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2006年9月11日 (月)

球団の歴史やOBを大切にするということ

01_58 9日のバファローズ対ファイターズ戦観戦記の際にもふれたが、このカード9日と10日開催分は「オールドボールゲーム」と称してバファローズ球団のOBによる試合前セレモニーが行われた。また9日のデーゲームの後には、事前に募った野球腕自慢の精鋭達がバファローズOB投手との一打席ガチンコ対決と、この日のデーゲームのスポンサーだったケーブルテレビ会社の視聴地域内の闘いに勝ち抜いた草野球チームとバファローズOB選手によるチームの試合が行われるなど、OBを前面に出したイベントを続出させた。

一打席ガチンコ対決ではかつての旧バファローズドラフト1位、寺前正雄元投手らがマウンドに上がった。最初の打者が打席に入る時にはBGMとして長渕剛の「とんぼ」の前奏が流れるという懲った演出もなされた。バファローズOBチームの監督はロベルト・バルボンで、監督挨拶では懐かしい関西弁が聞かれた。主将が羽田耕一で、クリーンアップは真弓明信、小川博文、梨田昌孝というラインアップでなかなかのものだったが、現在評論家などをしているOBでなく、球団職員を中心に人選したのがミエミエだったためいささか線が細かったのが残念だった。

Photo_11 バファローズOBチームのスタメン。たしかに「バファローズ」のOBが多いようだが。

とはいえ、梨田や真弓は別格としても、元プロ選手の球を打ったり、対戦するというのは一般野球ファンには夢のような出来事。特にガチンコ一打席対決などは敗戦処理。も打席に立ちたかった…。

ところで球団の歴史やOBを大切にするということは、こうした一時的なイベントを時々行うのみでなく、日常的にファンが球団の歴史、歩みに触れられるようにしておかなければならないものと敗戦処理。は考えている。たしかにバファローズ球団の場合、合併球団という特殊な事情から難しい点もあろう。そもそもこの球団の場合、本当に二つの球団の歴史を受け継いでいく覚悟であるならば、これは既に語り尽くされたことではあるが少なくとも背番号1番は永久欠番にすべきであると思うし、7番と17番もあわせて永久欠番として讃えるべきであろう。

そういうことをせずに「バファローズ」という名称を残せば吸収する側のファンの気持ちを汲んでいるとか、野茂英雄の日本プロ野球における保有権を持ち続けるということは甚だしい矛盾であるといわざるを得ない。

この日のOB野球にしても、梨田氏が「背番号8」の合併球団のユニフォームを着てプレーしたことに落胆したファンも少なくないのではないか。

それでもチームの歴史、伝統をファンにも伝えていこうという動きは球団ごとに温度差はあるものの、形のあるものとして行われている。敗戦処理。は今年になってからマリーンズミュージアム、西武ライオンズのあゆみコーナー、南海ホークスメモリアルギャラリーを見物した。

01_54 9日の観戦後、大阪ドーム前千代崎駅から市営地下鉄長堀鶴見緑地線と千日前線を乗り継いでなんば駅に出て、なんばパークスの7階にある南海ホークスメモリアルギャラリーを訪ねた。残念ながら移転準備中で展示スペースが縮小されていて、来月上旬には展示そのものも休止してしまうとのことだが、かつて大阪球場があった場所に南海ホークスをしのぶギャラリーが存在することに意義があるのだから、マイナーチェンジといえども大阪時代のホークスファンの拠り所として存在し続けて欲しいものだ。

ところでこの南海ホークスメモリアルギャラリーに野村克也氏に関する展示、表記が一切無いことはファンの間で既に有名になっている。
さすが、鶴岡御大に反旗を翻すとこの球団では…というのは大いなる誤解で、真相は野村氏サイドが難色を示したとのこと。難しいお人ですなぁ。

01_55 南海ホークスのギャラリーに野村克也に関する展示がないこととは別の意味で違和感が大きいのが、本拠地であるドーム球場の裏にある西武ライオンズのあゆみコーナーに江夏豊の写真が飾られていること<苦笑>。

そもそもこのコーナー自体、ドーム球場を訪れるファンに十分に浸透しているとは言い難い感じなのが残念である。敗戦処理。が観戦で訪れた際に入場前に立ち寄っても盛況だった試しがない。PRが不足しているのではないか。

