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2007年11月13日 (火)

V9は遠くなりにけり…

日本シリーズ終了後に解雇通告を受けて「就職活動が出来ない…」と言っていたファイターズの佐藤義則前投手コーチが20072008プロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスの一員になっていました。昨日(11)の開幕戦、TBS系列のBSデジタル放送局、BS-iで中継していたのをちらっと観ていたら、佐藤前コーチと淡口憲治前打撃コーチの二人が札幌アンビシャスの一員になっていました。急な決定だったのでしょう。二人とも別の選手の名前の入ったユニフォームを着ていました<苦笑>。

マスターズリーグの選手になるということは、ファイターズ以外の球団への移籍を断念したと言うことになるのでしょうが、敗戦処理。としてはジャイアンツでの現役時代から応援している淡口がついにユニフォームを脱ぐと言うことに感慨深いものがあります。

淡口は、ジャイアンツに外野手として入団以来、37年間着続けたユニフォーム生活にピリオドを打ったということになります。

お疲れ様、淡口憲治さん。

淡口のプロに入ってからの経歴を簡単に振り返ってみました。

1971年~1985年 ジャイアンツ外野手

1986年~1989年 旧バファローズ外野手

1990年~1996年 ジャイアンツ一軍打撃コーチ

1997年~1999年 ジャイアンツ二軍打撃コーチ

2000年~2001年 ジャイアンツ二軍打撃兼外野守備コーチ

2002年~2003年 ジャイアンツ二軍監督

2004年      ジャイアンツ一軍打撃コーチ

2005年      ジャイアンツ二軍ヘッド兼打撃コーチ

2006年~2007年 ファイターズ一軍打撃コーチ

1971年にジャイアンツに入団してから、今シーズンまで連続で37年間ユニフォームを着続けていたというのは現在継続中の記録では敗戦処理。の知る限りではスワローズで1970年から選手、コーチとしてユニフォームを着続けている八重樫幸雄コーチに次ぐ長さです。

たいがいの人は途中評論家に転身したり、チームには残ってもフロント業務に回ったりするものだが淡口は常にユニフォームを着ていました。特に成績が悪いと監督か、№2もしくは№3クラスのコーチが必ず責任を取らされるジャイアンツという球団で16年間もコーチを続けたというのは凄いの一言に尽きる。伊達にジャイアンツで首脳陣が付ける背番号の中では特別な意味を持つ77番を長く背負っていた訳ではないということか。

コーチになってからの淡口の転機は2005年終了時。堀内恒夫監督の退任、原辰徳監督の復帰に伴い、首脳陣が一新された時だ。2003年オフに「読売グループの人事異動」によって原が監督の座を降りることになった時には一軍コーチ全員が揃って退任するという異常事態だったが、原監督の復帰に伴って当時のコーチ陣の大半が復帰することになり、首脳陣の若返りが断行され、淡口の退任も決まった。

淡口だけではない。この時には監督の堀内を始め、二軍監督の高橋一三、コーチ陣に名を連ねていた関本四十四、河埜和正といったV9戦士がそろって退任となり、ついにV9時代を知る者がジャイアンツのユニフォーム組から姿を消すことになったのだ。

V9は遠くなりにけり…。はこの時に浮かんだフレーズだ。

今年ジャイアンツが球団創立以来通算5000勝を達成した記念として交流戦のゴールデンイーグルス戦の試合前にV9メンバーが当時のポジションに勇姿を見せるというセレモニーを行ったが、いまだどこかのユニフォームを着ているのは欠席した王貞治のみ。準レギュラー級も含めほとんどのメンバーがユニフォームを卒業済みだ。

それはそうだろう。V9最後の1973年から34年経っているのだ。

2005年のシーズン限りで解雇された淡口だったが、幸いにもV9戦士の先輩、高田繁がGMを務めるファイターズの一軍打撃コーチ就任が決まり、引き続きユニフォームを着ることになった。だがこの時点でV9戦士でユニフォームを着ているのは淡口の他にはホークスの王監督だけとなった。

王監督は翌2006年、大病を患った。2007年が最後のユニフォーム姿になるかもしれない状況になった。そして淡口はチームの成績はまずまずながら極度の打線低迷の責任を取らされるかもしれない。敗戦処理。は2007年限りでついにV9戦士がユニフォーム組から姿を消す時が来るのかとも覚悟した。

そして2007年シーズンが終わり、王監督は続投を明言したが、淡口は日本シリーズ終了後、解雇された。

ついに、十二球団含めてもユニフォームを着ているV9戦士は王監督ひとりになってしまうのか…。

だが予想外なことが起きた。V9戦士の高田繁と黒江透修が現場復帰を果たしたのだ。

ファイターズのGMを務めていた高田がスワローズの監督に、黒江は渡辺久信が新監督となるライオンズにヘッドコーチとして招かれた。

本当は野球界のことを考えれば、いつまでもV9時代のメンバーがユニフォームを着ているよりも、監督、コーチの若返りが急務なのだろう。特に大病を患った王監督にはゆっくり休んでもらいたいくらいだ。ジャイアンツ出身ではないが、V9戦士と同世代の星野仙一日本代表監督にも北京五輪が終わったら、大所高所から球界を見る立場に収まって欲しいと思っている。

敗戦処理。がリアルタイムで知っているV9は実は最後の1973年だけ。しかし興味を持ち始めた初期の印象というのは強いものである。その次の世代、長嶋茂雄監督の第一次政権下の選手達-中畑清、江川卓、西本聖、篠塚和典、松本匡史、山倉和博…らの方がリアルタイムで観た時期は長いが、興味を持ち始めた時期に対する思い入れは深いものである。もちろん、今のジャイアンツにかつてのV9時代に近い常勝集団になってくれ等と叶わぬ夢を見る訳ではないが、V9戦士が誰一人ユニフォームを着ない時代になったら、やはり寂しいだろう。そして近い将来、必ずその時は来る。

いつまでも彼らに指導者としての声がかかる方がおかしいのかもしれない。上述した長嶋門下生達は不思議なことにジャイアンツ以外の球団から指導者として声がかかることはほとんどない。

淡口も、再来年あたりにはどこかのユニフォームを着ているかもしれないが、それを素直に喜んで良いものか…。

1127日追記

26日の報道によると、淡口前ファイターズ打撃コーチは、同じく今シーズンまでファイターズのGMだった高田繁スワローズ新監督からの誘いで、スワローズの二軍打撃コーチに就任することになりました。

これで淡口コーチのユニフォーム連続着用記録は1971年から来シーズンで38年連続となります。

偶然でしょうが現在継続中で最長と思われる八重樫幸雄コーチ(1970年~)と同じユニフォームを着ることになりますね。

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