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2006年7月31日 (月)

SHINJO最後の東京ドーム。そしてもうひとり

7月30日のファイターズ対ホークス第12回戦はファイターズにとって今季最後の東京ドームでの公式戦。既に今季限りでの現役引退を表明しているSHINJOにとってはかつてタイガース時代に宿敵ジャイアンツと激戦を繰り広げた球場でもあり、ヒーローインタビューの場を借りて現役引退を表明した場でもある。

敗戦処理。はSHINJOが引退表明する前からこの日の試合に注目していた。今季の日程ではファイターズが東京ドームで行う土、日の試合、つまり敗戦処理。が生観戦可能な試合は7月30日のこの試合だけだからだ。平日でも仕事が速く終われば試合の2/3くらいは観戦出来るのだが、今季は4月にホークス戦を一試合観戦出来ただけだった。SHINJOが引退表明をした試合も行く意気込みはあったが、仕事で都合がつかなかった。

そんな訳で前売りが発売された5月早々にこの試合のチケットをおさえておいたのだが、その時にSHINJO以外にももうひとりこの日の試合が最後の東京ドームになるかもしれないと敗戦処理。が勝手に思い込んでいる人物がいる。

ホークス監督、王貞治

もちろん5月にチケットを購入した時点では王監督が病気になるなどということは考えていなかった。ただ王監督もホークスを率いてもう12年目だ。チームをパ・リーグでは揺るぎない力のチームに育て上げ、そろそろ後進に道を譲ってGM、球団副社長という立場から大所高所に立ってチームを観るようになるのではと敗戦処理。は勝手に妄想していたのだった。

そして王監督は病気でチームを離れなければならなくなった。王選手時代からのファンとしては、病気の治療がすんで体調が旧に復しても、もう王さんにはユニフォームを脱いでゆっくり休んで欲しいものだと思っている。その意味では本人は不在ながら、「王ホークス」としては最後の東京ドームかもしれない。敗戦処理。はもちろん試合ではファイターズを応援するが、野球に興味を持ち始めた頃からのスーパースター王貞治のことも気になる。

そこで敗戦処理。としても、何か王監督に影ながら力になれないかと考えた結果、東京ドーム観戦に先立ち、自由が丘に寄って亀屋万年堂でナボナを購入した。やはり敗戦処理。の世代にとって王貞治といえばナボナなのである。自由が丘駅前ロータリーにある自由が丘駅前店ではなく、そこからちょっと離れた亀屋万年堂総本店に入った。

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もちろん店内にはGIANTSのユニフォームを着てナボナを宣伝する王選手のポスターが飾ってある。また2005年1月1日の日付の入った王さんのサイン色紙も飾られていた。敗戦処理。はナボナ数種類を選びレジへ。これで店員さんが「ナボナ同様、森の詩もよろしく」と言ってくれれば最高なのだが、そういうジョークを言いそうな感じの人では無かったので森の詩も一緒にレジに出した<笑>。そして王監督の一日も早い回復を祈り、東京ドームに入場後、ナボナと森の詩を食した。

実は、敗戦処理。にとってナボナを食べたのは29年ぶり。前回食べたのも東京ドームの前のジャイアンツの本拠地、後楽園球場であった。その時は王選手が大リーグのハンク・アーロンの持つ本塁打記録を超えた翌日で、王選手の大記録を祝福して観客全員にナボナがプレゼントされたのだ。1977年(昭和52年)9月4日-ジャイアンツ対スワローズ戦。読売新聞の販売員から外野自由席のチケットをもらっていた敗戦処理。はその前日、初めて王選手にホームランを打つなと願った。しかしその願いも虚しく王選手は敗戦処理。観戦予定の前日に756号を放ってしまった。

ちなみに王選手は敗戦処理。がナボナを食べて観戦した756号翌日の試合でサヨナラ本塁打を放った。やっぱりただものじゃない。

「ナボナはお菓子のホームラン王です。」-王選手を起用したCMで一躍名をはせた亀屋万年堂。王選手が親しくしていたチームメートの奥さんの実家が営んでいたことで出演が決まったそうだ。そして現在、王さんの元チームメートは亀屋万年堂の社長に就任している。名刺には「元東京読売巨人軍」と刷られているらしい。

その人の名は国松彰

自由が丘から東急東横線とJRを乗り継いで東京ドームに着いた敗戦処理。はびっくり。予定より早く、開門の16:15より前の16時前に着いたのだが22番ゲートに長蛇の列。当日券売場には「指定席完売」の貼り紙が。こりゃぁ北海道移転前の本拠地としての最終戦以来の大入りかと思ったが、本当にその通り。ファイターズ戦で東京ドームの内野の二階席に客を入れたのもひょっとしたらその時以来か?

試合はファイターズ八木智哉、ホークス杉内俊哉の予告先発。両先発絶好調で四回表まで両軍とも一人の走者も出ない投手戦だったが四回裏二死から小笠原道大が両軍初安打となるライトポール際への先制ソロ本塁打。ここでフェルナンド・セギノールがレフトフェンス直撃の二塁打。レフト松中信彦の好返球であわやというタイミングだったがセギくんが巧くタッチをかわしたようでセーフ。

セギノールにもこういう走塁が出来るんだ!

稲葉篤紀も続きセンター前に運ぶタイムリー。そして中締めはSHINJOの東京ドームラストアーチ!!

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東京ドームでのファイターズ最終戦で、本当に最後になるSHINJOと、主砲ガッツの一発そろい踏み。在京ファイターズファンにとってはこの上ない展開だ。

八木は五回表にフリオ・ズレータにソロ本塁打を喫して完全試合を逃すが、その後もスイスイ。アウトの半数近くがSHINJOへの飛球という、SHINJOのラストステージを意識したかのような投球、お見事。

六回裏に稲葉が杉内からソロ本塁打を放ち5対1としてここで杉内KO。七回表に杉内が二つの死球でつくった二死一、二塁のピンチを切り抜けたあたりで何とかモノに出来そうなメドがついた感じであったが、その裏無死一塁から杉内対策でスタメン出場していた田中幸雄が1978本目、毒島章一さんを抜く球団歴代単独2位になる節目の安打をライト線に運び、これが二塁打で無死二、三塁。敗戦処理。としてはまさに感無量。役者が揃ったとはこういう時に使う表現なのであろう。

結局この後金子誠のタイムリーと田中賢介のスクイズで2点を加えで7対1として勝負を決めた。

九回表、エラーがらみの一死一、二塁で6点差あるのに八木降板。何でと思ったら今日一軍登録された岩下修壱の移籍後初登板。白血病と闘いながら投げ続ける苦労人。松中を三ゴロに仕止め見事お役御免かと思ったらズレータ相手に続投。

本当かよ!

