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2009年1月27日 (火)

巨人軍は非情か

01 ベースボール・マガジン社が発行している「週刊ベースボール」に隔週で連載しているジャイアンツの清武英利球団代表のコラム、「野球は幸せか!」がまとめられて一冊の本になったという。そのタイトルが「巨人軍は非情か」(新潮社刊)なのだが、今回は本の感想や紹介ではない。

 

(写真:ジャイアンツ時代、ジャイアンツ球場で一緒に練習する清原和博と広沢克己。何故この二人の写真かは読み続けていただければ理解出来ると思います。1999年8月撮影)

昨シーズン限りで現役を引退した清原和博の自叙伝「男道」(幻冬舎刊)の一部を読んだ。ジャイアンツ時代の末期に受けた信じがたい処遇についての清原の憤懣やるかたない思いが切実に伝わってくる。

清原和博とジャイアンツ。PL学園三年時のドラフト会議での因縁はあったにせよ、清原のFA移籍では相思相愛だったはずだ。それが清原が故障に泣かされがちになると、例えば四年契約の三年目の2004年シーズン終盤には球団関係者ではない謎の人物から去就に関する方針を伝えられたり、2005年の四年契約満了間際には球団幹部から呼ばれた場所は球団事務所ではなく都内のホテル。しかも裏口から案内され、来年は契約を結ばない旨を告げられただけで九年間の働きに対する労いの話は一切無かったとかの話が赤裸々に綴られている。

もちろん、清原一方の証言だけでジャイアンツの非常さを決めつけるのはフェアではない。清武代表は上記、週刊ベースボールの連載の中で「彼についても、いつかすべてを書くときがくるだろう」(45回 20091月5・12日合併号)と意味深なことを書いている。

思えば清原に限らず、ジャイアンツにFA移籍で三顧の礼で迎えられた選手の末路は寂しい形が多い。FA移籍でジャイアンツに入団した選手を順に列挙してみよう。

落合博満

川口和久

広沢克己

河野博文

清原和博

工藤公康

江藤智

前田幸長

野口茂樹

豊田清

小笠原道大

門倉健

FA制度初期に獲得した選手のほとんどは既に現役を引退しているが落合博満を筆頭にジャイアンツで現役生活を満了せず、必ずしも円満という形でなく他球団に移籍しているケースがほとんどだ。

FA初年度に獲得した落合は、松井秀喜がまだ一本立ちする前のジャイアンツ打線の精神的支柱として三年間で二度のリーグ優勝に大きく貢献したが、「本命」の清原獲得のあおりを受け、結局自ら望む形で自由契約になった。

ジャイアンツへの移籍が二度目のFA移籍となった工藤公康は年齢的にもジャイアンツで現役生活を全うするものと思われたが、門倉健をFAで獲得したときの見返りとして人的補償を求められた際にプロテクトされなかったため、ベイスターズへの流出となった。ジャイアンツでは工藤以外にも、江藤智も豊田清獲得の人的補償として流出している。どちらの選手も成績が落ちたためにプロテクトの優先順位が下がったからなのだろうが、FAで獲得した選手が別のFA選手獲得による人的補償で流出するというのが、このチームのFA移籍組が選手生活をジャイアンツで全う出来ない象徴のように思えてならないのである。

古い話になるが、2001年のジャイアンツの本拠地最終戦では勇退を表明した長嶋茂雄監督のみならず、現役引退を表明した槙原寛己、斎藤雅樹、村田真一といった生え抜きのベテラン選手の引退セレモニーが行われた。この試合を敗戦処理。と一緒に生観戦したNさんは「これから先、FAなどで移籍してきた選手が現役引退セレモニーを行っても、今日の三選手のように感情移入出来ないかもしれない」との心境を当時の@niftyの掲示板で語っていた。在籍年数が長い分、生え抜き選手にファンの感情移入が強くなるのは仕方ないにしても、球団としては生え抜き、移籍組の区別無く、功労者にはそれなりの場を提供して欲しい。

01_2

(写真:勇退する長嶋監督、現役を引退する槙原、斎藤雅、村田真にスピーチする当時の原辰徳ヘッドコーチ 2001年9月撮影)

