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2007年6月27日 (水)

パ・リーグプレーオフ制度定着の陰の功労者木元邦之よ、ふるさと関西で蘇れ

01_34 26日、ファイターズ球団とバファローズ球団の間で2対2の交換トレードが成立した。ファイターズからは木元邦之内野手と清水章夫投手がバファローズに移り、バファローズから歌藤達夫投手と萩原淳投手がファイターズに移る。この中では敗戦処理。としては木元邦之に思い入れが深い。スラッガー内野手と期待されて2000年のドラフトで逆指名してファイターズに入団。一時はレギュラーポジションを確保したが腰痛に泣かされたり器用貧乏な守備が仇となったりで近年は低迷。今年は内野のポジションが空いたので大きなチャンスかと期待され、事実パ・リーグ開幕戦では「五番・一塁」でスタメン出場を果たした。しかし極度の打撃不振で二軍落ち。チームの北海道移転元年のAクラス入りに貢献し、プレーオフでもライオンズ時代の豊田清から同点本塁打を放ったあの打棒が蘇る日はまだ来ていない。

今季の木元は開幕戦でスタメン出場し、第二打席でタイムリーとなる初安打を放つ幸先良いスタートを切ったがこの安打を最後に極度の打撃不振で二軍落ち。再び一軍に上がってきたが打棒は振るわず、この日のトレードとなった。

今季の木元のファイターズでの成績は以下の通り。

一軍 18試合 35打数 3安打 0本塁打 1打点 打率.086

二軍 21試合  90打数21安打 1本塁打  4打点 打率.233

今年で29歳になる七年目。復活を賭けたシーズンにこの成績では求める球団があればトレードになっても仕方ないところだろう。敗戦処理。は旧ニフティのベースボールフォーラムでも、その後継のfolomyでもどちらかというと木元に好意的な発言に終始してきたが、それは率直に期待の表れ。潮時かなとは思っていたが、現実にトレードが発表されるとやはり淋しい。

ファンの間でも「未完の大器」あるいは「既にピークを過ぎた男」として語られることが多い木元だが、ここでは惜別の意味を込めてもう一つの側面から木元を評価してあげたい。

木元は2004年に導入されたパ・リーグのプレーオフ制度が定着した陰の功労者である。

ファイターズファンには敢えて語るまでも無かろうが、チームの北海道移転元年であった2004年。球界再編騒動に揺れる中、チームは勝率五割ギリギリでAクラス入りを果たし、シーズン2位のライオンズを相手にプレーオフ第一ステージに挑んだ。第1戦をライオンズが取り、第2戦をファイターズが取っての第3戦。勝った方がホークス相手の第二ステージに進むという大一番はファイターズが一回表に帆足和幸からフェルナンド・セギノールの先制3ランでリードするも、江尻慎太郎が中途半端なストレートを投げてアレックス・カブレラの餌食となり逆転満塁本塁打を浴びて3対4となり、その後1点を追加されて3対5で最終回を迎えた。ライオンズのマウンドには絶対的守護神の豊田清。ファイターズファンですら半信半疑な最後の攻撃で一塁に高橋信二を置いて木元が振り抜いた打球は高~く上がってライトスタンドへ落ちた。当日、三塁側ベンチの上の方で観戦した敗戦処理。は今でも脳裏にあの打球の軌道が焼き付いているが、あの年は不動のレギュラーだった木元とはいえ、豊田からあの一発を放つとは誰が予想しただろうか?同点や逆転を信じていたファイターズファンはSHINJOの前に走者を貯めることを考えていただろう。だがその前に、木元が同点にしてしまったのだ。

しかし勝利の女神は気まぐれだ。同点になったその裏、その年のパ・リーグ最優秀救援に輝いたファイターズのストッパー横山道哉が先頭の和田一浩にレフトポール際にサヨナラ本塁打を喫する。

短期決戦ならではの意外性、面白さ、怖さを凝縮したかのようなこの試合の九回表裏の攻防はファイターズとライオンズのファンのみならず、この試合をたまたま観ていたファンまでをも魅了した。そしてこの瞬間、アドバンテージの問題や、不公平な敗者復活戦と揶揄される矛盾をはらんだままスタートしたプレーオフ制度は「プレーオフって、おもしれぇじゃん!」とファンの間に定着してしまったといっても過言ではない。この年は第二ステージでもホークスとライオンズが大接戦を展開。翌2005年にはマリーンズがホークスを圧倒するかと思いきや、王手をかけた第三戦で小林雅英が最終回に4点のリードを守れないというまたしても信じがたい短期決戦のドラマが起きた。そして昨年は松坂大輔vs斉藤和巳の大熱投とファイターズの前に力投虚しく1点に泣いた斉藤和巳がマウンド上で崩れ落ちる姿が多くのファンの感動を呼んだ。

そしてとうとうセ・リーグも歩調を合わせてプレーオフを導入した。

すべては木元の一発から始まった。

あの試合、同じライオンズの勝ち試合でも九回表に豊田がいつものようにファイターズを三人で抑えていたら、その後のプレーオフ制度はどうなっていたか?矛盾点があるのは紛れもない事実なのでいろいろな論争が繰り広げられ、形を変えていたかもしれない。

日本プロ野球はあのプレーオフのあった2004年の再編騒動から大きな変革をしていない。まだまだ問題点を抱えたままだ。何年か先、あるいは何十年か先、2004年という年を振り返ったとき、あの年に初めて導入されたプレーオフが盛り上がったという事実は必ず呼び戻される。そしてその立役者は間違いなく木元邦之だ。