岩下に右の大砲ズレータを抑えろと言うのはさすがに酷だったようで、フルカウントから四球。ここで武田久が出てきて大道典良にタイムリーを打たれて7対3となるが、代打・本間満を三振に仕止めて7対3でゲームセット。ファイターズにとって今季最後の東京ドーム主催試合は36,505人という異例の満員ファンの後押しもあって快勝に終わった。

ヒーローインタビューは好投した八木。本塁打を放ったSHINJOがまた何かバカなこと、いや爆笑パフォーマンスを魅せてくれるかと思ったが特になし。ただ東京ドーム最終戦ということでファイターズナイン達が試合終了後にライトスタンドのファンに挨拶に出向いた。

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Shinjo01_1

結局「お菓子のホームラン王」パワーはファイターズ打線に御利益があったようで、ガッツ、SHINJO、稲葉の一発がホークス投手陣を粉砕した形になった。

敗戦処理。にとっての憧れのスーパースター、王貞治さんには一日も早く、体調回復して欲しいですが、それとペナントレースの展開は別。監督の一大事にナインが結束し、ホークスが100%以上の力を出して頑張る姿に胸が熱くなる点もあるが、だからといって、ライバル球団がたやすくホークスに快進撃をさせてはなるまい。プロ野球とは最高の技術水準を持つ同士の争いで、基本的には技術や戦術に勝る方が勝利を得るもので、メンタルな要素が入ってきても揺るがないのが高い水準=プロ野球だと敗戦処理。は思っている。 

そしてファイターズは今年、優勝出来るチャンスの年なのだ。

【30日・東京ドーム】
H 000 010 002 =3
F 000 401 20× =7
H)●杉内、竹岡、神内、星野-的場
F)○八木、岩下、武田久-高橋信
本塁打)小笠原20号(杉内・4回)、SHINJO13号2ラン(杉内・4回)、ズレータ21号(八木・5回)、稲葉14号(杉内・6回)

あ~あぁ、本当は今年は東京ドームで日本シリーズを開催するはずだったのになぁ。

P.S. 関係ないですが先日所沢でも王さんの回復を七夕様に願かけしているのを見つけました。

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よく見ると隣に王さんの古巣のチームの前オーナーの悪口が…<苦笑>。

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2006年7月30日 (日)

意味のない比較?-小笠原歴代通算打率2位に!

01_20 ファイターズの小笠原道大が、7月18日の対バファローズ戦での3打数(0安打)で入団以来の通算打数が4000打数となった。日本のプロ野球では通算打率の比較を4000打数以上の選手を対象としており、小笠原は通算打率の規定打席、いや規定打数に達したことになる。小笠原の通算打率は4000打数1277安打で.31925。歴代1位のレロン・リー(.320=元オリオンズ)に次ぎ、これまで2位だった若松勉(.31918=元スワローズ)を上回る2位になった。

翌日の各スポーツ紙にはけっこう紙面を割いて報じられていたが、晩年の下降期を加えたOB選手と、いまだ現役最前線の選手を同じ次元で順位を付けて評価することにどれほどの意義があるのだろうか?

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2006年7月23日 (日)

欽ちゃん球団解散せず。-何でそうなるの?

所属選手の破廉恥な行為を理由に自らが監督を務めるクラブチーム、茨城ゴールデンゴールズの解散を宣言した萩本欽一監督が22日、かねて予定されていたセガサミー戦で解散を撤回。球団の続行を明言した。衝撃の解散発言からわずか3日。停滞気味の社会人野球にクラブチーム設立ブームをもたらした救世主の球団解散撤回宣言に関係各方面は一安心といったところのようだが、わずか3日で「何でそうなるの?」

欽ちゃん球団こと茨城ゴールデンゴールズは22日、解散宣言後初の対外試合、対セガサミー戦を新潟県魚沼市で行った。この試合は震災復興の記念試合だったが、試合前、スーツ姿でグラウンドに姿を現した萩本監督はスタンドのファンの「やめないで~」に答える形でスーツを背番号55のユニフォームに着替え、チームの存続を誓った。かつて司会を務めた人気番組「スター誕生」風に言えば「かいさ~ん、なしよ」と言ったところか。

そもそも一選手の不祥事で、なぜ球団ごと解散という形にならなければならないのかが最大の謎だが、このチームにも契約しているスポンサーがあり、大将の思いつきで解散出来る規模ではなくなったということだけは確かの様だ。冒頭にも記したように、停滞気味の社会人野球界にクラブチーム設立ブームという波を起こしたトップランナーである茨城ゴールデンゴールズというチームの存在意義を考えると、そのチームが存続するという結論は喜ばしい。60歳を過ぎた大人がわずか3日で前言を翻すという茶番に言いたいこともあるが、解散宣言以後の報道を見て気になったことについて述べてみたい。

萩本監督の解散宣言の翌日のいくつかのスポーツ紙を読んでみた。切り口は似ており、欽ちゃん球団以降に発生した、著名人が携わっているクラブチームの数々が紹介されており、その冠になっている著名人からの解散を惜しむ声を載せている。敗戦処理。個人としても解散は惜しいと想うが、欽ちゃん球団が解散したらクラブチームブームも終焉だというような声もあり、少々ガッカリした。もしも欽ちゃん球団が解散したら、残ったクラブチームががんばって野球の裾野を拡げる活動を引き継げばよいだけの話だと思うが、彼らは欽ちゃん球団、いや萩本欽一という存在にオンブにダッコで自分たちで社会人野球を、クラブチームを、野球というスポーツを盛り上げようと言う気概を持っていないのだろうか?

