もうすぐお別れ、日本ハム多摩川グラウンド
既に3月1日付北海道新聞のえのきどいちろう氏の連載コラム頑張れファイターズや、ルパート・ジョーンズさんや満利江さんのブログなどで取り上げられたのでご存じの方も多いかもしれないが、かつてファイターズが二軍公式戦や練習に使用していた日本ハム多摩川グラウンドが3月いっぱいで国に返納されることになっていた。3月31日付けの日刊スポーツでも米谷輝昭記者による「今日歴史に幕F多摩川グラウンド」という記事が掲載された。
4月になって初の土曜となった2日、敗戦処理。は現地を観てきた。まだ看板などは取り外されていなかった。
(写真:国に返納されることが決まった日本ハム多摩川グラウンド。2日AMの時点ではまだ看板やダッグアウトなどは健在だった…)
当blogでも昨年12月2日付けで日本ハム多摩川グラウンドの現状について触れていたが、実戦や練習に使われない様になってもう20年近くになる。今回国に返納と聞いて、「ようやく…」というのが第一印象だった。
そのエントリーでも触れたが、日本ハム多摩川グラウンドが現役だった頃、敗戦処理。はこの球場を訪ねていない。そんな立場で知ったかぶってノスタルジックに浸るのはいかがなものかという気もあるが、もしも当blog、当エントリーをご覧になった方で、当時に思い入れのある方がいらっしゃったら、辛うじて形を残している今のうちに、もう一度日本ハム多摩川グラウンドに足を運んで欲しい。ただ2日AMの時点では、いついつ撤去予定などの表示がなく、ということは早ければ2日PMに撤去された可能性も無いとはいえないし、今日3日に撤去されるかもしれないし、月曜日にも撤去されるかもしれない。
前述の日刊スポーツの記事ではこのグラウンドに思い入れの深いファイターズOBの木田勇のコメントが出ているが、木田はかつての仲間と3月21日に「お別れの会」を計画していたようだが雨で断念したそうだ。
先月28日夜に杉並区の阿佐ヶ谷ロフトAで行われた「日本ハムファイターズ東京決起集会!」でもえのきどいちろう氏とファイターズの渡辺浩司スコアラーがこのグラウンドの思い出を語っていたが、台風が来ると、寮生の中から入団二年目以内の野手が集められ、総出で打撃練習のゲージなどを流されないような位置に運び込むのだという。「今じゃあり得ないですよ。普通専門の業者に頼むとか考えるでしょう<苦笑>」
冒頭の画像のように一塁側ダッグアウトの壁の一部は既に剥がれているし、
ホームベースは取り外され?ファウルラインが引いてあるだけという状態である。もちろんこれらは先月の地震の影響ではない。長年の放置プレーの結果である。ただ、今回気付いたが一塁側ダッグアウトにこんなものがあった。
ちなみに、この日も隣接するグラウンドでは少年野球のチームが練習していた。
最後に日刊スポーツの記事を引用させてもらう。
更地にして返す。マウンドを削ったり、老朽化した設備や用具を片付けたり…。歴史を知ってもらうためにも鎌ヶ谷の若手選手を動員したらどうだろう。
■日本ハム多摩川グラウンド 東急東横線新丸子駅より徒歩で約15分。
P.S.
