鵜久森三年 尾崎八年-【意味】何事をやるにも、成果が出るまでは時間がかかること。
敗戦処理。が片道2時間もかけて千葉県鎌ヶ谷市のファイターズスタジアムまで二軍の試合を観に行くのは、この場所でもがき苦しんでいる選手がいずれ一軍に飛躍していくまでの姿を観たいからですが、ファイターズの今もファームでもがいている選手の中に、特に長~い眼で観ている選手がいる。それが標題の鵜久森淳志と尾崎匡哉である。今回は14日に平塚球場でシーレックス対ファイターズ戦のナイトゲームを生観戦したのでその観戦記を中心にまとめようかと思ったのですが、鵜久森と尾崎について特に中心に書くことにしました。諺通り、この二人に成果が出るには時間、歳月がかかりそうですね。
平塚球場でのシーレックス対ファイターズ戦。三回表のファイターズの攻撃終了後、場内アナウンスで妙な選手交代が告げられた。
「鵜久森に代わりまして尾崎が入り、サード」
鵜久森は三塁を守っていたのではない。ライトを守っていたのだ。攻撃でスタメン三塁のアンディ・グリーンに代走、市川卓が送られていた。市川は本職は一塁だが、今季は陽仲壽、小谷野栄一の一軍入り、尾崎の故障で三塁を守ることも少なくないので市川が三塁に入るものとばかり思っていたが、市川は三塁より不慣れと思えるライトの守備位置に入り、鵜久森が引っ込められて三塁には尾崎が入るという選手交代だった。詳しくは後述するが、鵜久森は初回の守備でタイムリーエラーをしでかしており、そのペナルティで引っ込められたのか…?
鵜久森は済美高時代に甲子園で活躍。長距離砲として名をはせていた。2004年秋のドラフトの8巡目で指名されてファイターズに入団したが、この時の一巡目指名がダルビッシュ有。ちなみにドラフト会議が高校生だけ先に会議にかけて大学生や社会人の選考と時期をずらす分離ドラフトを導入したのはこの翌年から。
下位指名ながら球団の鵜久森への期待の高さはイースタン・リーグへの出場数からも窺われる。過去二年でチームのイースタン公式戦200試合のうち178試合に出場している。ルーキーイヤーの秋口から四番に座り始め、昨シーズンは出場した試合のすべてで四番に固定された。鵜久森と同期の「ダルビッシュ世代」-即ち2004年秋のドラフトに高校三年生で指名されて入団した今年三年目の選手の試合出場数を比較してみた。投手ではダルビッシュとライオンズの涌井秀章が出世頭だが、野手ではまだ一軍定着と言える選手はいない。「ダルビッシュ世代」の入団一年目から今年のオールスター前までの一、二軍合計の出場試合数の上位五傑は以下の通り。
1位 鵜久森淳志<F>232試合(一軍1・二軍231)
2位 江川智晃<H>190試合(一軍19・二軍171)
3位 市川卓<F>168試合(一軍0・二軍168)
4位 高橋勇蒸<T>164試合(一軍0・二軍164)
5位 星秀和<GW>150試合(一軍0・二軍150)
一軍がセとパで試合数が異なり、二軍もイースタンとウエスタンで試合数が異なるのでこの順位付は公平とは言えないのだが、鵜久森がいかに期待されているかを示すバロメーターと言って差し支えあるまい。
ファイターズのファームは毎年開幕直前にファンとの交流会の場を持つ。参加したファンは基本的には自由にお気に入りの選手にサインをもらったり、写真を撮ってもらったり出来る希有な機会なのだが、2005年の3月に行われたその会では当時ルーキーだったダルビッシュと鵜久森だけは事前に整理券の配布を受けた者のみが色紙にサインをもらえるというように特別扱いにされていた。甲子園で一躍スターダムにのし上がり人気、知名度とも抜群のダルビッシュに自由にサインをさせ放題にしたら収拾がつかなくなるからとの配慮だっただろうが、鵜久森も同じ扱いだった。直筆サイン集めに凝っている敗戦処理。は並ぶのが億劫で「終わってからサインをもらえばいいや」と悠長に構えていたらこのサイン会後はダルビッシュと鵜久森の二人だけはサインを受けないということになって唖然としたのを覚えている。