ひょっとしたら、木元邦之はあの一打で野球人生の運を使い尽くしたのかもしれない。トレードとなると必ず「心機一転」という四文字がついてくるが、木元は一転どころか十転か百転くらいしないとバファローズで蘇らないかもしれない。でも、バファローズ球団が必要としているのだ。百転で足りなければ二百転してでも蘇れ木元。

ファイターズに木元邦之という選手がいたことを敗戦処理。は決して忘れない。

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2007年6月25日 (月)

交流戦の陰の立て役者マスコット-B☆Bが完全アウェーのファンを勇気づける。

23日付本ブログで予告した通り、今日は甲子園まで出向き、タイガース対ファイターズの交流戦最終戦を生観戦してきました。

行きの新幹線で名古屋や京都あたりでは雨が強かったのでこれは無理かなと思いましたが、新大阪の駅では小降りになっていたので何とかなるかなという感じでした。そして大阪駅から梅田駅に回って阪神電車の切符を買っているところに駅員さんが「甲子園は先程開門しました。2番線の電車が一番先に甲子園に着きます」とアナウンスしていたのでほっとしました。

ただ敗戦処理。はよく見ればファイターズファンとわかる格好をしていたので阪神電車に乗った時に何とも言えぬ圧迫感を感じました。

例えば、福岡や札幌は圧倒的にホームのファンが多いと言っても、以前からジャイアンツなどセ・リーグのチームが試合を行っているので潜在的なファンの数がそこそこいるのですが、パ・リーグのチームが名古屋や広島に行くと、そこにファンはほとんどいません。普段行かないところにはファンが根付かないからでしょう。その点甲子園はパ・リーグ同士の試合ではバファローズ戦でこちらに遠征してきますから、この地域にファンは潜在的にいるのですが、タイガースファンの前には多勢に無勢。完全アウェーの雰囲気になってしまうようです。

しかもそれが球場の中だけでなく(親会社ということもあるのかもしれませんが)球場に向かう電車の中から圧迫感と孤独感を味わうはめになりました。

01_32 レフトスタンドを見渡しても、ファイターズファンはほんの一角のみに存在するというのがわかります。(写真は試合終了後に勝ちどきを上げるファイターズファン。周囲のタイガースファンが去ったためにこの一角のみファイターズファンだと一目瞭然の図)

敗戦処理。は三塁側オレンジシートという、一応はファイターズ側の席を事前に確保しておいたのですが周囲のどこを見渡してもファイターズファンらしき姿はありません。少しはいるのでしょうが、それとわかる格好をしていないのでしょう<>

そんな完全アウェーの中でひっそりと応援する敗戦処理。の様なファンにとって心強いのがマスコットの存在です。交流戦ではビジターチームのマスコットが登場することがしばしばあるのですが、この日もB☆Bが北海道から登場。ファウルエリアを走るB☆Bの姿に敗戦処理。は勇気づけられました。

試合の方は、ライアン・グリンが粘り強い投球でタイガース打線を翻弄し、打線も試合前半の少ないチャンスを確実に点に結びつけ、ファイターズが3対1で制しました。幸雄さんの打席を観ることも出来ましたし、JFKそろい踏みも堪能出来ました。最終回には背筋を痛めていたMICHEALが久々にイニングの頭から登板してぴしゃりと抑えるという、周囲を気にしなければこの上ない快勝でした。

敗戦処理。お気に入りの工藤隆人も連日のスタメン出場。タイガースの赤星憲広のJR東日本の後輩で同じ俊足好守の外野手ということで同じ背番号53をもらい、同じ赤色のリストバンドをしている選手なのですが「赤星さんの見ている前で盗塁を決めたい」という目標こそ逃したものの、二回表の攻撃では自らの安打で出塁し、三塁に進んだ後、稲田直人のさほど深くないセンターフライで赤星先輩の返球よりずっと早くホームイン出来たのは自信になったことでしょう。

なお工藤はこの試合で久保田智之から安打を放った。昨日の同カードでは藤川球児から安打を放っており、ジェフ・ウィリアムスからも打てばタイガース自慢のJFK総なめと言うところでしたが、八回表のウィリアムスとの対決では三振。残念!ちなみにこの三振で打率が七割を切った。

工藤が社会人時代の先輩である赤星を目標にするのは大いに結構だが、まずその前にチーム内で紺田敏正を超えなければならないのが実状だ。同じ左打ちの外野手で、俊足と強肩というところもそっくりかぶる。紺田の方が先にチャンスをつかみ、昨年から一軍に定着しているが泣き所は打撃。工藤がイースタン・リーグ打率二位の実績を売りに一軍昇格を成し遂げ、初打席から安打連続と言うことでかなり強烈なアピールになっているだろう。「チーム1のイケメン」といわれる紺田はピンチかもしれない。肩で紺田がやや上か。

01_33 ところで話は飛ぶが、他球団のマスコットとの競演では女性キャラのマスコットに手を出したり、いたずらし放題のB☆Bだが、この日は強面でなるトラッキーの目が気になったか、ラッキーに対して露骨なアピールはしていなかったようだ。五回終了時のハーフタイムでもトラッキー、ラッキーと仲良く?パフォーマンス。何をしているのかと目を凝らすと、どうやら今話題のエクササイズ、ビリーズ・ブート・キャンプのCMのパロディーをしているようだ。かなりわかりにくいギャグだが、理解したスタンドのファンには大受けしていたようだ。旬なネタを早速取り入れるとは、この熊はやはり只者、いや只物じゃない!

