« 戦力外通告の季節がやってきた -そして鎌ヶ谷で最後の姿を観たのは… | トップページ | 安倍晋三新首相が再チャレンジ支援策を掲げる時代なのに…。-戦力外通告はお早めに »

2006年10月 4日 (水)

岡本哲司二軍監督退任-いつかファイターズ版長嶋茂雄となる日が来る!?

選手の戦力外通告に関する書き込みをしたら、今度はファイターズの二軍監督、岡本哲司監督が退任するというニュースが入ってきた。敗戦処理。が鎌ヶ谷に頻繁に足を運ぶようになったのは岡本体制になった2003年からである。それまでの白井一幸二軍監督時代も観戦経験はあるが、頻度が違う。その意味では敗戦処理。にとっては「ファイターズの二軍=岡本ファイターズ」なのである。四年間の労に報いる意味で、あらためて振り返ってみたい。

岡本監督は2002年のシーズン後にファイターズの一軍の監督が大島康徳前監督から今のトレイ・ヒルマン監督に代わったのに伴い、それまで二軍監督だった白井一幸二軍監督がヘッドコーチに抜擢され、その後任として二軍バッテリーコーチから内部昇格した。

就任して2003年、2004年と二年連続してイースタン・リーグ優勝を果たしたものの、翌2005年は44勝51敗1分けで7球団中5位と低迷。そして今年は36勝57敗3分け、勝率.387で6位から9.5ゲーム差も離される最下位に終わった。二年連続の低迷ということで、その責任を取らされたとも思われるが、そんなありきたりな退任に一括りにされるような監督ではないことを説いていきたい。

2003年、2004年の優勝時には一軍経験豊富な中堅選手達が主軸となり、いわば貫禄勝ちをしてきた印象があった。西浦克拓、藤島誠剛、林孝哉、上田佳範、石本努、関根裕之、高橋憲幸…、たまに一軍に上がっては落ちてくる彼ら中堅どころが二軍では貫禄で他球団を圧倒する。そんな感じであった。もちろんその中でも須永英輝が開花しかけたり、鎌倉健、小谷野栄一、小田智之といった若手を一軍に送り込むという成果も見せた。しかし2004年終了後、その年のリーグ優勝に貢献したクリーンアップ、藤島、林、渡邊孝男の三選手を一斉に解雇するなど急激に世代交代を図り始めた。

昨年は高校卒ルーキーの鵜久森淳志を早々と抜擢。同じ高校卒ルーキーの市川卓も辛抱強くスタメンで起用し続け、さらに社会人出身の工藤隆人も外野の一角を担い、岡本監督就任の年に入団した鶴岡慎也駒居鉄平に代わってマスクを被るようになり、同じくその2003年のドラフト1巡目入団の尾崎匡哉も「三年計画」と銘打って金子誠が二軍に落ちてこようとエリック・アルモンテが二軍に落ちてこようと遊撃手に固定した。とにかく若い選手を試合に出して勉強させるという方向転換に出た。

そして今季、鵜久森は完全に「四番」に固定。高校生ドラフト1巡目で獲得した陽仲壽をポジションこそ三塁と遊撃のかけ持ちとなったが一番打者としてフル出場させ、シーズン途中からはスイッチヒッターにも転向させた。また投手で入団した糸井嘉男を外野手に転向させ、シュアーな左打ちで来季には一軍に挑戦出来そうな域に達している。外野の守備もまだまだ危なっかしいがだいぶ板についてきた。6巡目で創価大から入団した高口隆行も地味ながら二塁に定着した。投手陣で須永、鎌倉、正田j樹らに伸び悩みが顕著なのが残念だが、金森敬之、菊地和正らが来年には一軍昇格の声がかかるだろう。とにかく育成優先の布陣になったため、勝率を争うイースタンの順位では下位に低迷するのはやむを得まい。(それを割り引いても、もうちょっと勝って欲しいというのはあったが…。)

