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2006年7月 3日 (月)

森本に続き田中賢介もレギュラーに!-鎌ヶ谷育ちが花開く喜び

いつの間にかチーム打率が二割五分を超えているファイターズ。好投する先発投手を援護出来なかった打線も、かつてのビッグバン打線ほどではないものの効果的に得点出来るようになってきた。その原因は絶不調だった四番フェルナンド・セギノールの復調もさることながら森本稀哲、田中賢介の一、二番が定着したことが大きいだろう。6月30日から7月2日のファイターズ対ゴールデンイーグルス戦。ファイターズの三連勝に終わったが、第一戦でサヨナラ本塁打を放ったのが田中賢介で、第三戦で本塁打を放ちお立ち台で一曲歌ったのが森本稀哲だった。森本と田中賢、ファイターズのファームの本拠地、鎌ヶ谷に観戦で足を運ぶ敗戦処理。にとってこの二人の活躍は格別の喜びがある。

2001年3月10日。本拠地初のオープン戦で主力選手がラインアップに名を連ねるなか、三番には当時のレギュラー片岡篤史ではなく二年目の田中賢介が抜擢された。前年に高校卒ルーキーながら5試合一軍経験を積み、ファームでも80試合で.313、6本塁打の成績を残した期待のホープがテスト的に抜擢された。

0103103 先発の下柳剛が大乱調で6対15と大敗したこの試合で際立ったのが田中賢介の打力。一回裏、スワローズ先発の入来智からライトスタンドに弾丸ライナーの一発を放った。左はその時の写真だが、一目惚れしやすい敗戦処理。はこの一発で田中賢介に惚れ込んだ。田中賢はこの後センターオーバーの二塁打も放ち、打撃の非凡さをアピール。このまま開幕一軍入りを果たす。開幕戦でも片岡のケガで途中出場。旧バファローズ相手に7点を先攻しながらいてまえ打線の爆発で引っ繰りかえされる大乱戦のなか、九回裏、賢介は代打で登場し、現メジャーリーガーの大塚晶文(現.晶則)から豪快な一発を放ち、7対10から9対10と迫る。

しかし、このまま順風満帆と行かないのがプロの世界。他球団から研究されたか長打力は影を潜め、守備では主にスローイングでミスを連発。レギュラー獲得どころか一軍と二軍の往復が続く。一軍での打席数は2002年の177をピークに以後、年々減少。昨年は外野での出場もあった。外野転向は敗戦処理。の持論であり、福留孝介や田口壮のようにスローイングに難のある内野手が外野に移って成功した例があるだけに、賢介も外野に移れば打撃センスが再び活かされるのではないかと思った。ましてやこのオフには陽仲壽や川島慶三が加入。ホセ・マシーアスも獲得したので外野一本に絞った方が賢介にとってもチャンスがあるのではと敗戦処理。は思っていた。

しかし今季は昨年までのレギュラー二塁手、木元邦之の不振、トレイ・ヒルマン監督の采配にバントが多様化されるようになって二番打者の役割が変わったこともあって「二番・二塁、田中賢介」は見事にはまっていった。驚くことにスローイングも安定。6月4日に横浜スタジアムでのベイスターズ対ファイターズ戦を観戦した際には、外野席からであったがあまりに堅実なスローイング、フィールディングをしていたので「これがあの賢介か?」と目を疑ったほどだった。

敗戦処理。が鎌ヶ谷他でファームの試合を観戦するようになった頃、森本稀哲は主に三塁を守っていた。足が速く猪突猛進型の攻撃的な選手という印象だったが、守備では時に豪快なトンネルもする選手。スタンドには稀哲とほぼ同じ顔をしたお父さんが陣取っていることが多く、きついヤジで定評のある鎌ヶ谷でも、お父さんがいる時は稀哲へのヤジは控えるという暗黙のルールがあったようだ。名物とも言えるヤジおじさんが「さあ、オヤジさん帰ったからヤジってもいいよ!」とヤジ解禁を告げていたのも今となっては懐かしい。

02_4 ベースボールフォーラムのオフ会で稀哲の実家の焼肉「絵理花」に行った時にお父さんと話をしたら、「本当にエラーばっかりしていましたね」と苦笑いされていた。「そうですね」と言いそうになって敗戦処理。は我慢したが。

ちなみに稀哲が打席の時のヒッティングマーチで「エ・リ・カ」と合いの手が入るのはこの実家の焼き肉屋さんのことだが歌詞にある日暮里駅から歩いて5分というのはちとオーバーで普通の足なら5分~10分と言うところだろう。念のため。

2002年だったか試合途中で稀哲が外野で起用されたことがあり、「マンデーパ・リーグ」でスーツ姿で観戦していた敗戦処理。は「外野を守らせて大丈夫か?」と驚いたがライトを守っていて一塁後方の飛球をランニングキャッチするのを観て「こいつ、外野の方がいいんじゃないか!」と思ったらその後本格的に外野に転向。トレイ・ヒルマン監督が就任した2003年は前年までのレギュラー、井出竜也を無視するかのようにヒルマン監督は稀哲を「一番・中堅」でオープン戦から固定。ヒルマン監督曰く「モリモトは日本のバーニー・ウィリアムスだ」。

監督の眼鏡の度が合っていなかったのか、本人の努力が足りなかったのか打撃がレギュラーとしてはもの足りず日本のバーニーはスタメン落ちするようになり、その後も時にファームに落ちることもあったが、今季、ようやく一軍、どころか一番打者の座をがっちりつかんだ。

ファーム観戦派の最大の喜びはファームでヤジったり応援したりした選手の一軍での飛躍、活躍だ。敗戦処理。が観戦するようになってからファイターズは二度のリーグ優勝を果たし、敗戦処理。はファーム日本選手権を観に長野にも宮崎にも飛んだが、ファームの存在意義を考えると個々の選手のファーム卒業、一軍での活躍の方がもちろん嬉しい。森本稀哲と田中賢介が鎌ヶ谷で育って、札幌ドームのファンから喝采を浴びるのは本当に嬉しい。そしてこの二人に続けとばかりに飯山裕志と鶴岡慎也もレギュラーに近いところで頑張っている。さらに尾崎匡哉が鎌ヶ谷卒業を目前にし、前述の陽と鵜久森淳志もこれに続けと日々精進している(はず。)。ダルビッシュ有のようにあっという間に通り過ぎる男も頼もしいが、ここを卒業した連中に独特の愛着がわく。

そして何故か卒業したはずなのに、再び戻ってくる男が多いのがご愛敬。親切な自動車教習所のように、免許を取った人が再び運転の練習をしにくる事に対して門戸を開放しているかのようだ。しかしさすがに稀哲と賢介にはもう鎌ヶ谷に戻ってきて欲しくない。

このブログを読んで下さる方には必要ないと思ったので振り仮名はつけませんでしたが、一応、稀哲 ひちょり と読みます。

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