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2006年9月27日 (水)

おめでとうファイターズ!-シーズン1位通過&どこよりも早い?プレーオフ先発予想

敗戦処理。は平日の昼間は極めてまじめなサラリーマンをしているのですが、今日(27日)は仕事中、とにかくソワソワしていました。とりあえず昨日(26日)時点でホークスのパ・リーグのレギュラーシーズン三位が確定したとのことなので、あとはファイターズとライオンズの順位。敗戦処理。なりにプレーオフのローテーションなんぞをいろいろなパターンで考えていました。

その結論が、「今日勝って、シーズン1位で通過しないときつい!」でした。敗戦処理。の予想ローテは後述しますが、他球団のファンの方はどう予測しているかわかりませんが、ファイターズに限っては第1ステージからの出場だとかなりしんどいですね。

で、横道にそれますが、ホークスファンの同僚との昼休みの会話の一部を再現。

同僚「しかしなぁ、百球超えてるからって、負けたらおしまいの試合で、エースを6回で引っ込めるか!」

敗戦。「たしかにね。でも8対0とは驚いたな。」

同僚「吉武はまだしも、吉田修司でハム打線を抑えるのは無理だよ。やっぱり王監督がベンチにいないのと、城島がグラウンドにいないのが大きかったよ。捕手はグラウンドでの監督だからね。」

敗戦。「こっちも實松が抜けたけどね<笑>」

同僚「それで今年のハムは三振が大幅に減ったのか<爆>」

閑話休題。

今日のサプライズはSHINJOの背番号63もさることながら、六回表のダルビッシュ有の投入でしょう。敗戦処理。はこの継投にトレイ・ヒルマン監督のしたたかさを感じました。

今日勝って、シーズンを1位で通過すれば、プレーオフ第1ステージは免除され、その勝者との第2ステージのみ。試合数は最大で四試合。ファイターズの先発陣といえば、そのダルビッシュに、八木智哉、武田勝、金村曉、立石尚行。五日間で四試合行うので先発は四人必要。ダルビッシュ、八木、武田勝と第三戦まではめどが立つが、第四戦までもつれた場合に四戦目の先発が心細い。金村は監督批判で出場停止。立石はホークスやライオンズ相手には不安が残る。それに持っても5イニング。そこで第四戦は立石先発で、状況次第で中三日のダルビッシュをリリーフに使う。これがヒルマン監督の秘策なのだろうが、何せダルビッシュはプロ入り後はリリーフでの実績がない。プレーオフ最終戦でのぶっつけ本番はさすがにリスキーなので、今日の最終戦にチャンスがあればダルビッシュの中継ぎをテストしよう。そう考えても不思議でない。

金村は「外国人だから…」云々と批判していたが、なかなかの策士だのぅ。

で、敗戦処理。なりにパ・リーグプレーオフの先発予想をしてみた。

2006年パ・リーグプレーオフ先発予想

7日 L松坂-斉藤和H (所沢)
8日 L西口-和田H  (所沢)
9日 L松永-新垣H  (所沢)
10日
11日 Fダルビッシュ-ギッセル/杉内 (札幌)
12日 F八木-松坂/斉藤和      (札幌)
13日
14日 F武田勝-西口/和田 (所沢または福岡)
15日 F立石-松永/杉内  (所沢または福岡)

第2ステージの、ファイターズ相手球団のローテーションは第1ステージが二戦で終わるか参戦で終わるかによって異なるので、現時点では目安にしかならないでしょう。

そしてファイターズとしては、第1ステージでホークスがライオンズを倒してくれれば、公式戦で7勝13敗と徹底的にやられたライオンズと顔を合わせずにすむという展開も考えられる。

第2ステージ第二戦のファイターズの先発予想を八木としたのも、対ライオンズを意識したローテーションだ。スーパールーキー八木も、なぜかライオンズにはさっぱり通用しない(対ライオンズ戦0勝3敗、防御率5.57/対ホークス戦3勝3敗、防御率1.93)。ライオンズと四試合やるなら、八木での一敗は覚悟しなければなるまい。それならば八木をファイターズが手も足も出ない松坂大輔の先発が予想される日にぶつければ、「八木がライオンズに通用しない」、「ファイターズ打線は松坂相手に手も足も出ない」という二つのマイナス面を一つにしてしまうことが可能なのだ。そしてこれこそが、ファイターズにとってシーズン1位通過でプレーオフ第1ステージ免除の最大のアドバンテージだと敗戦処理。が考えた訳です。

第2ステージで、1位通過のライオンズ相手にファイターズが3勝1敗で勝ち抜くというのはさすがに敗戦処理。でも想像しづらい<苦笑>。

敗戦処理。がベースボールフォーラムでお世話になっているKさんはよく「至福の時」という言葉を使うが、プレーオフの先発予想が出来るなんて、これからしばらくは束の間の至福の時だ。そしてプレーオフ終了後、もう一度至福の時を味わいたい。

いずれにしても今年のパ・リーグプレーオフは過去二年の1位と2位から極端に離された3位によるプレーオフではなく、三球団どこがドラゴンズの(SHINJOはタイガースと対戦したいと言っているが)相手になってもパ・リーグの代表として恥ずかしくない成績だ。パ・リーグの数々の試みの中で、セ・リーグに真似された希有の存在と言えるこのプレーオフ制度。歴史に残る闘いを繰り広げて欲しい。

最後になりますが、ファイターズナインよ、本当にありがとう!!

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原辰徳監督よ、愛とルールと思いやりが必要だ!

Photo_11 今年の秋の全国交通安全運動は9月21日から始まっていて月末の30日までですが、皆さん、左のようなポスターを街中で見かけたことはありませんか?

そうです。ジャイアンツの原辰徳監督がモデルで、スローガンが「愛とルールと思いやりが必要だ。」なのです。このポスターを見て、「その言葉を監督にそっくりお返しします」と突っ込んだのは敗戦処理。だけではないでしょう。

桑田真澄のHP上での退団表明に対する敗戦処理。の意見は既に本blog.で述べてきた通りですが、一方の原監督にも、桑田がああいう手段をとらざるを得なかった一因があるのではと感じており、それについても触れておきます。

「原監督には原監督の野球観がある。それを貫くのは大事だし、誰も悪い人はいない。原監督の野球に自分は沿わなかったのかなという思いはあります。」(スポーツニッポン9月25日付紙面より)

ファイターズの金村曉のような直情径行型ではなく、あくまで自分が使われる側だという位置に立ちつつ、せいいっぱいの監督批判とも取れる発言だ。桑田が言うには故障の癒えた6月からずっとスタンバイしていたにもかかわらず、復帰に関するアプローチがなかったことがHP表明という暴挙に至ったようだが、その原監督に落ち度は無かったか?

原監督と仁志敏久の確執はもはや周知の事実である。長嶋監督の時代には不動の一番打者として時に一発を秘めた異彩を放つ存在としてフィールドを駆け回った男が原監督になって成績が降下し始めると、いつしか不満分子であることがファンの誰しもが知るほどになってしまった。

2002年、それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いでリーグ優勝、日本一を勝ち取った原ジャイアンツ。特筆された原采配の一つに、桑田を代打で起用した試合が挙げられた。

6月19日、横浜スタジアムでの対ベイスターズ戦での出来事。

3対3で迎えた延長十一回表のジャイアンツの攻撃。先頭の松井秀喜が四球で無死一塁となると、続く岡島秀樹の打席で原監督は代打に桑田を起用。バントと見せかけてバスターを決めて安打となり無死一、二塁とチャンスを拡げると、この回仁志のタイムリーなどで2点を勝ち越して5対3とし、勝利した。実は「代打・桑田」の場面でベンチに残っていた野手は捕手の小田幸平と足を痛めていた清原和博と、送りバントが巧くない鈴木尚広だけ。原監督は不測のアクシデントに備えて捕手の小田は使いたくない。清原はバッティングは出来るが足が万全でなく、相手の併殺網に引っかかった場合、無理に走ってさらに悪化させたくないから使いたくない。そして鈴木は送りバントが苦手と言うことで、「代打桑田」を選択したと後日語った。ちなみに安打で出た桑田に代走鈴木が起用された。

仁志がこの采配に対し、一部のマスコミに「野手が残っているのに投手を代打で起用されたら、野手の面目は丸つぶれ」と批判したというのだ。球団広報がうまく立ち回ったのか、この発言はごくマイナーなところにしか伝わらず、先般の金村のような大騒動にならなかったのは幸いだったが、おそらくこのような疑問を感じたのは仁志一人ではなかったろう。

しかしこの件で敗戦処理。が驚いたのは仁志らの不満、批判ではなく、この采配について原監督が自著「選手たちを動かした勇気の手紙」(幻冬舎刊)で触れていた件である。

原監督は野手がベンチに残っていたのに投手を代打に起用したということに若干の後ろめたさを持っていたというのだが、それは自軍の選手達に対してではなく、この試合の相手、ベイスターズの森祇晶監督に対して失礼だったのではないかということだったのだ! 同書によると、その事ガキになって仕方がなかった原監督は翌朝、目覚めるとすぐに新聞で森監督のコメントを探したというのだ。

原監督にとって選手起用で重要なのは、自軍の選手達のプライドではなく、闘う相手への礼を失しているかどうかだということだと敗戦処理。は認識し、愕然としたものだった。

原監督が2003年のシーズン限りで在任期間わずか二年という短さで監督の座を降りることになったのは不成績に加え、翌年のコーチ人事をめぐって鹿取義隆ヘッドコーチの処遇で球団と対立したことが原因といわれているが、この最中、自ら現役引退、コーチ就任という路線を要請した川相昌弘を宙ぶらりにしてしまうという失態を犯していた。

敗戦処理。は今でも原監督によるジャイアンツの再建を望んでいる身であるが、上記二件の事例を観て原監督の人心掌握力に大いなる疑問を持たざるを得なかった。もちろんこれは原監督一人の責任ではなく、フロントのフロントとしての能力欠如に起因するところ大とも思えるが、落合博満、川相、清原、江藤智らのジャイアンツのユニフォームの脱ぎ方を思い出すと、もっと配慮が出来ないものかと思う。

そして今、桑田が(非常識な形だとは思うが)また不本意な形でユニフォームを脱ぐことになりそうだ。仁志も、そしてそんなことはあって欲しくないが工藤公康も…なんてことにならない様に!