それどころか近年では生え抜きの桑田真澄も自分から勝手に飛び出してしまった形だし、川相昌弘に至っては本人は現役続行したいのに当時の原監督がコーチ就任を要請。一時は現役引退を表明し、公式戦で引退セレモニーまでしたのに要請した原監督の退団が決まると宙ぶらりんにされ、一転して現役続行を表明。ライバルのドラゴンズに入団テストを受けて移籍した。

個人的には清原のジャイアンツでの末期のドタバタは半分は本人の自業自得とも感じているのだが、現実に長嶋監督勇退のときのセレモニー以降、円満な形での引退セレモニーがほとんど成されていない。そして桑田、川相クラスでももめる一方で一軍より二軍生活の方が長かったと思われる村田善則が昨年はビジターの試合ではあったが最後の花道を用意された。

敗戦処理。はもう一つの贔屓チームであるファイターズに関して、過去の1981年のリーグ優勝に貢献したレギュラークラスの選手のほとんどがファイターズで選手生命を全うせず移籍を余儀なくされている実態を当blogでも何度か嘆いてきたが、ジャイアンツのV9戦士でトレードされたのは左のエースと言われた高橋一三くらいだ。功労者にはきちんと報いるのがジャイアンツというチームだったはずだ。

仁志敏久と原監督の確執はいわば公然の事実となってしまい、仁志はベイスターズに明らかに不釣り合いな一軍半の選手とのトレードでジャイアンツを去ることになっても「移籍が叶って良かった」と移籍会見で笑顔を見せていた。その仁志と一、二番コンビを組んで長嶋監督時代の重量打線の推進役を果たしていた清水隆行も出番が減って自ら移籍を志願していたという。

いったい、ジャイアンツはどうしてこんなチームになってしまったのだろうか?

もうすぐ春季キャンプが始まるという時期に書き込む話題では無いように思えるが、清原の自伝の一部を読んだからという訳だけでなく、前々から疑問に思っていた点をつい書き綴ってしまった。

あらためて、FAでジャイアンツに加わった選手のその後についてまとめてみた。ファイターズ入団以来ずっと応援している小笠原道大が2010年の四年契約を全うしたとき、どんな処遇を受けるのか、今から心配である。

落合博満(19941996)

四番打者として三年間で二度のリーグ優勝に大きく貢献したものの三年契約満了後、清原獲得ではみ出る形になり、本人と球団の話し合いで自由契約に。ファイターズに移籍。

川口和久(19951998)

左のエースとして期待されたが、先発ローテーションでは結果が出せず、移籍二年目のリリーフ転向でいわゆる「メークドラマ」に貢献。結局四年在籍し、現役引退。引退セレモニーは特に行われなかったが、古巣カープとの広島市民球場での最終戦で、同じくその年限りでの現役引退を表明していたカープ出身の金石昭人とともにカープ球団から花束をもらっていた。

広沢克己(19951999)

スワローズの主砲として活躍していた前年までがウソのように移籍一年目から打撃不振に陥る。二年目のオープン戦で負傷し、スワローズ時代からの連続試合出場が1,179でストップするとその後はレギュラーに返り咲けず。五年契約満了で自由契約に。スワローズ時代の恩師野村克也監督が率いるタイガースに移籍し、四年間在籍。

河野博文(19961999)

移籍一年目こそファイターズ時代にあまり経験の無かった中継ぎ転向が奏功しフル回転。セ・リーグでこの年に新設された最優秀中継ぎ投手に選ばれる活躍で「メークドラマ」に貢献するも、その後はジリ貧。1999年を最後に自由契約となり、マリーンズに拾われるが一年限りで現役引退。

清原和博(19972005)

ドラフト時の紆余曲折はあったが、清原がFA権を取得した二年目のオフにFA移籍が成立。五年契約を結んだ。しかし移籍一年目からなかなか清原本来の活躍が出来ず、契約最終年の2001年にようやく本来の清原に近い成績を残す。2002年から四年契約を結ぶも、その後たび重なる故障にも泣かされ、最後には戦力外通告を受けることに。仰木彬シニアアドバイザーに乞われる形でバファローズに移籍。その後も故障に泣かされ、2008年現役引退。

工藤公康(20002006)

