「生」観戦した野球場(41)-熊谷運動公園野球場
今年の一発目は敗戦処理。が2004年の4月17日に訪ねた埼玉県熊谷市の熊谷運動公園野球場。その名の通り、陸上競技場や屋内プールなどを擁する熊谷運動公園内にある。プロ野球ではジャイアンツがイースタン・リーグ公式戦で年一回主催試合を行うのが定番となっている。
JR高崎線の熊谷駅から秩父鉄道に乗り換えて大麻生駅へ。ここが最寄り駅らしいのだが(少なくとも当時は)球場までバスも何もない。イースタン・リーグで発行している「プロ野球 イースタン・リーグ観戦ガイド」を片手に約20分かけて辿り着いた記憶がある。なお駅からタクシーを呼ぶという方法もあるようだが、正確に「運動公園の野球場」である旨を伝えないと、硬球を使用出来ない「熊谷市営球場」に連れて行かれる恐れがあるらしい<苦笑>。
正直、この頃はもうすぐ観戦球場が40に達するので、数を稼ごうとして土日に贔屓チームのイースタンの公式戦が関東圏の球場で行われるのをとにかく観戦しようという傾向にあったのも事実だ<苦笑>。実際この球場に足を運んだのはこの時だけである。
敗戦処理。が観戦したのはジャイアンツ対マリーンズ戦。ジャイアンツがジャイアンツ球場以外の関東圏の球場で主催試合をする時のお決まりの読売新聞、スポーツ報知の定期購読受付コーナーがあるのが印象的だったが、中に入ると、試合前の練習中のグラウンドを観ながら小学生と思われるちびっ子達が「SHINJOだ! SHINJOだ!」と騒いでいる。
この年はSHINJOがファイターズに入団して日本球界復帰を果たした年だがこんなところにSHINJOがいるはずはない。もちろん神奈月でもない<笑>。ちびっ子達はSHINJOのトレードマークの一つである紅いリストバンドをしたマリーンズのスタイルの良い選手をみつけて「SHINJOだ! SHINJOだ!」と面白おかしく騒いでいたのだ。
その選手の名は西岡剛。現在のTSUYOSHIである。当時入団二年目の新鋭だった。
因みにこの試合のスコアブックを観ると、TSUYOSHIこと西岡が「二番・二塁」でスタメン出場している他、TSUYOSHIより一年先に入った今江敏晃が「四番・三塁」でスタメン出場している。TSUYOSHI、今江ともこの試合で二安打を放った。今江はジャイアンツの先発、酒井順也から先制ツーランも放っていた。
当時の西岡がSHINJOを意識して紅いリストバンドをしていたかどうかは定かではないが、SHINJOと同様に登録名をローマ字表記に変えるというニュースに昨年接した時、この地方球場での出来事を思い出した。
余談だがこのコーナーの趣旨とかけ離れるが、当時のスコアブックを観てもう一つ気になったことを。マリーンズのラインアップにTSUYOSHIと今江の名があったことを書いたのでジャイアンツのスタメンも書いておく。
(中)堀田一郎
(左)矢野謙次
(右)中濱裕之
(一)原俊介
(三)福井敬治
(二)十川孝富
(捕)加藤健
(遊)大須賀允
(投)酒井順也
今シーズンもジャイアンツのユニフォームを着る選手が二人しかいません。ほんの四年前、三シーズン前のことなのですが…。
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