今年の野球初めはWBCチャンピオンの競演から
ここ数年、敗戦処理。は1月2日には東京ドームでマスターズリーグの試合を観戦するのが恒例になっていた。ところがプロ野球マスターズリーグは08~09年のオフにスポンサー不足で全日程を組めないまま見切り発車をしたが結局例年の試合数を組むことが出来ず、1月2日には予定通り試合が行われたものの中途半端な形で途中で終わってしまった。そしてこのオフも再開できなかった。そんな中、プロ野球マスターズリーグの母体であった全国野球振興会が昨年11月とこの日と二試合のOB戦を東京ドームで組んだ。前回はOBを東西に分けた形の東西対抗形式で今回はOBを両リーグに分けてセとパの対抗とした。二試合とも監督は元ジャイアンツの柴田勲と元ブレーブスの山田久志。セリーグのベンチには昨年亡くなられた土井正三さんの現役時代の「背番号6」のユニフォームが飾られていた。
敗戦処理。自体、1月2日のマスターズリーグ観戦にマンネリ感があったのも否めなかったが今回は各OBが現役当時のユニフォームでプレーするという。どうせ暇だし、見に行くことにした。なお後述するがこの試合に先駆けて昭和36年の夏の甲子園大会で名勝負と語り継がれる法政二高と浪商高校のOB戦が東京ドームで行われた。
法政二高と浪商のOB戦が終了した後のグラウンドに徐々にOB達がグラウンドに姿を現し始めた。
そして特別ゲスト<?>として現役選手の中から、今年からNPBに復帰する城島健司が登場。
と一瞬思ったが何の説明もないのでおそらくはジョージマン北であろう。ジョージマン北と思われる人物は試合前の打撃練習で捕手を務めた。この頃になるとグラウンドにこの試合の進行アナウンスを務めるアナウンサーがグラウンドに降りてきて説明を始めていたが、この打撃捕手に関する説明は皆無。ちなみに進行アナウンサーを務めたのは坪内千恵子、中田秀作、梅田淳の三人。
CSプロ野球ニュースのキャスター陣らしい。石川顕がいないのが救いだったが、やがて石川顕が梅田淳に代わっただけのことと気付く<苦笑>。
正直、マスターズリーグ各球団の、スポンサー企業のロゴだらけのユニフォームに若干の違和感をぬぐい得ない敗戦処理。にとって懐かしいユニフォームが揃うだけでも嬉しいところだ。阪急ブレーブスも、福岡ダイエーホークスも、横浜大洋ホエールズも、近鉄バファローズも復活。
ん?
何故かファイターズだけOBに当時のユニフォームでなく、今の北海道日本ハムのユニフォームを着せている。ユニフォームメーカーとの契約の関係なのだろうか?
このチームは2005年のジャイアンツ対ファイターズOB戦でも、公式戦でOB始球式をするときでも現在のユニフォームを着用させる。高代延博が、河野博文が、大宮龍男が現役時代に着たはずのない「北海道日本ハムファイターズ」のユニフォームに袖を通す。何だかなぁ。
ファイターズの試合を東京ドームや関東圏のスタジアムで観戦すると、通路で各時代のファイターズのユニフォームを着たファンを見かける。それぞれにカラフルで、この球団の歴史を感じさせてくれるのだが、肝心の球団が…。何らかの制約があるのだろうが、今後は考えて欲しいものだ。ただ、前身の東映フライヤーズOBの尾崎行雄はさすがにフライヤーズのユニフォームだ。
そしてファイターズ81年V戦士にして日本人メジャーリーガー第1号の村上雅則は何とサンフランシスコ・ジャイアンツのユニフォーム姿だ。
試合は元ブレーブス大熊忠義の国歌斉唱、前述の亀田興毅の始球式の後、山田久志、阿波野秀幸の先発で始まった。山田はセの一番打者、若松勉を三ゴロに打ち取ると打者一人で降板。若松もこの打席のみで守備につかず交代。パは山田の後、野中徹博、河野博文、松沼博久らを小刻みにつないでいく。
余談だが河野はファイターズ時代に行方不明になったことがある。今は何をやっているのか知らないがすぐに連絡が取れたのだろうか?もっともパ・リーグOBには探偵が一人いるが<笑>。
パ・リーグ五番手には佐野慈紀。お約束のピッカリ投法でしっかりと笑いを取りながら1イニングを無失点に抑えたのはさすが。
パ・リーグ1対0で迎えた五回表のセの攻撃。マウンドに村田兆治が上がり、スタンドの盛り上がりは最高潮に。これもお約束、マウンド後方からの投球練習。
