6/15・G-Bs戦最終回、代打清原実現せず-中村監督が配慮した清原の「格」と「舞台」。
昨シーズン限りでジャイアンツから戦力外通告を受け、バファローズに移籍した清原和博が交流戦のジャイアンツ対バファローズ戦で移籍後初めて、かつての本拠地東京ドームで古巣との対決を果たした。
この三連戦は初戦が福島県営あづま球場での開催だったため東京ドームでは二試合のみ。14日の試合には吉井理人の代打として七回表に登場。バファローズファンのみならずライトスタンドに陣取るジャイアンツ応援団からも盛大な拍手を受けた。テレビ中継でライトスタンドが映されると「GIANTS 5」のレプリカユニフォームやTシャツを来たファンが少なからず映っていた。清原信者が今なお清原の存在を大切にしていることを窺わせた。清原はジャイアンツの先発投手、西村健太朗から遊ゴロに打ち取られたが、一塁を駆け抜けて三塁ベンチに戻る際にまずライトスタンドに向けてヘルメットを上げて答えていた。よほど嬉しかったのだろう。
とても「大阪ドームのファンは東京ドームと違って温かい」と発言した男とは思えないが、あれはニュアンスを巧く伝えられなかったのであろう<苦笑>。
試合後、清原は「9年間、身を削ってやってきたことを、ファンの皆さんに認めてもらった」と喜んでいた。よかったね、清原。
そしてその翌日の15日。ジャイアンツはイ・スンヨプの2本塁打など打線が爆発し、八連敗をストップさせる快勝。8対1で迎えた最終回にはライトスタンドのジャイアンツ応援団から「清原コール」が起きた。しかしバファローズの中村勝広監督は清原を代打で起用することなく、8対1のまま試合終了。試合後中村監督はジャイアンツファンからの清原コールに気づきつつも「今日の展開ではね。彼のプライドもあるだろうし」と語っていた。前日の大声援に感謝したという清原ならば、7点負けている最終回二死からの代打でも意気に感じて打席に向かったかもしれないが、敗戦処理。はこの中村監督の考え方を支持したい。個人的には選手の「格」に一定の敬意を払いながら起用する監督がお気に入りであるということもあるが、実は最近、今回と対照的な起用法を生で観てしまったからということもある。
実は今月の4日、敗戦処理。は横浜スタジアムで行われたベイスターズ対ファイターズ戦を生観戦したのだが、2対7とベイスターズのリードで迎えた九回表二死無走者という状況で田中幸雄が代打で登場した。2000本安打まで残り30本を切り、少しでも打席に立つ機会を確保したい気持ちはわかるが、いくら何でもそれはないだろうというシチュエーションだった。そりゃあ幸雄さんが打席に立てば、レフトスタンドを埋め尽くしたファイターズファンは喜び、一方的な負け試合の憂さを晴らすかのように幸雄ジャンプを繰り返すだろうが、それでファンへの罪滅ぼしを兼ねていると思ったら大間違いだ。ファンに罪滅ぼし、あるいはサービスしたいと思うなら2対7のまま終わるのではなく粘りを見せて、日本最速のスピードを誇るマーク・クルーン投手を引っ張り出すくらいのことをするのがファンに対する務めというものだ。ファイターズファンである手前、おおっぴらには誰も口にしないが、どうせ負けるならせめて日本最速のストッパー、クルーンを観てみたいと思った人は少なくないだろう。交流戦の楽しみ方のひとつであるはずだ。
トレイ・ヒルマン監督も比較的選手の個性やキャラクターを尊重する監督だと敗戦処理。は認識していたが、この点に関しては中村監督の考え方の方に肩を持ちたいですね。
清原和博を操縦するということは本当に大変なことだとの中村監督への同情も含め<苦笑>。
それと気になったのが、ジャイアンツ応援団からの「清原コール」
いくら昨年までの仲間とはいえ、公式戦で今は敵味方。ジャイアンツが守備で、マウンドの豊田清を始め、ナインは久々の勝利を目前に最後に身を引き締めて守っている時に相手選手にあれだけ盛大にエールを送るということはジャイアンツナインに失礼ではないのか?
ジャイアンツとマリーンズの対戦で、小坂誠のファインプレーが出た時にマリーンズの応援団が大きな拍手で讃えるのとは意味が違うと思う。
つい最近、ジャイアンツがマリーンズにサヨナラ負けした試合(10日・千葉マリン)の最後のシーン。九回裏二死一塁、同点で一塁走者の西岡剛が投球と同時にスタートを切り、打席のマット・ワトソンがライトの頭上を越える打球を放つと、ライトを守っていた亀井義行が西岡の俊足を見越してサヨナラ負けと決めつけ、緩慢な打球処理をしてしまった。このプレーに担当の西岡良洋外野守備走塁コーチが激怒。サヨナラ負けに沈むベンチで西岡コーチが亀井を叱責し、亀井も反論したために険悪な雰囲気が漂ったと翌日のスポーツ紙は報じていた。このことに象徴されるように、プロの野球選手というものは、そんなミクロほどの可能性を諦めず、最後まで全力でプレーするのが本来の姿であり、7点リードした最終回の守備とはいえ、(多少の緊張感の緩みはあるのかもしれないが)集中力を保ち、打球に対して最善のプレーが出来るよう、全力で闘っているはずだ。もちろん投手も集中して打者を全力で打ち取ろうとしている。そういう状況で相手選手の名前を連呼することは、応援しているチームの選手へのリスペクトを欠くということにならないのか。「今日はもう、いくら何でも勝ちは決まりだ。それならば清原を最後に観たい!」という想いは充分に理解できるが、大声援でアピールするのは違うだろう、というのが敗戦処理。の主張である。
個人個人が好き勝手に拍手をしたり、声援を送ったり、ヤジを飛ばすというレベルであれば、時にそのようなリスペクトが欠けていたり、えげつなく、聞くに堪えないヤジが混ざることもあるだろう。そこまで否定するつもりはないが、「応援団」と称する方達が主導的な役割を果たしながら「清原コール」が広まったというのであれば、違和感を持たざるを得ない。
ライトスタンドのあちこちから自然発生的に「清原コール」が起こり、それを応援団が拾い上げてさらに大きなコールになったというのが真相だと思われるが、相手チームの選手にも一定のリスペクトを払うという昨今の応援マナーの延長線上にあるパフォーマンスだと理解しての行為だとしたら、それは延長線上にあるのではなく、逸脱しているといいたい。
一選手が代打で出てくるか来ないかで、これだけのことを考えさせるのだから、清原和博はやはり「最後のカリスマ」なのかもしれない。このブログではけっこう清原を非難している敗戦処理。ではあるが、オールスターのファン投票ではしっかりとパ・リーグのDHで投票しておいたから、オールスターゲームでも一暴れしてね、清原。
私がよくお邪魔しているアット・ニフティのベースボールフォーラムのファイターズ掲示板でこの試合での田中幸雄代打起用への不満を実に手厳しく、かつ論理的に書き込んでおられる方がいて、わが意を得たりと思った。私だって幸雄さんを観たいし、出来れば目の前で安打を放って欲しいが最低限のTPOに配慮して欲しいものだ。
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