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2006年12月24日 (日)

本当にこれでいいの?-来季ポストシーズンゲームにアドバンテージなし!

21日に行われた12球団代表会議で来季から導入されるポストシーズンゲーム(クライマックス・シリーズ)では両リーグともレギュラーシーズン優勝チームへのアドバンテージを導入しない方針を決めた。パの数球団はパ・リーグが今季のプレーオフで導入した、シーズン1位チームに無条件で1勝を付与する方式を提案したがセ・リーグのチームを中心にアドバンテージ無用論が多く、アドバンテージ無しという決定に至った。そして興行権は第1、第2ステージとも上位球団がすべて持つことになった。交流戦の試合数削減に続き、またもパ側が折れた形になったが、この制度を三年間活用したパ・リーグ側の意見をもっと採用しても良かったのではないか?

来季から両リーグで導入されるクライマックス・シリーズの原型はパ・リーグで最近三年間採用しているプレーオフ制度。セ・リーグとの人気、露出格差に悩むパ・リーグが少しでもリーグを盛り上げようと(そしてホークスの一人勝ち体質を何とかしようと)考えた上での案だとも言われているが、長丁場のレギュラーシーズンを勝ち抜いたチームへの配慮をどうするか、などファンの間でもいろいろと意見が分かれる、矛盾した制度であることは周知の事実。当初はセ・リーグ側もパ・リーグ独自の予告先発制度や「マンデーパ・リーグ」などパ・リーグ独自の不人気打開策と軽く考えていたようだが、セ・リーグで優勝チームが決まり、消化試合で緊張感が薄れる時期に短期決戦の緊張感ある試合を一方のリーグで行っているのは日本シリーズに向けての調整面も含め、セ・リーグにとっては不都合な制度であることにようやく気づいたのかもしれない。現実にこの三年間、日本シリーズはすべてパ・リーグ優勝チームが制している。

そこでセ・リーグとしてはこの矛盾した制度を超える、新たな優勝決定方式を考え出すのかと思いきや、パ・リーグで定着したプレーオフ制度をそのまんまセ・リーグでも採用することにした。これは画期的なことである。おそらくセ・リーグ側としては前述した予告先発や「マンデーパ・リーグ」などパ・リーグが次々と採用する新方式を単なる悪あがきと高をくくっていたのではないか。かつての二シーズン制は十年で頓挫したし、「マンデーパ・リーグ」も今年から廃止された。このプレーオフ制度にしてもどうせ…、というのはあったろう。

ところが交流戦の導入により人気チーム相手の主催試合の一部をパ・リーグに明け渡す形になってセ・リーグ各球団は興行収入で打撃を受けた。交流戦に関しては来季から試合数を削減し、一部を取り返すことに成功したが、頼みのジャイアンツ戦でもかつてのような巨額の放映権収入は見込めない。それではどうやって興行収入を増やすかと考えたのだが斬新なアイディアは浮かばなかったようでパ・リーグと同じプレーオフを採用するしかなかったようだ。セ・リーグがパ・リーグのアイディアに追従する。これは画期的と言って差し支えなかろう。

この結果セ・リーグも、パ・リーグと同様に長丁場のレギュラーシーズンを勝ち抜いたチームへの配慮をどうするかという矛盾に突き当たることになった。パ・リーグではプレーオフ導入に際して当初、レギュラーシーズン1位チームが2位チームまたは第2ステージ進出チームに対してレギュラーシーズンで5ゲーム差以上をつけていれば第2ステージで1勝のアドバンテージを与えるという形で配慮したが最初二年間、レギュラーシーズン1位のホークスが2位に5ゲーム差をつけることが出来ず、しかも二年連続で敗退したため今シーズンはレギュラーシーズン1位チームに無条件で1勝のアドバンテージを付与する形に改められた。

アドバンテージの内容にはいろいろな案があるかもしれないが、アドバンテージを設定することに関してはファン心理としても反対派は少ないのではないだろうか。特に今シーズンのパ・リーグにおいて「レギュラーシーズン1位チームに無条件でアドバンテージ1勝」というのは上位争いをしているチームにとっては魅力だったに違いない。レギュラーシーズンで最後の最後までファイターズとライオンズとホークスが激しい1位争いを繰り広げたのも、このアドバンテージがモチベーションを高めていたという背景があったことは容易に想像できる。

ところがセ・リーグ所属チームを中心にした今回の多数派は、このアドバンテージ採用を否定した。報道によるとその主な理由の一つは、アドバンテージによって1勝が与えられることによる試合数の減少。つまり今年のパ・リーグプレーオフ第二ステージのように二試合で終わってしまってはもったいないということだ。あっさりと終わっては不都合というのなら昨年のホークスのように最終回に4点差を挽回して延長でひっくり返せば良いだけの話で<>それをアドバンテージ無用論の拠り所にしているのは発想が貧弱と言わざるを得ない。

プレーオフ制度がクライマックスシリーズと名を変えようと、試合制度が同じでアドバンテージの有無が異なるだけなら、来季のクライマックスシリーズは単なる三球団のトーナメントに過ぎないのである。

そしてここまで読んで下さった方はもうお気付き、あるいは思い出して下さっているかもしれませんが来季のセ・リーグおよびパ・リーグの優勝チームはあくまでも各リーグのレギュラーシーズン1位のチームを認定するのであって、クライマックスシリーズは日本シリーズというイベントへの出場権を得るための登竜門に過ぎず、その日本シリーズもその先のアジアシリーズの出場チームを決める選考大会に過ぎないのである。

多数案に妥協した少数派のパ・リーグ球団も含め、ポストシーズンゲームを盛り上げて野球人気をもう一度盛り返そうという意図だというのは充分に理解できる。春夏の高校野球が盛り上がるのはトーナメントという試合方式が影響しているのは間違いないし、厳密にはトーナメントではないがオリンピックや今春のWBCのような短期決戦にも同様の緊迫感が得られるから、プロ野球でも最後にトーナメントに近い形でのクライマックスを迎えるイベントを取り込もうという発想も理解できないことはない。しかし、長年にわたってプロ野球ファンに親しまれて定着してきた日本シリーズという行事の尊厳を軽視し、あるいは形骸化することは絶対に避けるべきであると敗戦処理。は思う。今シーズンまでのパ・リーグのプレーオフにもその要素がない訳ではないが、アドバンテージの採用で辛うじて日本シリーズの尊厳を損ねずに済んでいると敗戦処理。は考えている。

敗戦処理。が長く応援し続けているファイターズが今シーズン、熾烈な上位争いで最後にライオンズやホークスを上回って24年ぶりにレギュラーシーズン1位となり、プレーオフも勝ち抜いて25年ぶりのリーグ優勝を果たした。そして日本シリーズでセ・リーグ優勝チームのドラゴンズを破って44年ぶりに日本一に輝いた。さらに二代目のアジアチャンピオンの座も勝ち取った。近い将来、2006年のシーズンを振り返った時に、ファイターズファンとして「2006年に優勝しておいてよかった。もう一年遅れていたら…」なんていう感慨にふけるような事態にはなってほしくないものである。しかし現状では来年のことなど全く想像できないが、従来通りの方式の今シーズン優勝できて本当に良かったと思う。

SHINJO、ガッツ、そしてみんな、本当に今年優勝してくれてありがとう。

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2006年12月22日 (金)

アジア枠新設より先に外国人助っ人のゴネ得移籍し放題を何とか規制すべきではないのか?