B☆Bの芸は相変わらず細かい。恒例のスタメン発表時の形態模写では前日のヒーロー、小谷野栄一の真似では鼻の下に指を立てて死球を受けた後の小谷野の様子を真似していた。また田中賢介の真似では何故かバント失敗のポーズをしていた<>。四番打者がコールされる時にフェルナンド・セギノールの真似をしようとして慌てて高橋信二の真似に代えていた。

B☆Bの物まねは相手チームのスタメン発表でもやっているが、今季初スタメンのタイガース坂克彦の時には「知らない」というポーズをしてタイガースファンに頭を下げていた。昨年、横浜スタジアムで観戦した時もB☆Bはベイスターズのスタメン選手の真似を必死でやっていた。同一リーグならまだしも、異なるリーグの選手で、それなりに特徴をとらえているのは凄いと思う。ただベイスターズ戦の時に種田仁が不出場だったことはB☆Bにとって気の毒だった。

試合終了後、前日は交流戦優勝決定とあってナインがレフトスタンドに挨拶に行ったが、今日はそれもなし。ヒーローインタビューを受けたグリンは応援団に向かって帽子を取って深々と頭を下げていたが、スタンドの方には歩み寄らなかった。それでもB☆Bはいつものように応援席の前まで全力疾走し、ファンの前で最後のパフォーマンスに務めていた。偉いぞB☆B!!

そして敗戦処理。は試合終了後に合流した知人のU氏とともに勝利の余韻に浸るべく隣のスーパー、ダイエー甲子園店へ。ここでもタイガースファンに囲まれながら二人だけでひっそりと祝杯を挙げた。

帰りに乗った新幹線の同じ車両にもタイガースファンとわかる格好の人がけっこういました。名古屋駅からはダイエーや南海時代のホークスのユニフォームを着た人が乗ってきました(さらにいえば京王線には東京ドームのジャイアンツ戦を観たと思われるジャイアンツファンの姿も)。

Photo_20 週末となると、ファンも遠征するのですね。高校野球なら三年前に観戦していますが、甲子園でのプロ野球観戦は9年ぶり二回目。グラウンドは綺麗だし、場内アナウンスも生で聞くと素敵ですね。このオフには模様替えするとのことで、既に蔦が見られませんでしたが、やはりここは聖地ですね。

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2007年6月23日 (土)

ファイターズが交流戦初制覇! そしてパ・リーグでも首位にゲーム差なしに接近!!

23日のセ・パ交流戦。ファイターズは交流戦2位のジャイアンツの勝敗にかかわらず勝つか引き分けるかで優勝が決まるという状況だったがタイガース相手に延長11回の末6対4と競り勝ち、交流戦三年目で初の優勝となった。過去二年、いずれも負け越していた交流戦での堂々の優勝は、今後の公式戦にも弾みとなって欲しいところだ。交流戦が始まる前、借金2のチームが今日のタイガース戦の勝利で貯金11となり、パ・リーグ首位のマリーンズにゲーム差なしというところまで迫った。さあ、これからパ・リーグを引っ掻き回すぞ!!

とにかく投手が良かった。

交流戦直前のホークス戦から連勝街道を走った訳だが、そのスタートが入団二年目の木下達生のプロ入り初完封劇だった。実はこのホークス戦では初戦に先発した八木智哉と、木下完封の翌日の試合に先発した金村曉がともにこの登板で離脱。木下は八木との入れ替えでの一軍入りだった。ただでさえ小笠原道大とSHINJOが抜けて打線が弱体化している中でローテーション投手二人が抜けての交流戦突入(しかもこの時期、ダルビッシュ有が疲労の蓄積でローテーションから離れていた。)は期間中に11連敗を喫した交流戦初年度の再現を敗戦処理。に想起させた。しかし実際にはこの三連戦でのこうした出来事が交流戦でのファイターズを暗示していたようだ。

しかも木下以外にも、高校卒ルーキーの吉川光夫が交流戦で先発ローテーション入りを果たしプロ入り初勝利。復帰したダルビッシュと、交流戦に入って調子を上げたライアン・グリンとともに先発ローテーションが出来上がった。

ファイターズにとって幸いだったのは今年の交流戦の試合数が削減され、一カードが二連戦単位になって連戦が最長で四日間だったこと。上記の四人に、後は中継ぎとのかけ持ちで武田勝が谷間を埋める形でファイターズは交流戦のローテを確立することが出来た。昨年までは六連戦が六周続く形だったので先発投手の頭数が揃っていないチームは苦戦を余儀なくされ、逆に平均的にレベルの高い先発投手を擁したマリーンズは二年連続で交流戦の頂点に立ったが、今年はその必要がなかった。そして勝ち続けるためには必要になる武田久とMICHEALの連投もある程度抑えられた。

ちなみに各球団とも交流戦期間中は先発投手を少数精鋭に絞ったがマリーンズだけは通常の先発六人衆を登板間隔が何日空こうが順番で先発させていた。

二年目の木下やルーキーの吉川が先発する試合では調子が上がらないと見るや押本健彦、江尻慎太郎に早めにスイッチ。特に今シーズンから中継ぎに回った江尻の働きは大きく、10日のジャイアンツ戦でのMICHEALの代役を務めて1点差の九回二死満塁のピンチを凌いだ場面や20日のカープ戦で二死満塁で打者前田智徳という場面を抑えたのは圧巻だった。(もっとも前者では最後に迎えた打者が安パイだったが<苦笑>)さらに目立たないが、5月25日のスワローズ戦で初登板初白星を挙げた入団四年目の金森敬之も徐々に戦力化している。金森はここまで四試合に登板し、計5イニングで打者16人に対して四球の走者を1人許しただけで被安打0、当然防御率も0だ。MICHEALと武田久が昨年ほど盤石でないことを考えると、今後金森が貴重な場面で投げる機会が増えるだろう。

投手陣の安定感が前面に出て、リーグ戦から続いた連勝記録の流れに乗って交流戦首位から一度も落ちずに逃げ切った。昨年日本一に輝いたチームが交流戦を制したと考えれば、別に騒ぐほど意外な結果ではないと思う向きがあるかもしれないが、敗戦処理。は別の見方をしている。