「萩本さんが人気に火を付けてくれたから、俺もここらで地元に恩を売るのも兼ねて、野球チームに名義貸ししておくか」という程度でやっていた著名人や、社会人野球界そのものも、欽ちゃん球団人気にオンブにダッコで自前の野球人気復興策を持ち合わせていないとしたら、あまりにも情けない。

折しもプロ野球界では来年のポストシーズンをセとパで統一した方がいいのでは?という話からセ・パ交流戦の試合数の減少案に話が及び、交流戦の試合数の維持を主張するパ・リーグと、現象を主張するセ・リーグで真っ向から主張が対立しているが、これも対ジャイアンツ戦、対タイガース戦という特定人気カードを組める試合数に関わる利権争いという構図に置き換えることが出来、欽ちゃん球団ブームにぶら下がろうとしているタレントによるクラブチーム、社会人野球界全般の構図と共通する感じがする。

プロ野球も社会人野球も、特定のヒーローの存在にすがりすぎているようでは明るい未来は無いと思う。いつまでもONという存在に頼り続けることも同様。この3日間に起きたこと、その報道に接して日本の野球界はまだまだ改革がほとんど進んでいないのだなという思いを強くしてしまった。

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2006年7月20日 (木)

欽ちゃん球団解散!!

01_18 お笑いタレント「極楽とんぼ」の山本圭一が17歳の少女との飲酒、淫行事件の件で所属する吉本興業が山本を解雇したことを受け、この出来事がチームの北海道遠征中に起きたことを重く観た、山本が所属するクラブチーム、茨城ゴールデンゴールズの萩本欽一監督は球団の解散を発表した。同チームは8月10日から行われる第31回全日本クラブ野球選手権大会の出場を決めており、11日に一回戦が予定されている。萩本監督は解散の時期については明言しなかった。

スポーツニッポン:山本聴取で…欽ちゃん球団「解散」

プロ野球OBによるプロ野球マスターズリーグ、石毛宏典元ブルーウェーブ監督が旗揚げした四国アイランドリーグなどとともに、新しい野球クラブの叩き台として異彩を放っていた茨城ゴールデンゴールズ。その活躍に刺激を受けて、各地にクラブチーム創設の気運が高まるなど、社会人野球、さらにいえばプロ野球にも当てはまる野球人気の停滞に一石を投じる存在として、敗戦処理。も秘かに注目していた。

かつての人気コメディアン、視聴率男として野球チームを、そして試合をどう演出するか、監督の試合中のマイクパフォーマンスなど、単なる野球にお笑いを取り込んだ「色物」かと思いきや、元NPB選手も加わり実力も備えていることは前述の通り全日本クラブ野球選手権出場(2年連続2回目)で折り紙付き。欽ちゃん球団がこの先どんな話題を振りまいてくれるかという矢先での解散。ちょっぴり残念である。

敗戦処理。は一度だけゴールデンゴールズの試合を生観戦したことがある。昨年の5月、漫画家の本宮ひろ志氏が率いるサウザンリーフ市原との親善試合。本宮氏と親交の深い江川卓氏が一日限りの臨時コーチを務めたことで話題になったあの試合だ。

ちなみに山本はこの試合には参加していなかった。

試合前に欽ちゃんがユニフォーム姿でスタンドに入って観客と握手をしたり(しかもそのゾーンを「欽ちゃんシート」としてチケットを別区分に)、試合中にまでマイクパフォーマンスをし、いわゆるウグイス嬢とは別にアナウンサーを一人用意してギャグを言わせたり。はっきり言って敗戦処理。の趣味とは合わないが、ああいうパフォーマンスを味わって満足するお客さんがいることを否定しない。クラブチームとして、自発的に野球の試合という興行を打つ以上、プロでもないのにただ試合を見せるだけでは数千円という入場料を払ってまで観てくれる人は少ないだろう。彼らが食うための必死のパフォーマンスだろう。今回山本が不祥事を起こしたのは北海道遠征中とのことだが、全国各地を回れば、初めて観るお客さんを満足させることは出来るかもしれないが、工夫無くしてリピーターは得られない。そういう意味で欽ちゃん球団が繰り出す二の矢、三の矢に注目していた。

02_501_5  欽ちゃんがこのチームを立ち上げて話題を呼んだ以降、欽ちゃんが始球式をするのを三度観た。内二回は生で。2005年1月のマスターズリーグの試合(左の写真二枚共)と、同年3月の社会人野球スポニチ大会決勝戦。後の1回はテレビ観戦だが今年のジャイアンツの公式戦開幕戦だ。マウンドから捕手のサインをのぞき込み、それが見づらい振りをしてだんだん前に出てから投げる。三回とも同じネタだった<苦笑>

コント55というより、「欽ドン」、「欽どこ」、「欽曜日」といったお笑い番組の視聴率男としての欽ちゃんに親しみを感じ、かつてニッポン放送の「欽ドン」で投稿したハガキが読まれて感動したことがある敗戦処理。としては、萩本欽一をしても、「野球」という題材でパフォーマンスを演じ続けるのは難しいのかなと勝手に思っていたのだが。

社会人野球のチーム数の激減は、野球界の裾野を狭くする一大事。そんななかクラブチームという存在をアピールし、自チームだけでなく、各地に後追いが続き、叩き台としての役割は大きく評価してあげなければなるまいが、肝心のチームがどう生き抜いていくかという未来予想図が見えてこないまま、球団解散という突然の事態には残念だ。

球団解散-山本の事件が直接の原因のようだが、それはひょっとしたら口実だったのかもしれない、と言ったら穿ちすぎだろうか?

* ところで欽ちゃんが球団の解散を発表するシーンをフジテレビのニュースで観ましたが、逮捕される直前に記者会見を開いた時の村上世彰氏に話し方と顔がソックリでしたね<笑>。

01_19 解散したら、片岡安祐実ちゃんはどうなってしまうのでしょうか?(磯山さやか ちゃんと野球関係のユニットを組んで欲しいと願っているのですが。)              

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2006年7月16日 (日)

【速報】巨人、5位を死守。

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サヨナラ安打を放ち、ナインに祝福される十川孝富

イースタン・リーグで5位のジャイアンツは16日、1ゲーム差で迫っている6位のシーレックスとジャイアンツ球場で直接対決。ジャイアンツは敗れるとゲーム差無しながら6位に落ちる状況だったが、互いに拙攻続きの稀にみる凡戦を制し、延長10回、3X-2でサヨナラ勝ち。5位をキープした。なお、4位のゴールデンイーグルスが今日の対ファイターズ戦に敗れると4位浮上となる。

【16日・ジャイアンツ球場】
SS 000 200 000 0 =2
G  100 010 000 1×=3
SS)山北、稲嶺、岡本、村西、佐久元、●岸本-武山
G)佐藤宏、越智、山口、福田、○鴨志田-星
本塁打)なし