NPBでは来季から従来の外国人枠とは別にアジア出身選手を別枠にするアジア枠の導入を目指しているそうで、過去に反対された台湾や韓国に説得行脚に出向く準備もしているという。旗振り役はジャイアンツの清武英利球団代表。まさか自球団のイ・スンヨプや姜建銘を別枠にしてさらに外国人助っ人を補強しようと言う算段ではないだろうが、敗戦処理。は後述するがアジア枠にはどうも賛成出来ない。そしてそれよりも先に、近年目立ってきた外国人選手が契約更改時に球団と金銭面で折り合わず、より条件がよい球団への移籍を好きなようにさせ放題にしている現状に規制を加える方が先ではないか?と考えている。

まずアジア枠に関してだが、現時点でNPBが導入しようとしている具体的な案を把握出来ていないのだが、敗戦処理。としては日本プロ野球界として韓国や台湾のプロ野球から有力選手を獲得することにあまり賛成でないのである。何故ならばそれは日本のプロ野球から有力選手が次々とアメリカ大リーグにわたり、日本プロ野球界の空洞化が懸念されているのと同じ現象を韓国や台湾のプロ野球リーグに起こさせるおそれがあるからで、アジア枠以前の問題なのである。このオフもドラゴンズが韓国プロ野球で首位打者1回、最多安打4回の実績を残している「韓国のイチロー」こと李鐘範、じゃなかった李炳圭(イ・ビョンギュ)を獲得したり、マリーンズが台湾球界から今年のアジアシリーズにも出場したLa New ベアーズの左のエース、呉偲佑(ウ・スヨ)を獲得しているようだが、外国人助っ人が必要ならばアメリカ大リーグやそのマイナー、あるいは独立リーグから探してくればよいだけで、日本と比べると後発である韓国や台湾で育った選手を獲得するのは日本プロ野球がアジアという地域の中で一人勝ちするには好都合だが、アジアにおけるプロ野球リーグの発展という前提で考えると、甚だ疑問である。ましてやFAやポスティングで日本の有力選手がアメリカ大リ-グに流出する分をアジア圏の選手で少しでも埋めようと考えているなら方向転換をして欲しい。アメリカ球界にやられたことを、後発の韓国や台湾にやり返すのは筋違い。やり返すならアメリカ大リーグでしょう。それに韓国や台湾プロ野球の有力選手を日本に引き抜いておいて、アジアシリーズで日本シリーズ優勝チームが勝ち続けても何も意味がないし。

野球というスポーツは残念ながらグローバル化しているとは言い切れない。1992年のバルセロナ五輪で初めて野球が公式種目となってからの4度の大会で、最も高いレベルのプロリーグであるアメリカ大リーグの選手は一度も出場していない。今年初めて国別対抗の世界選手権と言えるワールド・ベースボール・クラシックが開催されたが既に書いた通りアメリカの、アメリカによる、アメリカのための大会であっただけで真の国際大会と呼べるようになるには課題を残していることは明らかだ。さらにそのアメリカ大リーグは日本プロ野球界のフリーエージェント制度など無関係に成立するポスティングシステムによって日本の選手を獲得出来ることになっている。こうしたいびつなアメリカ主導型の体質を変えて行くにはアジアの野球界が力を付けていくしかないのであるが、現状日本プロ野球界が導入を目指しているアジア枠は、どうもアジア野球界全体の発展に結びついていくとは考えにくい。今現在日本プロ野球界に所属しているアジア出身選手にお引き取り願えとまでは言わないが、今後の獲得は慎重を期して欲しい。そして金に物を言わせてフリーエージェント取得前の選手を獲得出来るポスティングシステムは一日も早く廃止し、アメリカ大リーグの球団が日本人選手を欲しければフリーエージェント取得を待ってもらえば良いだけである。もちろん獲得の際は補償金を置いていってもらう。ポスティングでの費用よりは安くすむだろうから、大リーグ側にとっても悪い話ではないはずだ。

そして、敗戦処理。に言わせれば日本プロ野球界として外国人選手に関して最優先で対策を講じなければならないのが昨今見られがちな、所属球団と契約でこじれた外国人選手がよりよい条件の他球団に移籍し放題という現象だ。

このオフも11月末に各球団が提出する契約保留選手(次年度の選手契約締結を前提とする選手)に載せたくても載せられない-この段階で契約がまとまらずに便宜上自由契約になっているのがフリオ・ズレータ、リック・ガトームソン、フェルナンド・セギノール、ライアン・グリンらで、スワローズとこじれたガトームソンは既にホークス入りが決まっている。そして今日(21)のニュースではゴールデンイーグルスとこじれたグリンをファイターズが獲得した。

日本の球団は外国人選手と契約を結ぶ際に単年契約だろうと複数年契約だろうと契約終了時にはあらためて新規に契約を結ぶような形を取り、そこでこじれたら自由契約選手となって、フリーにどの球団とも交渉出来、その結果資金力に余裕のある球団に良い外国人選手が集まるというのが近年のありがちなパターン。最も顕著なのがジャイアンツで、自前で探してきて活躍した外国人選手はバルビーノ・ガルベスを最後で、それ以降はスカばかり。その後ライオンズから戦力外通告を受けたドミンゴ・マルティネスや、タイガースで監督批判をして退団した形のダレル・メイが活躍すると味を占め、ロベルト・ペタジーニ、タフィ・ローズ、ジェルミー・パウエル、李承燁(イ・スンヨプ)といった面々を前所属球団との契約のもつれに乗じて獲得している。

そしてその真逆がカープで、近年アンディ・シーツ、グレッグ・ラロッカ、トム・デイビーが流出している。

日本人選手ならFA権を取得するまで不可能な、よりよい条件の球団に移るという行為が外国人選手には容易に可能になってしまう制度はおかしい。だいぶ骨抜きになったとはいえドラフト制度で戦力の均衡を考え、国内球団間でのFA移籍には人的補償か金銭補償が伴い見返りを必要にしているように、協約で一定限度戦力の偏りを防ぐ措置を講じている中で何故に外国人選手を野放しにしているのか。

仮にFA権を持たない日本人選手が自分の意思で移籍をするには、所属球団から自由契約にしてもらわなければならない。あるいは球団からトレードされた形にしてもらうしかない。球団がどうしても認めたくなければ、最終的にはその選手は任意引退選手となり、元の所属球団の同意無しで元の所属球団以外に入団することが出来なくなる。外国人選手にもそうは出来ないのか?