ファイターズは昨年日本一になったといっても、ほとんど優勝争いをしていない。実際昨年のファイターズがリーグ戦で首位に立っていた日数は十日に満たなかったという。9月に入った頃にプレーオフ出場権のあるAクラスをほぼ手中にしてからは「うまくいけば二位に入れるかな?」という位置をキープし、最後に首位に立って、最終戦となったホークスとの二連戦に連勝して首位で通過したという形だった。トレイ・ヒルマン監督等首脳陣はともかく、選手達には優勝争いを勝ち上がったという自覚は薄かったと推定できる。だとすれば今回の交流戦は、レギュラーシーズンとは同一とは言わないにしても、ファイターズナインにとって初めて意識した優勝争いなのではないか。そしてそれを勝ち抜いたことは、今後の今シーズンにおいて必ず生きてくるのではないか。

ファイターズファンの方は当然気がついておられるだろうが、今日(23)現在でファイターズはパ・リーグの順位でも首位のマリーンズにゲーム差なしの2位と最接近した。今年の交流戦では当初、軒並みパ・リーグのチームが好調でファイターズが交流戦全勝を続けてもリーグの順位でなかなかゲーム差が縮まらないという珍現象が起きていたが、やがてジャイアンツなどセ・リーグのチームの調子も上がり、マリーンズとファイターズのゲーム差も縮まっていった。今日の日刊スポーツによるとダルビッシュは「交流戦V? シーズンじゃないので何の価値もない」と語っていたが、公式戦の一部である交流戦のVに価値がない訳がない。先発予定日の前日に受けた取材で本音を隠すダルビッシュのコメントと読むのが妥当だろう。

昨年パ・リーグで勝率ナンバーワンだったファイターズの年間の貯金は28だった。(8254敗0分け)実はこの28という数字は昨年徹底的にカモにしたバファローズ戦とゴールデンイーグルス戦での貯金の合計と一致する。(対バファローズ戦、対ゴールデンイーグルス戦ともに17勝3敗。合計34勝6敗で貯金28)ファイターズは今年も今のところこの両チームには対戦成績で勝ち越しているが、プロのチームが同じチームに二年続けてこれほど大敗するとは考えにくく、ファイターズが昨年並みに勝ち上がるためにはこの両チームからの貯金の目減り分をどこかで補わなければならない。それがこの交流戦である。

ファイターズは昨年の交流戦に1719敗で借金2。今年の交流戦は23日現在で17勝4敗1分けで貯金13だから、昨年との差し引きでプラス15だ。これで28から減らざるを得ないであろう下位二球団からの貯金分を少しでも埋められる。ファイターズにとっては交流戦での好成績は必須条項だったのである。

ここまで投手のことばかり書いてきたが、交流戦期間中に上がってきた川島慶三、工藤隆人が一軍に気後れせずにプレーしているのも頼もしい。交流戦優勝のかかった今日の試合で「六番・レフト」でスタメン出場した工藤は藤川球児からの1本を含む三安打と活躍。打率を.714とした。いや下げた<>

そして何より敗戦処理。的には5月の田中幸雄2000本安打カウントダウンの中、東京ドームでの対ゴールデンイーグルス三連戦を平日なのに通い詰め、最終日に敗戦処理。の到着前に金字塔を達成してくれ、ともすれば田中幸雄本人でなく敗戦処理。の方が燃え尽き症候群になりかけていた中、連勝街道&交流戦優勝争いということで未然に防いでくれたチームとナインに感謝の言葉を贈りたい。

ファイターズナインよ、交流戦初優勝おめでとう、そしてありがとう。

そして敗戦処理。は田中幸雄の2000本安打に間に合わなかったのに続き、またもニアミスで明日、甲子園でタイガース戦を観戦する予定になっている<苦笑>。一日違いという点ではかつて清原和博の通算2000本安打も敗戦処理。の観戦予定試合の前日に達成されてしまったし、「ON対決」と呼ばれた2000年の日本シリーズの第7戦を知人からチケットを入手して観戦予定だったが第六戦でジャイアンツが日本一。さかのぼれば王貞治の通算756号本塁打も敗戦処理。の観戦予定試合の前日に達成された。

交流戦優勝決定の翌日とはいえ、明日の試合は消化試合ではない。ファイターズが勝ち、マリーンズが負けるか引き分けるか、あるいは試合が流れればファイターズがパ・リーグの首位に立つという重要な試合だ。甲子園球場でプロ野球の試合を生観戦するのは九年ぶり。あの球場独特の雰囲気を味わいながら、ファイターズ首位浮上の瞬間に立ち会えたら最高である。

【参考】昨年と今年のファイターズの対戦相手別貯金構成

(今年は6月23日現在)

相手  昨年  今年

対L  -6  +1

対H  +4  -5

対M  +4  -1

対Bs +14       +1

対GE +14       +2

交流戦 -2    +13

計   +28  +11

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2007年6月16日 (土)

「生」観戦した野球場(34)-高崎市城南球場

02_14 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

34回 高崎市城南球場 観戦球場ファイル-31

2003年8月16日にイースタン・リーグ公式戦、スワローズ対ジャイアンツ戦観戦に訪れた群馬県高崎市の高崎市城南球場を取り上げる。JR高崎駅から上信電鉄に乗り換えて南高崎へ。ここから歩いて10分ほどの所にあるのだが、歩いても歩いても住宅街で、「どこに野球場があるのか?」という雰囲気の中に突然野球場、運動施設が現れるという感じだ。

