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2008年6月 2日 (月)

「生」観戦した野球場(45)-サンマリンスタジアム宮崎

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いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

45回 サンマリンスタジアム宮崎 観戦球場ファイル-41

(写真:日本で三つしかない内外野総天然芝のサンマリンスタジアム宮崎の内観。好天でなく写真写りも今一…。)

前回取り上げた藤井寺球場は敗戦処理。にとって記念すべき40個目の観戦球場であったが、このサンマリンスタジアムもある意味で記念となる。それはグリーンスタジアム神戸(=現スカイマークスタジアム。1996年7月5日初観戦)鶴岡ドリームスタジアム(2001年9月23日初観戦)での観戦に続き、日本の内外野天然芝の球場をすべて観戦したことになるからだ。

2004年、混戦のイースタン・リーグを制したファイターズのファームは二年連続でファーム日本選手権に出場。二シーズン制のウエスタン・リーグ後期を制し、前期を制した旧バファローズとの優勝決定試合に勝ったドラゴンズとファーム日本一を賭けてサンマリンスタジアム宮崎で対戦した。

敗戦処理。はこの前年のファーム日本選手権もファイターズが出場したので長野オリンピックスタジアムまで足を運んだがこの時も宮崎まで足を運んだ。

体育の日が10月の第二月曜日に変更になったいわゆるハッピーマンデーによる三連休の初日に当たる2004109日。当日移動となった敗戦処理。は9:05羽田空港発のJAL1883便に乗って空路宮崎に向かった。そして宮崎空港から宮崎空港線に乗って田吉へ。そしてここからJR日南線に乗り換えて運動公園へ。運動公園駅から歩くこと約15分、サンマリンスタジアムに着いた。13時試合開始に対し、12時過ぎに球場に入ることが出来たのでスムーズだったが、野球などイベントが開催されない時は電車が少ないという。

2001年に完成したこの球場。「サンマリンスタジアム宮崎」の名付け親がこの球場で春季キャンプを行う当時のジャイアンツ監督、長嶋茂雄だったことは有名。

名付け親が長嶋監督で球場名に「マリン…」とつくだけで「またジャイアンツがパクった!」と一部のマリーンズファンがネットで息巻いていたが<苦笑>、ほんとうにきれいな球場だ。

前述した内外野天然芝三球場は現在ではすべてプロ野球球団の本拠地としては使用されていない。天然芝の維持費とメンテナンスを考えると年間のフル稼働が利かないという面もあるらしい。

この球場でキャンプをしているジャイアンツナインもきっと芝のことを考えてゆるい練習をしているからシーズンに入ると…。

閑話休題。

観戦した試合はファイターズがこの年のルーキーにしてファームのローテーションの中心となった須永英輝(イースタン18試合104敗、防御率3.48。リーグ最多勝)が先発。九回表を終えて3対0とファイターズがリード。1997年以来のファーム日本一をほぼ手中に収めたかと思った。

マウンドの須永は八回まで被安打2。ネット裏から三塁側のスタンドに散見された、鎌ヶ谷から駆けつけたとおぼしきファイターズファンは誰もが岡本哲司二軍監督の胴上げを信じたであろう。一死から仲澤忠厚が安打で出たが、併殺なら一気に試合終了なのでファイターズベンチは胴上げに備えていつでも飛び出せるスタンバイ状態。しかしここから、結果的にドラゴンズのユニフォームで最後の打席となった代打の酒井忠晴、関川浩一の連打で1点を返されると、さすがに目の覚めたファイターズベンチはルーキーの須永に代えてベテランの関根裕之にスイッチ。

しかし流れというものは一度離したらなかなか戻ってこない。関根は森章剛に四球を出してしまい、続く筒井壮に同点のタイムリー。そしてとどめは続く代打の土谷鉄平(現.鉄平)に右中間のサヨナラ二塁打。八回まで静かだったドラゴンズ側のスタンドがこの回になって一軍のチャンステーマや「狙いうち」が流れ続き、それが耳に突き刺さる感じだったのが今も記憶に新しい。

 

Photo

結局、胴上げされたのは岡本監督ではなく、後にホークス和田毅の義父となるドラゴンズ佐藤道郎二軍監督の方だった。

そしてその後、表彰式。歓喜のドラゴンズ側スタンドから、そしてファイターズ側スタンドからも一転してブーイングの嵐。そう、この年の球界再編騒動の最中、一貫して他人事のようなスタンスに終始していた根来泰周コミッショナーが優勝監督の表彰に姿を現したからだった<苦笑>。

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敗戦処理。は今も思っている。もしもこの試合で須永が完封していたら、あるいはリリーフ投手の力を借りてチームが日本選手権を制していたら、今頃少なくとも須永は一軍で先発ローテーションの一角を担う投手になっていただろうと。

選手にはいくつかのステップがあり、それを一度で越えた選手はすんなりと次のステップに進めるが、そこでつまずいた選手はなかなか次のステップに進めない。チャンスはいくらでもあるのではないのだ。

三連休の初日で、父の故郷でもある宮崎県には知人も少なくない。ゆっくりとしたいところだったが、次の日の午後に東京で外せない用事があるのでそうもいっていられない。サンマリンスタジアムから少し離れたところにある、従来ジャイアンツがキャンプで使用していた宮崎県総合公園第2硬式野球場を外からちょっとのぞいて空港に戻ることにした。

驚いた。冒頭のグラウンド写真でおわかりのように好天とは言えなかったのだが東京は台風で飛行機が飛ばないのである!

仕方なく飛んでいる飛行機のうち、最も東京に近いところまで飛ぶ飛行機に乗ることにした。取りあえず名古屋まで飛び、陸路で東京に戻ることにした。しかし名古屋に着いても今度は新幹線がなかなか動かない。名古屋から東京まで、のぞみの車中でずっと立ちっぱなし。東京駅に着いたときには日付が変わっていた。

今度行くときはジャイアンツの春季宮崎キャンプでもゆっくり見物したいものだ。

P.S.

おまけ。この試合で敬遠された我らが實松一成。ドラゴンズのホームゲームという形でDHなしだったため、次の須永との勝負を選択されて敬遠される實松。ある意味お宝写真!?

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【ご連絡】

毎月2日にエントリーしている-「生」観戦した野球場-ですが、そろそろネタ切れが近づいてきました。そこでせめてもの延命策として来月から新コーナーと一ヶ月おきにエントリーすることとします。次回7月2日には新コーナーをスタートさせ、「生」観戦した野球場の次回は8月2日エントリー予定とします。

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