ファイターズの大社義規前オーナーが野球殿堂入り!!
本当に嬉しいニュースだ。北海道に移転してからファンになった方にはなじみが薄いかもしれないが、大社義規前オーナーは東映フライヤーズから球団を買収して一年で放り出そうとした日拓から球団を買収し、以後並々ならぬ情熱を注ぎ、球団を、野球を愛して止まないオーナーだった。
在任中には、十二球団のオーナーで最も熱心で最も野球に理解のあるオーナーと評されることが多く、あのジャイアンツの渡邉恒雄会長ですら(カープの先代の故松田耕平オーナーと)大社前オーナーは別格だと一目も二目も置いていたらしい。
冒頭の画像は敗戦処理。が所有している、ベースボール・マガジン社が発行しているベースボールカードなのだが、2003年に初めてファイターズのチーム別のカードセットが発売になった時のカードだ。上が日本ハム球団誕生のカードなのだが、特筆すべきは下のカード。何と大社義規オーナーのカードなのだ。カードの右下に「YOSHINORI OHKOSO」と綴られている。日本の野球カードで球団オーナーのカードが作られたのは史上初の出来事だった。「81年優勝メンバー」という括りで大社オーナーのカードが作られた模様だ。裏面にはファイターズファンとして知られるコラムニストの えのきどいちろう 氏が文章を寄せている。勝手ながら引用させてもらう。
僕たちにとって「大社義規オーナー」こそ永遠の球団オーナーだ。日拓が手放した球団を救い、30周年を迎えるまで安定経営させてくれた大恩人である。体躯壮健の健啖家として知られ、キャンプ中に行なわれる「オーナー食事会」は壮観であったと伝えられる。上田監督時代、「選手に悪い」とダイエットして胴上げに備えられたのは有名な話。残念ながら胴上げは81年の一度きりでオーナー職を退かれた。Fsファンはオーナーの野球カードがあることを誇ろう。
大社前オーナーは2002年に食肉偽装問題の責任をとって日本ハムグループのあらゆる役職を辞した際に球団オーナーも辞任した。北海道に移転してから初の優勝は2006年に成し遂げられたが、前オーナーはその前年の2005年に90歳で亡くなられた。二度目の優勝と三度目の優勝を見ることは出来なかったが、選手会長の金子誠や息子に当たる現オーナー大社啓二氏が遺影を持って胴上げに参加したから天国でさぞお喜びだったことだろう。
1942年に徳島食肉加工場を設立し事業を拡大。1973年に日拓ホームフライヤーズを買収して球団をグループに持つと、一気に知名度を上げ、ついには売上高で食肉業界のトップに立ち、その地位を揺るぎないものにした。それでも球団を単なるグループの広告塔とは位置づけず、時間の許す限り球場に駆けつけ、主力選手、控え選手、ベテラン、若手を問わず選手を励ましていたという。その一方で初期にはなかなかチーム成績が浮上せず、自ら招聘した、かつてのジャイアンツの名監督、三原脩球団代表兼社長を怒鳴りつけたこともあったという。気がつけばパ・リーグでは現役ではロッテに次いで長い歴史を持つ親会社となった。
ファイターズが東京を離れ、早いもので丸五年のシーズンを終えた。東京ドームでの主催試合も、申し訳程度の平日開催のみとなり、東京時代を知る選手は徐々に減り、完全に新しいチームになってしまった感もなきにしもあらずだが、後楽園の頃からこのチームを応援している一ファンとして、敗戦処理。は えのきどいちろう 氏のフレーズではないが十二球団に誇れるオーナーがいたことをあらためて強く胸に刻みたい。
なお、野球殿堂入りの表彰式は例年オールスターゲームで行われるが、今年は7月24日に行われるオールスターゲームの第一戦で表彰式が行われる。場所は偶然なのか札幌ドームである。
P.S.
今日のオマケ
前オーナーが亡くなられた直後の試合で右肩に喪章をつけてプレーするファイターズの選手。
わかりづらいでしょうが、矢印の先、右肩に喪章がついています。写真は矢野諭投手(当時) 2005年5月撮影
【2月8日付追補】
その後ファイターズ球団は前オーナーの功績を讃えるため、大社義規前オーナーが、チーム優勝時に胴上げしてもらうために用意していたというユニフォームの背番号100にちなみ、背番号100を永久欠番にすることを1月30日付で発表しました。そして2月1日のキャンプ初日に永久欠番制定セレモニーを行いました。
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