現実には任意引退選手として公示される選手というのは現役を引退してその球団のコーチになるとか、スタッフとして球団に残るケースが大半である。強制的に任意引退選手にすることに無理があるのであるにしても、何らかの形で制約を加えるべきと言うのが敗戦処理。の考えである。ただ、残念ながら具体的にこういう規制を設ければ良いという案を考えるところまでには至っていないが。

もはやジャイアンツなどは確信犯的にこの方法での外国人選手獲得に力を入れているとしか思えない。何でも一律に、公平にという考え方には反対することの多い敗戦処理。であるが、あまりにも多い外国人選手の日本球団間移籍には警鐘を鳴らしたい。そして蛇足ながらジャイアンツに対してはせっかくスワローズで敏腕を発揮した中島国章氏を引き抜いたのだから、これからは真っ当な調査による外国人獲得で、かつてのウオーレン・クロマティのような優良助っ人を探してきて欲しいものだ。

野球のグローバル化のためにはアメリカ大リーグに好き放題させていては限界がある。日本を筆頭にアジア勢がアメリカのライバル勢力になって発言権を増すことが重要である。そしてその一方で助っ人外国人選手に移籍をさせ放題にしている現状に歯止めをかける。日本の野球界が問題視しなければならない最優先事項はこれであり、アジア枠などは不要、百歩譲って二の次、三の次に取り組めばよいことではないだろうか。

【おことわり】台湾プロ野球の選手名表記の一部は日本の漢字で類似した文字を代用しています。

たしかに外国人選手の場合、一軍では外国人枠があるから、球団の恣意的な事情によって出場できなくなるおそれもあるからある程度移籍の融通をきかせてあげたいというのもあろう。そもそも助っ人であり、ある球団の構想から外れたら、別の球団に働き場所を求めるのは当然だという考え方も成り立つ。しかしそんな正論が吹っ飛ぶくらい現状は勝ち組外国人選手の思うがままという状況であると敗戦処理。には思えるので何らかの対策をと言いたいのだ。

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2006年12月16日 (土)

「生」観戦した野球場(22)-ナゴヤ球場

01_80 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第22回 ナゴヤ球場 観戦球場ファイル-21-

ナゴヤドームが出来るまでのドラゴンズの本拠地。ナゴヤドームが出来てからはドラゴンズのファームがウエスタン・リーグの主催試合に使用している。敗戦処理。がナゴヤ球場に観戦に訪れたのもファーム専用球場となってからの2001年。

2001年3月。ファームの試合では珍しいウエスタンに所属するドラゴンズとイースタンに所属するジャイアンツの対戦がナゴヤ球場で組まれた。春季教育リーグの一環だ。敗戦処理。は名古屋市在住の友人とともにナゴヤ球場に向かった。

しかし、敗戦処理。を乗せた新幹線が名古屋に到着した頃から雨が強くなり中止。しかたなく友人の案内で州崎球場跡地や野球とは関係のないイベントをしているナゴヤドームを訪れた後帰京した。

諦めきれない敗戦処理。は同じ年の5月12日に再びナゴヤ球場を訪れた。今度はウエスタン・リーグのドラゴンズ対サーパス神戸戦を観戦に。前回の教訓から梅雨に入る前の土、日の試合開催日を選び天気予報も注視しながらこの日を選んだ。

ジャイアンツとドラゴンズが幾度と無く死闘を繰り広げたナゴヤ球場はもはや外野席は開放せず、内野スタンドも老朽化は否めない。この日はこの年にドラゴンズがFAで獲得した川崎憲次郎が開幕前に痛めたヒジの故障後初の実戦登板と言うこともあって開門前に長蛇の列が出来たほどで、

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川崎がその後ヒジを再び痛め、超長期戦列離脱をしてしまったことを考えると、本当に貴重な観戦機会となった。 「ドラゴンズの川崎を生で観た!」は当時結構自慢できるネタになった<笑>。

一軍でのオープン戦以来の登板となった川崎。この時は超長期離脱するとは誰も予想し得なかった?

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外野のスコアボードの上のバカでかい白球にレフトスタンド後方を走る新幹線と、まさにナゴヤ球場を満喫。そして試合の方で川崎登板以上にインパクトがあったのがドラゴンズ二番手の当時高校卒ルーキーだった中里篤史。川崎がFA補強なら中里はドラフト1位ルーキー。この顔ぶれならば開門前に長蛇の列が出来るのも頷ける。

それにしても、中里の球の速かったこと!

今となっては、一軍本拠地だった頃のナゴヤ球場に足を運ばなかったことが本当に悔やまれる。今から十年前、本拠地をナゴヤドームにバトンタッチしたナゴヤ球場の惜別イベントとしてドラゴンズとジャイアンツのOB戦が組まれた。もしも再びこの類のイベントが行われるとしたら、敗戦処理。は名古屋へと飛ぶだろう。しかし球団創立70周年に当たる今年に特に開かれなかったことを考えると、その時は本当にナゴヤ球場にサヨナラを告げなければならない時かもしれない。古き(狭き)良き時代の野球場が消えていくのはもうご免だが。

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2006年12月13日 (水)

格下寺原とトレード!-横浜は多村を使いこなせないのか?

01_84 ベイスターズの多村仁とホークスの寺原隼人の1対1の交換トレードが発表されて約1週間になるが、多村と寺原とでは不釣り合いな感じが否めないことからこのトレードについて様々な憶測が飛んでいる。最も一般的なのは多村が故障が多く、なおかつ自分の身体を大事にしすぎるタイプで、多少の無理をおして出場している他のナインとの軋轢があるからベイスターズの首脳陣が放出したがっていたという説。しかし今シーズンはともかく、多少のお休み期間があっても3割、30本塁打をマークする三拍子揃った選手を放出することが本当にベイスターズにとって得策なのか?トレード推進論者の敗戦処理。としては、実力はありながら何らかの理由で首脳陣が巧く使いこなせない選手がいないとトレードが盛んにならないため、トレード自体は大歓迎だが(だから金村曉を出してでもファイターズには獲得に走って欲しかった!)、チームとして本当のところどうなのか?

それまでもそこそこ試合に出ていた多村が頭角を現したのは2003年で、定位置を確保して臨んだ2004年に123試合に出場して3割、40本塁打、100打点といきなり大ブレーク。翌2005年も3割、30本塁打をマーク。今年のWBCでは日本代表に選ばれ、外野の一角とクリーンアップにがっちりと固定され、世界一に大きく貢献した。しかし今シーズンは肋骨の骨折などの故障、体調不良などでたった39試合の出場にとどまった。多村の最近三年間の成績を表示しておこう。

多村仁の最近三年間の成績

2004 123試合 40本塁打 100打点 打率.305 13

2005 117試合 31本塁打 79打点 打率.304 13

2006年 39試合  8本塁打 20打点 打率.276

通算     586試合 111本塁打 296打点 打率.284

今シーズンの故障だけなら、来季に復活を期す多村に球団も暖かくサポートしただろうが自己最高の123試合に出場した2004年にぎっくり腰による登録抹消期間があり、昨年はインフルエンザで開幕出場を逃したかと思えば、6月には自動車事故での欠場もあった。まだまだ数え上げたらきりがないので、暇な人はこちらを参照して欲しい。スペランカー多村仁 よく 「○○のデパート」とか「○○の総合商社」というたとえがあるが、ここまで凄いとどんな表現が当てはまるのだろうか。

しかし、しかしである。冒頭でも書いたが、今シーズンは論外にしても、過去二シーズンはそれでも「3割・30本塁打」をマークしているのだ。今シーズンの成績(というか、欠場歴)をもとに来シーズンも…と考えるのかもしれないが、今シーズン多村はWBCに出場しており、WBCに出場した選手の中には多村に限らず、昨年と比べて大きく成績が低迷した選手が少なくない。そう考えれば多村はWBC燃え尽き症候群に過ぎないのかもしれない。ベイスターズは多村再生に賭けるのも一つの手ではなかったのか?

