日韓クラブチャンピオンシップの原型がここにあった。-初の日韓野球開催で東京ドームが燃えた!-【回想】敗戦処理。生観戦録-第18回 1991年(平成3年)編
これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が54ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year第18回 1991年(平成3年)編
11月13日に東京ドームで日本シリーズ優勝チームと韓国シリーズ優勝チームが1試合マッチを行うことが発表されている。2005年にスタートしたアジアシリーズに代わって昨年長崎で開催された。今年はアジアシリーズ再開との声もあったがアジア大会に力を入れたい国の事情もあり、昨年と同じ形式でお茶を濁した感じが否めない。WBCや五輪で国の代表チーム同士は幾多の好勝負を繰り広げてきたが、単独チーム同士の対戦は今ひとつ盛り上がりに欠けるようだ。
そんなプロ野球の日韓対決の原点が1991年に日本で開催された日韓野球-日韓プロ野球スーパーゲームといって差し支えないだろう。韓国プロ野球は当時結成十周年。日本のプロ野球よりはアメリカ大リーグのベースボールをモデルとしていると言われるが初の武者修行の相手は日本だった。
この時の韓国選抜チームには日本のドラゴンズで後に大活躍するソン・ドンヨル(宣銅烈)がいた。その年(1991年)を含め三年連続でリーグの防御率一位、最多勝利、勝率一位の三冠王に輝いた韓国球界ナンバーワン投手という触れ込みで紹介されており、敗戦処理。も認知していた。他には日本のジャイアンツで二軍打撃コーチを務めたキム・キテ(金杞泰)も名を連ねているが、ソン・ドンヨルと同時期にドラゴンズでプレーした初代「韓国のイチロー」ことリー・ジョンボム(李鐘範)はまだいない。
記念すべき第一戦は11月2日に東京ドームでデーゲームで行われ、敗戦処理。はこの試合を日本選抜チーム側の一塁側内野席で生観戦した。
韓国選抜
(左)イ・チョンフン
(中)イ・スンチョル
(一)キム・ソンハン
(三)ハン・デファ
(指)キム・ミンホ
(右)キム・ヒョンソク
(遊)リュ・チュンイル
(捕)チャン・チェクン
(二)パク・チョンテ
(投)パク・トンヒ
日本選抜
(遊)野村謙二郎<C>
(左)山崎賢一<W>
(中)秋山幸二<L>
(指)落合博満<D>
(右)広沢克己<S>
(一)駒田徳広<G>
(捕)古田敦也<S>
(三)岡崎郁<G>
(二)和田豊<T>
(投)桑田真澄<G>
日本選抜の選手名の右の<>内は当時の所属チームの略紀。Wはホエールズ=現.ベイスターズ。Oはオリオンズ=現.マリーンズ。
日本選抜は当時23歳ながら韓国球界のスター選手だった先発のパク・トンヒを攻め、野村謙二郎の投手強襲安打をきっかけに四番・落合博満が詰まりながらライト前に運ぶ落合独特の打球で先制タイムリー。三回にも秋山幸二のタイムリーで2対0と試合の主導権を握りつつある様に思えた。だが韓国選抜は四回に日本選抜二番手の西村龍次の代わりっぱなを襲い、四安打を集中して2対2の同点に追いついた。
日本選抜は直後に岡崎郁のタイムリーで3対2と勝ち越し、五回には韓国選抜、この回から登板の二番手のチョ・キュチェから秋山、落合の連続本塁打で突き放す。先発が23歳の若手エースなら、二番手はこの年のセーブ王とはいえルーキー投手。右足を捻挫しており体調不安のソン・ドンヨルを避けて敢えて怖いもの知らずのヤングコリアンパワーで第一戦に賭けたが日本プロ野球の力と技に玉砕した形だった。日本選抜は続く六回裏にも代打の吉村禎章が2点タイムリーを放ち、7対2と突き放した。
その後、両チームとも1点ずつを追加し、日本選抜が8対3で歴史的試合に圧勝した。
【1991年11月2日・東京ドーム】
韓国選抜 000 200 010 =3
日本選抜 101 122 01× =8
