パ・リーグプレーオフ制度定着の陰の功労者木元邦之よ、ふるさと関西で蘇れ
26日、ファイターズ球団とバファローズ球団の間で2対2の交換トレードが成立した。ファイターズからは木元邦之内野手と清水章夫投手がバファローズに移り、バファローズから歌藤達夫投手と萩原淳投手がファイターズに移る。この中では敗戦処理。としては木元邦之に思い入れが深い。スラッガー内野手と期待されて2000年のドラフトで逆指名してファイターズに入団。一時はレギュラーポジションを確保したが腰痛に泣かされたり器用貧乏な守備が仇となったりで近年は低迷。今年は内野のポジションが空いたので大きなチャンスかと期待され、事実パ・リーグ開幕戦では「五番・一塁」でスタメン出場を果たした。しかし極度の打撃不振で二軍落ち。チームの北海道移転元年のAクラス入りに貢献し、プレーオフでもライオンズ時代の豊田清から同点本塁打を放ったあの打棒が蘇る日はまだ来ていない。
今季の木元は開幕戦でスタメン出場し、第二打席でタイムリーとなる初安打を放つ幸先良いスタートを切ったがこの安打を最後に極度の打撃不振で二軍落ち。再び一軍に上がってきたが打棒は振るわず、この日のトレードとなった。
今季の木元のファイターズでの成績は以下の通り。
一軍 18試合 35打数 3安打 0本塁打 1打点 打率.086
二軍 21試合 90打数21安打 1本塁打 4打点 打率.233
今年で29歳になる七年目。復活を賭けたシーズンにこの成績では求める球団があればトレードになっても仕方ないところだろう。敗戦処理。は旧ニフティのベースボールフォーラムでも、その後継のfolomyでもどちらかというと木元に好意的な発言に終始してきたが、それは率直に期待の表れ。潮時かなとは思っていたが、現実にトレードが発表されるとやはり淋しい。
ファンの間でも「未完の大器」あるいは「既にピークを過ぎた男」として語られることが多い木元だが、ここでは惜別の意味を込めてもう一つの側面から木元を評価してあげたい。
木元は2004年に導入されたパ・リーグのプレーオフ制度が定着した陰の功労者である。
ファイターズファンには敢えて語るまでも無かろうが、チームの北海道移転元年であった2004年。球界再編騒動に揺れる中、チームは勝率五割ギリギリでAクラス入りを果たし、シーズン2位のライオンズを相手にプレーオフ第一ステージに挑んだ。第1戦をライオンズが取り、第2戦をファイターズが取っての第3戦。勝った方がホークス相手の第二ステージに進むという大一番はファイターズが一回表に帆足和幸からフェルナンド・セギノールの先制3ランでリードするも、江尻慎太郎が中途半端なストレートを投げてアレックス・カブレラの餌食となり逆転満塁本塁打を浴びて3対4となり、その後1点を追加されて3対5で最終回を迎えた。ライオンズのマウンドには絶対的守護神の豊田清。ファイターズファンですら半信半疑な最後の攻撃で一塁に高橋信二を置いて木元が振り抜いた打球は高~く上がってライトスタンドへ落ちた。当日、三塁側ベンチの上の方で観戦した敗戦処理。は今でも脳裏にあの打球の軌道が焼き付いているが、あの年は不動のレギュラーだった木元とはいえ、豊田からあの一発を放つとは誰が予想しただろうか?同点や逆転を信じていたファイターズファンはSHINJOの前に走者を貯めることを考えていただろう。だがその前に、木元が同点にしてしまったのだ。
しかし勝利の女神は気まぐれだ。同点になったその裏、その年のパ・リーグ最優秀救援に輝いたファイターズのストッパー横山道哉が先頭の和田一浩にレフトポール際にサヨナラ本塁打を喫する。
短期決戦ならではの意外性、面白さ、怖さを凝縮したかのようなこの試合の九回表裏の攻防はファイターズとライオンズのファンのみならず、この試合をたまたま観ていたファンまでをも魅了した。そしてこの瞬間、アドバンテージの問題や、不公平な敗者復活戦と揶揄される矛盾をはらんだままスタートしたプレーオフ制度は「プレーオフって、おもしれぇじゃん!」とファンの間に定着してしまったといっても過言ではない。この年は第二ステージでもホークスとライオンズが大接戦を展開。翌2005年にはマリーンズがホークスを圧倒するかと思いきや、王手をかけた第三戦で小林雅英が最終回に4点のリードを守れないというまたしても信じがたい短期決戦のドラマが起きた。そして昨年は松坂大輔vs斉藤和巳の大熱投とファイターズの前に力投虚しく1点に泣いた斉藤和巳がマウンド上で崩れ落ちる姿が多くのファンの感動を呼んだ。
そしてとうとうセ・リーグも歩調を合わせてプレーオフを導入した。
すべては木元の一発から始まった。
あの試合、同じライオンズの勝ち試合でも九回表に豊田がいつものようにファイターズを三人で抑えていたら、その後のプレーオフ制度はどうなっていたか?矛盾点があるのは紛れもない事実なのでいろいろな論争が繰り広げられ、形を変えていたかもしれない。
日本プロ野球はあのプレーオフのあった2004年の再編騒動から大きな変革をしていない。まだまだ問題点を抱えたままだ。何年か先、あるいは何十年か先、2004年という年を振り返ったとき、あの年に初めて導入されたプレーオフが盛り上がったという事実は必ず呼び戻される。そしてその立役者は間違いなく木元邦之だ。
ひょっとしたら、木元邦之はあの一打で野球人生の運を使い尽くしたのかもしれない。トレードとなると必ず「心機一転」という四文字がついてくるが、木元は一転どころか十転か百転くらいしないとバファローズで蘇らないかもしれない。でも、バファローズ球団が必要としているのだ。百転で足りなければ二百転してでも蘇れ木元。
ファイターズに木元邦之という選手がいたことを敗戦処理。は決して忘れない。
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