「生」観戦した野球場(26)-鶴岡ドリームスタジアム
いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。
このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。
第26回 鶴岡ドリームスタジアム 観戦球場ファイル-25-
今回は敗戦処理。が2001年9月に観戦した鶴岡ドリームスタジアムの番だ。日本では他に神戸のスカイマークスタジアムと、宮崎のサンマリンスタジアムだけという内外野とも天然芝のスタジアム。しかもこの球場がオープンした1999年6月の時点では日本で唯一の存在であった。しかし、ああしかしそれなのに、敗戦処理。は観戦時に撮影した画像を紛失してしまった。もったいない話である。野球場紹介のコーナーでは書き出しにその球場の写真を掲載しているが、そういった事情で観戦した試合のチラシを掲載した<苦笑>。
今書いたように希少価値のある内外野天然芝球場ということもあって、国際試合に挑む前のチームが強化合宿に使うことでも有名だ。
敗戦処理。が観戦したのは2001年9月23日のイースタン・リーグ公式戦、ファイターズ対ジャイアンツ戦。その前夜に神宮球場でスワローズとジャイアンツのリーグ優勝を賭けた天王山を観戦して酔いしれた敗戦処理。にとって朝の7:20に東京駅を出る東北新幹線に乗るのはしんどかったが、新庄駅から在来線二線を乗り継いで鶴岡からタクシーに乗って試合開始の12:30の10分前に球場にたどり着いた。
(実際には鶴岡駅から路線バスが出ている。)
当時球場で配布された「梨に向かって打て」(ファイターズ鎌ヶ谷の会発行)によると、当時ファイターズに在籍していた現役唯一の東京大学出身である遠藤良平が東大時代に四年間鶴岡市で合宿をしており、1999年には出来たばかりのドリームスタジアムをも使用したことでファイターズ戦をという話になったという。
遠藤は0対7とリードされた三回表に矢野諭に次ぐ二番手として登板。2イニングを投げて自らの牽制悪送球を元に1失点。呼んでくれた鶴岡市サイドの期待に応える結果とは言えなかった。試合そのものも一回表にファイターズの守備ミスや矢野の制球難でジャイアンツが6点を先行し味気なくなってしまったのが残念だった。ちなみにこの試合の開催の架け橋となったファイターズの遠藤はこのシーズン限りで二年間の現役生活に幕を閉じ、ファイターズのフロントに転身している。
ナイトゲームの設備もあるが、収容人数が12,000人というのが淋しい。作った当時に内外野天然芝の球場が他になかったこともあり、「ドリームスタジアム」という名称が付けられたようだ。前出の「梨に向かって…」によると球場の芝保護のため、週に二日、球場を使用しない養生日を設けているという。後発の二球場も同じだろうが、ファンの夢を実現する場として、美しさを維持、さらにいえば発展させて欲しいものである。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント