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2008年5月 4日 (日)

清原和博 in ファーム…。

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左ひざの軟骨移植手術からの復活を目指すバファローズの清原和博が3日、ウエスタン・リーグ公式戦に出場。実戦出場は603日ぶりだった。試合が行われたあじさいスタジアム北神戸には過去最多の5,621人の観衆が押し寄せたそうだ(同球場のこれまでの最多は約2,700人らしい)

 

いまだ衰えぬ清原人気を感じさせるが、そういえば清原はジャイアンツ時代にも故障明けにはよくジャイアンツ球場でファームの試合に出ていたっけ。

 

■写真:19998月。故障で戦列を離れ、炎天下のジャイアンツ球場でリハビリに励む清原和博。

後ろ姿は内田順三コーチ(現カープ)、左端は広沢克(現タイガースコーチ)。この年の清原&広沢の合計推定年俸4億5000万円!

復帰初打席で放った一、二塁間を破るかという打球をタイガースの秀太に好捕されるとベンチで「空気読め!」などと毒づくあたりは番長健在なりという感じだが<>、第二打席ではセンター前に復帰初安打。その後二塁走者として後続打者の右邪飛で三塁にタッチアップするなど回復の度合いを確かめていたようだった。

清原は今後もファームに帯同し、コンディションと相談しながら二軍戦に出場。現時点では具体的な一軍復帰予定日を定めていないという。冒頭に記したように過去最多の観客動員記録の倍の観客数を集めた人気ぶりで今後もバファローズのファームの試合は普段と違う賑わいを示すだろう。イースタン・リーグの試合観戦を趣味の一つとしている敗戦処理。としてはこの機会にファームの試合の魅力に気付くファンが増えてくれればと影ながら祈りたいところだ。

清原はジャイアンツ時代にも故障の際にファームで調整し、時にイースタン・リーグ公式戦に調整出場することがあった。

2000年のシーズンだった。ある試合の後に清原がファームの若手選手と共に打撃練習用のゲージなどの後片付けをしているシーンが翌日のスポーツ新聞で報道された。今はファームでプレーしているとはいえ一軍でスーパースターの清原が若手選手に混ざって雑用に近い行為をしていることに対して、マスコミが清原の真面目さ、本気ぶりを強調していた。

しかし実はこの当時、ジャイアンツ球場に集まる常連のファンの人達の間では清原のこの行為は特別なものに映らなかった。

通常、一軍の主力選手がたまたまファームの試合に調整出場するときにはこれら雑用は免除される。試合途中で退いた場合、最後までベンチに残らず球場を後にする選手もいる。清原もその日初めてイースタンに出場したわけではなく、それまでは特別扱いをされていた。そしてそれが普通のことだった。

それが普通でなくなったのはその数週間前に同じくファームで調整していた斎藤雅樹が試合後に若手に混ざって雑用をこなしたからだった。

 

当時まだ現在のようにネット裏に観客席がなかったが試合終了後に球場を出ようとする観客の流れが急に止まり、観客の視線がグラウンドの方に向き始めたので敗戦処理。も何事かと視線をグラウンドに向けたら若手に混ざってゲージを片付ける斎藤雅の姿があった。当然若手選手達は大エースにそんなことをさせては申し訳ないとばかりに斎藤雅の周りに集まり「自分らでやりますから」という感じで斎藤雅をその輪から離そうとしていたが、斎藤雅は普通に後片付けをしていたのだ。その様子は翌日のスポーツ新聞に報じられなかったようだが、ジャイアンツ球場を訪れた観客の目にはしっかりと焼き付いた。

その後に清原が「斎藤雅さんがやるのなら…」と重い腰を上げてもマスコミはともかく常連客の心を引きつけるものにはならない。

ファームの試合に突如大物が現れると、観客もマスコミも急激に増えることがある。しかし、通常を知らずして多くを語ろうとすると、そこに通常を知る者からすれば、違和感を憶えるか、あるいは白けるものになってしまうことがままある。

清原に関してはジャイアンツ球場で練習をするときなどでもサインを求めて出待ちをするファンの間での人気が今一つだったという説がある。

清原登場となればマスコミが大挙して清原を取り囲む。ファンとしてはジャイアンツ球場や室内練習場から出て帰りの車に乗り込む前か、駐車場から出てくる所を待つのだが近寄りがたい番長オーラにプラス取り巻きのマスコミという二つの壁があってとてもサインを頼める雰囲気ではなかったという。これが同じ大物でも、松井秀喜の場合にはサインを出来ないときの断り方が紳士的でファンに嫌悪感を与えることが少なかったという。

また清原は2002年に足の故障でファームで調整中の時に、同僚の田畑一也の引退試合に出場予定だったのに出場しなかったことがあった。

同年限りで現役を引退することを決めた田畑はかつて所属したスワローズとのイースタン・リーグ公式戦で引退登板することになった。そこで清原は同僚へのはなむけとして自分も不完全な状態ながらグラウンドに出て花を添えたいと男気を見せて自ら申し出たのだ。

しかし、試合前日の雨の影響でグラウンドコンディショニングが今一だったこともあり、清原のはなむけ出場は叶わなかった。代わりに花を添えてくれたのはスワローズ時代のチームメート、池山隆寛だった。池山もこの当時足を痛めており、とても試合に出場できる状態ではなかったのだが、田畑との対戦のためだけに登場。九回表の田畑登板の際に代打で登場し、全盛期を彷彿とさせるフルスイングを見せたが、ピッチャーゴロに倒れた。

田畑は申し訳なさそうにこの打球を拾い、一塁に送球したが池山は走れない。足を引きずりながら辛うじて一塁方向に進む池山の姿に、田畑登場の際と同様、あるいはそれ以上の拍手が起きた。

池山は結局このシーズン限りで現役引退。神宮球場で行われたシーズン最終戦での引退セレモニーは多くのファンを感動させるものだったが、その約一ヶ月前にもう一つの引退セレモニーに花を添えていたのだ。

実はこの試合にはもう一つの側面があり、やはり怪我で戦列を離れていた高橋由伸の復帰戦だったのだ。それだけに当時のジャイアンツ球場としては過去最高の観客動員があったのだが、田畑登板は高橋由が貫禄の本塁打を放って交代して、高橋由目当ての観客が帰ってからの出来事だった(それでも普段より明らかに多い観客数だったが)。

池山の姿を観て清原の男気というものがどの程度のものかジャイアンツ球場に足を運んだファンにはわかってしまったのである。

イースタン大好きの敗戦処理。はウエスタン・リーグ公式戦も観戦したことがあるが、数少ない。それゆえにファン気質というものを知るよしもないが清原には一軍よりも近くで観ることの出来るファームのファンを大切にする懐の深さを発揮して欲しい。

ジャイアンツ時代は過去のこと。故障でもがき苦しんだ清原は無駄に歳月を費やした訳では無いだろう。ジャイアンツ時代にも東京ドームのライトスタンド、いわゆる「清原信者」を大切にした清原のこと。一皮向けた清原が今度はファームのファンも大切にしてくれるだろう。

そして順調に回復して6月18日には交流戦で東京ドームに姿を現してくれることを期待したい。

敗戦処理。の妄想によると、そこには桑田真澄がマウンドにいるはずだから。

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