日本を代表するストッパーと言える豊田清に対するプライドを考えない起用法や、清水隆行の八番でのスタメン起用。チームスローガンの一つに「GIANTS PRIDE」と掲げてはいても、チームのプライドを保つためなら選手のプライドなど顧みない。

もう一度冒頭のポスターに戻る。

原監督よ、「愛と(ルールと)思いやりが必要だ。」

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2006年9月26日 (火)

桑田真澄&金村曉、子供じゃないんだから…!

桑田真澄の球団HPでの退団決意表明に驚いていたら、今度はファイターズのエース、金村曉が24日のマリーンズ戦で勝利投手の権利を得る目前で降板させられたことに激怒して報道陣相手にトレイ・ヒルマン監督を批判。公式戦1位通過をかけて闘い、その先のプレーオフに向けて一致団結しなければならない時期に完全に水を差す状態になってしまった。

桑田にしろ金村にしろ、チームを支えてきた主力投手。そのプライドを踏みにじられたという気持ちもわからないでもないが、二人とも子供じゃないんだから!

まずは金村。問題の金村発言を引用する。

「絶対に許さない。外国人の監督だから、個人の記録なんてどうでもいいと思っているんじゃないの。顔も見たくない。プレーオフも出番がないんじゃないですか。」(24日付スポーツニッポン紙面より)

試合終了後、球場の駐車場に向かう途中に報道陣に不満をぶちまけたという。金村のセリフが上の記事でほぼ正確であるならば、金村の不満は今日の降板でふってわいたものではないと推測出来る。

金村は前回登板でも、同じマリーンズ戦だったが五回を投げきってチームが3対2と1点リードしていて勝利投手の権利を得たものの、六回表に先頭打者に安打を打たれたところで降板。この回に逆転され、勝利投手のチャンスを逃した。この時の投手交代も敗戦処理。には中途半端に映った。

しかし、しかしである。今がどういう時期か、誰が考えてもわかることだろう。監督や担当コーチに直訴するでもなく、いきなり報道陣に不満をぶちまけるなどとはどう考えても理解出来ない。

ところで金村がこだわったと観られる五年連続二桁勝利という記録だが、実は現役の投手が現在継続中の連続二桁勝利としては最長の記録なのである。

金村は2002年から2005年まで四年連続して二桁勝利を記録しているが、これは現在継続中の記録としては最長であり、2001年から、あるいはそれより前から昨年、2005年まで二桁勝利を続けている投手はいない。金村以外に2002年から連続二桁勝利を続けている投手は清水直行と石川雅規の二人だけしかいない。そして石川は今シーズンも二桁勝利を挙げて五年連続二桁勝利(しかも入団以来)となったが、24日に金村と投げ合った清水は現在8勝で足踏みをしており、事実上五年連続二桁勝利は絶望的だ。

上原浩治、松坂大輔、川上憲伸、西口文也、黒田博樹、井川慶…といった、名だたる各球団のエース投手もこの四年間の間に、勝ち星が一桁で終わっているシーズンがあるのである。それほどに、安定した成績を複数年続けるということは難しく、金村がそのことにこだわりを持っていたとしても不思議ではない。

ただでさえ今シーズンの金村は、オフシーズンに右肘を手術したこともあって本来ならスローペースの調整で万全を期したいところであったがチームが初めて札幌ドームで開幕戦を行うということもあって、無理に開幕に合わせたという経緯がある。そして春先は手探り状態が続く中でホークス戦でフリオ・ズレータの暴行に遭い負傷。それ以降精彩を欠くシーズンとなり、八月には不調による二軍落ちも経験した。フラストレーションがたまる要素はいくらでもあったことは想像に難くない。

しかし、しかしである。今がどういう時期か、わかるでしょう?子供じゃないんだから!

ファイターズ球団は今日25日、金村に対して罰金200万円と、プレーオフ終了までの出場停止処分を科した。そして出場選手登録を抹消した。日本シリーズに出場することになった場合の措置はあらためて検討するという。プレーオフが最大7試合あることを考えれば、シーズン9勝を挙げている投手を欠くのは大きな痛手だが、チームの規律を考えれば、当然の制裁措置であろう。

ただ、惜しまれるのはもしも金村の不満が敗戦処理。の推測通り今に始まったことでないのであれば、この土壇場で爆発する前に、何らかの手だてを打てなかったのかということだ。

金村発言の中に「外国人の監督だから」という言葉が出てくる。ヒルマン監督に加え、マイク・ブラウン投手コーチも外国人。たしかに意思の疎通が取りにくいということもあろう。しかし一軍には他に佐藤義則コーチもいるのだから、金村も佐藤コーチを通してヒルマン采配の真意を問うなりのプロセスが可能だったのではないか?

もうひとつは金村が、ファイターズの投手陣の中でリーダー的存在であるということ。ひょっとしたらこの不満が金村個人の不満ではなく、投手陣全般の不満の代弁であるということも懸念されるのである。一般論として野手出身の監督が投手心理というものを理解出来ず、そのせいで軋轢が生じることは少なからずあるという。それに加えてコミュニケーションを取りづらい外国人の首脳陣という要素がプラスされればそれに拍車がかかることは容易に想像出来る。敗戦処理。個人の印象でも、ヒルマン監督の継投には首をかしげる点が少なくない。このところは結果が良となるケースが多いので、巧く投手陣を掌握しているのかなと漠然と思っていたが。

「アマチュアはチームの和が出来て勝つが、プロは勝つことによってチームに和ができる」といった人がいた。たしかにその通りなのだろう。しかし、プロの集団であれば前提としての「和」が必要ないのかというと、そうとは思えない。アマであろうとプロであろうと、コミュニケーションの欠如があれば人間に感情がある以上、それは不平不満と化し、勝負の結果を左右することにつながろう。時代が変わろうと、通すべき筋を通さなければ、人と人の間に軋轢が生じることは変わりはないはずだ。原辰徳監督や担当コーチ、フロントらに事前に一言の報告もなく、球団HPという公の媒体を自分の退団表明の場とした桑田も同じだ。なぜ面と向かって、大事なことを話し合えないのか?

桑田と金村。この二人に共通して感じることは、不満のぶつけ方に、筋が通っていないことだ。桑田にしたって、9月24日のイースタン・リーグに登板予定だということは、何日か前からマスコミ報道で敗戦処理。だって知っていた。ファンに発表する前にコミュニケーションをはかる時間がなかったとは思えない。

それにしても、今朝の日刊スポーツの一面を観て、ジャイアンツ球場の人の入りに驚いた。同紙によると3,495人プラス外にあふれた人が2,000人!敗戦処理。自身、それまでの最多観客動員記録を更新した今年5月3日の対マリーンズ戦(観衆2,906人。翌4日に2,964人にさらに更新される。)を生観戦したが、昨日の試合はあんなものではなかったようだ。

松坂大輔のルーキーイヤーに、まだ四月だったと思うが松坂が予告先発のマリンスタジアムに異例の大観衆が詰めかけた。試合は松坂と投げ合った黒木知宏が1対0で完封勝ち。黒木の凄さもさることながら一歩も譲らなかった松坂に末恐ろしいものを感じたが、それ以上に印象的だったのがヒーローインタビューでの黒木のセリフ。一通りの一問一答が終わり、最後にスタンドのファンの皆さんに一言とマイクを振られた黒木は「明日も来て下さ~い!」と絶叫した。たぶん、昨日のジャイアンツのファームの関係者も同じような思いだったろう。

金村とファイターズの話に戻ろう。この時期、どこの球団にも、もちろんライオンズやホークスにも火種になりそうな不満の持ち主はいるだろう。選手は個々のパフォーマンスを挙げることによってチームの目標に貢献しようとするが、監督はチームの目標に到達するために個々の選手を働かせようとする。そこに終盤戦では選手の思惑と監督の思惑が合致しないケースが出てくる。しかしそれでも目の前の試合に最善を尽くし、勝利をつかみ取るのが真の闘う集団なのだろう。その意味ではファイターズはまだ真に闘う集団になっていないのかもしれない。今までに経験したことがないプレッシャーの中で起きたアクシデントなのかもしれない。

しかしまだあと二試合ある。ファイターズは膿をさらけだしたことで、逆に残り試合に力を爆発させて欲しい。ここまで盛り上がってきたパ・リーグがこれでトーンダウンしてしまうようでは如何にも寂しい。

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2006年9月24日 (日)

西武ドームのネーミングライツ&桑田真澄に関して

敗戦処理。は本blog.で今月10日付でライオンズはこのオフ身売りするのか?と題して、ライオンズ球団がインボイス社と結んでいた本拠地球場と二軍のネーミングライツに関してインボイス社が更新を希望したにもかかわらず拒絶したことから、これは身売りの前兆ではないかと憶測したが、22日付のサンケイスポーツによると、どうやら新しいネーミングライツの契約先との話が進んでいるようだ。ライオンズファンの皆さん、お騒がせしました。

同紙によると、新たにネーミングライツを結ぶ提携先として有力視されているのが、セブン&アイホールディングスで、ドーム球場のネーミングライツ契約を締結する予定とのこと。

