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2008年6月 7日 (土)

中畑清の解説を聞いてふと思ったこと。-加治前竜一が史上初の初打席サヨナラ本塁打を記録した試合で。

ジャイアンツの新人、加治前竜一が史上初となるプロ入り初打席サヨナラ本塁打の快挙を成し遂げた6日のジャイアンツ対マリーンズ戦。BS日テレの中継で久しぶりに中畑清の解説を聞いた。聞きながら試合を観ていてふと思ったことがある。

解説の内容は今に始まったことではないので割愛する。そうでなく、敗戦処理。がふと思ったのは、

もしも今のジャイアンツに中畑清が選手として存在していたら、かつての中畑清のようなスター選手になれただろうか?

ということ。

長嶋茂雄監督時代にドラフトの逆指名制度を活用して獲得した選手とFA移籍で加わった選手、さらには日本の他球団で活躍した外国人選手が所属球団と契約でこじれたのに乗じて獲得した選手がずらりと名を連ねる近年のジャイアンツで中畑のような選手がスターになれただろうか?チャンスすら充分に与えられないのではないかと思ったのだ。

このblogを読んで下さっている読者の方で若い野球ファンの方の中には中畑の現役時代をご存じない方もいらっしゃるかもしれない。中畑の現役時代をざっと振り返ろう(そんなもん知っているよと言う人は飛ばして下さい。)。

駒沢大学時代に強打の大型内野手として注目を浴び、1975年に開かれたドラフト会議で長嶋茂雄監督率いるジャイアンツからドラフト3位で指名を受ける。ただこの時、ジャイアンツの1位指名が高校生(銚子商業)の篠塚利夫で、しかも腰に持病を抱えていることが知られていたため、中畑は「俺は病気持ちより下なのか?」とヘソを曲げてしまう。結果、ジャイアンツはドラフト外でチームメートの平田薫、二宮至も獲得することで中畑の首を縦に振らせることに成功。ジャイアンツに「駒大三羽ガラス」が誕生する。

入団二年目の1977年に初の一軍入りを果たし、この日の解説でも後輩の野村謙二郎相手に自慢していたように初打席初安打を放ったがすぐに二軍落ち。翌1978年も一軍生活は短期間のみ。対カープ戦で一打出ればサヨナラという場面で代打に起用されながら江夏豊の前に三球三振に斬ってとられ、すぐに二軍に落とされたのが印象に残っている。

しかしその年の秋に行われた大リーグのシンシナティ・レッズを迎えての日米野球でソート投手から決勝本塁打を放って一躍「期待の若手」的扱いになる。

そして翌1978年、レギュラー三塁手だった高田繁に衰えが観られるようになると、中畑が三塁手として起用されるケースが増える。当時の土井正三コーチに奨められて使い始めた「絶好調です」のフレーズでも有名になり、明るいキャラクターもあって一躍人気者になる。

その後原辰徳の入団もあって三塁から一塁にコンバートされると完全に一塁のレギュラーポジションをつかむ。ケガによる欠場が多かったのが玉に瑕だったが、オーバーアクションを含め、どこか憎めないキャラで球場での人気は原や篠塚を明らかに凌いでいた。特に打席でのヒッティングマーチの演奏時の「かっとばせーキ・ヨ・シ」に続く「燃えろー!」の絶叫の大きさは当時の応援パフォーマンスの中でも秀逸で、おそらく現在のマリサポにも負けない熱気だったろう。

ジャイアンツの選手会長ばかりでなく、プロ野球選手会の会長も務める。そして在任中にプロ野球選手会が労働組合に認可された。

1989年を最後に現役引退。この年は開幕直後のケガが元でほとんど出場機会がなかったが、リーグ優勝を決めた横浜スタジアムでのホエールズ戦で代打に出てライト線に痛打を放ち、二塁にヘッドスライディングをする姿には「ひょっとしたら今年で…」と半ば覚悟を決めていたファンの胸を熱くさせた。この後、シーズン最終戦では試合途中から古巣の三塁の守備に入り、本塁打を放ち再びファンを熱くさせるが、とどめは日本シリーズ。

ジャイアンツが旧バファローズに三連敗してから三連勝するという劇的なシリーズだったが第七戦で代打で出場。吉井理人のストレートを藤井寺球場の左中間スタンドに放り込み、見事に有終の美を飾った。

と、思ったらDHの吉村禎章の代打だったためそのままラインアップに残り、もう一度打席が回ってきて三塁フライに倒れてしまった。これも中畑清らしかった。

思い入れのある選手なのでつい長くなってしまった。

要するに中畑は1980年代のジャイアンツにおける中心選手であったことは間違いないのだが、いわゆるエリートではない。四番原は東海大相模高校の時代からスターだったし、篠塚はすぐにその非凡なバットコントロールで安打製造器として開花した。また、中畑は足は速いほうだったが「青い稲妻」と言われた松本匡史ほどではなかった。投手には怪物・江川卓がいた時代だが、そんななかでも存在感は間違いなくナンバーワンだった。一軍ブレーク時のキャラがオーバーアクションと明るいキャラだったため、一部マスコミはミスターの若い頃と比較したりしたがファンも含めて中畑が「第二の長嶋」にはなれないことを皆知っていた。でも、グラウンドで明るく振る舞う中畑を誰もが愛した。