2対2の同点で迎えた10回裏、ジャイアンツは先頭の星がシーレックス6番手の岸本からレフトオーバーの二塁打。その後二死三塁となって十川孝がライトオーバーのサヨナラ安打を放った。一軍も続いて欲しいですね。

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ヒーローインタビューを受ける十川孝

詳しくは後ほど。(ベースボール・フォーラムの方に書くかもしれません。)

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「生」観戦した野球場(12)-ファイターズスタジアム

Dscf0013_1 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

12回 ファイターズスタジアム 観戦球場ファイル-12

今回はファイターズのファーム本拠地、鎌ヶ谷・ファイターズスタジアムを取り上げる。

千葉県の鎌ヶ谷市という、それまでは梨の名産地としてしか知られていない場所に1997年1月、当時東京ドームを本拠地としていたファイターズの二軍の本拠地として誕生。総工費130億円という、渋チン球団とは思えない規模の一大プロジェクトだった。隣接する室内練習場、選手の合宿所「勇翔寮」とあわせてファイターズタウンと総称される。はっきりいって、ファームの施設としてはトップクラス。

周囲にこれといった施設がなく、ファイターズの選手達にとっても野球に専念しやすい環境。しかしその分一般ファンからはアクセスが不便という問題点もあるが、2001年からファーム公式戦開催日には13:00の試合開始に合わせ、最寄り駅の東武野田線・鎌ヶ谷駅(船橋駅から約10分)からシャトルバスが11:0011:3012:00発の3便出る。バス共通カードは使えないが、片道100円の直通約1015分。帰りは八回終了時から3便。小学生以下無料。また今シーズンから、土日、祝祭日の公式戦開催日に限り、東武野田線、新京成線、北総線の新鎌ヶ谷駅前から同じく片道100円のバスが11:10発、12:10発の2便出るようになった。(帰りは試合終了時から2便) しかしこちらは敗戦処理。が6月17日に試しに乗ってみたところでは約25分かかり、しかもシャトルバスのバス停という表示もなく、バスが停まっていない限りわかりにくい気がする。球団HPの「ファーム情報」コーナーにアクセス方法が出ているので初めて行く場合はそれを参照するか、駅で係員に聞いた方が無難だろう。ちなみに最寄り駅という点では「鎌ヶ谷駅」に一日の長があり、改札を出ようとするとファイターズのファームのポスターが貼ってあったり、改札を出て左がすぐバスロータリーがあるのでわかりやすい。客待ちのタクシーも多く、「ファイターズスタジアムまで」といえば通じる。料金は1,000円前後。

あ、そうそう球場には公式戦開催日・1日300円の駐車場もある。

もちろん、一軍が北海道に移転してからも変わらず運営されている。

両翼が100m、中堅122mと、当時の本拠地東京ドームに合わせて作られており、収容人員は2,400人だとか。

敗戦処理。がこの球場を初めて訪れたのは1998年3月14日。一軍のオープン戦:ファイターズ対マリーンズ戦。前年のこけら落としを始め、この当時は一軍のオープン戦も年に一試合程度行われていた記憶があるが、近年は専らファームの試合専用。

先日雑誌「野球小僧6月号」(白夜書房刊)で史上最強のファーム大特集ではこの球場でのファーム観戦手引きとして「地元ファンや昔からのコアな応援団の当意即妙の掛け合いは必聴」と紹介されている。これだけではわかりにくいが、要するにヤジがきついのである。

01_14この球場に何回か通ったことのある人なら誰でも知っている、あのかん高い声でのヤジ、笑い声で有名なKさんを始めとするヤジおやじ軍団がネット裏の前列に陣取って敵味方かまわずにベタなヤジを飛ばしまくる。今年に入ってからも過剰なヤジの自粛を促す貼り紙がスタンドに随所に掲げられたこともあったが、実際にヤジ軍団の中にはこの球場以外を含め、出入り禁止になってしまった人もいるという。敗戦処理。はその話を聞いた時、「あぁ、あの人だろうな」とピンと来たが、その人だった。

もちろんKさんは、かなりの高齢と思えるが今年も健在。敗戦処理。が年に数回この球場に行くようになって五~六年たつが、毎年最初の観戦時にKさんの姿を見かけると何故かホッとするものである。かつて西崎幸広に「鎌ヶ谷のヤジはきつかった」と嘆かせたこの球場の風物は今はそのターゲットを尾崎匡哉、陽仲壽、鵜久森淳志らに代えて冴えまくっている。

最近大社啓二オーナーが鎌ヶ谷のファイターズタウンをテーマパーク化する構想をぶち上げたことは本ブログでもファイターズタウン鎌ヶ谷、テーマパーク化への道で触れましたが、その大半が絵に描いた餅に過ぎないことは、その書き込みに対して寄せられたコメントからも明らかですが、そんななか鎌ヶ谷独自のマスコット、カビーはスタンドを明るくしてくれます。ファームのマスコットとしてはシーレックスのレック君の方が先輩に当たりますが、一軍のマスコットと連動しているファームのマスコット(カビーはB☆Bの弟に当たる)というのは日本初の試みだそうです。

01_15 試合前のイベントなどでファンと接したり、試合中にスタンドに出没してファンにサインをしたり写真撮影に応じたりするだけでなく、応援団と一緒になって太鼓を叩いたりして本当にファンと一体化している感じです。応援団に混じって応援するマスコットというのは珍しいと想います。また前述のヤジおやじ軍団に対しても、互いに首を絞めあったり、仲がよいようです<>

敗戦処理。が応援する球団のファーム本拠地ということでいつもより長くなりましたが、これまで書いてきたような魅力(?)があるからこそ、敗戦処理。は東京都多摩市の自宅から2時間以上かけてでもこの球場に足を運ぶのである。もちろん、現在の一軍の好調を支えている一、二番コンビ-森本稀哲、田中賢介を輩出したように選手育成の場としても充分に機能している場であることも付け加えずに筆を置く訳にはいくまい。   

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2006年7月 8日 (土)