01_62 セブン&アイホールディングスといえば、セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズジャパンの三社が株式移転により三社の持株会社として設立された。ライオンズ球団の親会社は、長く西武グループの内、堤義明氏率いる西武鉄道グループの中核、コクド(旧国土計画)だったが、現在は同グループのプリンスホテル。ちなみにライオンズの優勝セールなどを行う西武百貨店、西友は同じ西武グループでも堤義明氏の異母兄にあたる堤清二氏が率いる流通系グループに属しているがライオンズ球団との資本関係はない。かつて西武百貨店、西友はイトーヨーカ堂と凌ぎを削った。また以前はコンビニエンスストアのファミリーマートも西武流通グループに属しており、こちらはセブンイレブンと競合していた。しかし西武流通グループの不振により、西武百貨店、そごうの親会社に当たるミレニアムリテイリングとセブン&アイホールディングスとが経営統合し、巨大総合流通グループになっている。奇しくも今挙げた企業の名が広告という形で既にドーム球場のスコアボードに並んでいる。

要は、沈み行くかつてのライバルを飲み込む形で吸収した「勝ち組」が新たにスポンサーに付くということ。その裏には将来的にドーム球場周辺に巨大スーパー、レストラン、銀行など同グループの主要店舗を結集させ、ドーム球場の集客とともに相乗効果を目指すという壮大な構想があるのだとか。

話半分くらいに聞いた方がよい話なのかもしれませんが、ライオンズファンの皆さん、とりあえず安心して下さい。




そしてもう一つ、23日付の桑田真澄、球団HPで引退表明!? 引退ではなくて、ジャイアンツのユニフォームを脱ぐ決意(覚悟)ということのようですね。

正直、今の桑田真澄を敢えて獲得する球団があるとは、桑田のHPでの表明を読んだ時点では思いつかなかったので。

それと、かつての江川卓、昨年の元木大介と同じく、「巨人軍の選手になる」ということに格別の思い入れのあった選手にとっては「ジャイアンツのユニフォームを脱ぐ」イコール引退と同義語なのかなと思っていました。

特に桑田の場合、今日24日の日刊スポーツでも触れられていましたが、かつて自分が撒いた種で出来た十数億とも報じられた多額の借金を球団の親会社である読売新聞社に救済してもらったという話もある訳です。HPでの発表には今日の最後のユニフォーム姿をファンに観て欲しいための呼びかけというのもわかる。また今日付のスポーツニッポンで指摘されていたように、球団の功労者である選手が二軍から再起を目指しているのに、今後のことについてなしのつぶてであることに対する桑田なりの抵抗だとも読み取れるが、それにしても監督、担当コーチやフロントに一言の報告もなかったとは。

敗戦処理。は昨日付の発言の中で「最大の決意」という表現を用いたが、桑田が「選択」をするとき、またしても人を裏切ったことになる。これから桑田獲得を検討する球団があるならば、その球団に対しては「二度あることは三度ある」という諺を頭に入れておくことを薦めておきたい。

そして、願わくば今挙げた二件が敗戦処理。がセンセーショナル(?)に取り上げた程には大事にはならないですみそうな雲行きなのと同様に、9月14日付発言も、杞憂に終わって欲しいものだ。

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2006年9月23日 (土)

桑田真澄、球団HPで引退表明!?

01_61 ジャイアンツの公式HP内にある桑田真澄Life is Art 18 が本日更新され、今シーズン限りでの現役引退を示唆しています。

明日24日のジャイアンツ球場でのシーレックス戦に先発予定であることは前から報じられていましたが同サイトでの桑田真澄本人の言によると、「明日、ジャイアンツのユニホームでマウンドに立つのは、おそらく最後になるだろう。」とのこと。

(写真は敗戦処理。にとって最後の生桑田観戦になるかもしれない今年8月12日のイースタン・リーグ登板から。)

21年間、ジャイアンツのエースナンバー18を背負った男の最後がジャイアンツ球場ではいくら何でも淋しい。正式に現役引退決定となればおそらくは1010日に組まれた今季の主催試合最終戦、対ドラゴンズ戦あたりでの花道が用意されるだろうが。

とりあえず、今の段階では「21年間、ジャイアンツとジャイアンツファンのために投げ、守り、打ってくれてありがとう。本当にお疲れ様でした。」という有り体なねぎらいの言葉しか浮かばない。

本当にお疲れ様でした。

個人的には昨年で区切りをつけるのではないかと思っていた。

昨年あたりから、ジャイアンツの背番号18はもはや「桑田真澄」ではなかった。

「桑田真澄」でない桑田真澄を観るのはファンとして辛いものもあったが、桑田ほどの選手になれば自分の引き際は自分が納得の行く段階で決断させてあげて良いだろう。

それにしても、引退表明が球団HPとは…。

サッカーの中田英寿選手の時にも感じたが、いくらこのような時代とはいえ、引退表明という、選手としてある意味最大の決意なのだから、本人が姿を表し、本人の肉声で表明してもらいたいものだ。そういう時代になってしまったのですかね。

その意味では敗戦処理。はヒーローインタビューで引退表明したSHINJOの方に、中田選手や桑田より共鳴する。

ひょっとして来年はハンカチ王子と同級生になるの?

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ファイターズ快進撃の影の立役者は最下位チームの監督!

9月の段階でのパ・リーグ首位は1998年以来8年ぶりだとか、東映フライヤーズ時代の年間記録を四十何年ぶりに更新したりして、マジでシーズン勝率一位通過でのプレーオフ進出も夢でないファイターズですが、敗戦処理。としてはその快進撃の影の立役者として、ある最下位チームの監督を挙げたいと思います。

もちろん、対ファイターズ戦3勝17敗と、バファローズとともに大きくこのチームの快進撃に貢献した現在パ・リーグ最下位のゴールデンイーグルスの野村克也監督のことを指しているのではありません。9月21日現在で3257敗2分け、勝率.360で最下位であるばかりか、一つ上の順位のチームに11.5ゲーム差もつけられているイースタン・リーグの最下位、ファイターズの岡本哲司二軍監督のことです。

今シーズンの一軍とは対照的なファイターズのファームの状況については何度もこのブログでふれてきましたが、少し見直さなければならないことに気付きました。

(画面左のカテゴリー「鎌ヶ谷へ愛を込めて」をダブルクリックして下さい。)

今年のファイターズのファームの闘いぶりはひどいものです。しかし、ファームのもう一つの(というか本来の)役割、一軍で貢献出来る選手を一軍に送り込む-この点に関して考えると、かなりの貢献度です。

4月にイースタンのローテーション投手として好投を続けていたのを評価されて一軍に上がったとたんに先発で勝利投手になった橋本義隆を皮切りに、上げた時は疑問符の付いた押本健彦が試合序盤のセットアッパーとして大活躍したり、この土壇場に来て伊藤剛がこれまたセットアッパーとして活躍。昨シーズンまで鎌ヶ谷で岡本監督の元で揉まれていた選手にまで拡張すると武田久、鶴岡慎也、田中賢介、飯山裕志が今では一軍になくてはならない戦力になってきました。

今挙げた選手達が二軍から卒業したからファイターズはイースタン・リーグで勝てないだけの話ではないのか?-こういう疑問が出てくるでしょう。それも確かにあるでしょう。しかしそのような視点でファイターズのファームが弱体化した要因を考えるとすれば、むしろここ一、二年の間での急激な新旧交代の方が弱体化の要因と言えるでしょう。

ファイターズは2003年、2004年と二年連続してイースタン・リーグ優勝を果たしました。しかしその主要メンバーが一軍に巣立ったかというと必ずしもそうではなく、二連覇に貢献したファームの主とも言える西浦克拓、藤島誠剛、林孝哉、渡邊孝男、上田佳範といった選手達を敢えて戦力外とし、急激に新旧交代を図った結果だと思っています。ファイターズのファームは今季は育成に重点を置いた一年という位置づけにならざるを得なかったのかもしれません。

昨年の日本一、アジアチャンピオンから一転してプレーオフ進出争いに敗れたマリーンズはファームが昨年今年とイースタン・リーグV2です。こちらも来季の復活を賭ける一軍に送り込まれそうなフレッシュな若手が多いです。既に今季、初芝清や小坂誠の抜けた枠を、青野毅、根元俊一らが埋める兆しを見せています。

夏場の鎌ヶ谷ではあまりの体たらくに岡本監督の責任問題に触れる常連客もチラホラと見かけました。確かに年がら年中あんな試合を見せつけられていればそう思うのは無理もありません。一軍でローテーションに入っていなければならない江尻慎太郎正田樹はいつも打たれている印象があります。大器と呼ばれて久しい須永英輝、「三年計画」通りであれば今季は一軍で活躍しているはずの尾崎匡哉や一年間不動の四番として使い続けた鵜久森淳志といった期待の若手も試合では期待に応えてくれません。彼らの一軍への巣立ちは来年まで待たねばならないでしょうが、先程挙げたような選手達の一軍での活躍を考えたならば、岡本監督の評価も考え直さなければならないのでしょうね。

残りのイースタン・リーグの日程表と、敗戦処理。のスケジュールを照らし合わせ、もう今年はファームの試合を観戦出来そうもないことに気付き、ボロ負けの試合ばかり観させられた今シーズンを振り返り、にわかに思い立ったことを書き連ねてみました。

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2006年9月17日 (日)

出るか明日の巨人の星!巨人軍新人入団テスト見物記

今日はジャイアンツ球場で行われた新人入団テストを見物してきました。

50人前後でしょうか、明日の巨人の星を目指す若者達が思い思いのユニフォーム姿でジャイアンツ球場の左中間の外野守備位置あたりに朝10時前に集合。この中から明日の巨人の星が誕生するのでしょうか?

