前の打者として一目置いたということだったのではないでしょうか。
若いホームランバッターや、あるいは安打製造器型の選手にも当てはまるのでしょうが、ブレークしていく過程で執拗な内角攻めを受けるという例は確かにあるようです。「出る杭は打たれる」、「鉄は熱いうちに打て」といったところでしょうか。しかしそれを克服した選手に対しては、いつしかえげつない攻め方も影を潜めるようになるものです。善し悪しはあるでしょうが、一種の儀式なのかもしれません。ところが清原にはいっこうに内角攻めが減りません。
清原は昨年までで二十年間のプロ生活をしていますがこれを5年ごとに区切って、死球を受ける割合を検証してみたいと思います。
1986年~1990年 2675打席 67死球 39.9打席に1死球
1991年~1995年 2705打席 33死球 82.0打席に1死球
1996年~2000年 2158打席 44死球 49.0打席に1死球
2001年~2005年 1624打席 51死球 31.8打席に1死球
1986年~2005年 9162打席 195死球 47.0打席に1死球
年数を経て死球が減るのではなく、むしろ増えています。いったい何なのでしょうか。誤解を恐れずにいえば、ライバルチームの投手陣の間には、清原に対しては「ぶつけても仕方ないから徹底して内角を攻めよう」という清原対策マニュアルがあるのでしょう。ぶつけてしまっては出塁させてしまいますが、打ち取るためには、特にスタジアムの雰囲気をがらりと変えるホームランを防ぐには「ぶつける覚悟での内角攻め」が有効なのでしょう。だとしたら清原はプロ生活20年にして未だにライバルチームから一目置かれていない存在に過ぎないということになってしまいますが。
たとえば先日連続フルイニング出場記録の大リーグ記録を抜いた金本知憲は、清原同様にチームの四番を張る主力選手ですが、清原に比べると圧倒的に死球が少ないです。だからこそ連続出場の記録を達成できるのだとも言えますが、あそこまでいくと、「金本にやたらに死球をぶつけるわけにはいかない」という暗黙のコンセンサスがライバルチームの投手陣の間にも、否、大げさにいえば日本プロ野球界全体に確立されているのでしょう。参考までに金本の近年の死球数を調べてみました。
金本知憲
2001年 615打席 9死球 68.3打席に1死球
2002年 604打席 2死球 302.0打席に1死球
2003年 632打席 5死球 126.4打席に1死球
2004年 613打席 5死球 122.6打席に1死球
2005年 662打席 3死球 220.7打席に1死球
5年間 3126打席 24死球 130.3打席に1死球
金本が内角球をどう対処しているかは定かではありませんが、この差を見る限り、「清原にはぶつけても仕方ないが、金本には原則的にはぶつけていけない」というコンセンサスが形成されていると言ったら言い過ぎでしょうか。
今回はぶつけた側のファイターズの投手コーチが、二年前のジャイアンツ時代に長期離脱につながる死球をぶつけたタイガースの投手コーチだった佐藤義則だったことと、その佐藤コーチが「ハードラックだった」などと他人事のような発言をしていることから清原の怒りに拍車がかかっているとの見方もあり、暴力宣言は別にしても清原を擁護する報道が目立ちますが、根底にあるのは清原が何年たっても同じ弱点を克服できずにいるということだと敗戦処理。はみなしています。
「番長」というニックネームに、威圧感を示そうとするスキンヘッドにピアスという武装行為で苦手の内角に投げさせない工夫を施してきた清原ですが、それでも通用しないと見るや、実力行使に及ぶというニュアンスを流布する手段に出たのかもしれませんが、プロ20年を超える選手がみっともない暴力行為に走るような愚挙には及ばないよう、本人に自覚がないのでしたら、中村勝広監督以下首脳陣がきちんと指導して下さい。
清原和博にとっても「清原和博」を演じ続けるのが大変だということはわかりますが。
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コメント
チャン様、初めまして。コメントをありがとうございました。
> かつて近鉄監督時代の仰木監督は「あの若造を殺せ」と投手陣に指示していました。
これが明確な事実であれば、仰木彬さんに対してプロ野球界として相応の処分を科さなければならないことになりますが、それはともかく、
「あの若造」と括られる時期はともかく、清原の選手生活に常に過度の内角攻めがついて回るところに問題があると思います。
元エントリーの松井秀喜ではありませんが、ある程度の時期になると、相手球団側も一定の敬意を払うようになり、えげつないことをしなくなる傾向というか、慣行があるように敗戦処理。は感じています。
> あのころの清原は寸分狂わず徹底的に内角攻めをしなければ抑えられないほどの天才スラッガーでしたからね。
天才も努力を怠るとただの人になってしまうということでしょうか?
清原の引退表明を聞いて、何かもったいないというか、物足りなさを感じ、素直に「お疲れさん」などの言葉を贈る気に今はなりません。
このたびはコメントに対するお返事が遅くなり、失礼いたしました。
また敗戦処理。blogに遊びにいらして下さい。
投稿: 敗戦処理。 | 2008年9月15日 (月) 09時13分
かつて近鉄監督時代の仰木監督は「あの若造を殺せ」と投手陣に指示していました。
あのころの清原は寸分狂わず徹底的に内角攻めをしなければ抑えられないほどの天才スラッガーでしたからね。
当時の内角攻めは今の清原の比じゃない、避けたくても避けられない。最初っから腹や頭めがけて飛んでくるんですから。
投稿: チャン | 2008年9月10日 (水) 11時44分