ライオンズから1994年シーズン後にFA移籍でホークス入りし、五年目の1999年に新生ホークスとしては初めての優勝を飾り、その立役者になりMVPを獲得するも、二度目のFA宣言。地元のドラゴンズとの争奪戦となったがジャイアンツが獲得。移籍初年度に左のエースとしてリーグ優勝に貢献したのを皮切りにベテランらしい投球でローテーション投手として貢献するが、2006年オフにジャイアンツが門倉健をFA獲得した際にプロテクトされなかったために人的補償でベイスターズが獲得。現在に至る。

江藤智(20002005)

カープの主砲として活躍していたが、1999年のシーズン後FA宣言。長嶋茂雄監督と同じ背番号33を着けていたため、長嶋監督が背番号33を譲る形で伝説の背番号3を復活させたことはあまりにも有名。ジャイアンツのFA移籍選手としては珍しく一年目から活躍。リーグ優勝を決めた試合での九回裏の同点満塁本塁打は特に衝撃だったが、二年目以降徐々に成績が低迷。2005年オフにジャイアンツが豊田清をFA獲得した際にプロテクトされなかったために人的補償でライオンズが獲得。現在に至る。

前田幸長(20022007)

ドラゴンズからFA移籍で入団し、左の中継ぎ投手として働き場を確立。ベテランの味を発揮した。成績も衰え、2007年終了後、チームの構想からも外れかかったところで前田本人の意向で大リーグ挑戦をすることになり、球団は自由契約の形を取った。結局マイナー契約のみで2008年限りで現役を引退。

野口茂樹(20062008)

ドラゴンズ時代の1996年にジャイアンツ相手にノーヒットノーラン達成。1999年にはリーグ優勝に貢献しMVPを獲得した左腕投手もその後徐々に成績が低迷。環境を変えたい意味合いもあってFA宣言したところをジャイアンツが獲得。しかし三年間、復活の兆しはほとんど見られなかった。わずかに移籍二年目の2007年、中継ぎという新境地に挑戦し開幕一軍入りを果たしたが長続きせずに二軍落ち。昨シーズンは一軍登録されずに終わり、戦力外通告を受けた。アメリカ球界を含む移籍先を模索中もこのエントリーを書いている時点では吉報が届かない。

豊田清(2006)

ストッパー不在に悩むジャイアンツにうってつけの選手がFA宣言した。パ・リーグを代表するストッパーのFA宣言にジャイアンツが飛びついた。移籍一年目、ストッパーとして開幕から順調にセーブを挙げていたが交流戦のゴールデンイーグルス戦でホセ・フェルナンデスに逆転サヨナラ本塁打を被弾すると、本人曰く「それまでの抑え成功がすべて吹っ飛んだ感じがした」という状況でその後豊田らしさが影を潜める。移籍二年目の2007年も復活がままならなかったが、エース上原浩治のストッパー配転によりその前のイニングを投げるセットアッパーに転向。これが奏功し、ジャイアンツの二年連続リーグ優勝に欠かせぬ「勝利の方程式」の一角として見事に存在感を示している。

小笠原道大(2007)

2006年にファイターズを25年ぶりのリーグ優勝に導き、自らもMVPに輝いた左の強打者が悩みに悩んだ末にFA宣言。ジャイアンツがファイターズを上回る条件提示をし、契約にこぎ着けた。トレードマークの髭こそばっさりと剃り落としたが、プレースタイルは変えずに移籍一年目からフルスイングで豪打連発。ジャイアンツの四年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、二年連続のMVPを獲得。オフに左膝を手術したため昨年のスタートダッシュにつまずき六月末頃まで別人のような低打率にあえいでいたが、7月以降フル回転。アレックス・ラミレスとの「オガラミ弾」で大爆発し、「メークレジェンド」実現に大きく貢献。今シーズンももちろん大きな期待を受けている。

門倉健(20072008)

ベイスターズで2006年にFA権を取得し、球団との下交渉で評価の低さに落胆し、FA権行使を決意。先発投手としての安定感を買ったジャイアンツが獲得。開幕から先発ローテーション入りするも、結果が伴わずに中継ぎに降格。そして二軍落ち。移籍二年目の昨年もシーズンの大半をファームで過ごした。二年契約が満了し、球団も大幅な年俸ダウンでの単年契約を考えていたようだが出場機会の多い場での再チャレンジを希望した本人の意向に沿って自由契約に。先頃米大リーグのカブスとのマイナー契約が成立した。

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