ちなみに駒大苫小牧の田中将大投手らしき姿はありませんでした<笑>。

02_15 かつて四国アイランドリーグの立ち上げの時のセレクションで石毛宏典代表は受験者達を前に「野球選手は帽子まで含めて野球選手として闘う姿だ。この場に帽子を着用していないような奴はやる気を疑う」という趣旨の発言をしましたが、テスト開始を前に集合させられて説明を受ける受験者の身なりを観ると、半分弱くらいでしょうか、帽子をかぶっていない受験者が見受けられます。

もちろん、この段階ではおそらくは応募した人は全員受験可能なのでしょうから、冷やかしとまでは言いませんが、プロを目指すレベルに到底達しない受験者が混ざっていても無理はないでしょう。

テストをする側のジャイアンツは一軍、二軍ともデーゲームのためユニフォーム組のコーチ陣の姿はなく、スカウト部のスタッフに打撃投手、ブルペン捕手、選手出身の球団職員らが立ち会いました。V9戦士として活躍した倉田誠さんや末次利光さんらしき姿も見かけました。

01_59 テストは、まず50m走から。5人が1列になって一度に走ります。どうやらポジション別にゼッケンを割り当てているようで、投手、捕手、内野手、外野手の順で走っていたようです。だいたいこの50m走で、本気でプロの野球選手を目指している受験者と、単に記念に受験している受験者の違いがわかります。走り方とスピードで極端な差が出る組がいくつかありました。

ゴールラインにストップウオッチを持った球団職員が四人待機しており、スピードを計測していました。一度に走るのが5人で、計測するのが4人。最下位でゴールする走者は論外と言うことでしょう<苦笑>。

01_60 続いては遠投テスト。1人が2球ずつ投げるのですが、2人1組となり、交互に1球ずつ2回投げます。

ここまでは全受験者がテストを受けます。合格ラインの数値はわかりませんが、ここで一回目の絞り込みを行います。敗戦処理。の眼には遠投ながらフォームが綺麗だったサウスポーの8番が特に印象に残りました。

ここからは二次テストと呼ばれる実技試験。まず投手がブルペンで投球テストを行います。当初は三塁側のビジター用ブルペンを使用する予定だったようですが、スピードガンが作動しないのか、何か不都合が生じたようで、急遽ライトのフェンスの外にあるホーム様ブルペンに変更になりました。

そんな不都合なブルペンをファームの公式戦で相手チームに使用させていて良いのでしょうか<苦笑>?

02_16投手で二次テストに進んだのは敗戦処理。が遠投テストでお気に入りになった8番を含む13名。ライトのブルペンは観客席から離れており観づらかったのですが、2~3人一組で十数球ずつ投げたのでしょう。8番もスリークオーター気味のフォームから投げ込んでいました。投手のテストはこれで終了のようです。(左写真は敗戦処理。注目の8番の投球テスト)

その後野手はそれぞれの守備位置についてシートノックを受けます。守備位置に散らばった様子から捕手2人、二塁手1人、三塁手、遊撃手各2人、外野手7人の計14人の野手が二次テストに進んだ模様です。

16202最初は外野手へのノックから。守備範囲などを調べるものではなく、返球の正確さと迅速さを調べていたようでした。ノッカーがゴロで飛んでくる安打の打球を放ち、捕球した外野手が指定した位置に返球するというものです。最初は二塁や三塁への返球。そしてフライを捕ってh-むへの返球と変わっていきます。この中ではライトの守備位置から三塁のポジションまでレーザービームもどきの返球を繰り返した162番に敗戦処理。は注目しました。(左写真は162番のレーザービーム返球)

内野手はプロの選手が試合前に受けるようなシートノックを各守備位置で受けます。ノッカーが別段捕球の困難な打球を打っているようには見えませんでした。打球に対する足の動きとか、送球までの全体の流れや、スローイングの正確さをテストしていたのでしょうか。

ここで14人いた野手のさらなる絞り込みがなされます。ポジション別の内訳は不明ながら、この後の打撃テストに9人が進むことになりました。敗戦処理。注目の162番は残りました。他にロシア人と思われる受験者を含む3人の外国人が含まれています。ちなみに不合格になった受験者は、その時点でゼッケンを返却し、退場していきます。

打撃テストは試合前の打撃練習のようにバッティングケージに一人ずつ入り、通常のマウンドより多少前から投げる投手の球を打ちます。よみうりランドの方から、桑江知子の「私のハートはストップモーション」、矢野顕子の「春咲小紅」、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」が聞こえてくる中、一人十球くらいだったでしょうか、打ち続けました。偶然でしょうが、全員右打者でした。なお投手を務めたのは元投手の織田淳哉球団職員だと思われます。

162番は途中から変化球を混ぜられてから、快音が聞かれなくなったのが気になりました。最初はストレートで、変化球に切り替わる時には投手から合図が出ていたにもかかわらず。

打撃テストで目立ったのは、ディロンより打ちそうな外国人と、シートノックでは素早いフォームで矢のような二塁送球を繰り返していた151番の捕手。ロシア人と思われる受験者の打球は詰まってばかりでした。

一通り打撃テストが終わった後、もう一度三人の受験者が呼ばれ、再度打撃テストが行われました。前述の151番と、外野手の164番。そして敗戦処理。お気に入りの164番の三人です。

162 一回目の打撃テストで今ひとつに思えた162番は二度目の打撃テストの最後の一球でレフトオーバーの本塁打を放ちました。この時は数十人のスタンドから、大きな拍手が起きました。

162番最後のスイング。打球はライナーでレフトのフェンスを超えていった!

三人の再テストが終わった後、打撃ケージ周辺で最終審査が行われた後、最後に残った9人の前で合格発表。敗戦処理。お気に入りの162番と、164番の二選手が合格したようです。育成選手制度の新設で、テスト受験者にとっては従来よりは門戸が開放されたのかもしれませんね。彼らはおそらくはドラフト会議の対象選手だと思われますので、ドラフトでの指名を経て晴れてジャイアンツの一員となれるのでしょう。

162164 シャッターチャンスを逃してしまいましたが、三塁ベンチの中で、二人だけでしっかりと握手をしたシーンが印象的でした。その後マスコミの取材を受けていたのもこの二選手だけでしたから、投手からの合格者は出なかったものと思います。

ジャイアンツの入団テストは既に大阪で今月の初めに行われていると思いますが、二度のテストから明日の巨人の星が誕生して欲しいものですね。

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2006年9月16日 (土)

「生」観戦した野球場(16)-ナゴヤドーム

01_7 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

16回 ナゴヤドーム 観戦球場ファイル-15

今回はドラゴンズの本拠地、ナゴヤドームを取り上げる。第13回で取り上げた大阪ドーム(現.京セラドーム大阪)とともに1997年から稼働。それまでにドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場から引き継がれたが、ナゴヤ球場といえば狭い球場で本塁打量産球場のイメージがあった。

球場移転に伴いドラゴンズはチームの体質改善に迫られ、アロンゾ・パウエル、大豊泰昭らが淘汰され、移転前年にセ・リーグの本塁打王に輝いた山崎武司も打撃改造を余儀なくされた。同時期に狭い屋外型球場から広いドーム球場に本拠地を移した旧バファローズとどちらが先にドーム球場対応型に変貌するか敗戦処理。も個人的に注目していたが、星野仙一監督率いるドラゴンズはドーム移転三年目の1999年にリーグ優勝を果たし、バファローズはそれから遅れること二年、ドーム移転後五年目の2001年に梨田昌孝監督の元でリーグ優勝を果たした。球場への対応はドラゴンズの方が早かったようだが、さほど体質を変えず、基本的にはいてまえ打線のド迫力を前面に出す野球のままで広いドーム球場を本拠地に持ちながら優勝したバファローズに個人的には「あっぱれ!」を送りたい。

敗戦処理。はナゴヤドームが出来て三年目の四月に初めて生観戦を味わった。チケットの入手が困難とされたドラゴンズ主催試合を避け、ライオンズ対旧ブルーウェーブ戦を前もってチケットを入手した上で東京から名古屋に向かった。この年はライオンズに松坂大輔が入団した年で、敗戦処理。がチケット購入時(シーズン開幕前)に組んだローテーションではこの試合に松坂がプロ入り二度目の登板をするはずで、初めてのナゴヤドーム観戦と松坂vsイチローを生観戦出来れば一挙両得。チケット代も往復の新幹線代も高くないと勝手に目論んだものだった。

ところでこの観戦の時は三塁側のベンチのすぐ上あたりという好位置だったので気付かなかったが、その後いろいろなサイトの情報などによるとナゴヤドームには座ると死角が多くて観戦に不適な席が少なくなく、ファンからの評価が今一つ芳しくないことを知った。

以前にアットニフティのベースボールフォーラムで議論をよく交わしたKさんは「バーチャルナゴヤドーム」と題してナゴヤドームを様々な角度から分析した、大変骨の折れるHPを作成しておられた。「応援団」と称する一部の怪しい団体による不当な座席占拠などの問題にまで言及されていた力作だったが、いつの間にか閉鎖されていたので本人に確認したところ、ドーム側からHPで使用している写真に関する肖像権の問題を指摘されたため、閉鎖せざるを得なかったそうだ。「この辺の席が見づらい」とか、観戦に訪れるファンにはありがたいがドーム側にしてみれば不都合な情報が満載だったことが、一般的にはとりたてて問題視しない、一ファンによるHPへのクレームにつながったのではないかと敗戦処理。は感じたものだった。

ところで第13回で取り上げた大阪ドーム(現.京セラドーム大阪)には深刻な経営不振が取り沙汰されたが、東京に次ぐ大都市の大阪に建てられたドームですらそうなのだから、日本の三大都市に入っていない名古屋市のドームに同じような不安はないのかが気になるところですが、特にそんな話題がマスコミを賑わすこともないので、とりあえず大丈夫なのでしょうね。