しかし、ダルビッシュがこの回に出席したのは新人のこの時だけだったが、鵜久森はその後も毎年出場。ただし特別扱いはこの年だけ…。
鵜久森の一年目の最終戦での豪打は鮮烈な印象だった。本拠地鎌ヶ谷で迎えた最終戦ということもあって、この年2005年限りでユニフォームを脱ぐことが決まっている選手達のお別れ出場といった感じのおもむきの中、スワローズの投手から左に右に二打席連続本塁打。去りゆく西浦克拓、石本努らとのコントラストがはっきりし、この時は来シーズン中には一軍で兆しくらいは見せてくれるだろうという感じだった。ダルビッシュが既に一年目で一軍で5勝を挙げ、ローテーション入りを果たしていたことを考えれば敗戦処理。ならずとも鵜久森も続けと期待を寄せるのは当然だったろう。
しかし二年目、プロの壁にぶち当たる。岡本哲司二軍監督の英才教育で四番に固定。しかし打てない。特にチャンスで打てなかった。
ほとんど体験留学としか思えない感じの一軍入りを果たし、あのSHINJOがヒーローインタビューで引退宣言をしてしまった試合で代打で公式戦初出場を果たした。しかしその打席が一軍での唯一の打席で、三振1という成績で再び二軍に戻ると、以後一軍からお呼びがかからなかった。
「プロの壁」-短く括ればこの一言で片づけられてしまうのだろう。敗戦処理。の目には常に打席で追い込まれているような感じに映った。打席でファーストストライクにほとんど手を出さない。そしていつしか追い込まれ、難しい球を打たされて相手バッテリーの術中にはまる。鎌ヶ谷や他の球場で観る二年目の鵜久森はそんな印象のまま終わった感じだった。
そして三年目の今年。打席での期待感は相変わらずだが、前年のように相手に手もなく捻られるケースが減ってきた。打撃フォームもいつしかオープンスタンスに変わり、投球を待つ余裕を感じさせる。これで結果が伴えば、自信を取り戻して一気にブレークの可能性も…などと考え、鵜久森の成績を調べてみた。
鵜久森淳志年度別成績(07年は8月12日現在)
05年 88試合 打率.228(29位)、8本塁打、34打点
06年 89試合 打率.228(13位)、4本塁打、35打点
07年 63試合 打率.275、10本塁打、38打点
一軍通算 06年1試合 打率.000、0本塁打、0打点
結果は出ているようだ。本塁打、打点は既に過去二年の年間成績を上回っている。打率は格段の進歩である。敗戦処理。が生観戦する試合での印象は「昨年よりマシ」という程度なのだが、上の数字を見ると明らかに成長の跡がうかがえる。ひとつには福良淳一二軍監督の就任で、常時出場という方針は変わらないものの、「四番」からは解放されて下位打線を打つ気楽さが積極性などに反映されたと想像できる。先月の下旬に発売された「スポーツカード・マガジン第64号」(ベースボール・マガジン社刊)のインタビュー記事によると打撃フォーム改造は大村巌二軍打撃コーチのアドバイスだそうだ。両目で正面からボールを見ることが出来、長くボールを見ている感覚だそうだ。ファイターズだけでなく、日本人の長距離砲、いわゆる「和製大砲」はなかなか育たない。このカテゴリーは球団としては「育つのに手間暇かかるなら、金はかかるが外国人選手の方が確実」と考えがちなのだろう。鵜久森が高校時代に高く評価されながらドラフトの8巡目まで残ったのもそのせいだろう。スカウト達にはおそらく長所より短所が目につくだろう。
なにしろ大阪桐蔭の中田翔ですら、既に週刊誌レベルでは打撃の欠陥が指摘されているくらいだから<苦笑>。
ファイターズの一軍も例外でなく「和製大砲」がいない。いや、昨年までは島国が生んだ和製大砲がいたのだが、何故かいなくなった<苦笑>。
今も慌ててシーズン途中で獲得した外国人選手が下位打線に座って三振の山を築いているが、外国人助っ人があの程度なら和製大砲の卵を使うべきと言う声は大きいだろう。もっともその場合、まず金子洋平が先だろうが。
