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2006年6月16日 (金)

「生」観戦した野球場(10)-福岡ドーム

04 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

10回 福岡ドーム 観戦球場ファイル-10

ホークス球団の本拠地として、日本では東京ドームに次いで二つ目のドーム球場として1994年にオープン。しかも屋根が開閉式であることと、外野フェンスの高さなど、これまでにないスケールの大きな球場。

敗戦処理。は翌1995年の4月30日に初観戦を果たした。カードはホークス対ファイターズ戦。以後、1996年、1998年、2003年に各1回観戦。東京在住なのでさすがにこの球場の観戦となると、数年に一回というのがせいぜいのペースにならざるを得ない。

敗戦処理。が観戦した約40個の球場のなかでナンバーワンを選べといえば、この球場になるだろう。

それまでの「日本の野球場は狭い」という概念を覆す壮大なスケール。ドーム球場なので観戦予定日に雨天中止の心配はまずないし、なおかつ屋根が開閉式。

ちなみに敗戦処理。は

1998年の8月に観戦した際に試合中に屋根が空くのを生で目撃したことがある。

03_1 試合途中に閉じていた屋根を空けているところ。

(1998年8月11日撮影)

また、東京から観戦に訪れる身としては隣接するホテルシーホークの存在も語らずにはいられない。敗戦処理。の観戦時は第1回を除き、すべてホテルシーホークでの宿泊を予約し、観戦がセットになっている「よくばりホークスプラン」でチケットをとっている。球場と目と鼻の先にあり、ナイトゲーム開催日には試合終了後までレストランが開いているので食事の心配も不要。初めて宿泊した1996年には客室の自動販売機のジュースが1本100円なのにも驚いた。さすがにダイエー系列のホテルだなと驚いたものだ。

そして2003年の5月に「よくばりホークスプラン」で宿泊した時には、高塚孟氏の著書が、まるで聖書が置かれているように客室に置かれていて冷蔵庫の中身とは別の意味で驚かされた。高塚氏は天文学的な負債を積み重ねていくダイエーグループの中で、ホークス球団の成績上昇に連動する形での球団、球場、ホテルのいわゆる「三点セット」の業績を劇的に向上させた牽引車たる人物。ひとつのサクセスストーリーのようにメディアでも持ち上げられた人物だが、客室に自著を置き、チェックアウト時にフロントで販売するというあからさまなやり方にいささかの胡散臭さを感じたが、その後の失脚はご存じの通り。

ちなみに球場とホテルがダイエーグループの手を離れてからは敗戦処理。はこの球場とホテルを訪れていない。球団の母体も変わってしまった今、あらためて訪れてみたいとは思っているのだが。

ダイエーグループが産業再生機構のお世話にならざるを得なかったのはこのドーム球場の建設費の負担が大きかったことと報道されている。どうあがいても返せない程の資金を投入し、自らが為した一件の街のスーパーからの大出世物語の成功を葬りかねない顛末となった大球場。

自分が興した商店が日本一のスーパーとなり、日本で12個しかないプロ野球チームのオーナーとなり、日本一の球場を建設し、監督には「世界の王」を招聘。そしてチームも日本一。しかしその球団に投下した資本が致命的となり、天文学的負債を出して産業再生機構のお世話に。-ある意味、これ以上ないドラマチックな人生だった。そしてホークスファンを始めとする多くのプロ野球ファンが、そうまでして作ったこの球場で野球の面白さを堪能したのもまた事実。個人的には今のネーミングライツも結構だが、どこかに「ダイエー」の文字を残して欲しかったと思っている。

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