初観戦がドラゴンズ戦でなかった敗戦処理。にとってドラゴンズ戦を観ずしてこの球場で観戦したとは言えないのではという後ろめたさがあったが、そうはいってもドラゴンズ対ジャイアンツ戦は超入手困難。なかなか機会を得られなかったが昨年、交流戦が実現しドラゴンズ対ファイターズ戦を日曜日のデーゲームということもあって日帰り観戦に成功した。本当は前日から休みを取って愛知万博見物との一泊二日旅行にしたいところであったが、仕事の関係その他で野球観戦のみの旅行になった。

試合はファイターズがフェルナンド・セギノールやSHINJOの本塁打で6対0とリードするも、DH制がないため不慣れな打席に入った先発投手の江尻慎太郎がファウルを打って手指をしびれさせてしまってその後逆転されるというファイターズファンにとっては最悪な試合展開だったが、旧知の友人であるY氏が現地をいろいろと案内してくれ、またファイターズファンで、高校野球を題材にした長編小説グリーンズの著者である梅田恒さんを紹介して下さったのは僥倖だった。

ナゴヤドームでの観戦は以上二回。次こそはドラゴンズ対ジャイアンツ戦を生観戦したいところ。今季は週末のカードになった際にデーゲーム開催も行われた。来年もあるようならナゴヤドームでのドラゴンズ対ジャイアンツ戦の生観戦を是非とも実現したいところである。

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2006年9月14日 (木)

何故このタイミングで発行?-「魂(ガッツ)のフルスイング」小笠原道大

0103102 先日何気なく入った地元の書店で左打席で構える小笠原道大の姿が視線に入りました。手に取ると小笠原初の?自著、「魂(ガッツ)のフルスイング」(ロングセラーズ刊)でした。

しかし手にした瞬間、敗戦処理。にはイヤな予感が走りました。

何故、このタイミングで出版されたのか?巻末の奥付に発行日が見当たりませんでしたが、先月発売されたようです。

シーズン終了後では遅い理由があるのか?

何事にも疑り深い敗戦処理。にとってはインボイス社の命名権更新をライオンズ球団が断ったというニュースをはるかに上回る衝撃です。

ガッツがこれまでの人生や野球観を語る本なので、購入してじっくりと読みたいところですが、上記の疑念で購入する意欲がわきません。

特に小笠原がファイターズに入団した年に、鳴り物入りで移籍してきた落合博満現ドラゴンズ監督とのことについて触れている第五章は意味深です。

いろいろな報道で、小笠原について書かれていることは知っています。最悪の事態も考えなければならないかもしれません。しかし今は千載一遇のチャンスを手にしているチームの動向を最重視していきたいと思います。

北海道ではSHINJOに対して引退撤回を求める署名運動がなされているそうですが、もう一人、事と次第によっては全力で引き留めなければならない選手がいるでしょうに。

P.S.
他球団のよからぬ憶測について触れた以上、贔屓チームに関する最大の心配事についても、触れない訳にはいかないでしょうということで、敢えて書きました。ファイターズファンの皆様、本当にごめんなさい。

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2006年9月13日 (水)

駒大苫小牧・田中はマリーンズ、鷲宮・増渕はライオンズ、愛工大名電・堂上はタイガースが交渉権獲得!!-ドラフトでくじ運が強いチームは?

ハンカチ王子こと早実の斎藤佑樹投手が11日、記者会見を開き、プロ志望届けを提出せず進学希望であることを表明した。これにより、今月25日に行われる今年の高校生ドラフトでは駒大苫小牧の田中将大投手、鷲宮の増渕竜義投手らに1巡目の指名が集中するものと観られる。ドラフト会議の醍醐味は何といってもくじ引き抽選。敗戦処理。流のデータ集計で、くじ運の強いチーム、弱いチームを分析するとともに、1巡目指名で重複するであろう選手の交渉権を獲得する球団を予想してみました。

くじ運に左右される抽選に強いチーム、弱いチームはどこなのか、第1回のドラフト会議から昨年の分離ドラフトまですべての回を対象に調べてみました。

まず、その計算の仕方ですが、例えばあるチームが競争率2倍の抽選に4回挑戦するとしています。競争率2倍の抽選で当選する確率は50%ですが、これを期待値に換算すると0.5となります。そして競争率2倍の抽選に4回挑戦する訳ですから、期待値の合計は0.5×4=2となります。4回の挑戦で2回当選するというのが、確率上の期待値です。

で、このチームが実際には4回の抽選で3回当選したとします。この結果の3という数値は、確率上の期待値である2を上回ります。上回るということは、多少なりともくじ運が強いということが言えます。

そしてここではこの球団の抽選の強さを、実際に当選した回数から、期待値の数値を引いた数で表します。この球団の場合、3-2=1で抽選の強さは1になります。これをくじ運指数と呼ぶことにします。この球団のくじ運指数は1となります。

ちなみに期待値と同じように、4回の抽選で2回の当選だったチームは2-2=0となります。期待値と同じ結果のチームの数値は0となり、数値が正数であればくじ運が強い。また数値が負の数であればくじ運が弱いということになります。

これを過去のドラフト会議、1965年の第1回から集計します。交渉権確定までのシステムに変遷はありますが、抽選になったケースをすべて対象としています。競争率は2倍の抽選から、最大で8倍の抽選まで実際に行われていますが、球団ごとに倍率ごとのくじ運指数を出し、各倍率ごとのくじ運指数の合計がその球団のくじ運指数となります。

念のために書き加えますが、これはあくまでくじ運の強さを数値化するためのシミュレーションですから、くじ引きによって交渉権を獲得した選手が活躍したか否か、さらにいえば入団したか否かは一切問いません。

十二球団くじ運指数一覧

順位 球団     指数 2倍 3倍 4倍 5倍 6倍 7倍 8倍
1位  YS      2.96  10-9   7-6   1-4   1-1   0-1   0-1   0-2 
2位  G       2.66    6-4   2-4   4-4   0-1   0-0   0-1   0-0
3位  M       1.49    7-8   2-3   2-1   0-1   0-0   0-1   1-1
4位  L        1.13    8-4   1-7   1-2   0-0   1-1   0-0   0-1
5位  YB      1.04    8-5   4-6   0-4   0-0   0-0   0-0   0-1
6位  GE   0.50    1-0   0-0   0-0   0-0   0-0   0-0   0-0
7位  F        0.16    8-5   4-6   0-5   0-1   0-1   0-1   0-2
8位  T      -0.53    6-7   1-5   2-3   0-1   1-1   0-0   0-2
9位  C      -1.19   7-12  6-5   0-2   0-2   0-0   0-0   0-1
10位 H     -1.83    9-11  1-4   2-4   0-1   0-2   0-0   0-1
11位 Bs   -2.18  10-10  0-6   1-2   0-0   0-1   0-1   0-1
12位 D     -2.38   6-7   1-5   0-5   1-0   0-1   0-1   0-1

【参考】
  旧Bu  -1.81   7-11  3-7   0-3   0-0   0-2   1-0   1-1

YS=スワローズ、G=ジャイアンツ、M=マリーンズ、L=ライオンズ YB=ベイスターズ、GE=ゴールデンイーグルス、F=ファイターズ、T=タイガース、C=カープ、H=ホークス、Bs=現在のバファローズ、D=ドラゴンズ、旧Bu=旧バファローズ

倍率ごとの、当選回数-落選回数を表しています。くじ運指数=倍率ごとの、当選回数-(当選回数+落選回数)/倍率 の合計値。

【参考資料】「プロ野球ドラフト全史2003年最新改訂版」ベースボール・マガジン社刊ほか

この結果、最もくじ運が強いチームはスワローズということになりました。

特に1980年代、荒木大輔(1982年1位、2倍)、高野光(1983年1位、4倍)、池山隆寛(1983年2位、3倍)、広沢克己(1984年1位、3倍)、伊東昭光(1985年1位、3倍)を獲得出来たくじ運の強さは当時話題になったものでした。

あまりにくじ運が強すぎて長島一茂(1987年1位、2倍)まで交渉権を獲得してしまったのは痛し痒しでしたが<苦笑>。

スワローズに次ぐくじ運の強さを見せたのがジャイアンツ。

このチームは原辰徳(1980年1位、4倍)、松井秀喜(1992年1位、4倍)とチーム構成の核を為す、ここ一番での勝負強さが特筆されます。

3位はマリーンズ。

何といってもドラフト会議史上二度しかない最大の8倍の競争率を勝ち抜いて小池秀郎を1990年に交渉権を獲得したが、入団を拒否されてしまった。しかし指数が高かったのは他にも2~4倍の競争率に高い確率で勝利しているのが原因。これにより八木沢荘六(1966年1位、3倍)、西村徳文(1981年5位、3倍)、園川一美(1985年2位、4倍)らの交渉権を引き当て、その後の戦力化につなげている。

清原和博(1985年1位、6倍)、松坂大輔(1998年1位、3倍)を果敢に指名して引き当てたライオンズが4位。もっともこのチームはくじ運よりも、故根本陸夫さんがスカウティングをしていた頃の寝業師ぶりでドラフト戦略を勝ち抜いてきたチームという印象が強い。これは根本さんが後に所属したホークスにも当てはまる。ホークスのくじ運指数は10位と低いが、地元九州出身選手を中心とした、くじ運に頼らぬ逆指名、自由獲得枠でのドラフト戦略が現在のパ・リーグでの地位を固める結果につながっているのはいうまでもない。