巨人パウエルのタッチアップは早かったか?-ビデオ検証導入への一考察

5日のジャイアンツ対ドラゴンズ戦の六回裏、ジャイアンツの攻撃で一死一、二塁。打者小坂誠のセンターフライで二塁走者のジェルミー・パウエルがタッチアップ。三塁に到達し二死一、三塁になった。このプレーに対してドラゴンズはパウエルのタッチアップ時の離塁が早いのではとアピールしたが認められなかった。落合博満監督も抗議し、守備中の選手を引き上げさせたが、この行為がセ・リーグのアグリーメントで審判に対する侮蔑行為に当たるとして、落合監督は退場処分になった。

このシーン、敗戦処理。はBS日テレのデジナマ巨人2006で確認しましたが、放送中に紹介されたVTRでは、パウエルの離塁が僅かに早いように見受けられる。なるほど、ジャイアンツが6月11日の対マリーンズ戦で小関竜也が三塁ベースを踏み忘れたとされたシーンで問題提議したビデオによる判定検証を採用すれば、今回のプレーでは審判団の判定が覆され、ドラゴンズのアピールプレーが成立したかもしれない。少なくとも小関の件でジャイアンツが証拠として提出した「明らかな誤審」と主張する証拠VTRよりは、参考資料としては明確に決定的瞬間が映っている。敗戦処理。はドラゴンズ球団が落合監督の名誉のためにもビデオ検証云々と切り出すのでは無いかと思ったが、ドラゴンズ球団は特にこの件で新たな動きはしないようだ。

敗戦処理。自身のビデオ判定検証に関するスタンスは日本のプロ野球から「誤審問題」が減らない理由で示した通りだが、今回のパウエルの件では、別の視点からビデオ判定に関する有用性を提案したい。

ずばり、日本テレビの映像を始め、各メディアが収録した映像を参考に、このプレーに対し、審判団が適切な動きをし、正確な判定をすべく動きをしているかどうかを検証するのである。

VTRを観る限りではパウエルのタッチアップが僅かに早い様に思える。しかしリアルタイムに観た審判団の判定が正常のタッチアップであるというのなら、それが最終の判定である。その考え方を敗戦処理。も支持するが、審判団-特に名幸一明二塁塁審が正確な判定をするための最適なポジショニングをしたかに関しては審判部ないしセ・リーグが査定すべきなのだ。

翌6日、セ・リーグ豊蔵一会長は落合監督に厳重戒告と制裁金10万円の処分を科すとともに、中断を長引かせた当該試合の審判団にも厳重注意処分を科した。たしかに15分もの中断時間を作ってしまった責任の一端は審判団にもあるので何らかの処分が下されるのは当然だが、正確な判定を下すための最大の努力をしていたかどうかという基準でこそ審判団の瑕疵の有無が裁かれるべきなのではないだろうか?

そうでなければ、たとえ誤審であろうと、審判員がグラウンドで下した判定が最終のものであるという前提の元、我慢しながらプレーしている選手達が浮かばれないと敗戦処理。は考えるのである。

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2006年7月 6日 (木)

【衝撃】王監督休養、緊急入院へ!!

ホークスの王貞治監督が胃の腫瘍の手術、治療のため6日からチームを離れることが発表された。4日の対ライオンズ戦の試合後、自ら記者会見して公表された。1ヶ月間の入院、治療が必要とされているようだが、現時点では復帰時期は未定とのこと。

テレビ朝日系「報道ステーション」で王監督の記者会見をリアルタイムで観て驚きました。王監督がホークスの監督として指揮を執り始めたのが1995年ですから、もう12年目になるのですね。ましてや今年はWBC日本代表の監督も務め、激務に激務が重なっていたのでしょう。

今の時点で王監督に贈る言葉としては、とにかく治療に専念して下さいとしか、言いようがありませんね。

長嶋茂雄さんも、アテネ五輪野球日本代表チーム監督という重責を担っている時に病に倒れました。

長嶋茂雄さんと、王貞治さん。日本のプロ野球が今日までの興隆を極めていく過程でONと称される、この二人が最大の功労者と言っても過言ではない存在だと思います。そしてONに象徴されてきた日本プロ野球の反映が、どちらかといえば国内完結型のモデルケースであったのに対し、国民の価値観の多様化、特にスポーツ、レジャー、エンターテイメントという点で「野球」に対する競争相手が多くなり、日本野球が国際化に対応していかなければならなくなった時、引っ張り出されたのは五輪代表監督としての長嶋さんであり、WBC代表監督としての王さんであった訳ですが、そのことが直接の原因ではないにしても、日の丸を担った年に病との闘いを余儀なくされたことは偶然では無いように思えます。01_12

  • プロとアマ、統轄団体の壁
  • 代表選手選考の壁
  • 「勝って当然」と思われる重圧

他にもいろいろとあるでしょうが、長嶋茂雄氏を監督の候補にするとかいう以前の問題として-どうする、どうなる、北京五輪・野球日本代表?でも書きましたように、ろくに体勢も整っていないうちに監督候補の名を出している日本代表編成委員会委員長さんら関係各位の方々には自重を望みます。

いろいろと書いてしまいましたが、今はそういった先のことよりも、王監督の健康回復を祈るばかりです。

最後に私事で恐縮ですが、敗戦処理。はジャイアンツのV9時代の最後の方に野球に興味を持ち始めました。昨年のシーズン終了後、ジャイアンツの不成績で、堀内恒夫監督、高橋一三二軍監督等、ジャイアンツのV9戦士のユニフォーム組がことごとくユニフォームを脱ぎました。(他に関本四十四さん、河埜和正さん)今季、V9戦士でユニフォームを着ているのは王監督と、ファイターズで打撃コーチを務めている淡口憲治さんくらいだと思います。時代の流れといえばそれまでですが、淋しいですね。そういう意味でも、王監督には時間をかけて完全に治していただいて、またユニフォーム姿を見せて欲しいです。その時にホークスナインを観て、「もう、俺がいなくても大丈夫だな」ということであれば、勇退なさるのも結構。何はさておいても、健康が第一です。

WBCのことばかり書いてしまいましたが、王さんはホークスの監督であるばかりでなく、球団のGMと、副社長も兼ねていたのでしたね。監督やGMや副社長の代わりはいても、王貞治の代わりはいません。今後はくれぐれも無理をなさらぬように。

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2006年7月 3日 (月)

