「生」観戦した野球場(36)-南長野運動公園野球場
一般には愛称である「長野オリンピックスタジアム」の名前で親しまれている球場と言った方がわかりやすいだろう。もっとも今でこそ地元では「オリスタ」の愛称が定着しているようだが当初は「オリンピック」の名称が使えない恐れもあったという。その場合は設立の経緯から「ツツミスタジアム」とでも呼ばれるのだろうかとも揶揄された<苦笑>。
長野冬季五輪の開催を機に設立され、1998年の同五輪では開会式、閉会式の会場としても使用された。プロ野球では2000年から毎年コンスタントに一軍公式戦が開催されており、2004年にはプロ野球オールスターゲームも開催された。両翼99.1mでセンターが122m。観客収容人数が35,000人という規模でプロ野球(NPB)球団のホームタウンでない県にこれほどの施設があるのは稀なことから、ファンレベルでのエクスパンション構想では必ずといってもいいほど新球団のホームタウンに勝手に祭り上げられる。
アクセスはJR長野駅からJR篠ノ井線に乗り換え、篠ノ井駅から徒歩30分の距離だそうだが、プロ野球開催時には篠ノ井駅から臨時バスが運行されるようだ。
敗戦処理。が観戦したのは2003年のファーム日本選手権。ファイターズ対タイガース戦で、10月11日に行われた。
イースタン・リーグの優勝チームとウエスタン・リーグの優勝チームが一試合勝負でファーム日本一を争う試合で、毎年9月下旬か10月上旬に当該チームの本拠地ではなく、地方球場で開催される傾向にあったが、一昨年はスカイマークスタジアム、昨年と今年はゴールデンイーグルスがファームの本拠地として使用している山形県野球場で組まれている。
この試合の観戦時に付けたスコアブックによると、タイガースの先発は江草仁貴でファイターズは隼人(中村隼人)。サウスポーの江草は1イニングを投げただけで故障でマウンドを降りたのだが、二回からマウンドに上がったのがこの年一軍も優勝したタイガースにおいて日本シリーズの秘密兵器になるのではと目された谷中真二で、ファイターズファンとしては「それは違うだろう?」と怒りたくなったのが記憶に残っている。結局投手戦の末、七回と八回にタイガースが早川健一郎、斉藤秀光の一発攻勢を浴びせて3対0でファイターズを下した。八回と九回のタイガースのマウンドに上がったのは今を時めく藤川球児だった。
ファイターズのファームはこの年と2004年にリーグ優勝。タイガースのファームはこの後、2005年、2006年と連続優勝している。ちなみにこの試合の両軍のスターティングメンバーを列記しておこう。
タイガース
(中)的場寛壱
(二)藤原通
(遊)斉藤秀光
(一)喜田剛
(右)桜井広大
(左)早川健一郎
(三)梶原康司
(捕)中谷仁
(指)萱島大介
(投)谷中真二
ファイターズ
(中)森本稀哲
(一)小田智之
(三)林孝哉
(左)藤島誠剛
(指)渡邉孝男
(二)小谷野栄一
(遊)飯山裕志
(捕)鶴岡慎也
(右)紺田敏正
(投)隼人
ファイターズのスタメン野手はクリーンアップの三人こそ現役を引退していますが、あとの六人は昨年の優勝メンバーですね。
何か話がそれましたが、今年からスタートした独立リーグ、北信越ベースボールチャレンジリーグの信濃グランセローズの本拠地の一つとしてもオリンピックスタジアムは使用されていて、今季は10試合が組まれている。冒頭で設立の経緯云々と書いたが、ライオンズ球団に当時ほどこの地域での興行開催に積極さが感じられないことを考えると、北信越BCリーグの常打ち球場というカラーを前面に出した方が良さそうだ。もっとも信濃グランセローズは長野県全域での開催をモットーにしており、県内の9つの球場を本拠地としているので主催36試合の内10試合使用にとどめているが、このリーグのシンボル的スタジアムとして今後発展していくことを切望して止まない。
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