松本哲也、ずれこむ戦列復帰。
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今日(23日)のスワローズ対ファイターズ戦の雨天中止はファイターズファンとして複雑だった。朝からの強い雨で中止は免れまいと思ってはいたが…。
交流戦が始まってから連敗街道まっしぐらのスワローズ。20日には緊急の役員会も開かれ、進退問題が浮上した高田繁監督の続投が確認されたものの翌日からのマリーンズ戦にも連敗。特に昨日(22日)は4対20と屈辱的な大敗。
こういうチームと対戦する場合、「そろそろ目を覚ますだろう」というイヤな予感と、かつてファイターズに監督、GMとして君臨した功労者に引導を渡すことになりかねない側に回っているという双方の意味でイヤなものだ。
(写真:高田繁監督体制存続を報じる21日の日刊スポーツの紙面)
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驚いた。
昨年までゴールデンイーグルスを率い、退任して名誉監督に就任した傍ら、評論家として各方面で活躍中の野村克也氏が12日、解離性大動脈瘤という病気で入院したというニュースが入ってきた。野村名誉監督は昨年まで現役監督としてユニフォームを着ていたが、日本代表監督在任中に倒れたジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督や、合併球団の初代監督として火中の栗を拾い、大役を全うした後に逝った仰木彬さんと同学年である。ユニフォームを脱いだノムさんの大所高所から忌憚のないぼやきを楽しみにしているファンも多かろうが、ひとまず健康第一。ゆっくりと治療に専念して欲しいものだ。
とはいうものの敗戦処理。は解離性大動脈瘤という病気を知らない。こんな病気だそうだ。
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日本プロ野球界におけるマスコットの草分け的存在だった旧ブレーブスのブレービー、島野修さんが亡くなられた。59歳だった。
ジャイアンツのドラフト1位入団投手から、移籍先の旧ブレーブスでマスコット、ブレービーに転身。球団が身売りしてからもネッピーとして1998年まで活躍。その後球団職員としても活動され、2004年に退任された。
昨今の日本プロ野球でのマスコット人気の下地を作ったのは間違いなく島野さん=ブレービー。当時既にアメリカ大リーグでは球団ごとのマスコットキャラクターがファンに浸透していたが、日本プロ野球では初めて。好奇の目で見られたり、ファンの側にも戸惑いがあっただろうが相当な努力で昨今の人気の下地を築いたことと思う。1981年から1998年までのブレービー、ネッピーあらずしてドアラや、つば九郎らに代表される昨今のマスコット人気はなかっただろう。あったとしても形が違っただろう。
明日はマスコット交流が盛んに行われがちな交流戦の初日。球場に登場するマスコット全員が喪章をつけて哀悼の意を表して欲しいくらいだ。
謹んでご冥福をお祈りします。
(写真:かつては島野修さんが演じていたネッピー。写真は島野さん退任後の2008年4月撮影)
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元エントリー メンバーが足りません。 にも追記したように、その件以後、登板の無かった多田野数人が9日の利府でのゴールデンイーグルス戦に登板したようだ。故障などでチームを離れていた訳でもないようで、取りあえず一安心。
いろいろとお騒がせしてしまったこともあり、新たにエントリーを立てた。
一軍も直接対決<笑>のゴールデンイーグルス戦に爽快な連勝。ファームの心配事の一つ<!?>も一件落着で、これで勢いよく交流戦に乗り込める。狙いはもちろん、2007年以来の交流戦制覇。
それにしても、元エントリーのタイトル、「メンバーが足りません。」はファームの人手不足だけでなく、サイン会のメンバーが足りなくなったこととかけたつもりだったのだが…。
平成22年5月9日(日) 敗戦処理。記。
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先月16日の日本経済新聞に掲載されて以来、企業の経営理念や行動指針などを書面にして社員に徹底させる、いわゆる「クレド」をプロ野球界でも取り入れている球団があることで話題になっているようだ。記事ではライオンズとゴールデンイーグルスの事例が挙げられていた。
ライオンズの方はスカウトの不正行為などがあり球団職員の襟を正す狙いもあるようだがゴールデンイーグルスの方は選手の行動基準を定めている(リンク記事を参照されたい)。
野村克也前監督自体が選手に対し、身だしなみなどを厳しく指示していたこともあるが、選手を「楽天グループのイメージシンボル」(米田純球団代表)と位置づけて徹底したい意向のようだ。
素晴らしい!
冒頭のタイトルは記事で抜粋されていたゴールデンイーグルスの選手行動基準の一節だ。「プロ野球選手である前に、一社会人であることを自覚すること」-素晴らしい考え方ではないか。そこで敗戦処理。は思った。プロ野球界に慣習として定着している、一般社会ではあり得ない習慣が改められるのかどうか?
