新庄剛志、離婚~昨年末の出来事から~
12月29日の日刊スポーツ他の報道によると、2000年12月に結婚した新庄は翌年から米大リーグ、ニューヨークメッツでプレー。志保夫人はタレント活動にピリオドを打ち、新庄のために何度も日米を行ったり来たりの生活で夫を支え続けた。
2004年に新庄は日本球界に復帰。この年から本拠地を東京から北海道に移転したファイターズに入団。SHINJOとなって生まれ変わった新球団のシンボル的存在としてプレーとパフォーマンスで新本拠地のファンを引きつけた。この頃には時折札幌ドームで声をからして夫を応援する夫人の姿が目撃され微笑ましく報道されることもあったが皮肉にもこの頃から夫婦仲に異変があったようだ。
翌年には志保夫人は「新庄志保」として芸能界に復帰。東京を拠点にタレント活動をする夫人と北海道のホテルに単身赴任する夫。その亀裂はSHINJOが2006年4月にシーズン開幕早々にその年限りでの現役引退を電撃発表したことによりSHINJOへの関心が野球ファンやスポーツマスコミだけでなく、一般芸能マスコミにまで拡がっていく中で夫婦生活の亀裂がマークされるようになり、徐々に報道されるようになっていた。
新庄がSHINJOを演じていた三年間。それは北海道に拠点を移したファイターズの立ち上げ三年間の歩みと重なるだけでなく、日本プロ野球界最大の危機になりかねない球界再編騒動が巻き起こった時期でもある。
2004年6月13日。経営が立ちゆかなくなる旧バファローズを当時のブルーウェーブが吸収合併する意向が明らかになり、それを皮切りに球界再編の必要性が取り沙汰された。やれ「パ・リーグでもう一組の合併がある」だの、パ・リーグが四球団になったらセ・リーグとの一リーグになり、一リーグ十球団は多いのでさらなる統廃合が繰り返されるだろうなど様々な憶測が乱れ飛び、ファンは動揺した。
そんな状況で行われたオールスターゲーム。スタンドからパ・リーグ連盟歌の「白いボールのファンタジー」が流れる中、SHINJOはホームスチールを決め、MVPに。そしてヒーロー・インタビューで叫んだ。
「これからはパ・リーグです!」
パ・リーグ存亡の危機じゃないかという状況で、SHINJOは全国中継のカメラに向けてそう叫んだ。SHINJOのこの一言が、憂鬱なプロ野球ファンをどれだけ勇気づけたか。球団、機構側の独善的な球界再編策を阻止せんと立ち上がったプロ野球選手会の選手会長(当時)の古田敦也らの行動とは別にSHINJOのこの一言も球界再編騒動の分岐点になったと言っても過言ではなかろう。
その後も新庄はSHINJOとして札幌ドームを中心に様々なパフォーマンスでファンを魅了し続けた。2006年の引退宣言の年にファイターズも日本一に輝き、新庄剛志はSHINJOを演じ終えた。
見方によっては新庄剛志はSHINJOを演じてファイターズファンやプロ野球ファンを魅了することと引き替えに、夫婦生活を犠牲にしていたとも思える。SHINJOの三年間は、単に試合で打って、走って、守ってという野球選手としての仕事以外に様々なパフォーマンスでファンを魅了していた。その部分は他の野球選手と比べればプラスアルファといえるかもしれないが、そのプラスアルファによって大きなものを犠牲にしていたとしたら…。
志保元夫人や、関係の方には何とも贈る言葉がなく申し訳ない気になるが、SHINJOを演じた新庄剛志にはあらためて感謝の思いを刻まざるを得ない。
志保元夫人は「彼から新しい人生をプレゼントしていただいた」とコメントしていたが、新庄の方も、もうSHINJOではないのだから、新庄剛志としての「わがままでいろんなことに挑戦し」てもらいたいものだ。
あらためて、SHINJO、いや新庄剛志よ、ありがとう。
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