両翼が95mで中堅が120m。外野が天然芝で内野は土。ナイトゲームが出来る設備を有する。プロ野球で使う群馬県の球場というとオープン戦でジャイアンツが主催試合を行っていた前橋総合運動公園野球場の方が一般的には知名度が上だろうが、近年、スワローズやライオンズのファームがジャイアンツを相手に行うイースタン公式戦が定期的に行われていて地元には根付いているという。

今年5月にこの球場で行われたライオンズのファームとジャイアンツとの試合では河原純一や江藤智が出場して他の選手より大きな歓声を浴びていたそうだが、球団の本拠地のない地域での試合開催では地元出身選手か、かつて一軍で活躍した有名選手でもいないとスタンドが盛り上がらないという側面がある。敗戦処理。が観戦した四年前の試合でも元木大介がスタメン出場して先制タイムリーを放って大きな拍手を受けていたが、元木が途中で退いてからは何かスタンドが静かになった感じがしたほどだ。

ファームをセとパではなく、東と西で分けているのは移動にかかる費用を削減できるからだろうが、イースタン・リーグは「イースタン」(=東日本)と名付けられていても一球団を除き関東に集中しているのが実態。東日本全域での試合開催が無理ならば、群馬、茨城などでの開催を少しずつでも増やして欲しいものだ。

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2007年6月11日 (月)

気が付いたら東京ドームに行ってました…。 あるジャイアンツ&ファイターズファンのジレンマ

敗戦処理。はシーズン中に憂鬱になる時期が二回あります。それは贔屓チームが不振のどん底に落ちている時期という訳ではなく、贔屓チームであるジャイアンツとファイターズが交流戦で年に二回、直接対決する時です。今回も10日の東京ドームでの対戦は日曜日ということもあり、それぞれのファンの知人友人から「一緒に観戦しないか」と声をかけてもらいましたが、すべて丁重に遠慮しました。しかし、そうは言っても一方のジャイアンツは「栄光のV9シリーズ」と銘打ってV9時代のユニフォームを復刻したり、8日のゴールデンイーグルス戦ではV9メンバーが試合前に各ポジションに立つというセレモニーをしており、この対戦ではビジターユニを着るとのこと。これは何とも観たいところです。

そんなことを考えながら今シーズン二度目、5月の22日、23日に続き、季節外れの冬眠に入っていたところ、アイマスクを付けられて何者かに拉致され、映画「スター・ウォーズ」の「インペリアルマーチ(通称:ダース・ベイダーのテーマ)」がBGMに流れるなか、どこかに連れられました。気が付くと東京ドームの前に立っていました<冗>。

01_29 試合前の22番ゲート前広場では、ジャイアンツOBの柴田勲さんのサイン会が行われていました。これは「栄光のV9…」とは関係なく、昨年から実施されている「おやG」というOBによるトークショーで、この日は悪天候を懸念してトークショーを中止にしてサイン会のみにしたようです。

サイン会は事前に申し込んだ人のみが対象で、対象者には色紙と、協賛スポンサーからのオロナミンC1本と、なぜか週刊ベースボールの最新号が配られていました。

OBゲストが国松彰さんだったら、ナボナが配られていたのでしょうか?

開始時には実際には晴れていたので柴田さんはサービスでトークを始めました。インターネットなどで流布されているのとは違う「赤い手袋」誕生秘話などを語っていました。

最初に「質問でも受け付けましょうか?」と切り出し、自ら「金儲けの話はダメよ。こっちが聞きたいくらい」とボケ、左手の小指を立てて「こっちの話ならあるけれどね」などと言って笑いを取っていました。

柴田さんが小指を立てると「小指の想い出」を連想してしまう人はおそらく四十歳代後半か、それ以上です<>

柴田さんは8日のセレモニーについても触れ、「センターの守備位置まで小走りで行ったけど、センターの守備位置までがやたらに遠く感じた。昔なら走ってすぐに行けたんですけどね」と語っていましたが、なかなかどうして、敗戦処理。はNHKハイビジョンの中継でその模様を観ましたが、スピードはともかく小走りする時の仕草が現役時代と変わらないので懐かしさが倍増したほどでした。

そして、22番ゲート横で収益金の一部を骨髄バンクの財団に寄付しているというGバンドを、先日のセレモニーで土井正三さんの車椅子を押していた、V9時代の名・控え内野手上田武司さんが売っていたので購入してからゲートをくぐりました。

Photo_19 敗戦処理。が自分の席に着いた時にはちょうどファイターズが打撃練習をしていましたが、それが終わると、ファイターズナインと入れ替わりにジャイアンツナインが守備練習に出てきました。ジャイアンツの選手達は、ブルーがかった、あの懐かしいV9時代のビジターユニを着ています。もちろん、8日、9日の試合で披露したホームユニと同様に背中にネームがありません。

いや~、懐かしいなぁ。

(写真:V9時代のビジユニを着て守備練習に加わる小笠原道大と、話しかけるファイターズの高橋信二と田中賢介)

これだけでも今日の目標の半分弱くらいは達成した感じです<笑>。

そして今日のV9時代のOBによる始球式は「エースのジョー」こと、城之内邦雄さんでした。

01_30 実はこの始球式も、敗戦処理。が東京ドームに足を運んだ理由の一つです。

敗戦処理。が初めて生で観戦した試合の先発投手が城之内さんだったからです。

もっともその時城之内さんが着ていたのはジャイアンツのユニフォームではなく、ジャイアンツの対戦相手、オリオンズのユニフォームでした。オリオンズ先発の城之内さんはジャイアンツの主砲、王貞治に大きな本塁打を浴びて初回のみでマウンドを降りました。

オリオンズの城之内-というのはオールドファンにも馴染みが薄いかもしれませんが、実は当時のオリオンズの監督であった金田正一さんが、一度現役を引退していた城之内さんを引っ張ったのでした。