大矢明彦新監督を迎え、最下位脱出はもちろん二年ぶりのAクラスに返り咲いてプレーオフ進出を果たすために、門倉健のFA移籍を見込んで先発投手を補充したいというのが最大の理由と考えられるが、そうであるならば、失礼ながら寺原以上の投手を差し出す球団が他にあったのではないか?ベイスターズのフロントのコメントとして「彼を一番理解してくれるであろう王監督の下へ送り出したかった」と言うのがあったが、多村のことを考えてあげるのは立派だが他によりよいトレード相手の選択は本当に良かったのか?

敗戦処理。の友人のベイスターズファンの一人は「首を切るなら、他に働いていないベテランの野手が何人かいるが、彼らじゃトレードが成り立たない。多村にしても、良くてせいぜい三位のチームでは、無理をせず、コンディションの良い時だけを選んで出場して好成績を残す方を選ぶだろう。でもそうやっていたら今年は本当にシャレにならない故障に見舞われた。強いチームに行って優勝争いのさなかにいれば、夢中で出場するだろうけれど、今までが今までだから肝心なところで故障してソフトバンクのファンをガッカリさせるのではないか」と言っていた。

敗戦処理。も多村には来シーズン、ベイスターズファンをあっと言わせるような活躍を期待したい。なおトレード成立を題材にした発言であるにもかかわらず、交換相手の寺原に関してほとんど言及していないが、今回のトレードが初めに多村放出ありきで成立したのは明らかなので、その交換相手が誰でどのくらい期待出来るかに関しては枝葉末節なので特に触れるつもりはない。敗戦処理。はトレード推進論者だから、自身の贔屓チームでエースと言われる金村や生え抜きのスターである高橋由伸のトレード案を惜しげもなく披露するが、今回の多村のトレードに関して報道から伝え聞くベイスターズ球団のまるで多村へのネガティブキャンペーンのような論調には違和感を禁じ得ない。特にベイスターズナインが多村のさぼり病にうんざりしている云々に至っては、多村のリタイヤは他の選手にとってはアピールのチャンスであり、首脳陣が嫌うのならまだしも、チームメートが疎んじるのは筋違いのような気がする。それともこのチームは悪い意味でのいわゆる「仲良しクラブ」なのか?

もっとも、この多村のように成績とは裏腹に首脳陣、フロントの印象の良くない選手がいないと、トレードというものが積極的になされないのも事実だが。

とはいうものの、一応寺原隼人の最近三年間の成績

2004年    6試合 0勝 0敗     防御率7.56

2005年    2試合 0勝 0敗     防御率9.00

2006年    16試合   7勝 5敗     防御率4.23

通算   56試合 2012敗1S 防御率4.75

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2006年12月 9日 (土)

週刊ベースボール、Cultural Review では紹介されない衝撃の告発本「Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」

10月に発売された「Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」(武田賴政著・文藝春秋刊)が話題になっている。1994年から1997年までの四年間、ジャイアンツの長嶋茂雄監督の黒衣の参謀として諜報機関もどきの情報収集力で二度の優勝や抵抗勢力の妨害の阻止に貢献した河田弘道氏の活躍と挫折について書かれたものだ。今から約十年前の出来事とはいえ、実名を挙げての告発ぶりはリアルそのもの。それこそ石原真理子の「ふぞろいな秘密」(双葉社刊)ではないがジャイアンツファンには衝撃の一冊だ。野球をテーマにした書物などを紹介する週刊ベースボール(ベースボール・マガジン社刊)のCultural Review では何故か取り上げられない<苦笑>この告発本に書かれていることの大半が事実であるならば、今もジャイアンツは十年前と比べて進歩していないのだろうと容易に推測出来る。

河田弘道なる人物は、日本体育大学を卒業後、海を渡ってオレゴン大学に進み、アメリカの大学スポーツの合理的なマネージメント手法に引かれ、その後ブリカム・ヤング大学に転学して修士課程修了後に動向の器械体操選手を指導するようになり、やがて同校の他のスポーツチームの運営も任されるようになり、アメリカンフットボール部の日本遠征をコーディネートしたり、逆に日本から早稲田大学野球部の米国遠征を受け入れたりするなど日米間のスポーツの橋渡し役をやるようになり、その活躍を堤義明氏に認められ、同氏の「特命」を専門に行うようになる。そして堤氏の元を離れた後、それまでにつちかった米国の超一流アスリートたちとの交流を活かして民放テレビ局のスポーツ番組の制作に携わるようになっていたところ、浪人中の長嶋茂雄と出逢い、長嶋のジャイアンツ監督復帰に際し長嶋直々にフロント入りを要請されるが長嶋監督復帰一年目のシーズンを検討期間とした後、フロント入り。「編成本部付アドバイザー兼監督補佐」という肩書きで長嶋監督をはじめとする数人の球団幹部と、当時読売新聞社社長だった渡邉恒雄とその側近のみが存在を知る本当の黒衣としてチーム再建のために情報収集に尽力した。

その調査対象は自チームの選手達のコンディションの把握やライバル球団の状況にとどまらず、長嶋監督の復帰を快く思わない、主にV9メンバーを主体にした、今ならさしずめ抵抗勢力と括られそうな守旧派達の巻き返し運動の把握にも及ぶ。

長嶋監督の、時に「勘ピューター」と揶揄された気まぐれな投手起用が何故なされたか、要するに誰が長嶋監督の味方で誰が敵だったかも一目瞭然。終生のライバルといわれる野村克也との闘いぶり、特に長嶋一茂の去就に関しては河田氏が亜希子夫人からも信頼を得ていたことがわかる。長嶋家のプライベートな部分にまで本書は踏み込んでいる。長嶋監督が199610月に行われた衆院選で応援演説に駆り出されそうになった話での亜希子夫人や佐倉の実家の猛反対ぶりに関してはかなり生々しい。

もちろんフロントマンとしての本業についてもふれられ、「何でも欲しがるチョーさん」と揶揄された長嶋監督が当時ホークスでFA件を獲得した秋山幸二の獲得を希望すれば、河田氏は水面下で秋山の情報を収集、本人がジャイアンツでのプレーを望んでいると知るや、FA宣言させようと暗躍するが、その動きを球界きっての寝業師と賞賛された根本陸夫氏に察知されてガードされて失敗に終わる話なども出てくる。

