【聖地】東京ドームでファイターズが三連敗
イースタン・リーグの所属チームが7球団と奇数なので試合の出来ない球団が出るという話は本ブログでも4月15日付「イースタン・リーグ チャレンジ・マッチを実際に観てきました。」で書きましたが、今日(22日)はファイターズの二軍選手が鎌ヶ谷ではなく東京ドームでホークスと対戦しました。鎌ヶ谷限定のマスコットC★B(カビー)も応援に来ました。
スタメンには森本稀哲、田中賢介、小谷野栄一、小田智之、金子洋平、鶴岡慎也…。なお一軍から助っ人として稲葉篤紀、坪井智哉、金子誠が加わっています。ファームの選手達も、四年前まで一軍が本拠地として使用していた東京ドームで試合が出来ていい経験になったでしょう。水道橋からJR総武線で船橋まで行き、東武野田線に乗り換えて鎌ヶ谷で降りれば駅から歩いて20分ほどで寮まで帰れます。
もちろん冗談です。でも今日のスターティングメンバーを聞いた時、本当にこんな錯覚に陥りそうになりましたよ<笑>。(写真:トレイ・ヒルマン監督に代わってファンに頭を下げるマスコットのB★B-もちろん『捏造』です<笑>。)
(中)森本
(二)田中賢
(三)小谷野
(右)稲葉
(一)小田
(指)金子洋
(左)坪井
(捕)鶴岡
(遊)金子誠
(投)グリン
ここ数年、鎌ヶ谷を初めとしてファイターズのファームの試合を精力的に観戦している敗戦処理。にとって涙が出るほど腹立たしい、いや感慨の深いスタメンです。
このメンバーで試合をするなら、入場料は1,000円にして欲しいですし、水道橋駅から球場までシャトルバスを走らせて欲しいですし、ネット裏にはあの甲高い声で威勢のいいヤジや笑い声を発するTさんの姿も観たかったです<苦笑>。
敗戦処理。は初めから今シーズンを「我慢」の年と勝手に位置づけていますがこんな早い時期から「我慢」を強いられるとは思いもしませんでした。
金曜日の初戦。敗戦処理。は仕事の都合が付かず観戦できませんでしたが、仕事帰りに東京ドームに駆けつけたファイターズファンは一回表には間に合わずダルビッシュが2対0で完封勝ちした試合を観ることが出来たでしょう。
続く土曜日の試合ではエキサイトシートで観戦すると、(座っている位置がグラウンドとほぼ同じ高さなので)ホームランの打球を頭上に観るような感じで、打球が描く弧がなんて美しいのかということがわかったのが敗戦処理。の収穫でした<苦笑>。その本塁打攻勢のせいで1イニングに7点を取られる試合を見せた罪滅ぼしには東京のファンには特に絶大な人気を誇る田中幸雄様を登場させてお詫び代わり。
幸雄さんは二日間で四打席に立ち、今日の最終回に1989本目の安打を放ちました。来月、東京ドームでまた三連戦を行いますのでその時に通算2000本安打を達成して欲しいものです。
また今日は三連戦の締めくくりを飾るかのように七回表から武田勝、武田久、MICHEALと豪華リレーを見せてくれました。
敗戦処理。の様に後楽園球場の時代からこのチームを応援する身には慣れっこなのですが、北海道に移転してからファンになった方には今の状況を理解できない方も多いでしょう。北海道の方々には「熱しやすく冷めやすい」という気質があると聞きます。
北海道のファンの皆さん、敗戦処理。と一緒に「我慢」してみませんか?
ホークスは福岡に行ってから優勝するまでに11年かかりました。まだまだこのチームはこれから大きくなるのです。たぶん…。
今日のスタメンは本当に鎌ヶ谷でも観られそうな連中ばかりですが、この中の何人かがまた札幌ドームのファンを熱くさせてくれることでしょう。
ゴールデンイーグルスにまさかの三連敗を喫して少なからず動揺していたであろうホークスをすっかり生き返らせてしまったことはファイターズファンだけでなく、ホークス以外のパ・リーグのファン全体に影響を及ぼすことになりますが、B★Bもヒルマン監督の代わりに頭を下げていますので長い目で見てあげて下さい。
今日はたったの4点差だったのですが、観ていて反撃しそうな気がしませんでした。たまたま買ったスポーツニッポンを読んでいたら、渡部節郎氏の連載コラム「’07とことんパ・リーグ」でファイターズの小嶋武士顧問についてふれられていました。
小嶋さんは「日本ハム」が球団を持つようになってからフロントとしてずっとチームと関わってきて、先月まではオーナー代行職を務めていましたがこのたび定年を迎え、顧問という形で一線を退いたそうです。その小嶋さんがこれから一年をかけて「日本ハムファイターズ」の球団史を書くことにしたそうです。コラムではまだ発売時期や価格などの情報、それ以前に市販されるのかも書かれていませんが、これからもファイターズを応援しようという方々、特に北海道のファンの方々には発売されたらぜひ手にとって読んでいただきたいですね。
当然敗戦処理。もまだ内容を全く知りません。コラムでは第1次石油ショックの時期に何故日本ハムという会社が球団を持つことになったかということから北海道移転を決断した背景、ヒルマン監督招聘の理由などがつづられる予定だそうです。
もちろんこのチームはその前の日拓ホームの時代とか、東映の時代とか、伝説の大選手、大下弘さんがいた東急の時代があって、その積み重ねの上に現在の「北海道日本ハムファイターズ」が成り立っているのですが、現在の親会社「日本ハム」も、身売りなどによる球団変遷史の激しいパ・リーグにおいて「ロッテ」に続く二番目に長い歴史を持つ球団にいつの間にかなっていました。
このチームは「北海道ファイターズ」ではなく「北海道日本ハムファイターズ」なのです。
小嶋武士前オーナー代行が綴る球団史、楽しみですね。
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