森本に続き田中賢介もレギュラーに!-鎌ヶ谷育ちが花開く喜び

いつの間にかチーム打率が二割五分を超えているファイターズ。好投する先発投手を援護出来なかった打線も、かつてのビッグバン打線ほどではないものの効果的に得点出来るようになってきた。その原因は絶不調だった四番フェルナンド・セギノールの復調もさることながら森本稀哲、田中賢介の一、二番が定着したことが大きいだろう。6月30日から7月2日のファイターズ対ゴールデンイーグルス戦。ファイターズの三連勝に終わったが、第一戦でサヨナラ本塁打を放ったのが田中賢介で、第三戦で本塁打を放ちお立ち台で一曲歌ったのが森本稀哲だった。森本と田中賢、ファイターズのファームの本拠地、鎌ヶ谷に観戦で足を運ぶ敗戦処理。にとってこの二人の活躍は格別の喜びがある。

2001年3月10日。本拠地初のオープン戦で主力選手がラインアップに名を連ねるなか、三番には当時のレギュラー片岡篤史ではなく二年目の田中賢介が抜擢された。前年に高校卒ルーキーながら5試合一軍経験を積み、ファームでも80試合で.313、6本塁打の成績を残した期待のホープがテスト的に抜擢された。

0103103 先発の下柳剛が大乱調で6対15と大敗したこの試合で際立ったのが田中賢介の打力。一回裏、スワローズ先発の入来智からライトスタンドに弾丸ライナーの一発を放った。左はその時の写真だが、一目惚れしやすい敗戦処理。はこの一発で田中賢介に惚れ込んだ。田中賢はこの後センターオーバーの二塁打も放ち、打撃の非凡さをアピール。このまま開幕一軍入りを果たす。開幕戦でも片岡のケガで途中出場。旧バファローズ相手に7点を先攻しながらいてまえ打線の爆発で引っ繰りかえされる大乱戦のなか、九回裏、賢介は代打で登場し、現メジャーリーガーの大塚晶文(現.晶則)から豪快な一発を放ち、7対10から9対10と迫る。

しかし、このまま順風満帆と行かないのがプロの世界。他球団から研究されたか長打力は影を潜め、守備では主にスローイングでミスを連発。レギュラー獲得どころか一軍と二軍の往復が続く。一軍での打席数は2002年の177をピークに以後、年々減少。昨年は外野での出場もあった。外野転向は敗戦処理。の持論であり、福留孝介や田口壮のようにスローイングに難のある内野手が外野に移って成功した例があるだけに、賢介も外野に移れば打撃センスが再び活かされるのではないかと思った。ましてやこのオフには陽仲壽や川島慶三が加入。ホセ・マシーアスも獲得したので外野一本に絞った方が賢介にとってもチャンスがあるのではと敗戦処理。は思っていた。

しかし今季は昨年までのレギュラー二塁手、木元邦之の不振、トレイ・ヒルマン監督の采配にバントが多様化されるようになって二番打者の役割が変わったこともあって「二番・二塁、田中賢介」は見事にはまっていった。驚くことにスローイングも安定。6月4日に横浜スタジアムでのベイスターズ対ファイターズ戦を観戦した際には、外野席からであったがあまりに堅実なスローイング、フィールディングをしていたので「これがあの賢介か?」と目を疑ったほどだった。

敗戦処理。が鎌ヶ谷他でファームの試合を観戦するようになった頃、森本稀哲は主に三塁を守っていた。足が速く猪突猛進型の攻撃的な選手という印象だったが、守備では時に豪快なトンネルもする選手。スタンドには稀哲とほぼ同じ顔をしたお父さんが陣取っていることが多く、きついヤジで定評のある鎌ヶ谷でも、お父さんがいる時は稀哲へのヤジは控えるという暗黙のルールがあったようだ。名物とも言えるヤジおじさんが「さあ、オヤジさん帰ったからヤジってもいいよ!」とヤジ解禁を告げていたのも今となっては懐かしい。

02_4 ベースボールフォーラムのオフ会で稀哲の実家の焼肉「絵理花」に行った時にお父さんと話をしたら、「本当にエラーばっかりしていましたね」と苦笑いされていた。「そうですね」と言いそうになって敗戦処理。は我慢したが。

ちなみに稀哲が打席の時のヒッティングマーチで「エ・リ・カ」と合いの手が入るのはこの実家の焼き肉屋さんのことだが歌詞にある日暮里駅から歩いて5分というのはちとオーバーで普通の足なら5分~10分と言うところだろう。念のため。

2002年だったか試合途中で稀哲が外野で起用されたことがあり、「マンデーパ・リーグ」でスーツ姿で観戦していた敗戦処理。は「外野を守らせて大丈夫か?」と驚いたがライトを守っていて一塁後方の飛球をランニングキャッチするのを観て「こいつ、外野の方がいいんじゃないか!」と思ったらその後本格的に外野に転向。トレイ・ヒルマン監督が就任した2003年は前年までのレギュラー、井出竜也を無視するかのようにヒルマン監督は稀哲を「一番・中堅」でオープン戦から固定。ヒルマン監督曰く「モリモトは日本のバーニー・ウィリアムスだ」。

監督の眼鏡の度が合っていなかったのか、本人の努力が足りなかったのか打撃がレギュラーとしてはもの足りず日本のバーニーはスタメン落ちするようになり、その後も時にファームに落ちることもあったが、今季、ようやく一軍、どころか一番打者の座をがっちりつかんだ。

ファーム観戦派の最大の喜びはファームでヤジったり応援したりした選手の一軍での飛躍、活躍だ。敗戦処理。が観戦するようになってからファイターズは二度のリーグ優勝を果たし、敗戦処理。はファーム日本選手権を観に長野にも宮崎にも飛んだが、ファームの存在意義を考えると個々の選手のファーム卒業、一軍での活躍の方がもちろん嬉しい。森本稀哲と田中賢介が鎌ヶ谷で育って、札幌ドームのファンから喝采を浴びるのは本当に嬉しい。そしてこの二人に続けとばかりに飯山裕志と鶴岡慎也もレギュラーに近いところで頑張っている。さらに尾崎匡哉が鎌ヶ谷卒業を目前にし、前述の陽と鵜久森淳志もこれに続けと日々精進している(はず。)。ダルビッシュ有のようにあっという間に通り過ぎる男も頼もしいが、ここを卒業した連中に独特の愛着がわく。

そして何故か卒業したはずなのに、再び戻ってくる男が多いのがご愛敬。親切な自動車教習所のように、免許を取った人が再び運転の練習をしにくる事に対して門戸を開放しているかのようだ。しかしさすがに稀哲と賢介にはもう鎌ヶ谷に戻ってきて欲しくない。

