ジャイアンツV9の名二塁手:土井正三さんが大病と闘っている!?
スポーツニッポンに毎週火曜日に掲載されている野球評論家・有本義明氏(同紙特別編集委員)の連載コラム「’07シーズン 奪回なるか巨人」の4月10日付は思わせぶりな締めくくられ方だった。ジャイアンツの木村拓也の活躍を讃え、歴代のジャイアンツの二塁手をたどっていくのだがその中でV9時代の名二塁手、土井正三さんが現在大病を患っていることを匂わせているのだ。土井正三さんはまだ64歳。土井さんに一体何が…?
問題の部分を少々長くなるが引用しよう。
「そんな難しいポジションに昨年まで仁志敏久がいた。その少し前には篠塚利夫がいて、東京ドームに衣替えする前は土井正三がV9全部をほとんど独り占めにした。いまその土井が大変な病気と闘っている。篠塚が詳細を原監督に報告し、グラウンドを訪れる黒江透修や柴田勲、堀内恒夫みんながみんな沈痛な表情で、王貞治は土井夫人と連絡を取り合っている」
ここで終わっている。この続きが翌週に触れられるのかと思ったが17日付では新しい話題に代わっている。V9の最後の方にプロ野球に興味を持ち始めた敗戦処理。が知っているジャイアンツの最初の二塁手は土井正三だ。土井さんはまだ64歳。オフシーズンにはプロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスの監督として勇姿を現し、同リーグでは優勝監督になったこともある。
気になるのでYahoo!やGoogleなどで「土井正三」、「病気」、「大病」などとキーワードをいろいろととっかえひっかえ組み合わせて検索してみたがヒットしない。調べ方が悪いだけかもしれないが。それどころか旧ブルーウェーブの監督時代にイチローの素質を開花させられなかったことに関する記事ばかり出てくる。有本氏がでたらめを書いているとも思えない。引き続き注目してみよう。
それにしても早いもので、V9最後の年から既に三十年以上過ぎているのだ。V9戦士で今もユニフォームを着ているのはホークスの王貞治監督とファイターズの淡口憲治コーチの二人だけになってしまった。堀内恒夫前監督だった時代には高橋一三、関本四十四、河埜和正がユニフォームを着ていたが2005年シーズンを限りに堀内監督の退任とともに彼らが退陣し、王と淡口の二人だけになってしまった。
そのことは時代の流れとして仕方ないとして、V9以降の時代のジャイアンツ出身の選手がジャイアンツ以外の球団で監督やコーチに就任するケースが極めて少ないのだが、このことはあまり報じられたりはしていないのではないか?
特にジャイアンツで現役生活を終えた選手に絞ると、引退後ジャイアンツ以外で監督、コーチを務めた人はほんの一握り。落合博満は最後はファイターズだし、山本功児も最後はオリオンズ。さて、誰が思い浮かびます?
正確に調べた訳ではないが、二宮至がドラゴンズのコーチになったのと、加藤初がライオンズのコーチを務めた後久しく途絶え、西本聖がタイガースのコーチを務め、昨シーズン松本匡史がゴールデンイーグルスのヘッドコーチを務めた。敗戦処理。はこのくらいしか思いつかない。V9戦士では土井さんの旧ブルーウェーブ監督の他に前述の王監督、ライオンズの森祇晶、ファイターズの高田繁と他球団から求められて監督の座に就いている人が多いのと対照的だ。今はむしろ逆で、原辰徳現監督が最初に就任した時のコーチングスタッフには森の下でライオンズの黄金時代を築いたメンバー、西岡良洋、鈴木康友、鹿取義隆が名を連ねていたし、今年から伊原春樹も加わった。(因みに伊原は現役時代の後半にトレードでジャイアンツに来たが再びライオンズに戻ってから選手生活を終えているので先程の条件には当てはまらない。)そういえば王がホークスの監督に就任した時にもジャイアンツ出身者をコーチには迎えず達川光男、高橋義彦、寺岡孝といった、ジャイアンツの監督時代に苦しめられたカープのメンバーを招き入れていた。黒江を呼び寄せたのはホークスに来て四年目だ。
作家の海老沢泰久氏もこの点には着目しており、同氏の説によると、V9以降のジャイアンツの野球は他球団にとっては取るに足りないものになってしまった何よりの証明であるという。
今さら過去の栄光を懐かしんでも仕方ないが、その古き良き時代の生き証人の一人である土井さんが大変な病気と闘っているという記事に接して思いにふけって書いていたら話があちこちに飛んでしまった。土井さんの現役時代を知らない世代の野球ファンにとっては前述したようにイチローの素質を見抜けずに二軍に落とした人物であるとか、その後に就任したジャイアンツのコーチ時代に長嶋一茂に暴言を吐かれたことばかりが面白おかしくネット上で揶揄されるキャラとして定着してしまった感があるが、はるか昔、敗戦処理。が子供だった頃にはONは別格として野球少年の心を捕らえた名選手であった。高田には女の子のファンが多く、ONを別世界の野球選手と思う子供たちは土井派と黒江派に別れた。柴田勲も女性ファンの人気が高かったが、ファン層が少し上だったように記憶している。敗戦処理。は土井派と言えようか<笑>?
このブログを読まれた方で、有本氏が触れていた土井正三さんの病気のことをご存じの方は本エントリーへのコメントという形で情報提供していただければ幸いです。
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