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2010年12月30日 (木)

21世紀十年間、敗戦処理。が勝手に選ぶ日本プロ野球10大ニュース

早いもので2010年ももう少しで一年を終えようとしている。21世紀に突入して早くも十年が過ぎることになる。二十世紀、日本プロ野球興隆の象徴とも言えるONによる日本シリーズで幕を閉じた日本のプロ野球。

あれから十年。非常に大雑把ではあるが敗戦処理。がこの十年間の10大ニュースを勝手に選んでみた。

10位 日米野球が行われなくなる。

04 隔年で行われたシーズン後の日米野球が2006年を最後に行われなくなった。興行的には黒字を見込めるそうだが、日米双方とも真剣勝負の姿勢が無く、なおかつ日本シリーズ後にアジアシリーズを行うようになったため、選手会サイドから日本シリーズとアジアシリーズの間に真剣勝負でない試合を行う事への猛反発が。既に2006年の時点で、日米野球に選ばれながら辞退するNPB選手が続出。NPBサイドはパ・リーグ東西対抗を中止して選手会の意向に沿う姿勢を見せたが存続はならなかった。

ちなみに東西対抗中止を決断した当時のパ・リーグ会長は毎日新聞社の出身で、2008年の日米野球は毎日新聞社が主催する予定だった。

そしてその真剣勝負に当たるWBCが実施されたのもこの十年間でのトピックの一つだろう。(写真:2000年の日米野球の開会セレモニー。中央の女性は日米両国歌を熱唱した小柳ゆき)

9位 ドラフトで逆指名、自由獲得枠、希望枠と続いた制度が廃止される。

03 サッカーのプロリーグが誕生するなどで、運動神経に優れた少年が他のスポーツに流れないようにと、好きな球団に進める確率が低いドラフト制度を見直そうとした逆指名制度が2006年のドラフトを最後に廃止された。この制度の旗振り役がジャイアンツだったのは周知の事実となったが、逆指名元年にはその年のドラフトの目玉である青山学院大学の小久保裕紀らをことごとく他球団に持って行かれた。ジャイアンツ、ホークスなどがこの制度を有効に活用して後の主力選手を獲得していったが、有力選手に入団を決意させるための裏金、いわゆる栄養費の存在が次々と暴露され、ついに廃止された。(写真:学生日本代表に選ばれた当時の那須野巧)

8位 プレーオフ、クライマックスシリーズが定着。

01 セ・リーグに人気が劣るパ・リーグが、交流戦実施を働きかけても応じてくれないのにしびれを切らして、セ・リーグがやらない集客力のあるイベントをと考えて2004年からプレーオフ制度を導入。ただし過去に長続き出来なかった二シーズン制を復活させるのではなく、シーズンで2位のチームと3位のチームに再びチャンスを与える敗者復活戦形式のため、賛否両論だった。ところが第一回の2004年のプレーオフで当時絶対的なストッパーだったライオンズの豊田清が二度も抑えに失敗するなど短期決戦ならではの手に汗握る展開になり、予想外の盛り上がりを見せた。なおかつパ・リーグがプレーオフをやっている間に消化試合をしているセ・リーグに対し、日本シリーズで2004年から2006年までパの出場チームが勝利という結果が出た。

当初は静観していたセ・リーグも危機感を覚え、2007年からセ・パともにプレーオフを行ってその覇者が日本シリーズで対決することに。名称もクライマックスシリーズと改められ、今日に至る。セの導入の旗振り役はジャイアンツと見られる。2003年から2006年までの四年間。ジャイアンツは70年を超える球団史で初めて四年連続して優勝から遠ざかるというワースト記録を更新していたのだ。「三位でも日本シリーズに出られる可能性がある制度」は魅力的でジャイアンツがセ・リーグ各球団を取りまとめた。清武英利球団代表は2006年のパ・リーグのプレーオフで導入されたセカンドステージにおける、レギュラーシーズン1位通過のチームへの1勝のアドバンテージを廃止させた。清武代表の言い分はファン注目の興行なのに、アドバンテージを付与することで試合数が減少するのはもったいないからというものだったが、ジャイアンツが2位や3位でクライマックスシリーズに臨むケースを想定しての改変と揶揄された。

そしてクライマックスシリーズ元年、セ・リーグのレギュラーシーズンで優勝したジャイアンツは第1ステージを勝ち上がった2位のドラゴンズにあっさりと三連敗して日本シリーズ進出を逃した。すると清武代表はアドバンテージを付与した新クライマックスシリーズ制度を提案。前言と矛盾しないよう、3勝したら日本シリーズ進出でなく、4勝したら日本シリーズ進出という形にして興行機会の増加を確保した。その後、短期決戦にアレルギーがあるとしか思えないホークスを除き、順当にリーグ優勝チームが日本シリーズに駒を進めている。(写真:パ・リーグ2004年、第1回のプレーオフより。第1ステージ、ライオンズ対ファイターズ第3戦)