鵜久森の昨年の一軍昇格はまさしく体験留学。しかもチームの東京遠征に合わせての登録で、札幌ドームでは一軍ではまだプレーしていない。同期のダルビッシュには水をあけられたが、三年間のファームでの浮沈の繰り返しが今シーズンの残り試合か来シーズン早々に活かされることになるだろう。昔からことわざで、鵜久森三年、尾崎八年というではないか。
その尾崎だが、岡本前二軍監督の時代に「三年計画」と銘打ってルーキーイヤーの2003年から2005年までの間に一軍で戦力になる選手になるためのあらゆるノウハウを叩き込むとのことだった。報徳学園三年時の春の選抜の優勝メンバー。攻走守揃った大型遊撃手として注目され、東京ドームを本拠地とするラストイヤーを迎えるドラフトでファイターズが1巡目で単独指名。2人まで獲得できた自由獲得枠を行使せず、上位で尾崎と投手の鎌倉健を指名した年だった。因みに下位で武田久、小谷野栄一、紺田敏正、鶴岡慎也を獲得しており、尾崎と鎌倉が一本立ちしないようならいずれ「ドラフト下克上の年」と位置づけられる年だ。
尾崎は一言で言うと「線が細い」。現状では一軍が欲しがるセールスポイントに乏しい。昨年あたりから打球に距離が出るようになり、左中間、右中間の打球が伸びるように感じられるがまだまだといった感じ。今年こそと期待させたが、肩の痛み、いわゆるルーズショルダーに近い症状に悩まされ、一ヶ月以上の戦列離脱を余儀なくされた。
その間、ファームの三塁を一塁が本職の市川卓や捕手が本職の小山桂治が務めたりして、にわか造りではとても務まるポジションでないことと、贅沢を言わなければ尾崎で充分だということを痛感させた。そして先月の下旬からようやく実戦復帰。一軍に近い存在だったはずだが、球際に強い守備が売りの今浪隆博やセンスの良さを感じさせる高口隆行の台頭で、今では横一線という感じがする。光陰矢のごとしとはよくいったものだ。
尾崎匡哉年度別成績
03年 20試合 打率.222、1本塁打、2打点
04年 67試合 打率.241、3本塁打、20打点
05年 80試合 打率.245(26位)、5本塁打、34打点
06年 89試合 打率.275(6位)、7本塁打、46打点
07年 47試合 打率.303、2本塁打、28打点
一軍出場なし
今シーズンは手応えをつかみかけていたのかもしれない。故障で遠回りを余儀なくされたが、焦らずまたコツコツ実績を積み重ねていくしかあるまい。本当に八年くらいかかってしまうかもしれない。ドラフト1巡目入団の選手とはいえ、そこまで球団が待ってくれるかどうか…。
ちなみに今シーズン開幕前にトレードされた正田樹が今年で八年目だった。
さて、順序が逆かもしれないが観戦した試合も簡単に振り返っておこう。ファイターズの先発は金村曉。千葉マリンで五回途中まで投げて12失点して以来の実戦登板。シーレックスの先発は高校生ドラフト1巡目指名で入団したルーキーの北篤。金村もかつて仙台育英高校からドラフト1位でファイターズに入団した。北を相手に初心に帰るつもりで投げて欲しいところだ。しかもこの両投手。干支が同じなのだ。つまり北は金村より一回り、十二歳年下なのだ。
金村は一回裏。先頭の石川雄洋にいきなり一、二塁間を破られ、バントで送られた一死二塁から三番の窪塚洋介、じゃなかった下窪陽介に右中間を破る二塁打を打たれあっという間に1点を失う。
さらに続く四番の古木克明にも一、二塁間を綺麗に破られる。当たりが良すぎて二塁走者は三塁止まりと思ったその瞬間、ライトの鵜久森がこの打球をお手玉し、一度は三塁で止まった下窪がホームイン。上述した鵜久森の三回表終了後の交代はこの軽率な失策が原因かもしれない。
何やら12失点を喫したマリーンズ戦を思い出させる不安な立ち上がりだったが、この後は丁寧に低めに集める投球で凡打の山を築いた。
ファイターズ打線の反撃は五回表。金村とバッテリーを組んでいる今成亮太が一死から四球を選ぶと、金村が送りバント成功。一軍にいれば交流戦と日本シリーズ以外はこんな面倒なことをしないですむのだから、金村も早く一軍で投げたいと感じたことだろう。(写真:バントを決める金村。この写真だと打球が上がったように見えるかもしれないが、なかなか巧いバントでした。)この後グリーンに代わって一番に入っている市川が左中間にタイムリーで1点を還して1対2とした。ただこの時市川が二塁を狙い刺されて攻撃が終了してしまったのがファイターズにとっては痛かった。
