FA宣言の三浦大輔と中村紀洋の去就が決まる。
このオフ、FA権を行使した選手は7人いたが、ここに来て2選手の去就が決まった。ドラゴンズからFA宣言した中村紀洋はゴールデンイーグルスへの移籍が決まり、ベイスターズの三浦大輔はタイガースから入団交渉を受けて気持ちが揺らいだものの横浜に残留することを決めた。
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このオフ、FA権を行使した選手は7人いたが、ここに来て2選手の去就が決まった。ドラゴンズからFA宣言した中村紀洋はゴールデンイーグルスへの移籍が決まり、ベイスターズの三浦大輔はタイガースから入団交渉を受けて気持ちが揺らいだものの横浜に残留することを決めた。
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21日に行われたWBCのスタッフ会議の後に代表チームの原辰徳監督が「一球団においては、誰一人も協力者がいなかった。やや寂しいことでした。」と話し、ドラゴンズの候補選手に軒並み断られていたことが明らかになった。これに対しドラゴンズの落合博満監督が「みんな出ると思うのが大間違い」、「球団の主導ではない」、「医者が患者の病状を他人に言えるか」、「説明責任は要らない」などと独自のオレ流ぶり発言満載で批判に反論した。WBC二連覇に向けて球界全体の足並みが揃わないのは確かに不安だが、本当に各選手の意思で辞退しているとしたら、落合監督の語るとおり、出たくてたまらない選手もいる代わりに出たくない選手がいても不思議ではないだろう。
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先頃「巨人は略奪国家ではない」という論文を発表したある組織の偉い人が解任されました。そりゃぁ、空中戦を担当する立場の人としては、四番打者をかき集める手法を否定されてはたまらないでしょう。ましてや公式見解とされる、いわゆる村山談話、「天覧試合の長嶋さんの最後の打球はファウル」にしても、本人の思い込みの域を出るものではない。
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ジャイアンツがこの舞台に出る腹つもりでチケットを購入しておいたのですが<苦笑>。
出場四チームのうち三チームのニックネームがライオンズというアジアシリーズ2008。
決勝戦は0対0で迎えた九回裏二死一塁から、佐藤友亮の左中間の安打で一塁走者の石井義人があの伝説の1987年日本シリーズ辻発彦の好走塁を彷彿とさせる好走塁で一気に生還。埼玉西武ライオンズが統一7-ELEVENライオンズをサヨナラ勝ちで下してアジアチャンピオンに輝きました。
(写真上:アジアシリーズを制し、ナインに胴上げされる渡辺久信監督。写真下:好走塁でサヨナラのホームを踏んだ石井義人を祝福する次打者の大島裕行、大久保博元コーチら。)
【16日・東京ドーム】
UL 000 000 000 =0
SL 000 000 001X =1
UL)艾瓦多、曾翊誠、●潘威倫-高志綱
SL)涌井、星野、大沼、○岡本真-銀仁朗、野田
本塁打)両軍ともなし
最優秀選手 佐藤友亮
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ジャイアンツの三勝二敗で迎えた日本シリーズ第六戦は、第四戦で147球を投じて完封した岸孝之が中二日ながら四回裏一死一、三塁の場面で登板。ピンチを切り抜けるとそのままロングリリーフで最後まで投げきり、三勝三敗のタイとライオンズが盛り返した。第七戦のチケットを持っている身としては胸中複雑なテレビ観戦だったが、岸に最大級のあっぱれ!!を送るしかあるまい。
そして、明日はアレックス・ラミレスが打って原辰徳監督が宙に舞うのを敗戦処理。は観に行きます!
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「有楽町で逢いましょう」、「君恋し」、「おまえに」、「WOMAN」を始め多数のヒット曲で知られる、日本のムード歌謡の第一人者、フランク永井さんが先月27日に亡くなられたことが報じられた。敗戦処理。は「有楽町で逢いましょう」をリアルタイムでは知らないが、「おまえに」は敗戦処理。が中学生の時だったのでよく憶えている。しかし野球好きの敗戦処理。にとってフランク永井さんの別の話題が妙に気になったことも、この報道で想い出してしまった。
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ライオンズの先勝でスタートした今年の日本シリーズ。第二戦はアレックス・ラミレスのサヨナラ本塁打でジャイアンツが雪辱。1勝1敗としました。
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当blogで毎月2日に掲載している 敗戦処理。が生観戦した野球場 がもうすぐネタ切れになるので、隔月掲載として、その間、敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year をはさむことにします。1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year 第3回 1976年(昭和51年)編
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日本シリーズ第一戦当日朝の日刊スポーツに何とも不可解な記事が出た。
今季貧打に泣いたファイターズが貧打解消のためにトレードを積極的に働きかける。特に長距離砲がいない右打者補強のターゲットはジャイアンツの二岡智宏で、交換要員には二年前のパ・リーグ新人王、八木智哉や、何とクローザーのMICHEALまで用意しているとか。二岡以外にはタイガースの桜井広大といった、いわゆる未完の大器も含まれているという。ファイターズファンからすれば、「何で守護神を出してまで?」というのがあるだろうし、ジャイアンツファンには「これから日本シリーズという時に!」というのがあるだろう。両方のファンである敗戦処理。にも何で?という感じだ。
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