これらがほぼすべて実名で書かれているから衝撃なのだ。当時からリアルタイムでジャイアンツファン、あるいはアンチ・ジャイアンツファンであれば、誰しもが「さもありなん」と頷ける箇所が多い。もちろん一方のサイドからの見方のみが記されている訳だから、鵜呑みは危険だが。その意味で冒頭に書いたように話題の近著、石原真理子による「ふぞろいな秘密」のように、もっとメディアで取り扱われても不思議でないはずなのだが、週刊ベースボールのCultural Reviewでも、発売開始して8週を経た今も取り上げられず、週刊現代が数週にわたって本書の内容の一部を取り上げたくらいだ。しかも週刊現代では長嶋監督の采配や管理能力をあげつらう部分ばかりを強調し、本書でえぐっているジャイアンツの暗部に関してはほとんど触れていない。

ちなみに敗戦処理。も「ふぞろいの林檎たち」シリーズのファンであるが、石原真理子がタレントの誰と寝ようが特に興味はない。それよりも「ふぞろいの林檎たち」の続編が製作されない事情を正確に書いて欲しかったのに何故にこれに関しては実名告発どころかイニシャルすらないのか!と声を大にして言いたい。

そうした活躍、いや暗躍によってジャイアンツは1994年、1996年にリーグ優勝を果たし、長嶋茂雄を頂点とする体制も盤石かと思えたが渡邉恒雄氏がオーナーに就任した1997年、チーム低迷に乗じた抵抗勢力の巻き返しの元、河田氏らは失脚する。マスコミが「グレッグ河田」なる謎の人物の存在を書き始めたのもこの時期で、敗戦処理。も「そういう人物がいるのだな」程度の認識だった。この時は河田氏の尽力で招聘したアマチュア球界のキーマン石山健一氏を中心とする早稲田閥の排除ともいわれ、当時逆指名を得ようとしていた慶應義塾大の高橋由伸への配慮とも報じられた。

グラウンドで闘うスタープレーヤー達の影で、あまりにも脆弱で、まるで永田町の論理かと呆れるばかりの謀略がうごめき、足を引っ張り合う構造。十年前のジャイアンツの実態の一部がこんなものだったのかという驚きと同時に近年の低迷を考えると、おそらく当時からほとんど進化していないことも容易に想像がつく。

本書は雑誌「プレジデント」(プレジデント社刊)に連載された原稿をベースに大幅に加筆されたものであり、同連載を読んでいた敗戦処理。としてはさほどの衝撃ではないが、(もちろんプレジデント誌の連載に初めて接した時にはぶったまげたが)本書で初めて河田氏やGファイルの存在を知った読者には衝撃を受けた者も少なくないようで、AmazoneのHP上での本書のカスタマーレビュー欄には象徴的なレビューが並んでいる。

ただ残念なのは、本書を読んだ読者であれば、ジャイアンツに河田弘道氏なる存在が極秘で存在するのであれば、他球団にもこのような存在がいても不思議でない(昨年話題になったマリーンズのボビー・バレンタイン監督の采配に影響を及ぼしているデータ・アナリストの存在とか。)ということに一歩踏み込んで欲しいということだ。

もちろん敗戦処理。がそうした他球団の黒衣の存在を知っているということではない。

そしてもう一つ残念なことは週刊ベースボールのCultural Reviewで取り上げられないこと。十年前のジャイアンツで清原和博へのFA獲得に際して長嶋監督自身によるタンバリングと思われる行為について何の不思議もなく言及されていたり、その長嶋監督直々の相手打者への死球の指示があったり、野村克也監督時代のスワローズに対し、断定こそしていないもののスパイ行為をしていたと確信しているよう亜記述があったり、告発本としてかなりシリアスな内容だからなのか。

ちなみに本書が発売された1013日以降に発行された週刊ベースボールは1030日号から今週発行された1218日号まで8冊を数える。Cultural Review欄は1回に2つの作品を取り上げるのでこの間16点。その内訳は書籍が4点、映画のDVDが3点、音楽が4点でゲームが1点。残る4点は自社で発売しているトレーディングカードだ。文化を標榜しながら自社商品の宣伝を2週に1回の割合で登場させているのも凄いが(ベースボール・マガジン社は自社媒体でトレカを宣伝する前に説明責任を果たすべき一件があるだろう<苦笑>!)、本の内容に関しては読者一人一人が自分の頭で考えて判断すればよいだけのことなので、次号にもCultural Review欄でとりあげてほしいところだ。

もっとも、Cultural Review欄で取り上げられないという点において、本書に書かれている内容にはいわゆるタブーに踏み込んだ領域が満載なのではないかという雰囲気を醸し出しているという側面もある。

いずれにしても、日本のプロ野球におけるフロントの役割とか、親会社と球団の関係にこれから新たに興味を持つような方にも、告発本としてでなくオススメ出来る一冊だと敗戦処理。は一応推薦しておく。

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2006年12月 7日 (木)

小笠原道大FA移籍でなぜファイターズはジャイアンツに人的補償を求めないのか?

ファイターズからFA宣言した小笠原道大が今週4日、移籍先のジャイアンツで入団発表を開いた。敗戦処理。が予想したように小笠原の方からヒゲを剃ってきたのでヒゲなしの小笠原が印象的であったが、ファイターズとしては気持ちを切り替えて小笠原移籍に対する補償をジャイアンツに求めることを考えなければならない。報道によるとファイターズは人的補償には積極的でなく、金銭面だけの補償を選択する予定だとか。ジャイアンツのプロテクトから外れる選手に小笠原や、本件移籍とは無関係だがSHINJOや岡島秀樹の抜けた穴を埋める程の選手がいるはずはないとはいえ、思わぬ選手がプロテクトから漏れるかも。果たしてファイターズの取るべき選択は?

まず始めにFA移籍に伴う補償の仕組みを整理しておこう。FA補償に関しては野球協約第205条で定められているが要約すると、

FA宣言した選手が日本の他球団に移籍した場合、元の所属球団は移籍先の球団に対し、次のどちらかの補償を求めることが出来る。

1.FA移籍した選手の移籍直前のシーズンの年俸金額と、さらにその金額の20%の額。(元の年俸の1.2倍の金額。)

2.FA移籍した選手の移籍直前のシーズンの年俸金額と、移籍先球団の選手1名。ただしこの場合、移籍先の球団がプロテクトした28名を上限とした選手と外国人選手を除いた選手の中からの任意の1名となる。

つまり、小笠原の例で言えば、小笠原の年俸を3億8000万円とした場合に、ファイターズはジャイアンツから、

1.の場合、3億8000万円×1.2=4億5600万円

2.の場合、3億8000万円+プロテクトされない選手1名

のいずれかを手に入れることが出来ることになる。

ということは、少なくとも3億8000万円は確実に手に入り、あとは差額の7600万円を選ぶか選手1名を選ぶかの二者択一になるのである。

ちなみにこの場合のプロテクトする選手の一覧は前もって提出するものではなく、移籍元の球団から提示を求められた場合のみ提示すればよいそうだ。もちろん非公開を原則としている。

ファイターズが求める選手の価値を年俸で表すのはいささか暴論になるが、単純に考えれば7600万円分またはそれ以上の価値のある選手がプロテクトから漏れれば、ファイターズは人的補償を求めた方が金銭のみの補償より得ということになる。

そこで調べてみたのだが、2006年のジャイアンツの選手でシーズン後に退団、引退が決まった選手を別としてさらに外国人選手を除いた選手を単純に推定年俸順に並べ、上から28人をプロテクトとするとどうなるか?