プロ野球界に慣習として定着している、一般社会ではあり得ない習慣とは…、
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10日に行われる予定のプロ野球実行委員会で、今年の11月にMLB選抜を相手に日本代表強化試合を行う件が協議されるそうだ。実行委員会での協議を経て選手会の了承を得る段取りだという。先月15日のプロ野球国際関係委員会で五試合の日程などの計画書が出されたという。
NPB選抜とMLB選抜の日米野球は2006年秋に行われたのが最後で、それまではほぼ二年に一度の割合で開催されていた。
NPB選手会が「11月は真剣勝負の時期にしたい」との意向を示し、パ・リーグ東西対抗と、真剣勝負とは思えないマンネリ化の傾向にあった日米野球の開催が見送られたのだったが四年ぶりに再開されるのだろうか?
(写真:日米野球の最終戦終了後にグラウンドコートを交換し合う両選抜選手達。2004年11月撮影)
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先月21日の対ジャイアンツ戦で左膝を痛め、左膝半月板損傷と診断されていた中田翔が早ければ連休明けにも手術に踏み切ることになったそうだ。復帰までに術後1~3ヶ月くらいかかる見込みだそうだ。日刊スポーツの記事によると4日に球団幹部と中田が話し合って決定したとのこと。よく決断したと思う。ケガの状況や治療法などに関して敗戦処理。は門外漢だが、いくら一軍が低迷した状態のままで、ファームもメンバーが足りません。という状態でも目先の復帰を急いで後々まで尾を引くくらいなら、きちんと手術をしてしっかり治して欲しいと思う。
そして同じく4日、ファイターズはマリーンズから外野手の佐藤賢治を無償トレードで獲得したと発表した。
(写真上:手術を決意した中田翔。4月29日の試合前の室内練習場の様子。この時は左膝に特に何もつけていなかったが…。写真下:ファイターズへの移籍が決まったマリーンズの佐藤賢治。よろしく頼む!2008年4月撮影)
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4月29日付、当blog白熱!!イースタン・リーグ首位攻防戦の文末で触れたようにファイターズはイースタン・リーグで首位を走ってはいるものの人数ぎりぎりで戦っている。同エントリーの翌日、関口雄大が新たに故障、金子誠が一軍復帰で人手不足は深刻化を増してきた。今日(4日)の対スワローズ戦は前日に続き野手の控えが誰もいない状態で行われた。
三人いる捕手陣ではマスクをかぶるのは荒張裕司で今成亮太が一塁、渡部龍一がDHで出場。内外野の控えなし。試合で不測の事態が起きたら…
(写真上:死球を受け、治療を受ける今成亮太。代走を出したくても残っているのは投手だけ。写真下:試合前に室内練習場で浅沼寿紀を相手にトスバッティングする豊島明好。代打要員として待機か?)
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当blogで既に観戦記を書いたように敗戦処理。は先月29日には鎌ヶ谷でファイターズ対シーレックス戦を、今月1日にはジャイアンツ球場でジャイアンツ対ゴールデンイーグルス戦を生観戦した。どちらも贔屓チームがらみの試合で、当blogを読んで下さっている方なら別に普通のことだとお思いだろう。
しかしどちらの日も、雄星が登板するようならばそちらに切り替えようと思っていた。29日ならライオンズの相手はジャイアンツ、1日ならファイターズと贔屓チームの試合を観ながら雄星も観られるから。
で、29日に雄星が投げないであろうことは早い時点で予測できたので29日には鎌ヶ谷へ。しかし1日に西武第二球場で行われる対ファイターズ戦に雄星が投げるのか否か、わからなかったので最近始めたツイッターで情報を求めた( @haisenshori )。すると以前からお世話になっているNさんから情報が寄せられた。雄星の次回登板は4日のイースタン、ゴールデンイーグルス戦。ファームの試合ながらゴールデンイーグルスの一軍の本拠地で行われ、それはイコール雄星にとっては地元凱旋登板になる。
◇雄星が予定変更してみちのくで投げるワケ 目先より将来の得か
(2010年4月28日(水)17時0分配信 夕刊フジ)
http://news.nifty.com/cs/sports/baseballdetail/fuji-zak20100428002/1.htm
なるほどそういう事情が…。でもこの情報って…?
(写真:雄星の登板が見送られた市営大宮球場。2002年5月撮影)
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これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が53ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
(写真:後楽園球場最終年の風景。すぐ横に完成間近の東京ドームが…。2007年9月に野球体育博物館にて開かれた「企画展:後楽園スタヂアムと東京ドーム」にて掲出されたパネルを撮影)
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year第14回 1987年(昭和62年)編
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