逆にくじ運が弱いワーストワンはドラゴンズ。森繁和(1978年1位、4倍→ライオンズ)、清原和博(1985年1位、6倍→ライオンズ)、小池秀郎(1990年1位、8倍→オリオンズ)、松井秀喜(1992年1位、4倍→ジャイアンツ)、福留孝介(1995年1位、7倍→旧バファローズ)らに果敢にチャレンジして玉砕したのが響いた形だ。それでも後に福留を逆指名で獲得出来たり、福留を外してあらためて交渉権を得たのが荒木雅博だったりと、転んでもただでは起きないしたたかさを見せている。

高倍率が予想される有力選手を果敢に指名するという点では指数7位のファイターズも捨てがたい。木田勇(1979年1位、3倍)の交渉権を獲得し、難航が予想された入団交渉では「契約金代わりに土地をくれ」と要望され話題になったものの当時の大沢啓二監督や、所属していた日本鋼管の先輩であるエース高橋直樹らを交渉人に投入する粘り強さで口説き落としたのに味を占めたのか(?)、果敢にその年のドラフトの目玉を指名し続けた。

(筆者注.木田勇には当時闘病中の家族がいたため、地元横浜の球団への入団を希望しており、前年には交渉権を得たカープへの入団を拒否していた。)

原辰徳(1980年1位、4倍→ジャイアンツ)
小野和義(1983年1位、3倍→旧バファローズ)
広沢克己(1984年1位、3倍→スワローズ)
清原和博(1985年1位、6倍→ライオンズ)
近藤真一(1986年1位、5倍→ドラゴンズ)
野茂英雄(1989年1位、8倍→旧バファローズ)
小池秀郎(1990年1位、8倍→オリオンズ)
福留孝介(1995年1位、7倍→旧バファローズ)
松坂大輔(1998年1位、3倍→旧ライオンズ)

ファイターズファンとしてはこの勇気を讃えたいが、一方で交渉権を得たところで入団してくれていたか疑問な選手も少なくなく、話題性重視での指名とも思えるものもあり、どこまでこのチームに戦略なるものが存在するのか疑問に思えた年もあった。

ただ小野の外れ1位が白井一幸だったり、広沢の外れ1位が河野博文、清原の外れ1位が広瀬哲朗、近藤の外れ1位が西崎幸広である点を見逃してはなるまい。抽選で外した際の戦略がはっきりしているのがこのチームの特徴。今年の高校生ドラフトでは駒大苫小牧の田中への指名重複は避けられそうもないが、果たしてどうなるか?

そして、斎藤投手の進学表明を受けて、翌12日のスポーツニッポンでは十二球団の1巡目の指名予想を掲載している。

マリーンズ          田中将大 投手 右投右打 駒大苫小牧
ホークス             大嶺祐太 投手 右投左打 八重山商工
ライオンズ           増渕竜義 投手 右投右打 鷲宮
バファローズ         田中将大 投手 右投右打 駒大苫小牧
ファイターズ          田中将大 投手 右投右打 駒大苫小牧
ゴールデンイーグルス 田中将大 投手 右投右打 駒大苫小牧
タイガース           堂上直倫 遊撃手 右投右打 愛工大名電
ドラゴンズ           堂上直倫 遊撃手 右投右打 愛工大名電
ベイスターズ         田中将大 投手 右投右打 駒大苫小牧
スワローズ           増渕竜義 投手 右投右打 鷲宮
ジャイアンツ           田中将大 投手 右投右打 駒大苫小牧
カープ              前田健太 投手 右投右打 PL学園

仮にこの通りだとすると、駒大苫小牧の田中に6球団、鷲宮の増渕と愛工大名電の堂上にそれぞれ各2球団が重複。無抽選で交渉権を得られるのがホークスが狙う八重山商工の大嶺と、カープが狙うPL学園の前田。

上記のくじ運指数から、指名が重複する選手の行方を占うと…、

田中指名の6球団の中ではジャイアンツが最もくじ運指数が高い。(十二球団中2位)。増渕指名のライオンズとスワローズでは、くじ運指数1位のスワローズがくじ運勝ち。堂上指名のタイガースとドラゴンズではタイガースの方がくじ運指数が高い。田中はジャイアンツ、増渕はスワローズ、堂上はタイガースが交渉権を獲得する。これまでの実績通りならこうなるはず。

しかし、別の味方をしてみよう。指名が重複する選手の、倍率ごとの当該球団のくじ運指数で比較した方が、よりリアリティがあるだろう。

まず駒大苫小牧の田中。倍率は6倍となるが、6倍の抽選自体が、過去に岡田彰布、清原和博の二人しか行われていない。今回指名が予想される6球団はこの両選手の交渉権を得ていない。そこで6球団の、倍率6倍以上の実績を調べた。

マリーンズ                0.61
バファローズ           -0.43
ファイターズ             -0.56
ゴールデンイーグルス 0.00 (注.実績無し)
ベイスターズ            -0.13
ジャイアンツ            -0.14

指名予想の6球団の中ではマリーンズが最もくじ運指数が高い。

鷲宮の増渕、愛工大名電の堂上に関しては指名予想の球団の2倍の抽選でのくじ運指数を調べてみた。

増渕
スワローズ           0.50
ライオンズ            2.00

堂上
タイガース          -0.50
ドラゴンズ          -0.50

増渕に関しては2倍ならスワローズよりライオンズの方がくじ運指数が高く、堂上に関しては全く同じ。となると、トータルでくじ運指数が高いタイガースが有利か。

そう考えると、田中はマリーンズ、増渕はライオンズ、堂上はタイガースとなる。

ちなみにジャイアンツは伝統的に高倍率を避ける傾向があり、一部報道では田中から堂上に切り替えるのではと書かれている。堂上にタイガース、ドラゴンズの他にジャイアンツも参戦して3倍になった場合の指数は、

タイガース         -0.67
ドラゴンズ         -1.00
ジャイアンツ        0.00

ジャイアンツが堂上への切り替えを検討しているのも理解出来る。

最後に、確率の分野には大数の法則があると言うことを付け加えておく。くじ運など、実力に左右されない確率というものは、数を重ねれば重ねるほど、確率上の期待値に近い結果が出るという。かみくだいていえば、くじ運指数の確率上の期待値はあくまでプラスマイナス0.ということは、これまでの実績(くじ運指数)が高いチームが、最もくじを当てる期待が高いのではなく、これまでくじ運が低かったチームが、順番としてはくじを当てる期待が高いというのだ。スポニチの指名予想での抽選だと、田中はファイターズ、増渕はスワローズ、堂上はドラゴンズとなる。 ファイターズファンの敗戦処理。としてはこの理論を推したい。

果たしてどうなるか、25日が楽しみですね。

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2006年9月12日 (火)

実るほど頭を垂れる稲葉かな

Photo_8 「実るほど頭を垂れる稲葉かな」-前から一度ふれようと思っていたのですが、ファイターズのプレーオフ進出の立役者の一人、稲葉篤紀が、ファンからのコールに対して頭を下げる時の角度の深さってプロ野球選手の中でひょっとしてナンバーワンじゃないですかね?

本塁打やタイムリーを放って、攻撃が終わって守備に付く時、外野席の応援団を中心に「稲葉コール」が起きますが、常に帽子を取って、応援団に正対して最敬礼。コールする方も、コールのしがいがあるというものですね。

ファイターズ入団の経緯はFA移籍だから、それなりの実績を積んだ一流選手と言える稲葉ですが、今なお、あの腰の低さ。本当に素晴らしいですね。元のことわざの趣旨にぴったりとはまっていますね。

ベンチからダッシュで守備位置まで走る姿もすがすがしいし、スタンドに入るかどうかきわどいファウルフライをぎりぎりまで諦めずに追いかける姿など、常に新鮮な気持ちでプレーしている様に見えて、見ていて楽しいですね。

Photo_9 もちろん、打撃の方も絶好調。敗戦処理。が生観戦した9日のバファローズ戦でも左中間スタンドへの本塁打。その後の打席で右膝付近に死球を受けて無念の退場。戦線離脱かと心配させましたが、翌10日のバファローズ戦も平然と「五番・ライト」の指定席で出場。九回表にはとどめの一発を前の日とほぼ同じ位置に放り込みました。本当に頼りになりますね。

9日のバファローズ戦で萩原淳投手から死球を受けた稲葉。代走を送られ、治療を受けた後、自力で立ち上がりベンチへ下がる。

24年間も優勝から遠ざかっているチームにあって、数少ない日本シリーズ経験者として、残り試合、そしてプレーオフと、がんがん打ちまくって打線を引っ張って欲しいです。

まずは今日と明日のライオンズ戦、クリストファー・ギッセルや松坂大輔を炎上させ、パ・リーグの首位に立とう!!