推定年俸3億4000万円の上原浩治を筆頭に高橋由伸、工藤公康、豊田清、清水隆行、二岡智宏…と淳に並べていくと、推定年俸1500万円の福田聡志、栂野雅史、實松一成の3選手が27位タイで並ぶ。この29選手の中には今季ブレークした内海哲也、矢野謙次、亀井義行といった若手ですら含まれるから、逆にこの29選手以外で実績のある選手となると、シーズン途中から「一番・二塁」に定着した脇谷亮太、先発ローテーションの一角をつかみかけた西村健太郎、三塁の控えだった古城茂幸くらいだ。もちろん脇谷や西村がプロテクトから漏れるはずはなく、そうであるならば7600万円多くもらった方が無難だと考えられる。

「GPROTECT.xls」をダウンロード

この考え方は、ジャイアンツが小久保裕紀に対するホークスからの補償を求める際にも応用出来る。小久保の今季の推定年俸3億円の20%に当たる6000万円相当の選手がホークスのプロテクトから漏れることがあれば、ジャイアンツも人的補償を求めた方が得と言える。

ホークスで同じ方法で28選手を線引きすると、プロテクトから外れる選手には領健、辻武史、田上秀則、仲沢忠厚、本多雄一らがいる。

もちろん実際には球団は年俸の高い順からプロテクトしていくのではないから、ここで上位28人に入らない選手がプロテクトされる代わりに思わぬ実績のある選手がプロテクトから外れることもあり得る訳で、人的補償を検討する球団はその辺がねらい目だろう。

ちなみに過去のFA移籍の際に実際に人的補償でトレードされた選手は以下の5選手である。

川邊忠義(河野博文)

平松一宏(前田幸永)

ユウキ(加藤伸一)

小田幸平(野口茂樹)

江藤智(豊田清)

     カッコ内はFA移籍した選手

FA移籍でジャイアンツ入りした江藤がFAの人的補償でジャイアンツを去ったのは何とも皮肉だが、それはさておき、上記のカッコ内に示したFA移籍選手の顔ぶれを見てみると、大物といえるのは昨年の豊田くらいである。野口も過去にノーヒットノーランを達成した実績があり、1999年にはセ・リーグのMVPを獲得した大物であるが近年は不成績が続いている。

ここでもう一度敗戦処理。の設定を思い出していただきたい。補償を求める側の球団の二者択一は結局のところ移籍する選手の年俸の20%の金額と、プロテクトから漏れる選手のどちらが得かという選択なのである。そしてそれは選手の価値を年俸だけでははかれないにせよ、年俸を一つの目安だとすれば、プロテクトの当落線上の選手の価値が、FA移籍する選手の年俸の20%に相当するか否かということになり、上記の人的補償の実例のようにさほど年俸の高くない、大物でない中堅クラスの選手にFA移籍された球団に限り、原則有効な選択肢になると言えるのだ。

即ち小笠原や小久保、あるいはかつての落合博満や清原和博のような大物選手のFA移籍の見返りに人的補償を求めるのは得策でないと言える。つまりファイターズが金銭のみの補償を求める方向性で検討しているのは極めて妥当だと言えよう。

ただしジャイアンツの場合、昨年は野口獲得の見返りのプロテクトから、阿部慎之助に次ぐ第二捕手に当たる小田が漏れており、ベテラン正捕手の谷繁元信に次ぐ人材を求めていたドラゴンズのお家の事情にぴたりとはまったケースがあるので一応照会を求めるくらいはした方がよいかもしれない<苦笑>

そして補償を出す側としてのジャイアンツが心配すべきことはファイターズへの人的補償ではなく、今季推定年俸7500万円と見られるベイスターズの門倉健をFAで獲得した際にベイスターズから人的補償を求められるケースだ。7500万円の20%はジャイアンツの年俸順のプロテクトでボーダーラインの1500万円とピッタリ一致するからだ!

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2006年12月 5日 (火)

甘やかすなキヨ!-清原和博、契約更改で現状維持&二年契約判明の驚き…。

01_83 バファローズの清原和博が5日、契約更改に望み、今季と同額の推定年俸2億5000万円で一発サインした。一年間の試合数の半分も出場していないし、出場した試合の成績も芳しくない。一体どういう査定方法で計算すれば2億5000万円の推定年俸と同額で更改となるのか不思議に思っていたら、そもそも清原は球団と来シーズンまでの2年契約だったという。それじゃあ今シーズンは無理をしませんわな。2年契約だから年俸も横滑りということなのかもしれませんが、先日中村紀洋に対して「甘えるな!」と書いた敗戦処理。としてはバファローズ球団に「甘やかすな!」と言わざるを得ない。

清原を招聘したのは故仰木彬さんと言われていますが、仰木さんの「二年契約を結べ」と天の声でもあったのでしょうか?仰木さんの仏前で号泣するのもむべなるかな。そして清原への年俸捻出のために谷佳知はジャイアンツにトレードされたのか?

67試合に出場し、打率.22211本塁打、36打点。これが清原の今シーズンの成績だ。死球はダルビッシュ有から受けたあの1個のみ。三振は83で打席数が241だから、2.9打席に1回の割合で三振していることになる。ちなみにジャイアンツでの最後の三年間の成績を調べてみると、

2003114試合 打率.29026本塁打、68打点

2004年  40試合 打率.22812本塁打、27打点

2005年  96試合 打率.21222本塁打、52打点

清原が最後に規定打席に達したのは2001年だから、バファローズ球団も清原にフル出場は期待していなかっただろう。その意味では2004年と2005年の中間くらいの成績というのは加齢を考えると、まずまずの成績なのかもしれないが、普通に考えたら2007年の成績は良くて2006年並み。

そもそも近年の清原は、オフのこの時期になると独自性の高い、果たしてどこまで効果があるのか素人目にはまるで理解出来ない肉体改造に精を出すが、シーズンに入ると苦手な内角攻め対策に関しては全く改善されないから相手チームから果敢な内角攻めに合い、よけ方が下手なために受けた死球で戦列を離れる。あるいは走塁で足を痛め、長期離脱する。そして自業自得にも思える故障による離脱にもかかわらず、「このままでは不完全燃焼。身体を鍛え直して来シーズンにすべてをかける」と現役続行宣言をする。この繰り返しである。