このブログを読んで下さる方には必要ないと思ったので振り仮名はつけませんでしたが、一応、稀哲 ひちょり と読みます。

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2006年7月 2日 (日)

野村監督、またセとパのルールの違いに泣かされる?-封じられた野村スペシャル

6月30日のファイターズ対ゴールデンイーグルス戦、1対1の同点で迎えた九回裏。ゴールデンイーグルスは一死二塁のピンチでファイターズの木元邦之を敬遠して一死一、二塁として守りやすくした。ここまでは定石通り。ファイターズはここで代打の切り札的存在、左の小田智之を起用。ここで野村克也監督が動いた。マウンドにはこういう場面では最も頼りになる小倉恒。左のリリーフを送りたいが、延長12回まで続くかもしれない長丁場を任せられる左はいない。かといってワンポイントとしても右のリリーフも、ストッパーの福盛和男以外は信頼しきれる投手がいない。そこで野村監督はかつてスワローズやタイガースでの監督時代に奥の手として使った「野村スペシャル」を使う。

マウンドにはワンポイントで左の河本育之を起用。小倉を退けず、小倉を一塁に入れ、一塁のリック・ショートを三塁に回し、三塁のホセ・フェルナンデスを退けた。ファイターズは小田に代えて代打の代打、右の切り札の超ベテラン田中幸雄を当然のごとく送るが、野村監督は小倉vs小田よりも河本vs田中幸の方が抑える確率が高いと見たのだろう。ただし後続の金子誠、森本稀哲には左の河本ではしんどいので小倉をマウンドに戻す。

スワローズ時代にはアンダースローの宮本賢治や高津臣吾を外野に一時避難させたり、タイガース時代には中継ぎの葛西稔と遠山奨志を一方を一塁に入れることで葛西、遠山、葛西、遠山などという継投を実現させた「野村スペシャル」をゴールデンイーグルスでも再現した。

結果的には田中幸の打席でファイターズがダブルスチールを仕掛け失敗。一死一、二塁が二死二塁となり田中幸は四球。打者金子の場面で一塁から小倉が戻り、三塁のリックが一塁に回り、新たに三塁に草野大輔を入れる布陣で小倉が金子を打ち取り、「野村スペシャル」は見事に成功した。  かに思えた。

九回裏のピンチを凌ぐには有効だった「野村スペシャル」だが、思わぬ落とし穴が一つあった。それはスワローズやタイガースの監督時代には考える必要がなかったパ・リーグ独自のルール-指名打者制である。

指名打者のルールを定めた野球規則6.10(b)には次のような一文がある。

■野球規則6.10(b)-抜粋-
投手が1度他の守備位置についた場合、それ以降指名打者の役割は消滅する。

河本起用の場面、小倉を守備につける際に退いたのは実はフェルナンデスだけでなく、もうひとり指名打者の山崎武司も退かざるを得なかったのだ。

ここでこの場面、つまり代打小田が起用された時点でのゴールデンイーグルスのラインアップを見てみよう。

(中)鉄平
(二)高須
(右)礒部
(三)フェルナンデス
(指)山崎武
(一)リック
(左)関川
(捕)藤井
(遊)塩川
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(投)小倉

小倉を一塁に入れるのにリックを退けずにフェルナンデスを退けたのは十回表の自軍の攻撃がリックから始まるからだが、小倉を一塁守備につけたために指名打者の山崎武が退かなければならないのだ。

意外と知らない人も多いようだが、指名打者制においては指名打者はあくまでも投手の代わりに打席に立つ選手である。セ・リーグのように投手が打席に立つのなら下位打線に投手を置くのが定石だが、メンバーに入っていても原則打席には入らないパの投手の打順を下位に置く必要はなく、指名打者の選手の特性に応じた打順に起用されているだけで、あくまで指名打者は投手の代わりなのである。

したがって投手が他の守備位置につくということは、指名打者に代わってその投手が打順に入るということを意味する。もちろん投手を指名打者にして、代わりの投手をワンポイントで登板させるということは出来ない。セ・リーグであるならばフェルナンデスが退くのみですんだ「野村スペシャル」だが、指名打者制ではフェルナンデス、山崎武と二人がラインアップから消える。これは十回以降のゴールデンイーグルスの攻撃には大きなマイナスである。そして翌日の日刊スポーツによると野村監督はここまでは計算に入れていなかったそうだ。知将ノムさんともあろうお方が…。

ちなみに河本登板の時点でのラインアップはこうなる。

(中)鉄平
(二)高須
(右)礒部
(投)河本
(一)小倉
(三)リック

(左)関川
(捕)藤井
(遊)塩川

小倉再登板時にはこうなる。

(中)鉄平
(二)高須
(右)礒部
(三)草野
(投)小倉
(一)リック

(左)関川
(捕)藤井
(遊)塩川

九回裏を切り抜けた「野村スペシャル」だったが、十回裏、田中賢介にサヨナラ本塁打を浴びて黒星。仮にこの回を抑えても十一回表はフェルナンデスと山崎武のいない上位打線。得点の確率は低かったかもしれない。

野村監督はゴールデンイーグルスの監督に就任が決まってから、予告先発や、ベンチにメガホンの持ち込みが出来ないなどパ・リーグ独自のルール、制度に次々と異を唱えていた。監督会議で無視されると、コミッショナーに直訴するなどの荒技まで発揮した。野村監督の野球観には耐え難い存在、制度、ルールだったのだろうが、パ・リーグ独自という意味では最大の制度である指名打者制の特性を理解していなかったのは何とも皮肉と言える。

* ただし以前に著書などで「邪道」と切り捨てていたプレーオフ制度に関しては就任後批判していないようだ<苦笑>。

著書といえば、まだシダックス監督時代に書いたという「野村ノート」(小学館刊)によると弱いチームの戦い方の一つとしてシーズン序盤に奇襲をかけておくと、その時は成功に終わらなくても相手には警戒心が残り、そのシーズン中ずっと相手チームはその奇襲の影に幻惑され続けるという。そういう奇襲をシーズン序盤の4月に仕掛けると、先々有利に対戦出来ることがあるという。

