そして誰もいなくなる!?-ベイスターズ迷走の自由獲得枠、希望枠ドラフト黒歴史
6日、ベイスターズとバファローズの間で今オフ二組目のトレードが成立した。ベイスターズの寺原早人、高宮和也とバファローズの山本省吾、喜田剛の2対2で、両球団から発表された。
敗戦処理。がtwitterでフォローしているタイムラインでは昨日の報道以来、「えっ、寺原が?」、「寺原、また?」という感じの呟きが多かった。確かに日南学園時代は松坂大輔並みの素材ではと騒がれ、鳴り物入りでホークスにドラフト1位で入団したことを考えると二度目のトレードは衝撃だ。ただ敗戦処理。としてはファイターズ打線が手こずっている印象が深い山本の移籍にむしろ衝撃を受けた。
だがしかし、当初「寺原と山本らのトレード」と寺原と山本の名前が先行報道されたこのトレードだが、プラスワンのような高宮に視点を当ててこのトレードを見てみると…
(写真:2006年の大学生・社会人ドラフトで希望枠で入団した高崎健太郎。あれ?今回のトレードとは関係ないような…、いえいえ)
敗戦処理。は何度か当blogでベイスターズのドラフトでの上位指名選手がうまくいっていないことに言及しているが、今回の高宮も2005年のドラフトでの希望枠での入団。今季までの五年間、毎年一軍で投げてはいるが、最多登板は2007年の22試合。左のショートリリーフとして期待されるも、通算で3勝という成績だ。期待外れといって差し支えなかろう。
高宮にはこのトレードを機に奮起を期待するしかないが、この期待外れが高宮に限らないところがベイスターズの問題点なのである。
それまでの逆指名に代わる自由獲得枠が導入されたのは2001年秋のドラフト。以後、希望枠とマイナーチェンジして2006年秋のドラフトまで続いたこの制度でベイスターズが獲得した選手を列挙してみる。
2001年=自由獲得枠行使せず。
2002年=自由獲得枠 村田修一(内野手:日大)、土居龍太郎(投手:法大)
2003年=自由獲得枠 森大輔(投手:三菱ふそう川崎)、吉川輝昭(投手:日本文理大)
2004年=自由獲得枠 那須野巧(投手:日大)、染田賢作(投手:同大)
2005年=希望枠 高宮和也(投手:ホンダ鈴鹿)
2006年=希望枠 高崎健太郎(投手:日産自動車)
入団は翌年。2005年と2006年は大学生・社会人ドラフト。
早い話が、2011年にベイスターズでプレーするのは村田修一と、最終年の希望枠で獲得した高崎健太郎だけである。高崎もまだ期待通りの結果を出しているとは到底言えない。村田はベイスターズが自由獲得枠、希望枠で獲得した唯一の野手になるが、自由獲得枠、希望枠で期待されて入団した7人の投手のうち、ベイスターズで花開く可能性があるのはもはや高崎のみになった。(細かいことをいえば、上記7投手以外に2004年には一場靖弘を自由獲得枠で指名する予定だった。)
敗戦処理。は、初年度の2002年にベイスターズが立教大の多田野数人の自由獲得枠での獲得を見送ったタタリだと思っているが、この体たらくはシャレにならない。よく鳴り物入りで入団して働かない選手を「月給どろぼう」とか「契約金どろぼう」と罵るが、ベイスターズに限ってはスカウト陣が月給どろぼうのそしりを免れまい。
即戦力と期待された、ある程度完成に近い状態で入ってくるはずの選手が期待外れな分を、湘南シーレックスで鍛えられたたたき上げの選手育成でカバーしようにも、ライバル球団で自由獲得枠、希望枠で入団した選手達が順調に育っていったら、ベイスターズとライバル球団の選手層の差は開く一方である。そうした差が、日本プロ野球界初の三年連続90敗以上という数字に表れているのだろう。
先般の住生活グループへの身売り問題では、「やる気のない親会社より、やる気のある新しい企業に」とか「本拠地球場の使用条件の悪さがネックだ」とかいろいろと問題点がクローズアップされ、大規模な改革が必要だという論調になったが、少なくとも向こう一年間はほとんど何も代わらないのである。まして現場がこんな編成、補強をしているようでは監督がどんなアナライズをしようと活路を見いだせるものではないし、派手なパフォーマンスをするムードメーカーを一人破格の条件で招き入れたところで大きな変革は望めまい。
過去の惨状を悔いても始まらないが、どこに原因があるのかを把握するのは必要だろう。ベイスターズは6日、新入団選手の入団発表を行ったそうだが、今年のドラフトが過去の失敗を踏まえて、改善された視点でのドラフトだったのであれば、光明が見えてくるのだろうが…。
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