ファイターズもジャイアンツも負けちゃった…
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今日(27日)行われたNPBの新人選択会議で、ジャイアンツの単独1位指名が濃厚と思われていた東海大学、菅野智之投手に対し、ファイターズも1位指名。そして抽選の結果、ジャイアンツでなくファイターズが菅野の交渉権を獲得した。
菅野はジャイアンツの原辰徳監督の甥っ子であり、立場上これまでは表明できなかったがジャイアンツ入りを熱望していた。昨年のドラフト会議でジャイアンツが1位指名した澤村拓一もジャイアンツ志望が強いと見て他球団が敬遠したフシがあり、血縁関係のある今年も…という感じが各種報道ではあったが、ファイターズが敢然と指名。そして交渉権を獲得してしまった。
こんな劇的なドラフト会議はいつ以来だろうか…?
(写真:菅野のおじ、原辰徳ジャイアンツ監督と、祖父に当たる原監督の父、原貢東海大学野球部顧問 2004年12月撮影)
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横浜ベイスターズの身売り問題で、本命と思われたDeNAの対抗馬として京浜急行電鉄を中心とした地元企業の連合体が浮上してきた。近日の報道では結局DeNAに落ち着きそうだが、より地元に根付いた対抗馬の出現に喜んだベイスターズファンは少なくあるまい。
敗戦処理。が日本のプロ野球に興味を持ち始めた頃には鉄道会社を親会社に持つ球団が五球団もあったが、今では阪神と西武だけ。ライオンズも直接の親会社(大株主)がプリンスホテルになったりしたこともあるのでずっと存続しているのは阪神阪急ホールディングスがバックにいるタイガースのみと言ってもいいほどだ。
ある意味時代の先端を行く業種であるDeNAと、親会社の業種としては最古とも言える鉄道会社である京浜急行電鉄を中心にした地元企業の連合体という対照的な候補先。横浜ベイスターズの身売り先は…
(写真:現在の親会社、TBS系のマスコット、エキベー、ブーブに挟まれる球団マスコット、ホッシー、ホッシーナ、ホッシーゾ。来年は横浜スタジアムでは見られない!? 2010年9月撮影)
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今週の月曜日(17日)、家の新聞受けから日刊スポーツを取ってきて仰天した。既に今季限りでの退任を表明しているファイターズの梨田昌孝監督の後任として野球評論家の栗山英樹の就任が合意されたというのである。
栗山の名前は梨田監督の退任が表面化した時点から新庄剛志らとともに有力候補として挙がっていたが、「これから一週間頑張るぞ!」と一応は構える月曜日の朝の寝ぼけ眼に栗山の満面の笑顔はしんどい…
同紙だけでなく、多くのスポーツ紙が決まったも同然のように報じているから、たぶん決まりなのだろう。
しかし、栗山って…
(写真:栗山合意…と報じた17日付け日刊スポーツの1面。なんせユニフォームを脱いで21年も経つお人なので写真がありません<笑>。)
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今日(16日)は首位のドラゴンズが勝つか引き分ければセ・リーグ優勝を決める試合。同じくその可能性のあった昨日は東京ドームに実数発表になった2005年以降では最多の46,794人が集まったが今日もドラゴンズの胴上げを見たいドラゴンズファンと、勝ってクライマックスシリーズ進出を決めたいジャイアンツファンが殺到した。
しかし試合はジャイアンツ打線の爆発で思わぬ展開に。12対4でジャイアンツが圧勝。三連戦を3タテし、対ドラゴンズ戦の勝ち越しも決めるとともに、レギュラーシーズンの3位以上を確定してクライマックスシリーズ進出を確定した。
やれば出来るじゃないか、ジャイアンツ!
(写真:四回表、4点を追うドラゴンズは二死から満塁にしてジャイアンツの先発・西村健太朗をKOするが、二番手のレビ・ロメロの前に堂上剛直が見逃し三振。明暗を分けたロメロ<手前>と堂上剛<背番号63の後ろ姿>。)
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10日、タイガースに3対6で敗れたジャイアンツは今季のレギュラーシーズン優勝の可能性がなくなった。この節目の試合の、3点のビハインドを負った九回表のマウンドにいたのは本来なら昨年までの守護神、マーク・クルーンの代役と期待されていたジョナサン・アルバラデホだった。
また野手の新外国人選手、ラスティ・ライアルは途中交代を命じられた試合でベンチに残らずに無許可で球場を後にした職場放棄が問題視されて登録抹消されていたが、7日付けで自由契約選手として公示された。同日、途中加入のジョシュ・フィールズが一軍登録を抹消された。
ジャイアンツが自前で獲得する外国人選手が働かないのは今年に限ったことではないが…。
(写真:ジャイアンツ球場のイースタン・リーグ公式戦の試合前に二人揃って三塁の守備位置でノックを受けるライアルとフィールズ。2011年8月撮影)
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イースタン・リーグ優勝のファイターズとウエスタン・リーグ優勝のドラゴンズがファームの日本一を賭けて対戦したファーム日本選手権が8日、宮崎県のサンマリンスタジアム宮崎で開催され、ファイターズの日本一を願う敗戦処理。も現地観戦を果たした。ファイターズは0対4から終盤に反撃を開始し、1点差に迫ってなおも一打サヨナラの場面までいったがあと一歩届かず。ドラゴンズが2年ぶりにファーム日本一に輝いた。
中日ドラゴンズ、ファーム日本一達成おめでとう!
北海道日本ハムファイターズのファームの選手達、スタッフの皆さん、ギリギリの人数での闘いに耐え、よくここまで、最後まで全力で好ゲームを魅せてくれた。本当にありがとう!
(写真:ファーム日本選手権を制し、ナインから胴上げされるドラゴンズの井上一樹二軍監督)
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1日、福岡ソフトバンクホークスが昨年に続く二年連続優勝を決めた。ファイターズの自滅でかなり優勝決定が早まった感もあるが、そのファイターズをホークスが直接対決でことごとく退けてきたのも事実。ファイターズファンとしては梨田昌孝監督に最後の花道を飾ってもらう展開になって欲しかったが、ホークスの強さを認めないわけにはいかない。
福岡ソフトバンクホークス、そしてファンの皆様、パ・リーグ優勝おめでとう!!
1日の試合、最後の打者となった浅村栄斗のフライをダイビングキャッチした福田秀平は今シーズン終盤、ラッキーボーイ的な活躍を見せているが、実は敗戦処理。の地元にある多摩大学付属聖ヶ丘高校出身の初のプロ野球選手である…。
(写真:ホークスのラッキーボーイ、福田秀平が通っていた多摩大学付属聖ヶ丘高校)
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これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が55ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
今回は年代順に行けば2000年(平成12年)ですが、今週8日にサンマリンスタジアム宮崎で行われるファーム日本選手権の出場チームがイースタン・リーグ優勝チーム・ファイターズ、ウエスタン・リーグ・ドラゴンズと決まったため、7年前に同じサンマリンスタジアム宮崎で行われた、同じ顔合わせのファーム日本選手権を振り返ることとします。2000年(平成12年)編は次回に回します。また、2004年(平成16年)編も後日エントリーします。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year特別編 2004年(平成16年)編
(写真:開会式で整列するドラゴンズとファイターズの選手達)
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