ちょっと横道にそれるが市川の打順はスタメンでは三塁を守るグリーンだった。グリーンはこの試合、一回表と三回表の打席でいずれも粘って四球を選んでいた。じっくりと球を待ち、くさい球をカットして最後には四球を得るグリーンの姿に共感したファンが多かったのか、「ジョーンズよりマシだぞ!!」の声が方々から上がった。
五回裏。簡単に二死まで取った金村だったがその後、北の代打の北川利之、石川雄洋が連続でレフト前安打。二死一、二塁…と思ったら緩慢な動きのレフト、金子洋平が平凡な打球を後逸し、一塁走者一挙生還。1対3となった。金村は結局六回裏まで投げてここまでの3失点だったが、自責点になるのは最初の1点のみ。復活への第一歩となるべくこの日の登板。バックはしっかり守って欲しかった。
試合は金村の後を継いだ二番手の金森敬之が七回、八回を無失点に抑えたものの、ファイターズ打線が一軍に輪を掛けた貧打で、シーレックスの繰り出す六人の投手から五回表の1点のみに終わり1対3で敗れた。
【14日・平塚球場】
F 000 010 000 =1
SS200 010 00× =3
F)●金村、金森-今成
SS)○北、松家、岡本、橋本、山北、S高宮-黒羽根
本塁打)両軍ともなし。
ファイターズファンに衝撃が走ったのは七回裏の守備。一死から黒羽根利規の放ったセンター後方の大飛球を追ったセンターの川島慶三が好捕したもののフェンスに激突。その場にうずくまってしまった。
球場全体が凍りつく感じの中、タンカが川島のところまで運ばれ、川島はタンカで退場。そしてこの時、ごく一部の「早くしろ!」という不届きなヤジをかき消すかのように、一塁側のシーレックス応援団から「がんばれ、がんばれ川島!!」の暖かい大声援が!!
平塚開催のためか、ファイターズ応援団は聞き覚えのある声もあったが、鳴り物を持ってきていないようで今ひとつ寂しかった。この球場はトランペットOKで、シーレックスの応援団はシーレックス選手の打席ではトランペットで応援していて賑やかだったが、多勢に無勢という感じだった。
試合は続いており、川島の代わりに守る選手を出さなければならない。しかし、いないのである。
北京五輪のプレイベントのために、日本代表チームをプロの二軍選手と大学生から選んだ混成チームを作っている関係でファイターズからは投手の植村祐介、捕手の渡部龍一、外野手の佐藤吉宏が派遣されていて不在。加えてイースタン打率7位(ファイターズではトップ=13日現在)の糸井嘉男がこの遠征に参加していないようで、鵜久森が退いているので外野手がいないのである。ベンチから出てきて慌ててキャッチボールを始めたのは捕手の小山桂治だった。結局ライトの市川がセンターに回り、小山がライトに入った。本職が捕手の小山と本職が一塁の市川がセンターで、レフトにはこの試合で緩慢な守備でタイムリーエラーをしている金子洋。マウンドの金森はホームランを打たれても外野に際どい打球を打たれたくない心境だったに違いない。
次の回のファイターズの攻撃時、スタンドにもはっきり聞こえる大音響で救急車のサイレンが聞こえた。川島は病院に向かったのだろう。川島も本職は二塁。それでも出場機会を増やすために外野に積極的にトライし、センターを守れる器用さを持っている選手だ。ファームの選手は往々にして複数のポジションを守れるようにと新たなポジションにチャレンジさせられるが、当たり前だが元のポジションと合わせて倍の練習時間が必要なはずだ。安直に考えるとこの日のようなアクシデントが起きかねないことをファームの指導者は充分に考えておくべきだろう。川島の状態が心配だ。
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