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2006年9月11日 (月)

球団の歴史やOBを大切にするということ

01_58 9日のバファローズ対ファイターズ戦観戦記の際にもふれたが、このカード9日と10日開催分は「オールドボールゲーム」と称してバファローズ球団のOBによる試合前セレモニーが行われた。また9日のデーゲームの後には、事前に募った野球腕自慢の精鋭達がバファローズOB投手との一打席ガチンコ対決と、この日のデーゲームのスポンサーだったケーブルテレビ会社の視聴地域内の闘いに勝ち抜いた草野球チームとバファローズOB選手によるチームの試合が行われるなど、OBを前面に出したイベントを続出させた。

一打席ガチンコ対決ではかつての旧バファローズドラフト1位、寺前正雄元投手らがマウンドに上がった。最初の打者が打席に入る時にはBGMとして長渕剛の「とんぼ」の前奏が流れるという懲った演出もなされた。バファローズOBチームの監督はロベルト・バルボンで、監督挨拶では懐かしい関西弁が聞かれた。主将が羽田耕一で、クリーンアップは真弓明信、小川博文、梨田昌孝というラインアップでなかなかのものだったが、現在評論家などをしているOBでなく、球団職員を中心に人選したのがミエミエだったためいささか線が細かったのが残念だった。

Photo_11 バファローズOBチームのスタメン。たしかに「バファローズ」のOBが多いようだが。

とはいえ、梨田や真弓は別格としても、元プロ選手の球を打ったり、対戦するというのは一般野球ファンには夢のような出来事。特にガチンコ一打席対決などは敗戦処理。も打席に立ちたかった…。

ところで球団の歴史やOBを大切にするということは、こうした一時的なイベントを時々行うのみでなく、日常的にファンが球団の歴史、歩みに触れられるようにしておかなければならないものと敗戦処理。は考えている。たしかにバファローズ球団の場合、合併球団という特殊な事情から難しい点もあろう。そもそもこの球団の場合、本当に二つの球団の歴史を受け継いでいく覚悟であるならば、これは既に語り尽くされたことではあるが少なくとも背番号1番は永久欠番にすべきであると思うし、7番と17番もあわせて永久欠番として讃えるべきであろう。

そういうことをせずに「バファローズ」という名称を残せば吸収する側のファンの気持ちを汲んでいるとか、野茂英雄の日本プロ野球における保有権を持ち続けるということは甚だしい矛盾であるといわざるを得ない。

この日のOB野球にしても、梨田氏が「背番号8」の合併球団のユニフォームを着てプレーしたことに落胆したファンも少なくないのではないか。

それでもチームの歴史、伝統をファンにも伝えていこうという動きは球団ごとに温度差はあるものの、形のあるものとして行われている。敗戦処理。は今年になってからマリーンズミュージアム、西武ライオンズのあゆみコーナー、南海ホークスメモリアルギャラリーを見物した。

01_54 9日の観戦後、大阪ドーム前千代崎駅から市営地下鉄長堀鶴見緑地線と千日前線を乗り継いでなんば駅に出て、なんばパークスの7階にある南海ホークスメモリアルギャラリーを訪ねた。残念ながら移転準備中で展示スペースが縮小されていて、来月上旬には展示そのものも休止してしまうとのことだが、かつて大阪球場があった場所に南海ホークスをしのぶギャラリーが存在することに意義があるのだから、マイナーチェンジといえども大阪時代のホークスファンの拠り所として存在し続けて欲しいものだ。

ところでこの南海ホークスメモリアルギャラリーに野村克也氏に関する展示、表記が一切無いことはファンの間で既に有名になっている。
さすが、鶴岡御大に反旗を翻すとこの球団では…というのは大いなる誤解で、真相は野村氏サイドが難色を示したとのこと。難しいお人ですなぁ。

01_55 南海ホークスのギャラリーに野村克也に関する展示がないこととは別の意味で違和感が大きいのが、本拠地であるドーム球場の裏にある西武ライオンズのあゆみコーナーに江夏豊の写真が飾られていること<苦笑>。

そもそもこのコーナー自体、ドーム球場を訪れるファンに十分に浸透しているとは言い難い感じなのが残念である。敗戦処理。が観戦で訪れた際に入場前に立ち寄っても盛況だった試しがない。PRが不足しているのではないか。

たしかに江夏は現役生活最後の一年、ライオンズに在籍していたがとてもチームに貢献したとは言い難く、移籍当初から水と油だとは思っていたが広岡達朗監督らと対立。江夏自身にとっても晩節を汚す形になっていたからだ。

ちなみに西武ライオンズのあゆみコーナーには、野村克也のプレーしている写真が飾られている。

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ただ、これまた既に語り尽くされていることだが、このコーナーのタイトルが「西武ライオンズの…」とうたわれているように、あくまで「西武」になってからの歴史のみを振り返っている。西鉄ライオンズ、太平洋クラブ、クラウンライターといった時代のことには当然ながら触れられていない。かつての西鉄ライオンズの衰退が、単なる成績不振による低迷ではなく、黒い霧事件というあってはならない不祥事に絡んで多数の有力選手が抜けるという事態に由来していることを知った堤義明オーナー(当時)が新球団から旧西鉄色を一掃させようとしたのがその発端だと言われている。

しかし、たとえ経営母体が代わろうとも、歴史を大切にするということは、輝かしい栄光の時だけでなく、そのような暗い、再び繰り返してはならないような出来事とも向き合うことだという視点が欠けていたのは残念でならない。

ところでその黒い霧事件で永久失格処分を受けていた池永正明さんが昨年復権してホークス球団の主催試合で始球式を行ったが、マウンドに登った池永さんは帽子こそ「福岡ソフトバンクホークス」のものをかぶっていたが、ユニフォーム姿ではなく、スーツの上着を脱いだ姿だった。「西鉄ライオンズ」のユニフォーム姿で登場すればオールドファンは涙を流して喜んだだろうが、そのチームは今や存在せず、系譜として残っているチームは始球式に声をかけてくれたチームのライバルである訳だから池永さんも気が引けたのではないか。

池永さんがプロ野球の行われている試合のマウンドに再び姿を現したことに感慨深かったオールドファンの中には池永さんの姿を見て複雑な心境になった人も少なくなかったのではないか?

Dscf0011 その意味では、球団史を「毎日新聞社が『日本野球連盟』に加入を申し込む」というところからスタートさせている、マリーンズミュージアムは実に素晴らしい。「近鉄」の消滅でパ・リーグでは「ロッテ」が最も古い親会社になったのだが、ロッテオリオンズ以降に限定してもそれなりの史料館が出来るだろうにもかかわらず、毎日オリオンズの時代からきちんと踏まえ、多数の資料を展示している。

今年オープンしたばかりのこのミュージアムは、本拠地マリンスタジアムの脇にあり、こちらは西武ライオンズのあゆみコーナーと違ってわかりやすい。去年強かったからファンになった人達や、応援が楽しいから何となくファンになってしまった人達も気軽に足を踏み入れ、この球団の波乱に富んだ歴史を是非学んで欲しいものだ。

01_57 敗戦処理。が一番インパクトを受けたのは、1980年と1981年の日本シリーズの幻のチケット。この両年、当時のパ・リーグは二シーズン制を採用しており、いずれも当時のオリオンズは前期優勝を果たしたがプレーオフで敗退して日本シリーズ出場を逃しているのだが、プレーオフを制して日本シリーズ出場を果たした場合に備えて準備しておいた幻の日本シリーズチケット-しかも座席番号まで刷られている。

これを観て「落合博満が高橋一三から放った大飛球が川崎球場特有の高い網の最上部に当たらずにスタンドに届いていたら…」とか、「水谷則博がバント処理で転ばなければ…」とあらためて25年前の決戦を想い出すファンも少なくないことだろう。

例によってとりとめもなく話が拡がってしまったが、球団が球団の歴史やOBを大切にするということは、日本のプロ野球が単に流行り廃りに左右される類のものではなく、公共の文化であるということを内外にアピールするとともに、偉大な先人達に報いるという点で大切なことである。その意味では自称「球界の盟主」にこれらに相当する施設が無いのが残念でならない。東京ドームの外野の柱に永久欠番のユニフォームを模したものを掲げているだけで事足れりと思っているとは思えないが。

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2006年9月10日 (日)

ライオンズはこのオフ身売りするのか?

Dscf0001 インボイスが命名権断念…西武の球場名が変更へ

プロ野球西武の本拠地(西武ドーム=埼玉県所沢市)と、2軍の命名権(ネーミングライツ)を持つインボイス(木村育生社長)が8日、来年以降の契約更新を断念したことが分かった。

同社関係者が「更新を申し入れていたが、契約満了でできないということだった。長期契約を視野に態勢を整えてきただけに残念」と話した。

西武ドームを経営する西武鉄道は同日、「その件に関しては、まだお答えできない」と語った。

情報通信サービス業のインボイスは、昨季開幕前に命名権を獲得。球場との2年契約は今季で切れ、2軍との3年契約は1年を残し、契約解除される見込み。

(2006年9月8日19時43分  スポーツ報知)

この記事を読んでいやな予感がするのは敗戦処理。だけでしょうか?

命名権(ネーミングライツ) を買った側のインボイスが更新を見送るというのならまだしも、インボイスは更新を希望しているというのに、本拠地球場の命名権に関しては今季で契約が切れることを理由に更新を拒否され、二軍のチーム名へのネーミングライツに至っては契約をあと一年残しているにもかかわらず、こちらも解除される見込みとは。

仮にインボイス以外にもっと球団にとって都合の良い条件でネーミングライツを得ようとしている企業があるにしても、信義則にもとる行為だと思うし。

球団側に来年以降の契約を結べないのっぴきならない事情があると疑ってかかってしまうのは敗戦処理。の考え過ぎなのだろうか?

