「生」観戦した野球場【特別編】-ひむかスタジアム
いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。
毎月2日、この「生」観戦した野球場と「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」のいずれか一方を掲載していますが、今月は特別編として、先月6、7日にジャイアンツの春季キャンプを見物した際に足を運んだ ひむかスタジアム を取り上げます。「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」は来月に回します。
1974年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに50を超えました。
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【特別編】 ひむかスタジアム
これまでは試合を生観戦した野球場を取り上げた。練習のみ見物した球場を取り上げるのは初めてだ。サンマリンスタジアム宮崎が出来てからは秋のフェニックスリーグや春季キャンプのシーズンにはジャイアンツのファームが使用するが、サンマリンスタジアム宮崎が出来る2001年以前はジャイアンツの一軍のメインのキャンプ地であった。1974年に完成している。由緒ある伝説のスタジアムなので特別編として当コーナーで取り上げる。
最後にジャイアンツの一軍がメインとして使用したのが2000年だったため、最後の見せ場が2000年春季キャンプでその年から背番号を3に替えた長嶋茂雄監督が「背番号3」のユニフォームをいつ披露するかという話題で、背番号変更のきっかけとなった移籍の江藤智に対する2月11日のノックで初めてグラウンドコートを脱いで「背番号3」を披露したシーンが挙げられることがあるが、そのシーンはサブグラウンドだったという説もあり定かではない。
その当時は「ひむかスタジアム」という呼び方がされていなかったため、この「ひむかスタジアム」が長年ジャイアンツの一軍が使用していた伝説のスタジアムだと気付かないオールドファンも少なくないのが実態らしい。
実はサンマリンスタジアムが出来た後に、現在ではホークスが春季キャンプで使用しているアイビースタジアムこと宮崎市生目の杜運動公園野球場が2002年に完成したのに伴い、現ひむかスタジアムは2004年に宮崎市営から宮崎県営に移管された。そして宮崎県の古名「日向国(ひむかひのくに)」から「ひむかスタジアム」と名付けられて現在に至っている。
ナイトゲーム用の設備はなく、両翼92m、中堅122mで15,000人収容。ジャイアンツがメインで使用していた時期ですら公式戦で使用されたのは一度だけ。それもジャイアンツ戦ではなく、ホークスが福岡に移転した初年度の1989年6月24日のホークス対オリオンズ戦だけ。ただジャイアンツが春季キャンプの締めくくりとして例年2月の最後の土日あたりにオープン戦を主催していたのが印象に残っている。もちろんサンマリンスタジアム宮崎と同じく宮崎県総合運動公園内にある。最寄り駅といわれるJR日南線の運動公園駅から行くと、サンマリンスタジアムより近く、徒歩で約5分足らずで「ひむかスタジアム」にたどり着く。
敗戦処理。がジャイアンツの春季キャンプを訪ねた先月の6、7日にこの「ひむかスタジアム」をのぞいた印象ではもはや歴代のジャイアンツナインが鍛えられたメインのグラウンドという面影はなかった。サンマリンスタジアム宮崎については当コーナーの第45回、2008年6月2日付けで取り上げているので興味がおありの方は参照されたい。春と秋にジャイアンツがキャンプを行う時には今ではサンマリンスタジアムがメインとなって十年。そのブランクが「ひむかスタジアム」から面影というかオーラを奪い取ってしまったのだろう。いささか残念ではあるが…。
P.S.
今日のオマケ
長くジャイアンツナインを鍛えたグラウンドというと、ジャイアンツ球場が出来る以前の多摩川グラウンドも有名。
当コーナーではこれまで敗戦処理。がNPBの試合を生観戦した53の球場をすべて取り上げたが、この「ひむかスタジアム」や旧多摩川グラウンドのように試合こそ観ていないものの訪ねた球場のストックはまだある。機会を観て披露したい。
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