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2007年12月 1日 (土)

ありがとう、そしてさようならセギノール

01 1130日付で公示された、各球団の来シーズンの保留者名簿に記載されなかった選手の中にファイターズでは2004年から四年間、四番の座を務めたフェルナンド・セギノールの名があった。これによりセギノールは自由契約になっています。

2004年と言えばファイターズにとっては北海道移転元年。新しく生まれ変わるチームとともに歩み、四年間で三度のポストシーズン進出、二年連続でのリーグ優勝、昨年の日本一に貢献した功績は計りしれません。しかしその一方で自慢の長打力に明らかに衰えが目立ち、特に今シーズンはファンにため息をつかせるケースが多くなっていました。球団としては難しい選択だったかもしれませんが一人のファイターズファンとして敗戦処理。はセギノールの退団にあたり、素直に敬意を表し、「ありがとう」と「さようなら」の言葉を贈りたいと思います。

セギノール、本当にありがとう、そしてさようなら。

セギノールは2002年に旧ブルーウェーブでプレー。23本塁打を放ちましたが、打率.204という確実性の無さなどが原因でそのシーズン限りで解雇されました。日本を離れたセギノールは3Aでプレーしていましたが、ファイターズのスカウトが視察したところ日本でプレーしていた頃の欠点が矯正されていたので「これなら日本で期待できる」と、本人に再び日本でプレーする意思があるかと打診したところ、契約がまとまったそうです。

そういった経緯があったからか、一年目の移転元年では五月の途中まで四割を超える打率をキープし、ライバル球団に「二年前のセギノールとは違うぞ!!」と脅威に思わせ、当時の韓流ブームにも乗ってファイターズファンの間に「セギ様」という尊称が定着するのに時間がかかりませんでした。

その後打率こそ落ち着くところに落ち着きましたが持ち前の長打力は最後までかげりを見せず、44本塁打を放ってその年の三冠王になったホークスの松中信彦と本塁打王の座を分け合いました。

ライバル球団のマークがきつくなった二年目の2005年には成績が降下し、翌2006年も開幕から低迷。膝の故障に悩まされていることも表面化し、セギノールももはやこれまでかという空気が流れつつあった交流戦の時期に交流戦の優勝争いを大きく左右した本塁打を放ったあたりから打棒復活。特に順位争いが苛烈した9月に月間MVPを獲得するほどの暴れっぷりでファイターズのレギュラーシーズン1位通過に貢献しました。この頃には明るさも取り戻し、ヒーローインタビューでは流行りのギャグ「チョット、チョット、チョット」を取り入れるなどムードメーカー的一面も見せていました。札幌ドームのスタンドに小笠原道大のイルカの張りぼてとともに大好物のバナナの張りぼてが目立つようになったのもこの頃でしょう。

今シーズンは開幕当初の本当に誰も打たなかった時期に一人で本塁打を連発して孤軍奮闘という時期もありましたがその後長期低迷。ストライクからボールになる変化球の見極めが出来ずに三振のオンパレード。捉えた!!-と思った打球がスタンドまで届かずに失速して外野フライに終わるシーンを何度も眼にしました。

トレイ・ヒルマン監督がそれでもセギノールを四番から外さないのでファンの間でも相当フラストレーションがたまったことでしょう。結局最後まで不振から脱出できず。リーグ優勝争いがヒートアップしてきた時期の9月11日の対マリーンズ戦。2点のビハインドで迎えた九回表の打席直前で雨天中断。再開直後の初球を逆転スリーランした「幕張の奇跡」の一発が今シーズンのハイライトでした。

そのマリーンズとのクライマックスシリーズ第二ステージでも第1戦、第2戦で無安打。四戦を終えて15打数2安打というシーズンの低迷をそのまま引きずったかのような不振でしたが日本シリーズ進出を賭けた第5戦、成瀬善久から起死回生の先制3ランを放ち、日本シリーズ進出を大きく後押ししました。

シーズンの大半、四番に座りながら強く印象に残る活躍がこの二回だけ。敗戦処理。も当ブログで一年を二日で暮らすいい男!?と茶化し、いや評価しましたがそのエントリーでも触れましたようにセギノールにはファイターズファンには忘れられないもう一つの一面があります。

冒頭の写真は今年の9月30日に千葉マリンスタジアムのレフトスタンドから撮影したものなのですが、レギュラーシーズンのパ・リーグ優勝を決めたこの試合で、ヒルマン監督の胴上げや、優勝監督インタビューなどの一連のセレモニー終了後にレフトスタンドに陣取ったファイターズファンに挨拶をしようと、ファイターズナインの先陣を切ってレフトスタンドの前に走り出し、他のナインを先導したのは他ならぬセギノールでした。

その時のセギノールのステップはとても膝に不安がある選手とは思えぬ軽やかさでした<苦笑>

敗戦処理。が贔屓チームのリーグ優勝の瞬間に立ち合ったのはこれが初めてでしたが、テレビで観る限り2006年のプレーオフ制覇、そして日本シリーズ優勝の時にもセギノールは先陣を切って外野席のファンのところに駆け寄っていました。

その年のアジアシリーズの時には何故か姿がありませんでしたが<苦笑>

ファイターズでファンを意識したパフォーマンスをするのはSHINJOや森本稀哲の専売特許ではありません。セギノールも充分にファンへの感謝の姿勢を身体で表していました。もちろん田中幸雄や、かつての小笠原のように闘う男の背中でそうした姿勢を見せる選手もいます。

ありがとう、本当にありがとうセギノール。冒頭では「さようなら」という言葉も添えたが、昨今の状況から日本の他球団がセギノール獲得に走るかもしれない。当初報じられた古巣のバファローズはライオンズと交渉が決裂したアレックス・カブレラにライオンズ以上の条件を提示して獲得すると言うから話は無くなったと思えるがセ・リーグのベイスターズが関心を示しているという報道もあった。

日本人選手だけでクリーンアップを組めるベイスターズ打線に六番か七番にセギノールが座ったら嫌な打線だ。DHのないセ・リーグでポジションで競合する今季24本塁打、85打点(もちろんどちらの数字も今季のセギノール以上)吉村裕基は秋季練習で外野の守備練習をしているという。人工芝の球場での試合が続いて連日一塁の守備につくことに不安はあるが、本人と球団の思惑が一致するならばまとまってほしい。「さようなら」の言葉は保留すべきかもしれない。

あらためて、「ありがとう、セギノール」

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