金田さんといえば400勝ですが、400勝目の試合の先発が城之内さんで、勝利投手の権利を得る直前まで城之内さんが投げ、その後を金田さんが投げて金田さんに勝利投手が転がり込むようにしたそうです。ところが城之内さんはその試合の査定で勝利投手扱いにならなかったそうで、その後成績が振るわなくなって引退した城之内さんが現役に未練を持っていることを知った金田さんが獲得したそうです。もちろん当時小学生だった敗戦処理。はそんな背景を知るよしもなく、大きな本塁打を放った王選手に感動していただけでしたが。

ネットで城之内さんのことを検索するとV9時代のジャイアンツの主力選手だったことの次に、元おニャン子クラブの城之内早苗のおじさんであることが書かれているでしょうが、こうしたエピソードもあったのです。

試合の方は、どちらかが勝てばどちらかが負けてしまうので、どういう結果に終わっても大はしゃぎ出来ないのでここでも細かくは触れません。

ただ、以前に別エントリーでも触れたファイターズ応援団やファンによる小笠原道大へのブーイングはこの日も行われていました。

しかし、この試合でファイターズファンから最も大きなブーイングを浴びたのは小笠原ではありませんでした。

六回表の守備で田中賢介のバントの打球を処理しようとして捕手の阿部慎之助が負傷した際、レフトスタンドからはにわかに「實松コール」が起き始めました。そうです。ファイターズファンは實松一成の登場を待ち望んでいたのです!にもかかわらず阿部の代わりの捕手が加藤健だったとわかった時のレフトスタンドからのブーイングは小笠原の打席の比ではありませんでした。

阿部がこの前日から四番に入っていましたから、「四番、キャッチャー實松」というアナウンスを聞ける千載一遇のチャンスだったので敗戦処理。も實松出場を期待したのですが…。

それでも八回表のジャイアンツの攻撃で四番の加藤に代打木村拓也が起用されたので三人目の捕手に實松が起用されることが確実になり、いよいよ「四番キャッチャー實松」の実現かと胸が高まりましたが、あろうことか原辰徳監督は木村拓を残し、谷佳知を退けて實松を四番でなく、二番に入れてしまいました!

01_31 結果的にはそれにより、ジャイアンツの二番から四番までがいずれもファイターズ出身の選手になるという喜んでいいのか、悲しむべきなのかわからないラインアップを見ることが出来ました<苦笑>

しかし、試合途中での出場とはいえ、天下の「巨人の四番」ですよ。

栄光のV9時代と同じユニフォームを着て「四番キャッチャー實松」と呼ばれるなんて、二度と無いチャンスですよ。

それとも、その座をかつて「聖域」と表現した原監督には貧打の代名詞のような實松を一時的にとはいえ「巨人の聖域」に位置するのを嫌がったのか(さすがにそこまでは考えなかったでしょうが<苦笑>)、とにかく「四番キャッチャー實松」は幻に終わりました。

結局この難解な選手配置が試合の明暗を分けます。事実上最後の捕手となる實松を打順の最も遠い所に入れるのが常識だと思うのですが、原監督はそういうことを考えなかったのでしょうか?仮に谷を引っ込めなければならない事情があったにしても谷の代わりの選手を谷の打順に入れ、木村拓で終わったのですから實松をそこに入れるべきなのです。そして運が悪いというか、ファイターズファンにとっては九死に一生を得たというか、1点差の九回裏に二死満塁で打者實松という場面が実現してしまうのです。

實松の二人前の矢野謙次が一死一、三塁からサインミスとしか考えられないバントをして二死二、三塁に代わった時、打席に高橋由伸を迎えてもファイターズファンは勝利を確信したことでしょう。

もっとも、その矢野の場面で武田久に代わってマウンドに上がったのがMICHEALではなく、江尻慎太郎だった時点でファイターズファンもサヨナラ負けを覚悟したでしょうが…<苦笑>

その結果は敢えて書きません。

敗戦処理。としては途中退場した阿部の状態と、当然投入のケースで登場しなかったMICHEALが心配です。

明日、もう一試合このカードが残っていますが、真面目に仕事をし、終わったら脇目もふらずに帰宅することでしょう。そして早く寝ます。

来年の交流戦でのこのカードは、もう見に行きません。心臓に悪すぎます。

でも、その前に日本シリーズで再会することを祈ります。

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2007年6月 9日 (土)

連勝は14で止まったけれど…。ファイターズの快進撃支えた防御率0.54、13試合連続セーブポイントの究極のクローザーの存在

5月19日から続いていたファイターズの連勝が今日(9日)の対スワローズ戦で、14で止まった。交流戦では初黒星だ。その原動力は何といっても投手陣。金村曉や八木智哉の離脱、新外国人ブライアン・スウィーニーの期待外れという誤算を補って余りある若手投手の台頭で昨年より明らかに得点力が落ちている攻撃陣をカバーしている。

そして今回取り上げたいのが、そろそろ各メディアも取り上げ始めているかもしれないが、ファイターズの快進撃を支える究極のストッパーの存在だ。勝ち試合の終盤に登場し、防御率0.5413試合連続セーブポイントを継続中だった究極のクローザーだ。MICHEALでもない。武田久でもない。彼らが登板するとともにマスクをかぶる21年目のベテラン捕手・中嶋聡の存在だ。

皮肉にも連勝の止まった今日の試合で中嶋の連続セーブポイントも止まった。

2対2の同点で迎えた延長十回裏、この回からマウンドに上がった二番手の武田久が鈴木健にサヨナラタイムリーを浴びた。エースのダルビッシュ有が先発し、武田久を注ぎ込んでの黒星。今日も武田久投入に合わせて捕手を鶴岡慎也から中嶋に代えていた。

