おめでとう北海道日本ハムファイターズ、移転三年目にパ・リーグの頂点に!
何かまだ、夢見心地です。
ヒルマン監督ではないですが、
「シンジラレナーイ!?」
というのが四時間くらい経った今でも同じ気持ちです。
今年の夏のことでした。ジャイアンツファンの悪友の、心ない一言から始まりました。
「いいよなぁ、パ・リーグは。二位や三位でも優勝出来る可能性があるのだから…。」
敗戦処理。はその一言で目を醒ましました。それまでは敗戦処理。としても、ファイターズが上位三強(ライオンズ、ホークス、マリーンズ)のどれか一つを引きずり落とし、Aクラスに入り、隙を見て二位になって二年前は実現出来なかった札幌ドームでのプレーオフを実現出来ればと思っていたのですが、まさか、シーズンを1位で通過出来るとは。
プレーオフに関しても、過去二年は三位のチームは二年前のファイターズがシーズン貯金1、昨年のライオンズに至ってはシーズン勝率が五割を切った、つまり負け越したのである。それが今年は、マリーンズがAクラス進出争いから脱落した頃を境に三強三弱がはっきりとし、ファイターズ、ライオンズ、ホークスの三球団はどこが日本シリーズに出てもパ・リーグの代表として恥ずかしくない成績であった。そして、第一ステージの三試合、第二ステージの二試合、どれも鮮烈に記憶に残る好ゲームであった。
SHINJOの言葉を借りれば、
「これからはパ・リーグです」
と、今度こそ胸を張って言えるシーズンだったと思う。
それにしても、ファイターズ。
今年3月25日の開幕戦のベンチ入りメンバー25人の中に、ファイターズが札幌に移転してからファイターズに入団した選手は9人しかいなかったのですが、今日のプレーオフ第二ステージ第二戦にはベンチ入り人数のほぼ半数の12人(一軍登録ベースだと27人中14人)が、北海道に移転した2004年から今年までの間にファイターズに加わった選手なのだ。
本当に「北海道」日本ハムファイターズになりましたね。
それでいて年に十試合近くの東京ドーム主催試合で帰京(帰郷)し、なおかつファームは鎌ヶ谷にとどまっている。合併球団のファンの人が「ウチのダブルフランチャイズはうまく機能していない。日ハムの札幌ドームと東京ドームの方がよほどダブルフランチャイズだ」と言っていましたが、これは在京ファイターズファンにとっては最良の誉め言葉だと思っています。
今年開幕時のメンバー表を観ると、投手で年間二桁勝利を経験したことがあるのが金村曉ただひとりだったのだ。これでどうやって年間の星勘定が出来ようものか<笑>?
OBの岩本勉氏の分析によると、トレイ・ヒルマン監督がヒルマン流をかなぐり捨て、日本に通じる日本流に鞍替えしたのは昨年の交流戦でセ・リーグのチームに歯が立たなかったのを機に、自分流を捨て、チームとしても一体感を増したという。
敗戦処理。は十二球団の中にもう一つ贔屓球団を持っているので、本当のことを言うと、25年ぶりの祝杯ではない。しかし個人的に、今回の優勝が最も感慨深いのである。
それはファイターズという球団を応援している中で、単に試合の勝敗を追いかけるというのではなくて、いつの間にかファームにまで夢中になっていたので、何人かの選手の今日、この瞬間に至るまでの過程、苦しい時期、鎌ヶ谷できついヤジに晒されながら、泥にまみれてきた課程をこの目で見ているからだろう。東京ドームだろうが札幌ドームを本拠地にしようが、やっぱりこのチームの原点は鎌ヶ谷である。ファイターズタウンなのである。
などと、今日は堅苦しい理屈、分析は抜きで、誰が何といおうと25年ぶりの栄光を一晩中、ずっとずっと、噛みしめていたいのだ。本当に長かった。でも嬉しい。本当にありがとう。ありがとう、
最後になりましたが、今日、ファイターズに最後の最後まで立ちはだかった斉藤和巳投手に、一プロ野球ファンとして最大級の賛辞を贈りたいと思います。
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