7位 一般ファンの野球離れ深刻化。2010年にはついに日本シリーズが地上波で全国中継されず。

そのクライマックスシリーズを経て盛り上がるはずの日本シリーズが地上波で全国中継されないという事態が2010年に発生した。ジャイアンツ戦の地上波中継の視聴率が年々最低記録を更新し、中継自体が減少傾向にあったことを考えれば、そもそも地上波で全国中継されるのがジャイアンツから身のカードばかりだったことと併せていつかジャイアンツが出ない日本シリーズで起きるであろうと危惧されたことが現実になった感じだ。

日本シリーズの放映権は公式戦のように主催球団が自由に決めるのでなく、ホーム球団が主催者であるNPBに推薦して承認を得る形を取っている。第1戦のホームとなるドラゴンズは地元のCBC(中部日本放送)を推薦したが同局のキー局に当たるTBS(東京放送)は既に放映権を確保していた世界バレーを優先させる意向だったため、テレビ東京系列のテレビ愛知が第1戦を中継することになったが、キー局のテレビ東京は中継を見送った。TBSは横浜ベイスターズを売却するつもりでいたし、世界バレーの方が視聴率を確実に取れるとソロバンを弾いていたのだろう。そして世界バレーの中継のテーマ曲を歌ったEXILEにその功績を讃えて第52回日本レコード大賞を授けた。

6位 松井秀喜、松坂大輔ら球界の顔が続々大リーグに移籍。止まらない有力選手の流出

01_2 ポスティングシステムで大リーグ入りを果たしたイチローがマリナーズでプレーし始めたのが2001年だから、日本のプロ野球ファンが大リーグ(といっても日本人プレーヤーが所属するチームのみ)を身近にTV観戦する割合が高まったのもこの十年間の傾向といえ、10年連続で200本安打を達成したイチローはその象徴である。

イチロー以後も、松井秀喜、松井稼頭央、松坂大輔、福留孝介といった日本でトップレベルの選手が次々と大リーグに移籍し、この傾向は今後も続きそうで流出に歯止めはきかない。今オフにポスティングシステムでの移籍を目論んだ岩隈久志は失敗に終わったが、来オフに海外FA権を得たら移籍は確実と見られているし、ダルビッシュ有、和田毅らも移籍を視野に入れていると見られている。

そしてその極めつけというか、新日本石油ENEOSの田澤純一はドラフトでの日本球団からの指名を拒否し、日本球団を経ずして大リーグに渡るという選択をした。

一方でトップレベルとは言えない選手の大リーグ挑戦も相次ぎ、大リーグ移籍を果たしたものの短期間で日本球界に復帰するケースも近年急増している。彼らの何人かは大リーグ経験を買われて将来の指導者含みで日本に復帰しているので、結果的にそのまま日本でプレーし続けているより金銭面、将来の待遇において有利になっていると思われることから、今後もFA権取得、大リーグ挑戦という流れは続くと思われる。(写真:ニューヨークヤンキースの一員となった松井秀喜)

5位 育成選手制度スタート

Dscf0029 支配下選手枠70人の制限を撤廃し、より多くの選手を獲得して競争させて一軍レベルの選手を鍛え上げたいジャイアンツや一部の球団が、人件費増で渋る各球団を説得する折衷案として支配下選手枠は変えずに一定の要件を満たして採用する育成選手制度が2006年から採用された。この制度の旗振り役であるジャイアンツからは育成選手出身の山口鉄也2008年の新人王に選ばれ、同じく松本哲也2009年の新人王に選ばれた。

 

だが、育成選手から這い上がった選手で最高の栄誉を手にしたのは日本シリーズでMVPを獲得した中村紀洋である。

育成選手制度の活用度合いは球団によってまちまちだが、育成選手が属するファームはイースタン・リーグに7球団、ウエスタン・リーグに5球団が所属していて共に球団数が奇数になっており、常に試合にありつけないチームが存在する問題点があり、選手が増えても実戦の機会を確保出来ない問題が顕在化している。(写真:ジャイアンツの育成選手だった山本光将)

第4位 ジャイアンツ、長年親しまれた「TOKYO」のビジユニを捨てる

Tokyo 2002年、ジャイアンツの親会社に当たる読売新聞社の組織改変により、ジャイアンツは東京読売巨人軍から読売巨人軍に改称。東京にこだわらず、全国のファンに向けてチームとしての活動を展開するという趣旨であったが、これに伴い、シーズン中の7月から、長年ビジターのユニフォームの胸に刻まれていた「TOKYO」の文字を廃止し、「YOMIURI」の文字を胸に刻んだ。ビジターユニフォームの胸に親会社の名前が刻まれているユニフォームは珍しくないが、どちらかというと企業名から地域名などに変更するのが時流となりつつある時期に時代に逆行する変更をしたことに長年のファンから猛反発。東京ドームのライトスタンドに抗議の横断幕が出るなどの事態に発展した。当時の渡邉恒雄オーナーはそれらを「本当のファンではない」と一蹴する強硬姿勢を取ったが、このビジユニは長続きせずやがてYGマークのロゴに差し替えられ、今ではホームと同じ「GIANTS」となっている。

