「生」観戦した野球場(17)-札幌円山球場
いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。
このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。
第17回 札幌円山球場 観戦球場ファイル-16-
今回は札幌ドームが出来るまで北海道で最大の野球場として広く活用されてきた札幌円山球場を取り上げる。
札幌ドームの開場が2001年6月。それまでは北海道の野球場といえば、東京在住の敗戦処理。にとっては札幌円山球場であった。
年に一度、たいがいは7月上旬に組まれたジャイアンツの札幌シリーズ。ジャイアンツの関本四十四の高木守道へのタッチプレーが元でトラブルが起こり、新宅洋志が関本に跳び蹴りを食らわした試合とか、ジャイアンツの投手陣が制球を乱し四球の記録を作った試合とか、当時若手だった中畑清がこのシリーズにめっぽう強かったとか、吉村禎章と栄村忠広の激突とか、1996年メークドラマ発祥の地として印象に強く残っている。
またこの球場とは直接関係ないが、ジャイアンツが札幌シリーズで遠征する度に当時の王貞治選手が山手養護学校を訪れることが報じられていたことも記憶にとどまっている。王が助監督、監督と立場が変わっても札幌シリーズの際の訪問は続き、監督を退任してジャイアンツのユニフォームを脱いでからは愛弟子の吉村らに引き継がれた。
敗戦処理。がこの球場を訪れたのは、2000年7月8日のライオンズ主催によるホークス戦。札幌円山球場でプロの試合が行われるのはこの年限りになるかもしれないということが囁かれており、観戦を決めた。
日程上、この年の最後の円山球場でのカードは7月30日のファイターズ主催によるマリーンズ戦であった。実際この試合にはパ・リーグ六球団の応援団が結集し、球場への感謝を表していた。本来ならその試合を観戦したかったが、スケジュールが合わないため、前述のライオンズ対ホークス戦の観戦となった。
試合は敗戦処理。の近くの席から見守った元タレントの奥さんの前で満塁本塁打を放った松井稼頭央の活躍でライオンズが快勝。松坂大輔をリリーフで登板させる東尾修監督の粋な計らいで札幌のファンを満足させていた。
なお昨年、2005年7月に開場70周年を迎えるにあたり、5年ぶりにプロ野球公式戦が開催された。交流戦のファイターズ主催試合で北海道留萌市出身の若松勉監督率いるスワローズ戦が5月28日に行われたのだ。
最後に知っている人は知っていると思うが、札幌円山球場にナイトゲームの設備がないのは、寒い札幌で夜間に野球をやる需要が少ないからではなく、すぐそばに市立の丸山動物園があり、照明が明るすぎると動物たちの睡眠に支障を来すからである。
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