高木晃次現役続行断念でついに「阪急ブレーブス」の生き残りが中島聡ひとりだけに…。~昭和は遠くなりにけり~
マリーンズから戦力外通告を受けながらも現役続行を希望していた高木晃次が現役続行を断念。古巣マリーンズから打診を受けたスコアラーへの転身を引き受けたと報じられた。高木は1986年に行われたドラフトで阪急ブレーブスに入団。その後ホークス、スワローズを経て2002年からマリーンズでプレーしていたがついに現役引退となった。
高木の引退で旧「阪急ブレーブス」でプレー経験のある現役選手は高木と同じ年のドラフトで3位指名されて入団し、現在はファイターズでコーチ兼任ながら現役を続けている中嶋聡ただひとりとなった。
(写真左:今季限りで現役を引退することになった元阪急の高木晃次。写真右:来季はただ一人の元阪急の現役選手となる中嶋聡)
阪急ブレーブスがオリエントリース(現オリックス)に身売りしたのが1988(昭和63)年のシーズン後。同年は奇しくも「昭和」最後のペナントレースだった。この年は先に南海ホークスの身売りが明らかになり、パ・リーグの老舗球団の相次ぐ身売りに球界関係者、ファンは騒然となった。特にブレーブスの方は「巨人、阪神、阪急に限って身売りはない」と信じていた人が多く、より衝撃が大きかった。オリックス球団の歩みはそのまま平成の野球史とともにあることになるのだが、二十年を既に超え、阪急ブレーブスに所属経験のある選手はいつしか高木と中嶋のふたりだけになっていた。
高木は阪急ブレーブスにドラフト1位で入団した左投手だが、期待の割になかなか伸び悩み、ブレーブス、ブルーウェーブからホークスに移籍してもなかなか芽が出ず三球団目のスワローズでようやく左のショートリリーフとして頭角を現した感じだった。そして2002年にマリーンズに移ってからは主に劣勢な展開でのショートリリーフが役どころだったが今年で既に41歳。シーズンの大半をファームで過ごし、球団から戦力外通告を受けた。
今季最後の千葉マリンスタジアムでの公式戦のセレモニーではボビー・バレンタイン前監督や、今季限りでの引退を表明していた小宮山悟が胴上げされ、チームメートから「高木さんも…」という声もあったそうだが、他球団での現役続行を考えていた高木は当然遠慮した。自分を必要としてくれる球団があれば、と託したが他球団からのオファーがなく、現役続行を断念した。そこに古巣マリーンズがスコアラーという職を持ちかけ、高木本人が快諾したそうだ。この結果ついに阪急ブレーブスに所属した経験のある現役選手はファイターズのコーチ兼任捕手、中嶋聡だけとなった。
中嶋はブレーブスに入団後、FA権を取得して同一リーグのライオンズに移籍した。ライオンズではルーキーイヤーの松坂大輔とバッテリーを組むことが多く話題となった。その後ベイスターズ、ファイターズへと移籍。ファイターズでは2006年から抑えの捕手として主にリードした試合の終盤、「勝利の方程式」の継投策に入るときに中嶋も途中出場するパターンで武田久、岡島秀樹、MICHEAL(現在ジャイアンツのM.中村)の持ち味を引き出し、この年のリーグ優勝、日本一に貢献した。そして翌2007年からコーチ兼任となった。2008年からはコーチ業に比重を置いている感じで現役引退の噂も出るが、今季もチームのインフルエンザ渦で捕手が足りなくなって一軍に上がると、三人目の捕手としてマスクをかぶった試合で打席が回ってきて結局サヨナラの走者となって相手の暴投でサヨナラのホームを踏むなど存在感を示した。日本シリーズでもマスクをかぶった。
ちなみにブレーブスと同じ年に身売りをした南海ホークスに所属した現役選手は景浦安武の引退でジャイアンツの大道典嘉ただ一人となった。こちらも今年の日本シリーズ第五戦で代打で同点打を放ち、ベテランの味を見せつけた。
「昭和は遠くなりにけり」
まさにそんな感じがするニュースだ。敗戦処理。としても寂しい限りだ。
冒頭の写真は高木の方は結果的に現役最後の登板となった、マリーンズのイースタン最終戦での投球練習のシーンだ。勝った方がイースタン・リーグ優勝という最終戦でマリーンズはビハインドの展開で小宮山をリリーフに送り、その小宮山が1イニング持たずにKOされると高木が投入された。小宮山は既に現役引退を表明していたので引退登板の趣であったが、高木はジャイアンツの四番、左打者の田中大二郎を打ち取るための登板という感じだった。ちなみに中嶋は今年の日本シリーズ第一戦で試合途中からマスクをかぶった時のものだ。