武田久のいつものパターンはファイターズがリードしている状況で登板し、抑えのMICHEALまでつなぐのが役割だが、武田久登板と同時に捕手も中嶋聡に代わるのがファイターズの昨年からの勝利の方程式。武田久を使わずにMICHEALを投入するときでも同様。MICHEAL投入とともに中嶋が出てくるのが通例だ。

中嶋は今季、18試合にマスクをかぶっている。すべては試合途中からの出場で先発出場はない。中嶋がマスクをかぶっている時の成績を投手成績で当てはめてみた。

中嶋聡 

18試合 1勝2敗14S 34 自責点3 防御率0.79

投手と同じ基準でイニング数、勝敗、セーブ、自責点を計算し、防御率も算出した。ちなみに8日の降雨コールド勝ちのスワローズ戦は中嶋が2対0とリードした七回裏からマスクをかぶり、この回を終えてからコールドゲームになったのでセーブに含めている。そして中嶋は今日の試合で「敗戦捕手」になるまで5月16日のゴールデンイーグルス戦から13試合連続セーブポイント継続中なのであった。継続中だった前日までの防御率が冒頭のタイトル通り0.54だったのだ。

昨日までのファイターズの14連勝の期間も中嶋の存在なくしては語れない14試合中、中嶋が出場しなかったのは1勝目の木下達生が完封勝ちした試合とダルビッシュがジャイアンツ相手に完投勝ちした試合、この二試合のみだ。トレイ・ヒルマン監督は先発投手に完投させる時には捕手を変えない。武田久、MICHEALの出番、あるいは武田勝や昨年なら岡島秀樹を勝ち試合の終盤に投入する時に投手交代とともに捕手もセットで変えるというのが一般的な起用法だ。したがって中嶋とバッテリーを組む投手も限られる。今シーズンでは武田久、MICHEALの他には武田勝と押本健彦、金森敬之しか中嶋とバッテリーを組んでいない。

中嶋とバッテリーを組んだ投手の、中嶋とのバッテリーでの防御率。

武田久

12試合 14回1/3 自責点3 防御率1.88

MICHEAL

14試合 15回 自責点0 防御率0.00

武田勝

2試合 1回2/3 自責点0 防御率0.00

金森敬之

2試合 2回 自責点0 防御率0.00

押本健彦

1試合 1回 自責点0 防御率0.00

実質的に中嶋は武田久とMICHEAL専属のクローザー捕手といっても過言でない状況だ。

中嶋は今シーズンからコーチ兼任となったが、実は開幕から選手として一軍登録されたが、3月29日に出場登録を抹消されてから5月9日に再登録されるまで選手登録されていない期間があった。さらに細かくいうと開幕から3月29日に抹消されるまでの間は出場していない。今シーズンの初出場は5月10日のホークス戦だ。中嶋がいないとどうなるのか。勝ち試合用のセットアッパーとクローザーの武田久とMICHEALが中嶋以外とバッテリーを組んだ場合の防御率を調べてみた。

MICHEAL

9試合 9回1/3 自責点4 防御率3.86

武田久

16試合 18回2/3 自責点4 防御率1.93

武田久は大差ないがMICHEALは中嶋とバッテリーを組む時よりも鶴岡や高橋信二とバッテリーを組んだ時の方が防御率が悪くなっている。

敗戦処理。は正直に言って、捕手の優劣を語るほど捕手の能力に精通していない。しかし一軍でマスクをかぶるようになって実質まだ二年目の鶴岡や、2004年には完全に制捕手の座を独り占めにしたもののその後伸び悩んでいる感のある高橋が未熟というよりも、今年で21年目という中嶋の円熟味のあるリードの方が一枚も二枚も上だというのが実状なのではないか。

中嶋は先月通算2000本安打を達成した田中幸雄より一学年したで現在38歳。捕手は経験を積めば積むほど深みのあるリードが出来るようになると言うが、その深みのあるリードを最大限活かせるようにとヒルマン監督が考えたのがクローザー捕手としての起用だろう。

鶴岡や高橋には中嶋が現役でマスクをかぶっている間に出来るだけ中嶋の良さを吸収して欲しいところだが、中嶋にもまだまだベテランならではのリードを見せて欲しい。スワローズの古田敦也兼任監督は現在41歳。「生涯一捕手」現ゴールデンイーグルスの野村克也監督は45歳まで現役を続けていた。いずれは後継者育成という課題が表面化するだろうが中嶋には一年でも長くクローザー捕手としての輝きを発揮し続けて欲しいものだ。

(記録、年齢は2007年6月9日現在)

追記

6月9日18時31分にエントリーした本稿に重大な事実誤認があったのでその部分に関し、書き直しました。9日のスワローズ対ファイターズ戦の十回裏、武田久登板時に捕手が中嶋に代わっていないと誤認していたため、修正を加えました。記録に関しても修正しています。

6月9日22時30分 敗戦処理。

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2007年6月 3日 (日)

それは違うだろう?ジャイアンツの新外国人GGがフューチャーズの先発投手として登板

Photo_18 ジャイアンツの新外国人選手、GGが5月26日のイースタン・リーグチャレンジ・マッチ、ジャイアンツ対フューチャーズ戦にジャイアンツの先発投手として登板したのに続き、2日に再びチャレンジ・マッチで実戦のマウンドに上がったが、今度はフューチャーズの先発投手としてマウンドに上がった。オイオイ、それは違うだろう?自称フューチャーズウオッチャー<笑>の敗戦処理。としては一言言いたい!

