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2008年11月19日 (水)

巨人は略奪球団ではない!

2 先頃「巨人は略奪国家ではない」という論文を発表したある組織の偉い人が解任されました。そりゃぁ、空中戦を担当する立場の人としては、四番打者をかき集める手法を否定されてはたまらないでしょう。ましてや公式見解とされる、いわゆる村山談話、「天覧試合の長嶋さんの最後の打球はファウル」にしても、本人の思い込みの域を出るものではない。

(写真:シーズン終盤の就職活動が幸いし、トレードが決まった小坂誠<上>と清水隆行<下>)

「何でも欲しがるチョーさん」の時代から、ポジションがダブろうが何だろうがかき集めていた感のあるジャイアンツが選手構成上、出番のない小坂誠、清水隆行を相次いで金銭トレードで放出した。

 

ジャイアンツはただ集めるばかりでなく、分配することも考え始めたようだ。

 

清水は谷佳知、アレックス・ラミレスと次々にジャイアンツが右打ちの外野手を補強していく中で相対的に出番が減っていった。それでも清水が代打という働き場で結果を出せるタイプなら新境地を開けたのだろうが、元来器用なタイプではない清水は、一試合に一打席あるかどうかという境遇で結果を残せなかった。

原辰徳監督の就任一年目。それまで二番を打っていて左投手が出てくると引っ込められていた清水を原監督は一番打者として重用した。本来の積極的な打棒が活き、年間の安打数はチーム記録を更新するほどだった。この配置転換で一番から二番に回った仁志敏久は逆に精彩を欠くようになり原監督との間に溝が出来るようになっていくが、清水は一皮むけたと誰もが思ったに違いない。

ところが、この年のオフに四番打者、松井秀喜がFA宣言でメジャー移籍をしたため、その穴を本来は一塁手であるロベルト・ペタジーニを獲得することで埋めようとしたことが、間接的に清水に影響を及ぼすことになる。

当時一塁に清原和博がいたためにペタジーニは外野に回る。清水、ペタジーニと左右に守備に不安のある選手が並ぶために高橋由伸をセンターに回したが、高橋由はそれが原因で体調を崩すようになる。挙げ句、高橋由をライトに戻し、ペタジーニをレフトに回して清水をセンターに回すという苦肉の策を講じたが、もともと守備に難がありセンスに欠ける清水にセンターを守らせると、守備に神経を使うあまり打撃のリズムまで狂わせたのだ。

原監督退任後の堀内恒夫監督就任時にはさらに悲惨な目にあった。

投手出身の堀内監督は守りを固める野球を築きたかったが、フロントはお構いなしに小久保裕紀、タフィ・ローズを獲得。就任二年目のシーズンにはセンターを守れるゲーブ・キャプラーなる右打者の外国人まで獲得したのだから清水は出番が無くなった。結局このキャプラーなる外国人助っ人が打撃が低調なだけでなく、守備も清水よりはマシだが特別上手くもないことがわかり、ローズをセンターに回して清水がスタメン起用されるようになるが、清水本来の打棒が復活するには至らなかった。

清水はチームの構想に振り回される中で、自分の居場所を見つけることが出来なかった。移籍前の仁志もそうだったが、ジャイアンツファンもそういう微妙さには敏感で、たまに試合に出ると大きな拍手、歓声でかつての仁志や清水を迎えるが、なかなか結果を伴わせることが出来ない。清水も仁志同様に、使う気がないのなら移籍先を考えて欲しいとフロントに要望したとのことだから、ライオンズでいい働きをすることだろう。

ライオンズは若手主体というイメージが強いが、ジャイアンツが豊田清をFAで獲得した時の人的補償の江藤智が今も現役で、来季も現役続行内定だということからもわかるようにベテランを大切にしてくれる風潮があるチーム。ある知人などは「これでようやく鈴木健の穴が埋まった」と言っていたくらいだから、左打者が手薄だというのも清水にはチャンスだろう。

小坂はジャイアンツに何を残したのだろうか?

小坂はマリーンズが31年ぶりの日本一に輝いたシーズンのオフにジャイアンツに金銭トレードされた。報じられた金銭は1億円だった。突然の快進撃で給料が大幅に上がる選手が続出するためにその資金源として小坂の金銭トレードが実現したと言われた。

「日本一のショート」小坂を復帰したばかりの原監督は二岡と競わせるまでもなく二塁に回し、仁志と併用するという起用法をした。

結果、名人芸と言われる小坂のショートの守備を三年間で堪能出来たジャイアンツファンがどれだけいたのだろうか?

敗戦処理。自身、ジャイアンツの小坂に唸らされたシーンと言えば、真っ先に思い浮かぶのは守備でなく走塁のシーン。

移籍一年目の4月だったと思う。ナゴヤドームの対ドラゴンズ戦の中盤でジャイアンツが無死一、二塁。小坂は二塁走者だった。打席にはイ・スンヨプだったがここで原監督はイに送りバントのサインを出した。イは空振りだったかファウルだったかでバントを決められなかった。その直後、強攻策に転じたイの打球は左中間深い大飛球となった。ドラゴンズのセンターが左中間のフェンスの手前で捕球態勢に入ったが目測を誤り、落としてしまった。ナゴヤドームの左中間は深い。上手くすれば一気に2点取れるシーンと思ったら小坂はハーフウエイからタッチアップに備えて帰塁しようとしたため三塁に行くのが精一杯だった。この時たしか実況アナウンサーが「イ・スンヨプと小坂、マリーンズから移籍の二人がミスを続けました」というようなことを言ったと記憶しているが敗戦処理。は全く逆のことを感じた。

長距離砲のイにバントのサインを出すくらいだから、チームの優先順位は二塁走者を三塁に進めること。その状況でイがバントを失敗したとはいえ、今度は外野に深いフライを放ったら二塁走者がすべきことは、まずは確実に三塁を狙うこと。長打コースに飛んだからと言って一気にホームを狙うことよりも、相手に捕球されても三塁に進めるタッチアップを考えるのが走者の役目であろう。経緯は違えど共に同じチームから移籍してきたイの失敗を取り戻そうと、小坂がベンチの意を汲んでタッチアップを考えたのはベテランならではの判断であり、原監督の目指す「ジャイアンツ愛」のひとつの形であるなと。

チームが常勝をテーマにし、とにもかくにも目の前の一勝を確実に追う風潮であることに無意識にファンも感化され、結果ばかりを重視しがちな中で、小坂のような名人芸、職人芸を堪能する余裕がどれだけファンの中にあるか。かつては川相昌弘のバントという芸術的なプレイに拍手をする余裕を持っていたジャイアンツファンに小坂の真骨頂を観る機会がどれだけあったか。なおかつ二塁の守備では見せ所も限られただろう。

浦和学院高校から東洋大学と、ジャイアンツ入団前に埼玉県にゆかりのあった清水と、生まれも育ちも宮城県という小坂の移籍。育成選手制度を活用するジャイアンツにおいて、いくら育成選手が支配下選手の70人の枠の外とはいえ、彼らをファームの実戦で使うようになれば一軍経験豊富なベテランでも割を食うのは自明の理だ。

それでも清水と小坂はまだいい。吉武真太郎の戦力外が発表されたが、ひょっとしたら移籍先の当てがなかったからご自由にと言うことなのかもしれない。現実にゴールデンイーグルスの入団テストを受けた野口茂樹は不合格だったという。

育成選手制度を活用する時代に、いわゆる飼い殺しはそぐわない。清水はライオンズで、小坂はゴールデンイーグルスで存在感を示して欲しいものだ。

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