「生」観戦した野球場(番外編)-こんな球場にも行ってきました。
いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。
毎月2日、この「生」観戦した野球場と「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」のいずれか一方を掲載していますが、今月は先月13日に明治神宮第二球場に行ったことに因み、このコーナーに含まない球場の数々について触れてみます。明治神宮第二球場に足を運んだのは今回が初めてでなく、おそらく27年ぶりなのだが、同球場をこのコーナーに含んでいない。何故ならこのコーナーの対象をプロ野球の観戦球場に限定しているからである。
そこで今回はこのコーナーでは取り上げていないが敗戦処理。が足を運んだ球場や球場の跡地をまとめて書いてみる。「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」は来月に回します。
1974年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに50を超えました。
なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。
(写真:かつてファイターズのファームが公式戦を行ったり、練習に使用していた日本ハム多摩川グラウンド 2004年7月撮影)
要はこのコーナーでは敗戦処理。が日本のプロ野球を生観戦した球場を対象にしているので、個人的に思い入れの深い明治神宮第二球場もプロ野球の試合で生観戦した訳ではないので対象にはならない。
ご覧のような球場である。一見普通の球場に見えるが、アングルを変えるとこうである。
一塁側スタンドのあるべき所がゴルフの打ちっ放しなのである<苦笑>。
このようにカウント出来ない球場を挙げていく。暇な方はお付き合いいただければ幸いである。
実は敗戦処理。が当blogを始める以前の2002年夏、大阪旅行を企画した際にかつてプロ野球の本拠地球場として使用されていた球場に行ってみようと考えた。南海ホークスの本拠地だった大阪球場の跡地は大規模なショッピングセンターになっていて跡形もなく、辛うじてピッチャープレートとホームベースがあった場所にそれを示すプレートが残っているだけであった。
なお、この施設内に「南海ホークスメモリアルギャラリー」があるのだがこの時は時間が無く行けず、2006年9月に訪ねた時に見物しようとしたら移転準備中で一部の展示しか見ることが出来なかった。なかなか大阪に行く機会が無いが、じっくりと観たいものである。
その南海ホークスと共にパ・リーグの老舗として競っていた阪急ブレーブスの本拠地、阪急西宮スタジアム。
競輪場となったがその役目を終えて取り壊し待ちという感じであった。
阪急ブレーブスの準本拠地という感じだった西京極球場にも行ってみた。
高校野球の試合が行われていた。名目はわからなかったが…。今ではわかさ生活がネーミングライツを得てわかさスタジアムという名称になっている。日本初の女子プロ野球リーグの京都アストドリームスの本拠地となっているほか、今季はジャイアンツの主催試合も行われたから今後当コーナーに登場するかもしれない。
取り壊しと言えば、近鉄バファローズが本拠地として使用していた日生球場は完全に取り壊されていた。
近鉄バファローズが初優勝した時、日生球場は学生野球の日程と重なって日本シリーズに使えず、藤井寺球場はナイトゲームの設備がないため延長戦や長時間の試合に対応出来ないと言うことで当時のバファローズは公式戦を戦ったホームグラウンドを使えず大阪球場で日本シリーズを戦うはめになった。あの有名な「江夏の21球」はそんな訳でライバル球団のホークスのホームグラウンドでの出来事。
余談だが当時の大阪球場はホークスの試合ではなかなか観客が集まらないので、稼ぎどころは近鉄バファローズの日本シリーズと毎年夏に行われる西城秀樹のコンサートと揶揄された<苦笑>。
なお、藤井寺球場は2004年にウエスタン・リーグ公式戦を観戦しているので取り上げている。ちょうど40ヶ所目の観戦球場だった。
同じような理由で冒頭に掲げたファイターズが使用していた多摩川グラウンドを観に行ったのは2004年7月だった。ファイターズがファームの試合に使用していた頃にはジャイアンツが使用している多摩川グラウンドと区別するためにスポーツ新聞などには「日本ハム多摩川」とか「日ハム多摩川」と記載されていた。
その当時には敗戦処理。にファームの試合を観に行く習慣が無かったのでこの球場で観戦したことはない。使っていないのに日本ハムの所有地のままなのが凄い。その後ファイターズは相模原球場をホームグラウンドとした時代を経て鎌ヶ谷に腰を据えることになる。撮影時点でもファイターズが使用しなくなって十年以上経過しているはずなのにそれでも日本ハムの看板が掲げられているのである。蓮舫大臣なら真っ先に仕分けの対象にしそうなしろものだ。
ところでこの撮影から既に六年が経っている。さすがにもう「日本ハム球団」の看板はないだろうと思ったらまだあるのだ。実は先月仕事でたまたま東京急行の東横線・新丸子に行く用事があったのでちょっと寄り道した。
仕事中だったので携帯電話のデジタルカメラからの撮影だが、相変わらず放置!?されている<笑>。
そして驚くことにネット裏の観客席<!?>は健在なのだ。ネット裏から数十mの所にいわゆる簡易トイレもあるが、施錠されていた。使用していた当時はもうちょっと整備していたのだろうが、ここでファイターズやイースタンの他のプロ野球選手がプレイしていたと思うと感慨深い。
そして現在tvkで月曜から金曜までの午後7時から一日二話ずつオンエアされる「巨人の星」にも出てくる多摩川グラウンドもこの近くにある。
最近では病気を患う前の長嶋茂雄、長嶋一茂父子がキャッチボールをするCMの撮影に使用されたり、NHKのドキュメンタリーでONが再会する場所に選ばれていた。
最後はホークスが南海からダイエーに身売りした際の最初のホームグラウンド、平和台球場の跡地。2003年5月にホークス対ファイターズ戦を観戦に行った時に訪ねた。
今回はいつもと風合いが異なり、当企画と生観戦録を楽しみにしておられる方には物足りない内容だったと思うが次回新年1月2日には力作(当社比)をぶつけるのでほどほどな期待をして欲しい。
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