ジャイアンツが「TOKYO」を捨てた後、東京のチームであることにこだわったのはむしろスワローズ球団で、東京ヤクルトスワローズと改称し、東京の、それも都会のチームであるカラーを出している。(写真:今は懐かしい「TOKYO」表記のユニフォーム)

第3位 ファイターズ、東京ドームを離れ北海道に移転。地域密着路線で大成功。

02 そのジャイアンツ、スワローズと共に長く東京に本拠地を置く状態が続いていたパ・リーグのファイターズがついに東京を飛び出して北海道初のプロ野球チームとなった。ホームグラウンドをジャイアンツと同居という形を取らざるを得なかった形態がどうしても固定ファンを拡充することが出来ず、ドーム開業バブルが弾けてからはチームが強かろうが弱かろうが観客動員は減る一方。ついに2003年シーズンを最後に北海道に移転した。

全く余計なことだが、敗戦処理。がファイターズの公式ファンクラブに入会したのはこの翌年の2004年。(写真:2003年、ファイターズの最後の東京ドーム主催試合の試合後のライトスタンド)

第2位 待ち焦がれたファイターズとジャイアンツによる日本シリーズが実現

Dsc_0019 後楽園シリーズといわれた1981年以来の、敗戦処理。の贔屓球団同士の直接対決が、2009年に実現した。確率としては36年に一度の慶事だからこの機会を逃すと…と考えた敗戦処理。は独自のルートで獲りやすそうな札幌ドームでの日本シリーズのチケットを申し込み、第1戦と第6戦のチケットをゲット。土曜に出発して観戦し、翌日曜に帰京すれば仕事を休まずに観戦出来るから第1戦と第6戦をリストアップしたのだが両方当選し、せっかくだからと二往復した。その結果、初めてジャイアンツが日本一になる瞬間を至近距離で拝むことが出来た。しかしファイターズの本拠地札幌ドームで二試合ともファイターズは敗戦。2004年の初観戦以来無敗だった札幌ドームでのファイターズ戦生観戦の連勝記録は3で止まった。(写真:ファイターズとジャイアンツの対戦となった2009年日本シリーズの表彰式)

1位 2004年球界再編騒動勃発

03_2 上位に個人的な思い入れの強い出来事が並んだが、この十年間での最大のトピックはこの出来事に他ならないと思う。

旧バファローズとブルーウェーブ球団の唐突に思われた合併表明から、それならば近鉄球団を買うと言いだした当時の時代の寵児、堀江貴文率いるライブドアの出現と、それを頑なに拒否してひたすら合併に突き進む両球団、いや両企業。立ち上がった選手会と、それを一蹴しようとしたジャイアンツの渡邉オーナー。その渡邉オーナーの別件による退陣。近鉄買収を断られたライブドアは新規参入を目指すが、ここでも無視される。五球団になったら運営が苦しくなるパ・リーグではライオンズの当時のオーナー堤義明がそれまで二十年以上もさぼっていたオーナー会議に突然出ると言い出して、「パ・リーグでもう一組の合併が進行中である」と単独で記者会見。堤オーナーはその後、逮捕される。

野球ファンのみならず広く一般市民の支持を得た選手会はついに伝家の宝刀を抜き、日本プロ野球初のストライキに突入し、NPBも十二球団体制の維持を渋々認める。そして降ってわいたような楽天の参加表明。当初はライブドアつぶしの刺客と揶揄されたが、NPBの審査承認を得て楽天が新規参入球団となった。そしてその頃、堤オーナーが示唆した「もう一組の合併」が事実としたら間違いなくその一方だったと推測された、親会社ダイエーの天文学的な有利子負債の存在に揺れていたホークスを孫正義率いるソフトバンクが買収することになった。近鉄バファローズの危機には音沙汰もなく、チームは強いが経営母体が不安定なホークス球団買収にターゲットを絞った見事な火事場泥棒の登場でパ・リーグの危機は一応遠のいて騒動は終わった形になった。(写真:2004年8月、球界再編騒動のさなかのブルーウェーブ主催試合の外野席)

パ・リーグが必死にもがき、独自の生き残り策を講じ、一方でジャイアンツは合法的に自軍に有利な制度を導入することに尽力した十年間。こうくくるのはあまりに強引か…。しかし、今年のベイスターズの騒動や日本シリーズの実態を見る限り、いつ2004年の再来が起きても不思議ではない。2011年から2020年の十年間を振り返る時、その時も1位は球界再編騒動であると敗戦処理。は思う。

 

 

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