たとえば、相手投手の牽制球の傾向を調べる。モーションの癖などを調べるのとは別の次元で、その投手が打者に一球投げるまでに最多で何球牽制するかというデータを取っておく。その投手が三球までしか続けて牽制しないとわかったら、一か八か、三球牽制した後は早めのスタートを切る。そうすると相手側はモーションの癖が盗まれているのではないかと疑い、疑心暗鬼になるという。これを一つのチームの複数の投手に同時期に行うと、そのチームはパニックになるという作戦。

ゴールデンイーグルスというチームを率いた今季、野村監督は開幕の時点ではチームに奇襲を仕掛けるレベルまで、チームを掌握しきれなかったのではないか。そしてもがきながら、開幕ダッシュにつまずきながら考えたことが、ファンやマスコミ、球界内外の耳目が集まるセ・リーグ相手の交流戦にチームの調子を持って行き、小刻みな継投策などで相手打線をかわすことで、ただでさえデータの少ないセ・リーグの対戦チームを翻弄するという戦法に切り替えたのではないか。「楽天は変わった!」  「昨年の楽天とは一味も二味も違う!」  このイメージ(錯覚?)を植え付けるにはセ・パ交流戦がうってつけの機会だと野村監督はそこに照準を合わせたのではないか。

交流戦は17勝19敗、借金わずか2と大健闘の印象を残したゴールデンイーグルス。実は交流戦後のパ・リーグ同士の対戦再開後は2勝6敗(7月2日現在)といつものペースに戻っているのだが、交流戦の印象と「野村スペシャル」でサヨナラのピンチを切り抜けたことで、「今年の楽天は一味も二味も違う!」というイメージは増殖し続けるのだろう。

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2006年7月 1日 (土)

「生」観戦した野球場(11)-グリーンスタジアム神戸

05 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

11回 グリーンスタジアム神戸 観戦球場ファイル-11

合併前の旧ブルーウェーブの本拠地。球団合併後はバファローズの二つある本拠地の一つ。現在はネーミングライツによりスカイマークスタジアムの名称で親しまれている。

出来たのは1988年。この年には旧ブルーウェーブの前身である「阪急タイガース」もとい、「阪急ブレーブス」の主催試合が一試合行われただけだったが、この年を最後にブレーブス球団が阪急からオリックスに身売りされると翌1989年からは数試合開催され、準本拠地のような位置づけになっていく。そして1991年からブルーウェーブはそれまでの阪急西宮スタジアムから本拠地をこのグリーンスタジアム神戸に移す。身売り時の「球団名称『ブレーブス』は変えない」というブルーウェーブの宮内義彦オーナーの言質が大方のファンが危惧した通りに反故にされて「ブルーウェーブ」と改称されたのもこの時。

【2008年5月4日追記】冒頭のグリーンスタジアム神戸の内観写真のレイアウトを変更しました。

敗戦処理。の初観戦は1996年7月5日のブルーウェーブ対バファローズ戦。普通の金曜日であるが有休を取り、この日の夜と翌日は福岡ドームでホークス対ファイターズ戦を観戦する二泊三日の野球観戦旅行を組んだものだった。

そして2000年には内野のダイヤモンドにそれまでの人工芝に変えて天然芝を敷いた。内外野とも天然芝の野球場は日本では少なく、他に山形県の鶴岡ドリームスタジアムと宮崎県のサンマリンスタジアム宮崎だけ。プロ野球の本拠地球上としては、人工芝に変身する前の後楽園球場以来だから25年ぶりの復活とも言えた。

敗戦処理。の二回目の観戦も、天然芝化に合わせて2000年9月のデーゲームだった。芝の美しさも鮮やかだったが、試合終了後に球場職員が大挙して観客を見送ったのが印象的だった。2000年といえばイチローがブルーウェーブに在籍した最後の一年。FAならまだしも、当時耳慣れなかったポスティングシステムで日本球界の宝を売り飛ばしてしまったことに驚かされたが、その二年後には球場の命名権を売り、2003年から「ヤフーBBスタジアム」と改称。売れるものは何でも売ってしまう経済性至上主義には賛否両論あるが、今度は逆に「大阪近鉄バファローズ」を吸収合併。さらには破綻した大阪ドームをオリックスグループとして90億円で購入。不思議な球団である。

02_3もちろんこの球場の魅力は芝の鮮やかさだけではない。最近でこそ東京ドームのエキサイトシートに代表されるファウルグラウンドに迫り出したより臨場感あふれる観客席や、横浜スタジアムや札幌ドームのように内野スタンドのネットを外して臨場感をあふれさせる演出を図る球場が出てきたが、そのようなアメリカ大リーグの「ボールパーク」を彷彿とさせるムード作りの先駆けは間違いなくこの球場で、天然芝の件と合わせ、フィールドシートの新設、内野席のネットを下げたのも日本の常打ち球場ではここが先駆けである。(ネットが低くなって観客によるボール争奪戦が激化-2004年8月撮影。ちょっとこの写真ではわかりにくいかな?)

大阪ドームとのダブルフランチャイズ制を将来的には解消しなければならず、オリックスグループが90億円を投じて大阪ドームを取得したことを考えれば、これまで二年間半々に開かれていたバファローズ球団の主催試合は徐々にかつ大胆にドームにシフトされるのは間違いなかろう。日本に三つしかない美しさを持つこの球場が宙に浮いてしまう日が遠からず来ることになる。そうなれば維持費の問題で再び人工芝に…などという話にもなりかねない。もったいない話ではあるが。

そうなってからでは遅い、と敗戦処理。は先月25日、バファローズ対ファイターズ戦を観戦に神戸まで足を運んだが、無情の雨で雨天中止だった。最寄り駅の総合運動公園駅に向かう地下鉄の車中で試合中止を知ったがとりあえず球場まで行ってみた。雨は小降り。ドーム球場ではないにせよ、人工芝の球場であれば日曜日のデーゲームというかき入れ時に開催が開催だったかもしれないが、この球場の最大の売りがこういう時ばかりは弱点になってしまうのだ。

Dscf0050_5 「グリーンスタジアム神戸」時代に二度、「ヤフーBBスタジアム」時代に一度生観戦しているだけに、「スカイマークスタジアム」と名乗っている間に一度は生観戦しておきたいと思い、ファイターズ相手では今季最後の土、日のデーゲームを狙ったのだったが。

そして皮肉にも、この書き込みがアップされる今日7月1日、大阪ドームは「京セラドーム大阪」として第二のスタートを切る。

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