5月21日追記。
その後4月30日に現地を訪ねた時にはまだ「日本ハム球団 多摩川グラウンド」の看板も健在で手つかずという感じだったが、5月21日に久々に訪ねたところ看板は撤去され、ベンチもなくなっていた。そして野球少年が練習していた。
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コメント
るい様、初めまして。コメントをありがとうございました。
> 当時はプレーが間近で見られることや、「今日は暑いね~」と、選手がよく声をかけてくれたことが印象的でした。
あと、ファンの人がグラウンドで選手と一緒に運動会する…ってなイベントもあったかと思います。
> 今考えれば、ここでよく試合できてたなあ…と。
多摩川グラウンドに思い入れの深いファンの方にこの事を知ってもらいたく、twitterおよび拙blogで取り上げましたのでこちらとしても嬉しい限りです。
実は昨日(9日)夕方にも近くまで行ったのですが、2日と同じ状態でまだ看板やベンチには手を付けられていませんでした。
こういう状況ですから、優先順位が後回しになっても致し方ないでしょう。
> 翌日に鎌スタへも行きましたが、環境は天と地の差だと感じました。
機会があれば、今の選手にも多摩川時代の話を知ってほしいですね。
今日はこういう古き良き時代<?>の名残を残すヤクルト戸田球場で佑ちゃんの登板を観てきましたが、鎌ヶ谷とは全然違うヤクルト戸田球場にぶつぶつ言っている「佑観マダム」に囲まれて辟易していました<苦笑>。
3月28日に行われた「日本ハムファイターズ東京決起集会!」で元選手の渡辺浩司スコアラーがこの時代のエピソードをいろいろ話してくれました。
渡辺スコアラーや五十嵐監督が語り部になってくれればと思います。
投稿: 敗戦処理。 | 2011年4月10日 (日) 18時41分
はじめまして。
ファイターズファンの方のツイートで多摩川グラウンドが閉鎖されることを知り、2日の午後に立ち寄ってきました。
訪れるのは十数年ぶりでした。
当時はプレーが間近で見られることや、「今日は暑いね~」と、選手がよく声をかけてくれたことが印象的でした。
あと、ファンの人がグラウンドで選手と一緒に運動会する…ってなイベントもあったかと思います。
今考えれば、ここでよく試合できてたなあ…と。
翌日に鎌スタへも行きましたが、環境は天と地の差だと感じました。
機会があれば、今の選手にも多摩川時代の話を知ってほしいですね。
ロッテ浦和も、近年球場移転の話が出てきてましたが「1軍へ上がるんだ!」というハングリー精神を養うという意味では、今の施設でも十分だと思ってます。
投稿: るい | 2011年4月 9日 (土) 17時56分
sarutaia様、初めまして。コメントをありがとうございました。
> 私は3月30日に行ってきました。日本ハム球団の看板がなんともよくて。当日は神奈川県の高校生が練習試合をしていましたよ。主人はかつて、通学途中の東横線から眺めていたそうです。土手を登って寮へ帰っていく選手たちとか・・・。
ご夫婦そろってファイターズファンなのですか?そうなら素晴らしいですね。
高校生が使っていたのですか、球団の許可は取ったのでしょうか<笑>?
> 今更ながら、鎌ヶ谷の施設は素晴らしいんだなと実感しました。
先月の27日に鎌ヶ谷でイースタンを観てきました。
試合前、中のイベントを自粛し、賑やかなBGMもなし。スコアボードは得点とボールカウント、公式記録の表示だけで、選手名を省いて打順のところにランプを付けるだけという省電力モードでした。
しかし後日、「鎌ヶ谷らしくない」と不満たらたらの人がいたという話を聞き、びっくりしました。
多摩川グラウンドや、相模原球場時代を経て今の鎌ヶ谷があると考えれば、一週間や二週間自粛モードだからって何てこと無いと思って欲しいのですが、球団や地域の尽力で形成されたあの盛り上がりが、当然のもの(ないと違和感がある状態)になったのだなという感慨とともに、その感覚の持ち主がどんな層の人かわかりませんが寂しいなとも思いました。
投稿: 敗戦処理。 | 2011年4月 3日 (日) 15時23分
私は3月30日に行ってきました。日本ハム球団の看板がなんともよくて。当日は神奈川県の高校生が練習試合をしていましたよ。主人はかつて、通学途中の東横線から眺めていたそうです。土手を登って寮へ帰っていく選手たちとか・・・。今更ながら、鎌ヶ谷の施設は素晴らしいんだなと実感しました。
投稿: sarutaia | 2011年4月 3日 (日) 07時45分