今年もセ・パ交流戦のスポンサーは日本生命
日本野球機構の公式サイトによると、今年の5月22日から開催されるセ・パ交流戦のスポンサーは日本生命保険相互会社。同社はたった四社しかないNPBパートナー(公式スポンサー)の一つですが、交流戦のスポンサーになるのはセ・パ交流戦が初めて催された2005年から三年連続である。
2005年から開催されているセ・パ交流戦は三年目を迎える今年、試合数が激減した。当初二年間は、各球団が互いのリーグの六球団と各六試合ずつ行っていたが今年は各四試合ずつになった。四試合の内訳はホーム、ビジター各二試合ずつのため、交流戦期間は常時二連戦単位のカードが組まれている。日程編成には苦労の後が滲み出ているが<苦笑>、ファンに浸透するのだろうか?
実は今回書きたいのは今年の交流戦の成否でなく、スポンサーの件。
日本生命保険相互会社(以下日本生命)は交流戦の勝率1位チームに贈る優勝賞金5,000万円と優勝チームから1名選出されるMVPへの賞金200万円を提供することになっている。実はこの優勝賞金とMVP賞金はセ・パ交流戦が始まってから金額が変わっていない。もちろんいずれもスポンサーである日本生命が負担している。
日本生命は、企業として何かメリットがあるからセ・パ交流戦のスポンサーを三年間も続けているのだろう。交流戦期間中、様々な形で企業メッセージを野球ファンに伝えることが出来る。しかし交流戦の試合数が今年は昨年までの3分の2になっているのである。スポンサーがスポンサーとしての広告展開、企業イメージの浸透にかけられる試合数、期間もその割合で減っているのである。よくぞ同額の賞金を提供していると思う。
セ・パ交流戦が初めて開催された2005年、ファンの声で最も多かったのは「6週間は長すぎる。3週間ずつ二回に分け、間に同一リーグ同士の公式戦を挟んだらどうか?」というものだったというが、二年契約を結んでいたスポンサーの日本生命が広告効果が薄れるとして分離開催に反対していたという。多額の協賛金を払うのだから、そういう主張をぶつけること自体は真っ当だと敗戦処理。は思ったものだが、その企業が試合数が3分の2に減った今年も同額の賞金を出したのは何とも不思議だ。
ということは過去二年以上にスポンサー色が濃くなるのだろうか?
NPBのスポンサーといえば、三洋電機株式会社(以下三洋電機)が19年間続けていたオールスターゲームの冠スポンサーを昨年限りで降りたことが話題になったが、今のところ新しい冠スポンサーは決まっていないようだ。(ちなみに日本野球機構の公式サイトによると、三洋電機はNPBパートナーは続行しているようだ。)
今年のオールスターゲームは東京ドームとフルキャストスタジアム宮城で開催されるが。その先も既に内定しており、2008年が京セラドーム大阪と横浜スタジアム、2009年が札幌ドームと広島市民球場(に代わるカープの新本拠地球場)、2010年が福岡ヤフージャパンドームと、新潟県に建設される県立の野球場と開催地だけは取りあえず決まっているが、三洋電機の後釜は決まっていない。
ちなみに日本生命と三洋電機以外のNPBパートナーはコナミ株式会社と新日本石油株式会社。
三洋電機は特別協賛金として毎年3億4000万円を支払っていたようだが同社に代わってこの金額を負担してくれるスポンサーは出てくるのか?上記の二社のどちらかか、あるいは新たな企業がスポンサーとして名乗りをあげるのか?
昨年の日本シリーズ第一戦をテレビ(TBSテレビ系列、中部日本放送)で観戦された方はある種の驚きがあったのではないだろうか?
ドラゴンズの地元、ナゴヤドームの試合で名古屋の放送局による中継だったにもかかわらず、この日本シリーズ限りで現役引退を表明しているSHINJOばかりが中継でクローズアップされていたことに辟易していたドラゴンズファンも少なくなかっただろうがSHINJOと同じくらい視聴者にインパクトを与えていた人物(?)がいた。
メトロン星人だ!
京楽産業の「CR羽根ぱちんこウルトラセブン」のCM-ちゃぶ台を挟んでメトロン星人とモロボシ・ダン(ウルトラセブン)が会話しているCMがしつこいほどに流れていた。日本プロ野球界最大のイベントと言える日本シリーズ(日本野球機構主催)の第一戦のテレビCMに力を入れていたのがパチンコ産業だったという事実は何かを示唆しているように思える。今後のスポンサーシップの風向きが変わる兆しではないだろうか。
ナベツネこと渡邉恒雄さんは消費者金融がスポンサーになるのを嫌ったが、日本プロ野球の父こと正力松太郎氏はかつて球団の親会社を公共性の高い業種-新聞社、鉄道、レジャー産業(映画会社)に絞るべきとの自論を持っていた。パチンコ産業に関して眉唾扱いする向きもあるだろうが、どうだろうか?
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