たしかに江夏は現役生活最後の一年、ライオンズに在籍していたがとてもチームに貢献したとは言い難く、移籍当初から水と油だとは思っていたが広岡達朗監督らと対立。江夏自身にとっても晩節を汚す形になっていたからだ。

ちなみに西武ライオンズのあゆみコーナーには、野村克也のプレーしている写真が飾られている。

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ただ、これまた既に語り尽くされていることだが、このコーナーのタイトルが「西武ライオンズの…」とうたわれているように、あくまで「西武」になってからの歴史のみを振り返っている。西鉄ライオンズ、太平洋クラブ、クラウンライターといった時代のことには当然ながら触れられていない。かつての西鉄ライオンズの衰退が、単なる成績不振による低迷ではなく、黒い霧事件というあってはならない不祥事に絡んで多数の有力選手が抜けるという事態に由来していることを知った堤義明オーナー(当時)が新球団から旧西鉄色を一掃させようとしたのがその発端だと言われている。

しかし、たとえ経営母体が代わろうとも、歴史を大切にするということは、輝かしい栄光の時だけでなく、そのような暗い、再び繰り返してはならないような出来事とも向き合うことだという視点が欠けていたのは残念でならない。

ところでその黒い霧事件で永久失格処分を受けていた池永正明さんが昨年復権してホークス球団の主催試合で始球式を行ったが、マウンドに登った池永さんは帽子こそ「福岡ソフトバンクホークス」のものをかぶっていたが、ユニフォーム姿ではなく、スーツの上着を脱いだ姿だった。「西鉄ライオンズ」のユニフォーム姿で登場すればオールドファンは涙を流して喜んだだろうが、そのチームは今や存在せず、系譜として残っているチームは始球式に声をかけてくれたチームのライバルである訳だから池永さんも気が引けたのではないか。

池永さんがプロ野球の行われている試合のマウンドに再び姿を現したことに感慨深かったオールドファンの中には池永さんの姿を見て複雑な心境になった人も少なくなかったのではないか?

Dscf0011 その意味では、球団史を「毎日新聞社が『日本野球連盟』に加入を申し込む」というところからスタートさせている、マリーンズミュージアムは実に素晴らしい。「近鉄」の消滅でパ・リーグでは「ロッテ」が最も古い親会社になったのだが、ロッテオリオンズ以降に限定してもそれなりの史料館が出来るだろうにもかかわらず、毎日オリオンズの時代からきちんと踏まえ、多数の資料を展示している。

今年オープンしたばかりのこのミュージアムは、本拠地マリンスタジアムの脇にあり、こちらは西武ライオンズのあゆみコーナーと違ってわかりやすい。去年強かったからファンになった人達や、応援が楽しいから何となくファンになってしまった人達も気軽に足を踏み入れ、この球団の波乱に富んだ歴史を是非学んで欲しいものだ。

01_57 敗戦処理。が一番インパクトを受けたのは、1980年と1981年の日本シリーズの幻のチケット。この両年、当時のパ・リーグは二シーズン制を採用しており、いずれも当時のオリオンズは前期優勝を果たしたがプレーオフで敗退して日本シリーズ出場を逃しているのだが、プレーオフを制して日本シリーズ出場を果たした場合に備えて準備しておいた幻の日本シリーズチケット-しかも座席番号まで刷られている。

これを観て「落合博満が高橋一三から放った大飛球が川崎球場特有の高い網の最上部に当たらずにスタンドに届いていたら…」とか、「水谷則博がバント処理で転ばなければ…」とあらためて25年前の決戦を想い出すファンも少なくないことだろう。

例によってとりとめもなく話が拡がってしまったが、球団が球団の歴史やOBを大切にするということは、日本のプロ野球が単に流行り廃りに左右される類のものではなく、公共の文化であるということを内外にアピールするとともに、偉大な先人達に報いるという点で大切なことである。その意味では自称「球界の盟主」にこれらに相当する施設が無いのが残念でならない。東京ドームの外野の柱に永久欠番のユニフォームを模したものを掲げているだけで事足れりと思っているとは思えないが。

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