以前に清原が肉体改造のために通っていたジムに歌手の浜崎あゆみが通っているという報道を聞いた。浜崎あゆみが故障に泣かされているという話を聞かないのは何よりだが、何か根本的に方向性が狂っているように思えてならない。

不思議なのは、ジャイアンツは2001年オフに清原と四年契約を結んでしまったため、ジャイアンツは2005年のオフまで清原サイドから申し出ない限り首を斬れない状況だったが、そんな清原と何故バファローズが二年契約を結んだのかと言うこと。つまりバファローズが何故清原をそこまで重宝するのかということだ。

ジャイアンツの資金力をもってすれば清原に契約破棄をして残りの年俸を払うくらいのことは可能だったろうが、それをするとこの球団の命綱となっているFA補強などの今後に支障をきたすおそれがある(ジャイアンツが提示する「○年契約」は当てにならないと交渉相手の選手に思われる)からジャイアンツとしては2005年までは我慢するしかなかった。ちなみに2001年のオフというのはジャイアンツにとってはミスタージャイアンツ、長嶋茂雄監督がユニフォームを脱いだ年であったし、翌年にFA権を取得する松井秀喜の大リーグ願望が強いことも周知の事実だったから、二度目のFA権を取得していた清原との交渉で足元を見られるに充分な下地は揃っていたのだ。

今年のシーズン中にバファローズ球団の社長だったか「清原選手は成績面では物足りない点もあるが、長年常に優勝争いをしているチームにいただけあって、闘う姿勢とか、プロ野球選手のあるべき姿をチームに浸透させつつある。数字以上の貢献度がある」と発言し、清原と来季も契約を結ぶ意思があることを匂わせていた。ジャイアンツ時代の晩年にはまるでチームの癌であるかのような様々な報道に接していたので、ジャイアンツファンである敗戦処理。としてはジャイアンツ出身の清原が成績以外の部分でチームに迷惑をかけていないということに安堵したのだが<>、あの報復発言を聞くと、とてもそうは思えない。「グッズの売り上げなどを含め、営業面でまだまだ利用価値がある」とはさすがに言いにくいだろうが<>

そもそもバファローズファンは清原をどう思っているのだろうか?

ジャイアンツの場合、たしかに最後の数年間はとてもファンの期待に応える成績とは言い難かったが、それでも過去には何度となくジャイアンツファンを酔わせてくれた選手。力が衰えているとわかっても、ジャイアンツのユニフォームを着てプレイしている以上ファンが応援し続けるというのは理解出来るが、移籍一年目であの成績で、ファンは許すのか。

ジャイアンツ時代との比較で言えば、ジャイアンツでは清原は打席への入場時のテーマ曲に長渕剛の「とんぼ」を使用していたが、バファローズに移籍したら別の曲に替えると言っていた。歌詞の一部に東京への憧れを意味するフレーズがあり、それが清原自身のジャイアンツへの憧れとオーバーラップするから選曲したというのはあまりにも有名な話だが、だとすればバファローズで同じ曲を使用するのはおかしな話になるので、敬愛する長渕剛の別の曲にすると言う話だった。しかし実際にはバファローズでも「とんぼ」を使用しているのを聞いてがっかりした。何なんだと思った。要するにこの曲はノリが良く、応援する方が応援しやすい曲なのだ。応援するファンは歌詞にまで注目していない。応援に適しているのはノリの良い曲だ。もっとも敗戦処理。がバファローズファンだったら、清原には同じ長渕剛でも「ろくなもんじゃねえ」を捧げたいくらいだ。

ちなみに東京ドームのライトスタンドのファンは「とんぼ」を演奏してのパフォーマンスが出来なくなった寂しさを小関竜也の打席の際の「ジーパン刑事のテーマ」で盛り上がることで紛らわしている<笑>?

冒頭にも書いたように清原との二年契約を維持するために、その費用を捻出するために谷をジャイアンツでほとんど実績のない選手とトレードしたのかと邪推したくなる。谷自身もかつて四年連続打率三割を記録した頃の谷とは別人と疑うほどで、推定で2億8000万円という年俸が実態ならば、放出が検討されて不思議でないが、イチローや田口壮らが抜けて地味になっていったチームでの孤軍奮闘は何だったのだろうかと思う。

清原の人気に捨てがたいものがあるというのもわからないことはないが、そのために犠牲になるものが大き過ぎはしないか?派手さはなくても、きちんと自分の役割をこなすための努力をする選手が清原などの高額選手とは比較にならない年俸でチームのためにがんばっても、清原ほどのネームバリューがないからマスコミにも取り上げられにくい。バファローズファンでない敗戦処理。が心配する筋合いではないかもしれないが、若手・中堅選手のモチベーションの低下が心配である。

先日のファン感謝イベント「BS-Fan-Festa 2006」で清原は100%ジョークであることは明白だが、「北川が来年の選手会長と聞いて、優勝する気ないんかと思った」と言って笑いを取ろうとしていた。ジョークに怒るのも味気ない話だが、バファローズを支えているのは清原より遙かに立派な成績を残している、清原より給料が安く、ネームバリューの低い選手達であり、北川博敏はその代表格と言って良い。

北川は2001年の旧バファローズのリーグ優勝を決めた劇的な逆転サヨナラ本塁打でも放たない限りスポーツ紙で大きく取り上げられることがない選手だが、今シーズンだって故障で戦列を離れるまで清原や中村を差し置いて「四番」の重責を担っていた選手だ。そして「清原信者」はともかく、大方のバファローズファンにとってはそんなことは自明の理であるに違いあるまい。

「清原に来年も同じ給料を払うなんて優勝する気ないんかと思った」

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2006年12月 3日 (日)

三洋電機がプロ野球オールスターゲームのスポンサーから撤退

プロ野球オールスターゲームのスポンサーを1988年から19年続けていた三洋電機株式会社が今シーズン限りでスポンサーを降りることを表明し、日本野球機構にも通告した。同社は現在経営再建中であり、毎年特別協賛金として払ってきた3億4000万円にメスを入れた形だ。2004年の球界再編騒動で一リーグ制への移行が懸念された状況下で「一リーグの東西対抗になったらスポンサーを降りる」と発言して一石を投じたのは記憶に新しいが、日本プロ野球界としては大きなスポンサーを失ったことになる。同社に代わる新しいスポンサーは現れるのか?そもそも今の日本のプロ野球に新たにスポンサーシップ契約を結ぶ企業が出てくるのだろうか?