他にもう一つ、球団側がインボイスとの契約更新を拒絶する可能性が考えられるが、いくら個人のブログとはいえ根拠もなく書く訳にもいかないし。

そういえば最近、週刊誌レベルの話ではあるが、ゴールデンイーグルスの三木谷浩史オーナーに関しても、よからぬ憶測が飛び交っている。

このオフ、また日本経済新聞のスクープに始まって野球ファンが騒然となるような事態が起きなければ良いのだが。

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大阪にもイルカが登場!!-ファイターズは停まらない

9月9日、敗戦処理。は京セラドーム大阪まで出張し、バファローズ対ファイターズ戦を生観戦してきました。

ファイターズファンの間で話題のイルカが、敵地京セラドーム大阪にも出現しましたよ。

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敗戦処理。は三塁側のベンチの上の方にあたるビューシートで観戦していたのですが、そのはるか前方、最前列にイルカが三頭。どうやら多摩市から出張の敗戦処理。も顔負けな北海道からの観戦ツアーらしき中高年?の女性集団もいましたが、そのグループかどうか、とにかく三塁ベンチのすぐ上に二頭。そして少しホームベース寄りに離れたところにもう一頭の計三頭を発見。敗戦処理。の周囲の観客にも気付いた方が多く、結構話題になっていました。

もちろんこのイルカは、我らが主砲小笠原道大が小笠原姓にちなんで東京・小笠原村の観光親善大使を務めていることから、村周辺の海を泳ぐ名物のイルカ型風船が企画されたそうです。

肝心の小笠原道大の方は、初回から爆発する打線にやや乗り遅れ、四回表の第三打席ではキャッチャーフライと思われた打球がドーム天井の溝?にはさまる幸運に救われたかと思いきや次の球をショートライナー。スタートを切っていた一塁ランナーが戻れず併殺を喫するなどよいところがありませんでしたが、六回表の第四打席でセンター前安打を放ち、面目を保ちました。

試合の方は、このイルカ風船とともに本拠地札幌ドームでは広まりつつあるというバナナ風船で応援されるフェルナンド・セギノールが大爆発。初回にはサウスポーの中山慎也から右打席でレフトスタンドに一発。二回表には代わったばかりの萩原淳から左打席で右中間スタンドにライナーで叩き込み、松永浩美と並ぶ日本タイ記録になる通算6回目の一試合左右両打席本塁打を放つなど4安打6打点の大暴れ。最後の打席に三塁打が出ればサイクルヒットというほどでした。

セギノールが二本目の本塁打を放った直後、稲葉篤紀も連続本塁打。萩原はかわりばな二者連続でいきなり本塁打を浴びますが、先発中山の予想外の早い降板で、その後も続投します。

01_53その二巡後の六回表、萩原は本塁打を打たれたセギノールと稲葉に連続死球。セギノールは大したことなさそうでしたが、稲葉は右膝でしょうか、打席付近にうずくまり、立ち上がったものの一塁まで行けず代走と交代。長引かなければいいですが…。

そしてその裏、ファイターズの先発ダルビッシュ有が、予想通り先頭の塩崎真に死球!

つい最近二十歳になったばかりの若僧にぶつけられた三十三歳の塩崎。バットを持ったままダルビッシュをにらみつけますが怒りをこらえて一塁に歩きます。

敗戦処理。は以前にダルビッシュに対して「生意気道を邁進してもらいたい」と書いたが、

もうすぐ二十歳-ダルビッシュは生意気?

続くカリーム・ガルシアと谷佳知に二人続けてカウントをノースリーにしてしまうなど、明らかに動揺していた。意外に純粋なのかもしれない<苦笑>。

七回表に田中賢介とセギノールのタイムリーで10対1としてからは完全にお祭り状態。金子誠の代打で登場した田中幸雄は三塁の守備につくは、先日約二年半ぶりの一軍復帰を果たした北海道移転元年のストッパー伊藤剛が復帰登板を果たした。

02_13 約二年半ぶりの一軍マウンドに登り、ブラウン投手コーチからボールを受け取る伊藤。

伊藤は2004年開幕直後に、リタイヤした建山義紀に代わるストッパーに指名されあれよあれよという間に5セーブを挙げたが、右ひじを痛めリタイヤ。ファームには復帰したものの本来の球威が戻らずイースタンでも抑えたり打たれたりの繰り返しだった。今日は球威でなく制球を重視したかのような投球で、大差がついていたこともあってか1イニングを三者凡退に仕留めた。

試合は最終回に建山が1点を失ったが、10対2でファイターズの圧勝で終わった。ちなみにこの日はパ・リーグ三強はそれぞれ別個に対戦。三強が揃って勝ち、ライオンズとホークスはプレーオフ出場を確定させた。ファイターズももうすぐだ。

02_14なお、この試合と今日10日の二日間は「オールドボールゲーム」と題してバファローズ球団のOBが試合前に登場して簡単なセレモニーを行った。敗戦処理。が観戦した9日は加藤英司氏が登場して始球式もどきを行った。旧ブレーブスの主軸打者にしてその後旧バファローズでもプレーしていたし、上田利治監督の元でファイターズでコーチを務めたこともある。両球団、いや三球団のファンに配慮した絶妙な人選と言えよう。ちなみに10日は栗橋茂氏が登場予定だとか。

そして皮肉にも、試合の主役はこれまた旧ブルーウェーブOBであるセギノールの大活躍でバファローズはいいところなしだった。

詳しい観戦記はコチラ。岡島、久、MICHEAL温存で大きな1勝【9/9対Bs戦生観戦記】

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2006年9月 1日 (金)

「生」観戦した野球場(15)-袖ヶ浦市営球場

01_48 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

15回 袖ヶ浦市営球場 観戦球場ファイル-45

これまでこのコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を生観戦した経験を持つ球場を初観戦した順に書いていった。だが先月の26日に、敗戦処理。にとっては45個目の観戦球場となった袖ヶ浦市営球場での観戦を果たしたので、今回は同球場について書いてみる。

千葉県袖ヶ浦市にある袖ヶ浦市営球場。両翼が98mで、中堅は122m。6基の照明灯があり、外野は天然芝で内野は土という、典型的な地方球場。ファイターズのファームが、毎年夏の週末に一試合ナイトゲームを開催している。敗戦処理。も以前から年に一度あるこの球場での観戦機会を狙っていたが、仕事が急に入ったりで実現しなかったが、2006年8月26日。ようやく生観戦が実現した。

「プロ野球 イースタン・リーグ観戦ガイド2006」(イースタン・リーグ発行)の巻末にあるイースタン・リーグ公式戦開催球場一覧によると、「内房線袖ヶ浦駅より徒歩約15分」とある。袖ヶ浦という場所に全く土地勘の無い敗戦処理。は一応このガイドブック記載の略地図のコピーを持って出かけた。

「JR内房線:袖ヶ浦駅」-東京都多摩市に住む敗戦処理。にとっては鎌ヶ谷よりも、千葉マリンスタジアムよりも遠い先にあるという感覚だ。何しろJR総武線の千葉駅で乗り換え、そこから約30分強という距離なのだ。

無人駅とまでは言わないが、トイレが男女の区別無く、改札を出るとタクシー乗り場とバス停のあるロータリーこそあるものの、頻繁にバスが出入りしているとは思えなかった。そもそも年に一度きりとはいえ、もはや定期戦ともいえるイースタン・リーグ公式戦を告知するものが何もない。持参した球場までの略地図を取り出したが、文字通り簡略すぎてわからない。だいたいの方角は何となく想像付いたので、その方向に歩き出した。遠くの方にローソンの看板が見えたので、そこで地図を確認しよう。迷ったらもう一度駅前に戻ってタクシーを待とうとも考え、歩き始めた。LAWSON袖ヶ浦駅前店に入ると、この日のファイターズ対ジャイアンツ戦の告知ポスターを見つけた。そこで弁当、ドリンク類を購入し、レジの店員さんに市営球場までの行き方を教わった。

01_49 試合の告知ポスター(筆者注.この写真は球場で撮影したものです。)

店員さんのアドバイス通りに道を進むと、薄暗い林道に入った。ここを抜けると市営球場にたどり着くそうだが、地元の小学校や民家はあるものの、とてもそのような施設があるようには思えない。しかも予定より早い到着で、まだ試合開始まで2時間以上あり、球場に向かう人の流れが無いのだ。それでも信じて歩いていくと、ローソンで道を聞いてから約15分、ようやくカクテル光線が見えてきた。

球場周辺には焼き鳥、焼きそばなどの食べ物の出店や両球団のグッズ売場が賑やかに並んでいる。当日券売場に向かうと、地方開催の二軍戦には珍しく、指定席という区分があった。個別の椅子席で区切られており、ネット裏と一、三塁のベンチサイドで、それ以外は長椅子の内野自由席と、外野の芝生席に別れている。指定席が1枚1,500円、内野自由席が1,000円、外野席は500円という価格設定だ。敗戦処理。はネット裏の指定席を購入した。

ネット裏から俯瞰でグラウンドを見ると、レフトスタンドの後方がすぐに団地、一軒家となっていた。この日はジャイアンツが三塁側でトランペットの応援部隊がレフトスタンドに陣取っていたが、近隣対策は万全だったのか、気になるところだ。

ちなみにファイターズ応援団、鎌ヶ谷常連ご一行は一塁側ライト寄りの芝生席に陣取って鎌ヶ谷スタイルでの応援を続けていた。ただ鎌ヶ谷と同じ千葉県内とはいえ、球場全体では8:2か9:1くらいの比率でジャイアンツファンの方が多いように感じられた。

ナイトゲームが始まると、さすがに神宮球場や横浜スタジアムでのナイトゲームよりはやや暗い感じがした。そのせいかどうか知らないが、ファイターズの捕手駒居鉄平は二度も高く上がる飛球を見失っていた。ファームの選手の場合、ナイトゲーム経験自体が少ないと言うこともあるようだが。

試合は0対0の投手戦で、帰りが心配な敗戦処理。にとっては好都合な早い展開だったが、なかなか点が入らないので逆に延長戦突入の心配をしなければならなくなった<苦笑>。結局七回表にジャイアンツが1点を先制し、そのまま1対0で逃げ切ったので心配は杞憂に終わった。試合終了後、行きよりもさらに暗くなった道を来た時と逆に一目散に歩き、ほぼ30分に1本しかない千葉、東京方面行きの内房線の21:07発に辛うじて間に合った。これもひとえに完封した木佐貫洋のお陰だ。

地域密着を謳い、鎌ヶ谷に根付いているファイターズが同県内の別の市で定期戦を持っているのにはそれなりの理由、戦略があるのだろうが、ビジターチームに圧倒的に人気があるようでは痛し痒し。それに、カビーをもう少し定着させたい<笑>。

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