先頭打者は代打の亀山努。
ドカベン香川と見間違いそうな体型だが、これでも何年か前にサントリーモルツの野球で観たときよりはスリムになっていると思える。亀山は村田の初球をはじき返し、センターオーバーの二塁打。いわゆるスタンディングダブルになる当たりだが、お約束のヘッドスライディング。
ちなみに亀山は現役引退後に少年野球の枚方リトルの監督として同チームを1999年に少年野球世界大会優勝に導いた。亀山の独自の指導法は世界の少年野球チームで有名になり、今では「世界の亀山モデル」と呼ばれている<?>。
約一ヶ月前に還暦になった村田はさすがに並みのOBに近づいてきたようで高橋雅裕に同点タイムリーを浴びるなどこのイニングで3被安打1失点。高橋にタイムリーを打たれた投球はスコアボードの球速表示で142kmとなっていたがたぶん間違いであろう。
その裏、セは五番手の斉藤明夫が登板。佐野のピッカリ投法に対抗できる背面投げを期待したがとてもそんな余裕はなかったようで、先頭の本西厚博に右中間二塁打を打たれたのを皮切りに三本の長打を含む六安打の乱れ打ちに合い、一気に5点を献上してしまった。
その後、七回表には元フライヤーズの尾崎行雄が登板し、それに合わせてセの柴田監督が代打で登場する、この日二回目の法政二高対浪商因縁の対決が実現(結果は左飛)したり、七回裏には橋本清から石毛博史につなぐ「勝利の方程式」が5点ビハインドの状態で実現するなどがあった。八回裏には松永浩美のフライを捕ろうとしたレフトの石井雅博が足を痛めその場で転倒。
そんなこんなで約二時間。パ・リーグOBが7対2で勝利!
【2日・東京ドーム】
プロ野球OBオールスターアスリートカップ
セ 000 010 100 =2
パ 100 051 00× =7
セ)阿波野秀、遠藤一、大川章、中田良、●斉藤明、増本宏、橋本清、石毛博史、前田幸-杉山直、達川光、市川和
パ)山田久、野中徹、河野博、松沼兄、佐野慈、○村田兆、山崎慎、尾崎、村田辰、岩本―吉永幸、有田修、大宮龍
本塁打)両軍ともなし
MVPには3安打2打点のカズ山本が選ばれた。
また、この試合の前に昭和36年の夏の甲子園で名勝負を演じた法政二高と浪商のOB戦が東京ドームで行われた。
さすがに生まれる前の出来事なので敗戦処理。にとっても伝説なのだ。柴田勲と尾崎行雄の先発で行われ、一回裏には投手尾崎対打者柴田の対決も実現した。
赤い手袋が懐かしい。この当時高校野球でプレーした人たちは計算すると今は60歳代中盤だ。さすがに珍プレーのオンパレードだった。浪商OBではドカベンこと香川伸行がDHで出場。昨年暮れにTBS系で放送された「壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」で野球界から離れた香川の闘病ぶりが描かれていたが、凄い体型だ。
しかし打席での打撃フォームが変わらないのはさすがだ。
こちらの試合は出場選手の一覧表が用意されている訳でもなく、誰が誰だかわからなかった。
* 法政二高の五明選手は後の法政大学の五明監督?
なお当時の浪商には敗戦処理。の認識違いでなければ高田繁が一年生で出場していたはずだが今日は参加していなかったようだ。こちらの結果はこんな感じ。
【2日・東京ドーム】
浪商 101 00 =2
法二 032 4× =9
浪)尾崎、藤崎、菊池、時松―渡辺、岩田
法)柴田、加地、村上、内田―奈良、高田
本塁打)両軍ともなし
試合終了後に両チームが整列するのはさすが高校野球!
スタンドに挨拶するのもさすが高校野球。
マスターズリーグは再開の見通しがないらしい。今回は趣向を変えて目新しさがあったが、同じ企画を毎年というわけにはいかないだろう。アスリートカップは今後四国や九州で開催予定とのことだが、お正月のおとそ気分の抜けない時期に肩の凝らない野球観戦をしたいものだ。
WBC世界フライ級チャンピオンと第二回WBC優勝チームの投手コーチの競演から始まった今年の野球観戦初め。今年も良い年になりそうだ。
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