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2009年7月 2日 (木)

江川卓VS小林繁。-【回想】敗戦処理。生観戦録-第8回 1981年(昭和56年)編

これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が50ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。

 

1974(昭和49)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。

 

 

 

【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year 第8回 1981(昭和56)

 

 

 

偶然にもジャイアンツとスワローズの対戦を取り上げるのが四年も続いたが、今回は「伝統の一戦」

この年は原辰徳監督のルーキーイヤー。前年限りで長嶋茂雄監督が解雇され、「江川問題」の後遺症などもあってジャイアンツのイメージがかなりマイナスになっていた時期だった。「長嶋追い落としの黒幕は川上哲治元監督」と勝手に憶測され、その川上一派が推す後任の藤田元司監督までが悪者にされていた感があった。その藤田監督が就任直後のドラフト会議の抽選で引き当てたのが原であった。東海大相模高校での高校野球時代から、それこそ最近で言うならば「ハンカチ王子」並みのフィーバー(注.当時の表現で言えば妥当。現在はほぼ死語)であり、東海大学を経てのドラフトであった。後にライオンズのチームリーダーとして君臨する石毛宏典らとともにこの年のドラフトの目玉となっていたのを四球団競合の後、ジャイアンツが獲得した。

 

ジャイアンツは藤田監督と牧野茂ヘッドコーチ、王貞治助監督による通称「トロイカ体制」で新チームを指導。ゴールデンルーキー原と長嶋前監督が自らの成績を犠牲にして育成した中畑清、江川卓、西本聖、篠塚利夫ら「ミスターチルドレン」が噛み合ってぶっちぎりの好成績を残していた。

敗戦処理。はこの年の夏休み最後の日曜日、8月30日に行われた後楽園球場でのジャイアンツ対タイガース戦を生観戦した。当時の新聞によると、夏休み最後の日曜日の「伝統の一戦」であることに加えて、この年の後楽園で行われる最後のタイガース戦であったことも重なっていたようで、通常午後四時に開門していた後楽園球場が二時二十分に切り上げられるほどの超満員だったそうだ。

ジャイアンツは前日まで2位のスワローズを9.5ゲーム離す余裕の首位独走。一方のタイガースは勝率五割ラインをウロチョロし、カープと三位争いをしている状況だった。そしてこの試合の二日前にタイガースの投手だった江本孟紀が「ベンチがアホやから野球がでけん」と首脳陣批判をした件で退団を表明したばかりだった。ちなみにベンチとは当時の中西太監督を指していたそうだ。

 

 

江本の舌禍事件は小さなものを含めれば枚挙にいとまがないと言うほどだったようだが、その中で敗戦処理。が個人的に傑作だと思っているのが「あの人は点を取ったら大監督なのだから」と言った口。

一見、打線の援護が無くて敗れた試合後に味方の貧打を皮肉った発言かと思ったが、点とは得点のことではなく、監督の下の名前の漢字にある点のことであった。たしかに点を取ると中西大監督になる。

また江本の騒動に関してコメントを求められた球団関係者やチームメートが動揺を隠せず、ソツのないコメントで対応している中、バッテリーを組んでいた若菜嘉晴があるマスコミに「江本さんの気持ちはよくわかる」と答えてしまい、一部で問題になったばかりだった。

そんな中の後楽園球場。

当時、ジャイアンツとタイガースのカードでは試合前にライトスタンドとレフトスタンドで両軍のファンがエールの交歓を行うのがお決まりであった。もっともエールと言っても学生野球で双方の応援団がお互いに相手を讃え合うような上品なものでなく、交互に相手の選手を罵り合うものであった。

「江川の耳はブタの耳!!

「岡田の鼻はブタの鼻!!

などから始まる、えげつないものばかりであったが、時に時事ネタを盛り込んで笑えるものがあった。この日もタイガース側がトランペットでヒッティングマーチを奏でながら、

「かっ飛ばせ~ナガシマ、フジタを倒せ、オォー!」

とコールすると、ジャイアンツの応援団がすかさず、

「かっ飛ばせ~エモト、ナカニシ倒せ、オォー!」

とやり返してスタンドの観客の笑いを取っていた。

ちなみに甲子園でのエールの交歓を収録したカセットテープが発売された<苦笑>

そしてスタンド(主に外野席だけ)がヒートアップされた頃に先発バッテリー、スターティングメンバーと順次発表され、観客も徐々に気合いが入っていく。

タイガース

()真弓明信

()加藤博一

()佐野仙好

()掛布雅之

()藤田平

()岡田彰布

()ラム

()笠間雄二

()小林繁

ジャイアンツ

()河埜和正

()篠塚利夫

()中畑清

()ホワイト

()原辰徳

()淡口憲治

()トマソン

()山倉和博

()江川卓

江川卓と小林繁の投げ合いになった。この両投手の因縁に関しては今さら語るまでもないが、当コーナーの二回前、1979(昭和54)編でも触れているのでご参照されたい。この二人は江川の一年目にはジャイアンツ側が直接対決を避けているフシがあったが、二年目、つまりこの前年からはローテーションの成り行きで投げ合うようになった。ちなみに初対決以来、江川が投げ勝つ形が続いていた。