それは中畑がブレークした1978年がジャイアンツにとっては「江川問題」に揺れた年だったからだ。前年秋のドラフト会議前日にジャイアンツが「空白の一日」を主張して江川卓の獲得を表明したものの当然機構側は無効として却下。江川はドラフト会議でタイガースに交渉権が与えられることになるが、ジャイアンツも簡単には江川を諦めない。もつれにもつれた末、春のキャンプイン突入のタイミングでタイガースと契約した江川がジャイアンツの小林繁とのトレードで正式にジャイアンツの一員になると言う結末を迎えるが、ももはや野球界の枠を超えた騒動に発展しており、ジャイアンツファンとしては肩身の狭いシーズンを迎えざるを得なかった。そんなときに中畑清が底なしに明るいキャラでブレークしたのはジャイアンツファンにとって何よりもかけがえのない存在だったのだ。ここ一番の打席でファンが「力むなよ…」と思いながらテレビの画面に集中すると、あにはからんや高めのボール球に手を出して凡退。そんな場面に何度遭遇しても愛されるキャラクターだった。

しかし、繰り返すが中畑はエリートではない。もしも今の時代に中畑がいても、レギュラーになれたかどうか疑わしい。

()高橋由伸→1997年逆指名

()二岡智宏→1998年逆指名

()小笠原道大→2007年FA移籍

()イ・スンヨプ→2006年移籍

()A・ラミレス→2008年移籍

()阿部慎之助→2000年逆指名

()谷佳知→2007年トレード

()坂本勇人→2006年高校生1巡目

()高橋尚成→1999年逆指名

これはジャイアンツの今年の開幕戦のスターティングメンバーと、その経歴だ(ドラフトの年次は実際にドラフトが行われた年度で入団はその翌年)。どの選手も間違いなくエリートであり、いわゆる雑草が入り込む余地は無いように思える。若かりし頃の中畑清がこの中に割っては入れるか…?

おそらくは中畑が一軍で試合に出る機会を与えられても、サインを見落とすなどのミスをして懲罰的にすぐに二軍に落とされるだろう<>

しかし、幸か不幸か今シーズンは怪我人、絶不調のオンパレード。この開幕スタメンの選手の約半数に当たる4人が登録抹消中なのである。また投手でも高橋尚以外にもエースの上原浩治、ローテーション投手の木佐貫洋、中継ぎエースだった林昌範がファーム落ちしている。ファームの選手には千載一遇のチャンスだ。

中畑が解説したこの日、ルーキーの加治前竜一が初打席でサヨナラ本塁打と派手なデビューを果たした。亀井義行のケガは残念だが、山口鉄也が左の中継ぎ投手として重用され、隠善智也もチャンスを活かしている。寺内崇幸も徐々に出番を増やしている。

ここしばらく若手を登用する土壌がなかったため、彼らの努力、結果がストレートに反映されるのは難しいかもしれない。トレードや新外国人獲得の期限が7月末まで延びるということなのでさらなる補強に走る可能性も否めない。

現在のジャイアンツにかつての中畑清のようなプレーヤーが存在するのかは疑問だが、そういう選手が出現し、その選手を原監督がうまく使いこなせればジャイアンツは間違いなく変わると思うのだが…。そして加治前は「史上初」という肩書きがつくど派手なデビューでその切符を得るチャンスをつかんだと言える。ビギナーズラックでもいいじゃないか、ジャイアンツファンよ、この選手を見守り、ファンの力で育てていこうではないか!

■中畑清

1954年1月6日、福島県生まれ。安積商→駒沢大を経て1975年のドラフト会議でジャイアンツから三位で指名され入団。1989年のシーズンを限りに現役引退。日本テレビの野球解説者として活躍。1993年打撃コーチとしてジャイアンツに復帰。1994年まで務める。2003年にはアテネ五輪の野球日本代表チームのヘッドコーチに就任し、翌年のアテネ五輪では病気の長嶋茂雄監督に代わって監督を務めて銅メダルを獲得。現役通算成績は1248試合出場し、1294安打、171本塁打を記録。通算打率は.290。ゴールデングラブ賞7回、オールスターゲーム出場6回。もちろん敗戦処理。が大好きなプロ野球選手の一人。

P.S.

中畑の解説はいつもの通りですが「ネクストバッターズサークルには久保の所ですが諸積が準備をしております」と言った実況アナウンサーの方が凄かった<苦笑>

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コメント

コメントをありがとうございました。

> 試合中はマーチが何回か繰り返して演奏されるのでかっ飛ばせ~の後に燃えろ~と感じられますが、試合前などの1~9ではかっ飛ばせきよしの後はつぎの打者のマーチが始まっていました。

確かに言葉不足だったかもしれませんね。

ただ、敗戦処理。が言いたかったのは歌い出しとしての「燃えろ」ではなく、あくまでも

> 「かっとばせーキ・ヨ・シ」に続く「燃えろー!」の絶叫の大きさ

が想像を絶するボリュームだったと言うことです。

本当にあれは凄かったですね。

投稿: 敗戦処理。 | 2009年1月12日 (月) 18時07分

彼のヒッティングマーチの燃えろ!はかっ飛ばせの後ではなく、ヒッティングマーチは「燃えろ清男なら、ここで一発清、かっ飛ばせよ、かっ飛ばせよ、ライトスタンドへ(ピジターの時はレフト→いつの間にかそうなっていた)」です。試合中はマーチが何回か繰り返して演奏されるのでかっ飛ばせ~の後に燃えろ~と感じられますが、試合前などの1~9ではかっ飛ばせきよしの後はつぎの打者のマーチが始まっていました。

投稿: | 2009年1月12日 (月) 01時51分

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