そして何よりも、二軍監督の役割は一軍で貢献出来る選手を育成して送り込むことである。今季のファイターズ投手陣の継投を支えたパ・リーグ最多ホールドの武田久は、やはり岡本監督就任の2003年入団で、一軍と二軍を何度か往復する間、岡本監督の指導を受けた。中継ぎ陣では押本健彦、伊藤剛も鎌ヶ谷育ち。そして前述の鶴岡慎也は鎌ヶ谷で捕手出身の岡本監督に三年間鍛えられ、今季は一軍でスタメンマスクを任されるまでに大成長。一、二番コンビの森本稀哲、田中賢介はともに何度も何度も一軍と鎌ヶ谷を往復した身。代打の切り札小田と、守備で欠くことの出来ない存在となった飯山裕志も鎌ヶ谷で泥にまみれた身。そしてまだ一軍では目覚ましい活躍こそしていないが稲田直人紺田敏正もシーズン終了まで一軍にとどまった。これほどにタイムリーに一軍に戦力を送り込んだ実績を考えれば、ここ二年間のリーグ戦の低迷など吹っ飛んでしまうのではないか。

ファイターズ球団は岡本監督にフロント入りを要請しているとのことだが監督本人は返答していないとのこと。ハワイ・ウインターリーグに派遣している菊地、尾崎、鵜久森の飛躍が期待される2007年を見届けたかったのかもしれない。その意味では志半ばでの退任と言うことになってしまうのかもしれない。

ところで敗戦処理。は偶然にも岡本監督最後の采配となった先月30日の鎌ヶ谷最終戦を生観戦した。今季の大低迷がウソのような快勝だった。

【30日・鎌ヶ谷スタジアム】
I  002 000 000 =2
F 020 000 30× =5
I)田沢、田中、●藤原、東-野田、炭谷
F)須永、○江尻、清水、S金森-今成
本塁打)渡部3号3ラン(藤原・7回)

詳しい観戦記はコチラ。
粛々と最終戦【9/30ファーム最終戦観戦記

今季低迷のA級戦犯(?)とも言える須永が先発で好投、同じく江尻慎太郎が勝利投手で北海道出身の渡部龍一が決勝本塁打。勝負の神様のプレゼントだったのかもしれない。

岡本監督は、鎌ヶ谷の地元ファン達のシーズンの打ち上げの酒席にも顔を出す程の好人物。またシーズン開幕直前の鎌ヶ谷交流会では声をかけるファン一人一人に本当に丁寧な応対をする几帳面な方である。冒頭に記した通り、敗戦処理。にとっては「ファイターズの二軍=岡本ファイターズ」なのであるから、出来うる限り長くこのチームを率いて欲しかったし、一人でも多くの選手を北海道に送り込んで欲しかった。現時点で後任は未定とのことだが、岡本監督無きファイターズの二軍というものが想像つかないほどだ。そういう意味ではせめてフロントに残って、教え子達を陰から見守る存在になって欲しい。

岡本監督の四年間を敗戦処理。なりに振り返って、ある人物の姿がオーバーラップしてきた。

1980年にやはり志半ばにしてジャイアンツの指揮官の座を解かれた長嶋茂雄である。

当時の長嶋監督はV9時代の戦士達との世代交代の狭間で、江川卓、西本聖、定岡正二、山倉和博、中畑清、篠塚利夫、松本匡史といった若手達を何とか一本立ちさせたいと鍛えやっと目途が立ってきた1980年のシーズン終了後、解任された。翌年、藤田元司監督の元、長嶋さんが鍛えた若手達は本物になり、ジャイアンツは再び栄光の座をつかむ。いみじくもその時、ジャイアンツと日本シリーズで対戦したのはファイターズである。

岡本監督も、いつか長嶋さんがそう言われたように「岡本監督が鍛えた選手達のお陰で勝っている」というようにファイターズファンの間でカリスマ化される日が来るのではないか。もちろん、今季、プレーオフで、そしてその先の栄冠をつかめば岡本監督の貢献度も認められるだろう。岡本監督がこのまま退任しても、ファイターズ版長嶋茂雄となる日はそう遠くあるまい。

本当にお疲れ様でした。

|

« 戦力外通告の季節がやってきた -そして鎌ヶ谷で最後の姿を観たのは… | トップページ | 安倍晋三新首相が再チャレンジ支援策を掲げる時代なのに…。-戦力外通告はお早めに »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/38724/3682190

この記事へのトラックバック一覧です: 岡本哲司二軍監督退任-いつかファイターズ版長嶋茂雄となる日が来る!?:

« 戦力外通告の季節がやってきた -そして鎌ヶ谷で最後の姿を観たのは… | トップページ | 安倍晋三新首相が再チャレンジ支援策を掲げる時代なのに…。-戦力外通告はお早めに »