ところで元阪急ブレーブス、元南海ホークスが少なくなっただけでなく、他にもこういう経験者が少ないというのを敗戦処理。なりに新旧の選手名鑑を見ながら調べてみた。抜けている選手がいるかもしれないが、しみじみと読んでいただければ幸いである。
○阪急ブレーブス=1988年まで
中嶋聡
○南海ホークス=1988年まで
大道典嘉
○ロッテオリオンズ(川崎球場を本拠地としていた時代=1991年まで)
堀幸一
○近鉄バファローズ(藤井寺球場を本拠地としていた時代=1996年まで)
中村紀洋、大村直之、憲史 (タフィ・ローズ)
○ナゴヤ球場を本拠地としていた頃の中日ドラゴンズ=1996年まで
山本昌、矢野燿大(輝弘改め)、荒木雅博、山崎武司、
○西武球場(西武ドームになる前の)を本拠地としていた頃の西武ライオンズ=1997年まで
工藤公康、西口文也、谷中真二、豊田清、和田一浩、松井稼頭央
○横浜大洋ホエールズ(横浜ベイスターズと改称する前、1992年まで)
斎藤隆、三浦大輔、谷繁元信、石井琢朗
○後楽園球場を本拠地としていた頃のジャイアンツ=1987年まで
木田優夫
○後楽園球場を本拠地としていた頃のファイターズ=1987年まで
なし
○後楽園球場でプレーした経験のある選手=1987年まで
工藤公康、山本昌
○デーゲームだった頃の日本シリーズに出場した経験のある選手=1994年まで
工藤公康、山本昌、前田智徳、木田優夫
自分も年をとったわけだと痛感した次第だ。
P.S.
いずれまたいつか類似の調査をするときには「東京ドーム時代のファイターズに所属していた選手」という項目を設けなければならなくなるだろう。寂しい限りだ…。
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コメント
大楽太陽様、初めまして。コメントをありがとうございました。
かつてカモにしていたあぶさんが引退して大楽さんも淋しい思いをしているようですね。
南海ホークスの生き残り、大道は最近ようやくイースタンで試合に出るようになりました。
ファームの試合というと、どうしても若手優先の起用になりがちですが、ジャイアンツの岡崎二軍監督は期待の大田を外したり、厳しさを見せています。
しかしそれは裏を返せば大道にもチャンスがあるということだと敗戦処理。は思っています。
中嶋の方は一度一軍入りを果たしましたが、またコーチ業に専念の様ですね。
あぶさんの方は王会長が早くもユニフォーム復帰のオファーをしたようですね。20日発売の次号の展開が楽しみです。
投稿: 敗戦処理。 | 2010年4月18日 (日) 00時50分
ごく当たり前のようにあぶさんを実在の人物のように描いてるところがサイコーです
投稿: 大楽太陽 | 2010年4月17日 (土) 22時28分
長緯様、コメントをありがとうございました。
> 旧ホークスやブレーブスもですが「ホエールズ」や「オリオンズ」が改名したのはそんなに昔ではない気もしていたのですが、所属した選手ももう少ないし、この記事を読ませていただいて、びっくりです。
そうなのですよ。自分でも調べていて驚きました。それこそ「昭和」時代にプレーした選手も少ないですから。
高木の同僚の小宮山が引退を決意したのは恩師とも言えるバレンタイン監督の退任で潮時だと悟ったなどという話が出ていましたが、監督交代のタイミングで人心一新がなされるのはありがちですよね。
しかし実力本位で考えてくれれば、ベテランだからという理由で整理の対象にはならないと思うのですよ。
* 給料はさすがに下がるでしょうが。
そうすれば時代を超えて長期間プレーする選手が増えると思うのですが、どうでしょうか。
投稿: 敗戦処理。 | 2009年12月12日 (土) 01時08分
阪急ブレーブスが身売りした時、スター選手の一人が「ドッキリカメラやと思った」と言ったのを記憶してますが、それほど衝撃的な出来事でしたね。それにしても旧ホークスやブレーブスもですが「ホエールズ」や「オリオンズ」が改名したのはそんなに昔ではない気もしていたのですが、所属した選手ももう少ないし、この記事を読ませていただいて、びっくりです。
資料を即座に出されるのは、さすが野球通の敗戦処理。さんと感心させていただくと同時に、自分も同世代として歳をとると時間の進むのが早く感じられるようになったことを実感してます。
投稿: 長緯 | 2009年12月 8日 (火) 09時33分