韓)●パク・トンヒ、チョ・キュチェ、チョン・ミョンウォン、チェ・チャンホ-ハン・チェクン、イ・マンス
C)桑田真澄、西村龍次<S>、○柴田保光<Fs>、伊良部秀輝<O>、斎藤雅樹<G>-古田敦也
本塁打)秋山1号(チョ・キュチェ5回)、落合1号(チョ・キュチェ5回)=二者連続、キム・ソンハン1号(伊良部・8回)
試合全体を通じて、まだまだ韓国は日本の敵ではないなと言う印象を持った試合だったが、八回に韓国選抜の三番打者、キム・ソンハンが日本を代表する速球投手、伊良部秀輝からソロ本塁打を放った時には、それでもなお4点のビハインドがあるにもかかわらずレフトスタンドと三塁側スタンドを占めた韓国応援団がにわかに活気づき、大音響の声援を始めた。試合展開上は大勢に影響のない一発に思えたがあまりの高揚ぶりにスタンドで敗戦処理。は凍り付きそうになった。
東京中日スポーツ、東京新聞、中日新聞が主催し、中日ドラゴンズが共催、日本野球機構、韓国野球委員会、外務省、駐日大韓民国大使館が後援して開催されたこの大会の記念すべき第一戦の最優秀選手には落合博満が選ばれた。優秀選手には古田敦也、秋山幸二、キム・ソンハン、イ・チョンフンが、優秀投手には桑田真澄がそれぞれ選ばれた。
主催社の一員である東京中日スポーツの翌日の紙面を見ると、日本と韓国の両国でプレーをし、この年はホエールズに所属していた新浦壽夫のコメントや当時の人気歌手、桂銀淑(ケイ・ウンスク)の祝福コメントが目を引いた。
結局、6試合で日本選抜の4勝2敗に終わった。ソン・ドンヨルは第五戦に先発し、落合、大豊泰昭、宇野勝、愛甲猛、中村武志から圧巻の五連続奪三振で韓国球界ナンバーワン投手としての存在感を示した。
【参考資料】
東京中日スポーツ1991年11月1日付~11月11日付
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コメント
トーマス125様、コメントをありがとうございます。
> ソン・ドンヨルさんは「週間ベースボール」の中で毎週取り上げられていた韓国プロ野球のコーナーでもよく取り上げられていて、テレビで投球を見たときには正直圧倒されました。第2回のときには横浜スタジアムで抑えで登板した時には韓国の応援団のところで見ていたので、一緒に盛り上がったことが昨日のようです。
私が観戦した試合にはソン・ドンヨルは出ませんでしたが、「お手並み拝見」みたいな感覚でいたのでレベルの高さに結構驚きました。
それと、チャンスでの応援の統一感。
> 今や韓国人選手も日本で活躍していますが、ソン・ドンヨル投手の活躍と中日ドラゴンズで活躍した韓国3銃士が原点だと思っています。イ・スンヨプ選手も韓国と日本で活躍されていたので、これからも韓国人選手含めて応援していきたいと思っています。
イ・スンヨプは…
今年のキム・テギュンとイ・ボムホの入団で第二幕という感じです。
韓国プロ野球事情には相変わらず疎いのですが、13日は好ゲームになってアジアシリーズ再開への流れをつないで欲しいです。
投稿: 敗戦処理。 | 2010年11月 3日 (水) 22時12分
今でも当時のことはよく覚えています。
ソン・ドンヨルさんは「週間ベースボール」の中で毎週取り上げられていた韓国プロ野球のコーナーでもよく取り上げられていて、テレビで投球を見たときには正直圧倒されました。第2回のときには横浜スタジアムで抑えで登板した時には韓国の応援団のところで見ていたので、一緒に盛り上がったことが昨日のようです。
現在は三星ライオンズ監督として活躍していると聞いています。今や韓国人選手も日本で活躍していますが、ソン・ドンヨル投手の活躍と中日ドラゴンズで活躍した韓国3銃士が原点だと思っています。イ・スンヨプ選手も韓国と日本で活躍されていたので、これからも韓国人選手含めて応援していきたいと思っています。
投稿: トーマス125 | 2010年11月 2日 (火) 22時09分