この試合も、一回裏にジャイアンツが篠塚利夫、中畑清、ロイ・ホワイトの三連打で1点を先制し、続く原の三ゴロに一塁手の藤田平の失策が絡んでジャイアンツが初回に2点を先制すると、完全に江川のペース。すいすいとタイガース打線を抑え、味方は中盤にも追加点。7対1で快勝した。試合時間は2時間18分。だいたい江川が先発して勝つ試合は2時間ちょっとで終わり、21時前までの野球中継の時間は余るというのが当時のパターンだった。最近で言うとダルビッシュ有の登板試合に似ている気がする。

1981年8月30日】

T 000 000 100 =1

G 200 130 10× =7

T)●小林、福間、伊藤、益山-笠間、若菜

G)○江川-山倉

本塁打)両軍ともなし

若菜がスタメンマスクを笠間雄二に譲ったのは江本に同調した発言をしたからではなく、小林の先発試合ではジャイアンツ時代の同僚、笠間とバッテリーを組むことが多かったからであろう。小林降板後、若菜はマスクをかぶっている。

タイガースがランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布ら打線を中心に勝ち進んで優勝するのがこの四年後だから、タイガースにとっては二十年間優勝から遠ざかっていた真っ最中に当たるが、それでも1985(昭和60)の優勝から2003(平成15)までの優勝出来ないブランクの期間のように最下位に落ちるシーズンが続いていた訳ではない。前半はジャイアンツのV9の時代でタイガースに限らずどのチームも優勝できなかったのだ。タイガースは優勝争いはしてもジャイアンツには勝てないという感じで、当時の野党第一党であった日本社会党に例えて皮肉られることがあった。しかし、今回取り上げたエールの交歓のような儀式が行われるのはこのカードだけで、「伝統の一戦」として他のカードと一線を画して語られる点は当時も今も変わらない。何しろこの年のオールスター空けに甲子園で行われたこのカードの四連戦では、四試合合計で当時二シーズン制のパ・リーグの一球団の前期の観客動員数を上回ってしまったのだから。

【参考文献】

読売新聞縮刷版1981年8月(読売新聞社刊)

 

 

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コメント

長緯様、コメントをありがとうございました。

> 小林はその後早めに引退してしまったので、実際にこの二人が投げあった試合をご覧になったというのは今になれば凄い財産ではないかと思います。

江川と小林の直接対決が始まったのが前年の1980年で、小林の現役引退が1983年のシーズン後でしたから四年間しかなかったのですね。

その小林が今、ファイターズのファームで投手コーチをしているのですから何か不思議な気がしますね。

> 私事で余談ですが、この年、たまたま観戦したジャイアンツ対カープ戦でも「エールの交換」をやっていました。

それは知りませんでした。どこも似たようなことをやっていたのかもしれませんね。


本当は「ミスターチルドレン」にツッコんで欲しかったのですが<苦笑>。

第一次長嶋政権ではV9戦士の次代を担う選手の育成にも骨を折らなければならず、あの伝説の1979年シーズン後の「伊東キャンプ」や翌1980年のシーズンで江川、西本、角、山倉、中畑、篠塚、松本らが鍛えられましたね。

しかしその成果が出るのは後年で、長嶋監督自身はその1980年限りで解任されてしまうのだから、さすがの長嶋監督でも明日のことは決してわからなかったのですね。

その辺の無念さを曲にしたのがMr.Childrenの Tomorrow never knows でしたね<笑>。

投稿: 敗戦処理。 | 2009年7月 5日 (日) 02時49分

81年というと、江川事件の翌々年ということもあり、なんとなく球界も落ち着いてきていた印象があります。小林はその後早めに引退してしまったので、実際にこの二人が投げあった試合をご覧になったというのは今になれば凄い財産ではないかと思います。
江川登板の試合時間が短かったというのは有名ですが、やはり投球間隔が短くテンポが良かったからでしょうか。あとはぴったり息が合っていた山倉の存在も見逃せないんでしょうね。

私事で余談ですが、この年、たまたま観戦したジャイアンツ対カープ戦でも「エールの交換」をやっていました。
G側「巨人の優勝30回!広島優勝ただ3回!」
C側「過去にこだわるジャイアンツ!」
G側「江夏を返せ、広島!」
C側「長嶋返せ、ジャイアンツ!」
といったやはりえげつない内容でしたが、カープが79、80年と連覇したこともあり、このカードも巨人-阪神戦に劣らない熱気があった気がします。

投稿: 長緯 | 2009年7月 2日 (木) 12時11分

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