この報道に接した後、日本野球機構の公式HPをのぞいてみた。トップページにNPBのスポンサー企業、「NPBパートナー」の社名が掲載されているが、コナミ、三洋電機、新日本石油、日本生命の4社のみだった。試しにJリーグの公式HPでJリーグのスポンサー企業を探すと、カルビー、キャノン、サントリー、ジャパンエナジー、UFJニコス、コナミ、アイデム、平和、GEコンシューマー・ファイナンスと9社が並んでいる。これだけをとってみても企業としてスポンサーシップを結ぶ魅力がある競技はどちらかというのがわかってしまいそうだが、実は日本プロ野球にもこのくらいの数の企業がスポンサーについていた時期が割と最近まであった。

1999年の資料によると、日本アイビーエム、大塚化学、日清製粉、ファミリーマート、日本マクドナルド、三洋電機…、といった企業がスポンサーとして名を連ねている。ただし日本マクドナルドはマリーンズの親会社、ロッテグループのロッテリアと競合、ファミリーマートはホークスの親会社、ダイエーグループのローソンと競合する等の理由でその後お引き取りいただいた。そのような経緯を経て現在の協賛各社に落ち着いた形だ。

同じプロスポーツリーグでも、Jリーグはチームの経営母体である企業色があまり前面に出ないがプロ野球では親会社の色が比較的出ているため機構としてスポンサーを募ろうにも制約が多いのだろう。こんなところにも二つの組織の違いが如実に出ている。

別に敗戦処理。は企業色が前面に出るプロ野球界の方式が必ずしも誤っているとは思っていない。約七十年の日本プロ野球を支えてきたのは親会社企業の資金的援助による力が大きいことを理解している。

ただ問題は企業は当然ながら競争の原理で浮き沈みが激しい。日本の景気も一時よりは好転したと評価されているが、三洋電機のように長く高額のスポンサー料を払ってくれる企業を探すのは容易ではないだろう。これまでは大企業の社会還元の一環という形で球団経営に乗り出したり、気前よくスポンサー料を払う企業が出ていたのだろうが、これからは新興企業が知名度や企業イメージを挙げるために参加するという形にシフトしていくのだろう。昨日の報道でインボイスに代わるライオンズ球団のスポンサーとしてグッドウィルグループとの契約がまとまったというのがあったが、今後もこのような新興企業とのタイアップを模索していくことになるのだろう。

ただしかつての旧バファローズがタイアップした消費者金融のように社会通念上いかがなものかという業種や、その旧バファローズを買い取ろうとした、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったライブドアがその後どうなったか考えればわかるように、歴史の浅い業界、企業に対する見極めは慎重にならねばなるまい。新しい企業は成長を急ぎすぎ、往々にして道を踏み外しかねない。

明日4日のプロ野球実行委員会で今後のオールスターゲームに関する話し合いが持たれるようだ。まさかスポンサーが見つかりそうもないから来年から一試合にしようなどとはならないだろう(たしか2009年までオールスターゲーム開催地は決まっているはず)が、オールスターに限らずこれからのスポンサーシップの考え方を見直す時期に来ていることを踏まえた議論にして欲しい。

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2006年12月 1日 (金)

「生」観戦した野球場(21)-ロッテ浦和球場

01_67 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第21回 ロッテ浦和球場 観戦球場ファイル-20-

前回のヤクルト戸田球場に続き、簡素というか質素というか、一見するとプロ野球の試合をする野球場とは思えないロッテ浦和球場を取り上げる。

JR埼京線、武蔵野線の武蔵浦和駅から歩いて約10分ほど。ロッテ浦和工場の施設のそばにロッテ浦和球場は存在する。今から十年くらい前であろうか、敗戦処理。がたまたまこのグラウンドのそばを通った時、「さすがロッテほどの大きな企業ともなると、従業員の(福利厚生の)グラウンドも立派なものだ」と思ったものだった。しかしそれがマリーンズのファームの専用球場とは思わなかった。当時は敗戦処理。自身、今ほどファームの試合に対する関心も薄く、スポーツ新聞のその日の試合予定欄にあるファームの「ロッテ浦和」と「市営浦和」が別の球場だという認識すらなかったほどだ。

資料によるとロッテ浦和球場の設立は1989年ということだから、一軍がまだ川崎球場を本拠地にしていた頃である。このチームのファームを愛するファンの人が「浦和ロッテマリーンズのファン」と名乗るのもわかるような気がする。

この球場ではホームチームのマリーンズが三塁側に陣取り、ビジターが一塁側に回っている。鎌ヶ谷スタジアムのように三塁側後方に寮と室内練習場があるという位置取りならわかるが、この球場ではそういうことはない。マリーンズの室内練習場からグラウンドに移動する選手達は公道を通ることになり、ファンはここでサインを求めたりしている。またビジターのファンはメインの入口からは入れず、脇に回って一塁側ベンチ後方の別の入口からスタンドに入らねばならない。もっともスタンドといっても一塁側、三塁側の数段の長椅子があるだけで、何とネット裏に観客席が存在しない!そのために収容人員は一、三塁側合計で200~300人程度と見受けられる。カードを問わず土、日は混み、キャパシティが無いため立ち見を余儀なくされる観客が少なくなる。常連客があとから来る仲間のために場所取りをするケースもあるので、確実に座って観戦するには試合開始の一時間半くらい前には着いておきたい。特に敗戦処理。の初観戦が2001年のゴールデンウイークの真っ只中、5月4日だっただけに余計にその印象が強い。

Dscf0124 観客席がグラウンドと同じ高さにあるため、一塁側の最後列から撮影するとこんな感じだ。

そしてこの一、三塁側の長椅子がグラウンドと同じ高さにあるため、グラウンドを俯瞰で観るということが出来ない。言い訳になるがこのコーナーでは冒頭に取り上げる球場の写真を掲げているが、他の球場のように内観を映していないのはそういう事情による。ライナーやゴロだと瞬間的に方向を把握できないこともあり、野手の動きで判断せざるを得ない場合もあり、観戦時には手製のスコアブックへの記載を欠かさない敗戦処理。にとってはあまり勝手の好い球場とは言えない。

また内野が土、外野が天然芝だがちょっとした雨で中止になることも少なくない。さほど遠くない戸田での試合が行われているのに浦和は中止ということもたまにある。

07 球場後方を走るMax

他に取り上げることといえば、レフト後方にJRの高架線があり、そこをMaxなどが走るのが頻繁に観られることだろう。応援しているチームが大きくリードされていたり、試合に飽きてきたら新幹線に注目するのも一興だ。

昨年、一軍の優勝とともにファームもイースタン・リーグとファーム日本選手権を制して日本一になったが、一軍の本拠地千葉とのさらなる地元密着化のための一環として将来的にファーム本拠地の移転も視野にあるという。

現在イースタン・リーグに属するチームではファイターズを別にしても二軍の本拠地が一軍の本拠地と同じ都道府県にない球団が六球団中の四球団もあり、それぞれ少なからず弊害もあるのだろう。この球場にはこの球場なりの味があり、その味も捨てがたいものはあるが、もしも千葉マリンスタジアムの近くに、あるいはそうでなくても千葉県内に移転するのであれば入場料を取れるような、観客に見やすいスタジアムを是非創って欲しい。前回のヤクルト戸田球場の際にも触れたが、ファームの選手達にもお客さんが金を払って観に来ているという自覚の元でプレーさせる環境下に置いて欲しいからだ。

00_2 【おまけ】昨年のファーム日本選手権を制した証の優勝旗

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