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2010年12月23日 (木)

現役引退の堀幸一、球団に残らず。

Cdscmvppict0020 マリーンズから戦力外通告を受けながら現役続行に意欲を見せていた堀幸一が現役を断念したが、球団に残らず評論家生活を始めることになった。スポーツニッポンに連載中の'10惜別球人他で判明した。

マリーンズのコーチングスタッフには生え抜きが少ないだけに一部のファンからは「せめてコーチに、ダメでも球団に残って…」との期待があったようだが。

大道典嘉が引退して「南海ホークス」の生き残りが消え、堀幸一の現役引退で「ロッテオリオンズ」の生き残りも消えた。

(写真:川崎球場時代のオリオンズを知る最後の戦士だった堀幸一。20003月撮影)

大道がプレーした南海とその後のダイエー、ソフトバンクは経営母体が異なるから別のチームという見方も出来、ファンが感慨に浸るのももっともだが、オリオンズとマリーンズは本拠地の移転のみ、それも同じ関東圏ということで、ホークスとは次元が違うという見方もあるようだ。ただ、昨今のようなグラウンドの選手とスタンドのファンの一体感が醸し出されるようになったきっかけは移転を機に不退転の決意で地域密着を図る球団と、それに応えたファンとの信頼関係によって形成されたといっても過言でなく、千葉移転を一つのターニングポイントと考えているファンも多い。もちろんだからと言って川崎時代を否定するのでなく、その時代から変わらずチームとファンのためにプレーしてきた堀にリスペクトを置くのだ。もちろんこのチーム一筋の西村徳文監督に対してもそうだし、途中外の空気を吸って戻ってきた小宮山悟に対しても。

堀に何らかの形で球団に残って欲しかったと思っているロッテファンの気持ちは、いずれ、東京ドームを本拠地にしていた時代の選手がいなくなるという問題に直面するファイターズファンとしては他人事ではない。

冒頭の写真はオリオンズ時代の本拠地、川崎球場の解体が決まり、最後にもう一度プロ野球の試合をと、急遽組まれた2000年のベイスターズ対マリーンズのオープン戦。今にして思えば、川崎球場の最後の試合でヒーローインタビューを受けたのが堀というのも単なる偶然とは思えない。新たな感慨となる。

ファイターズで言えば、札幌移転後も細々と東京ドームでの主催試合は続けられているが、故障や不振にあえいでいた東京ドーム時代の主戦投手、岩本勉が久々の勝利を挙げたのが黒木知宏と投げ合った東京ドームだったり、東京ドームどころかそれより前の後楽園の時代を知る田中幸雄2000本安打達成が東京ドームだったように、野球の神様が案配したとしか思えない「ファンへのプレゼント」はあるものだ。やはり歴史というものは大切にしたいものだ。

大道、堀の引退で俄然注目されるのが最後の「阪急ブレーブス」戦士・現ファイターズの中嶋聡。コーチ兼任となって久しいが、コーチ兼任という形だから現役続行できているという見方もある中、今季も鶴岡慎也大野奨太に次ぐチーム3位の7試合にマスクをかぶった。中嶋健在は喜ばしい限りだが、若手が出てこないという問題も…。他にはナゴヤ球場時代にプレーした最後の戦士山本昌、ちょっと変わった視点からはカープでV経験のある最後の選手として前田智徳、まだ去就がはっきりしないが後楽園でプレーした最後の選手、工藤公康などがいる。

堀の右打ちの綺麗さはなかなか文字では表し難いが、敗戦処理。がリアルタイムで観た右打者で綺麗なライトヒッティングをする選手といえば、元カープの三村敏之さん、元タイガースの和田豊、そして堀。右打ちが巧い右打者は他にもたくさんいただろうが、この三人はひと味違うのだ。堀よ、いつかコーチとして復帰し、堀のような選手を育てて欲しい。

初芝清が先だという声もあるだろうが…。

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