この日のイースタン・リーグチャレンジ・マッチ(以下:チャレンジ・マッチ)はマリーンズ対フューチャーズ戦。GGはフューチャーズの一員になり、先発のマウンドに上がった。敗戦処理。はこの試合を生観戦した訳ではなく、このエントリーを書き込んでいる時点でGGの詳細な登板結果を把握していないが、試合序盤にマリーンズが得点を入れていないのでGGは無失点だったのだろう。だが、登板結果以前の問題として趣旨が違うだろうと言いたいのである。

チャレンジ・マッチの趣旨については本ブログの4月15日付エントリーイースタン・リーグ チャレンジ・マッチを実際に観てきました。で触れたので参照していただきたいが、要するにリーグの球団数が奇数になったため、試合を組めない球団の対戦相手を確保することと、育成選手やファームでも出場機会に恵まれない選手にチャンスを与えるものである。もちろんフューチャーズと対戦する側の球団は誰を試合で使おうがその球団の自由であり、この試合の一週間前のジャイアンツ対フューチャーズ戦のようにジャイアンツが新外国人のGGをテストしようが、それは球団の自由だと思うが、推定年俸5000万円で一軍で先発ローテーションの一角を担うことを目的で獲得した外国人選手の調整登板のためにフューチャーズの一員にするのは筋違いだろう。

日本野球機構(NPB)の公式HPの中の、2007年度 イースタン・リーグ チャレンジ・マッチ 開催要項によるとフューチャーズの選手の出場資格は出場登録選手(1軍)以外の全選手(育成選手、研修生を含む)」となっているから規定には抵触しない。しかしイースタン・リーグが発行している「プロ野球 イースタン・リーグ観戦ガイド2007に掲載されているイースタン・リーグの大越英雄イースタン・リーグ事務局長へのインタビュー記事にこんな一問一答がある。

1軍に定着しきれていない、といった選手も出場は可能ですか。

1軍の登録を外れたときは、もちろん対象となります。しかし、開催趣旨から言えば、1軍昇格に近い選手は、イースタン・リーグの公式戦で鍛えてもらい、「チャレンジ・マッチ」はファームの公式戦に出場する機会が少ない選手が主体となるでしょう。

GGは「1軍に定着しきれていない選手」とは事情が異なるが「1軍昇格が近い」選手と同義であるといって差し支えあるまい。そもそもこの日、ジャイアンツのファームは金沢でゴールデンイーグルスと公式戦を行っており、そこで投げさせれば済む話だ。リーグ公式戦には先発させず、非公式試合であるチャレンジ・マッチに投げさせたのは何か事情があるのか?

チャレンジ・マッチの成り立ちがジャイアンツの清武英利球団代表とマリーンズの瀬戸山隆三球団社長兼球団代表の肝いりで進められたものであるということは、本ブログでチャレンジ・マッチやフューチャーズを取り上げる際に何度か書いてきた。その経緯をふまえれば、今回のGG登板は株式でいうところの「創業者利益」といったところか。せっかく立派な趣旨の上に成り立ってスタートした新制度を、一球団の恣意的な事情に使われるのを見過ごしていたら…、他球団は創業者に遠慮せず、「それは違うだろう?」と明確に抗議すべきであろう。

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2007年6月 1日 (金)

「生」観戦した野球場(33)-越谷市民球場

01_15 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

33回 越谷市民球場 観戦球場ファイル-30

今年のゴールデンウイークには初めて訪れる球場での観戦が相次いだため先月の二度の紹介では直近に観戦した球場について書いてきたが、再び順を追って書いていこう。4月16日付エントリーで29個目の観戦球場となったさいたま市営大宮球場を取り上げたので、その五ヶ月後に訪れた越谷市民球場を取り上げる。

切りの良い30個目の観戦球場は埼玉県越谷市にある越谷市民球場となった。20021014日の体育の日。秋季教育リーグ、ジャイアンツ対カープ戦を生観戦した。

東武伊勢崎線の越谷駅からバスで10分ほどの「総合公園」で下車するとすぐなのだが、この試合の日には通常の便以外に臨時便がでていたようだ。近年では秋季教育リーグは宮崎県でのフェニックスリーグというのが定番になっているがこの年はこの球場他、関東地方で集中して行われた。ジャイアンツの相手がウエスタンのカープということからもわかる通り交流戦的意味合いもあり、この辺が各リーグ内での対戦を原則とする春季教育リーグとは様相を異にする。

プロ野球での使用は、専らイースタン・リーグで一軍戦での使用はないらしい。2007年の日程表を観ると一試合だけ組まれており、422日にジャイアンツ対マリーンズ戦が行われた。

敗戦処理。が観戦したこの時のジャイアンツ対カープ戦ではジャイアンツの三番手として登板した当時新人の林昌範が印象に残った。ダイナミックなフォームからの快速球でカープ打線を手玉に取っていたが、2イニング目にこのシーズンから一軍で頭角を現し始めたカープの栗原健太にセンターオーバーの特大アーチを浴びているが、スケールの大きさを感じた。林を生で観たのはこの時が最初でなく春季教育リーグでの鎌ヶ谷だったと記憶しているが第一印象でのインパクトではその二年前の條辺剛のド迫力に接した時に近いものだった。ちなみに蛇足ながら林は鎌ヶ谷の隣の船橋市出身ということもあり、鎌ヶ谷ではビジターながら結構な拍手で迎えられていた。

球場に対する印象はこれといってなかったが、資料によると両翼98m、中堅122mとなっている。二軍戦レベルの球場に事欠かない埼玉県下でもこれだけの広さを持つ球場は(ライオンズの本拠地を別にすれば)なかなか無いだろう。ライオンズのファームや、スワローズが埼玉県下でのイースタン開催に力を入れている。そしてその受け皿としての球場が整っている。サッカー熱の強い埼玉県にあって、このような市民球場の存在は野球界としては心強いものがあろう。

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