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2011年10月25日 (火)

豊田清引退

Cdsc_0062 一度は来季の現役続行が発表されたカープの豊田清が24日、現役引退を表明した。故障により充分な走り込みが出来なくなり、自分の投球が出来なくなったことが引退を決意させたそうだ。今後に関しては白紙。

 

 

ライオンズで絶対的守護神と君臨し、ジャイアンツではセットアッパーも経験。そのジャイアンツからのコーチ就任要請を蹴ってたどり着いたカープでのこの一年。

お疲れ様、豊田清…

(写真:昨年12月、カープ入りが決まっていた豊田がジャイアンツ球場の室内練習場で笠原将生にアドバイス)

ライオンズ時代から豊田は職人気質の投手といわれていた。クローザーという自分の役割を全うするために、常に自分にストイックであり、他を寄せ付けない独特の世界観を醸し出していたという。135セーブの実績をひっさげてFA権を行使して2006年からジャイアンツに移籍。もちろん開幕から順調にセーブを挙げ続け、ジャイアンツは懸案のクローザー不足を解消できたとファンが安堵し始めた5月20日のゴールデンイーグルス相手の交流戦。豊田はホセ・フェルナンデスに逆転サヨナラ3ラン本塁打を浴びて移籍後初のリリーフ失敗。だがこの時、豊田は今まで積み上げてきたものが崩れ落ちるような喪失感を味わったという。前年までライオンズという、ジャイアンツ同様常に優勝争いの中で戦うことを義務づけられる球団でクローザーを務めてきた男でも、一度の失敗で狂うものなのかとその時は驚いた。

2007年、4月20日の甲子園球場で3点リードの延長十二回にマウンドに上がり、まさかの4失点で逆転されると、故障で出遅れていた上原浩治にクローザーの座を明け渡した。前年も高橋尚成がクローザーに回った。豊田はこれ以降セットアッパーとして活路を見出す。クローザー失格ならセットアッパーで。ありがちな配置転換だが、実はクローザーとして一定期間活躍した選手がその後セットアッパーに転身して成功した例は意外に少ない。少なくとも敗戦処理。がすぐ思いつくのはタイガースのジェフ・ウイリアムス久保田智之がクローザーからセットアッパーに回ったくらい。クローザー失格の烙印を押されるともがき、試行錯誤した挙げ句引退という選手が多いはずだ。

豊田は通算157セーブを挙げているが、これは歴代10位。岩瀬仁紀313、高津臣吾286、佐々木主浩252、小林雅英228、藤川球児195、江夏豊193、馬原孝浩180、マーク・クルーン177、永川勝浩164(10月24日現在)。この中にクローザーからセットアッパーに転身したものはいない。今も現役の選手を除くと、皆、クローザーとして引退している。

豊田がセットアッパーとして現役を続行した四年間は本当に茨の道だったろう。

余談だがジャイアンツで豊田の代わりにクローザーを務めた高橋尚と上原はそれぞれのシーズン終了後、異口同音に「来年はもう一度先発で勝負したい。こんなきつい事を毎年やっている豊田さんはすごい…」とコメントした。先発投手を配置転換しても長続きしないと達観したジャイアンツはマーク・クルーン獲得でクローザー固定を図った。

豊田は2008年にそのクルーンの前の主に八回に投げるセットアッパーとしてジャイアンツのリーグ優勝に貢献した。自己最多の29HPを記録。原辰徳監督、尾花高夫投手総合コーチらも豊田のプライドを尊重し、基本、同点での登板はあってもビハインドでの当番を避ける、三日以上の連投を避けるなどクローザー時代の待遇を極力維持した。

だが、その後は年齢から来ると思われる球威の衰えとの戦い。登板シーンは徐々に負荷の軽いものにシフトせざるを得なくなった。クローザーと違ってセットアッパーは臨機応変な登板を求められがちだが、豊田は年齢的に「今すぐ作ってくれ」では準備が出来なくなっていた。2010年には首脳陣が再び八回の登板に固定しようと考えたが、リードをフイにするケースが増えた。相手投手が打席に立った時にはストレートしか投げない。しかしそのストレートの威力が衰えているから、打力に自信のある投手との対戦(試合展開上、豊田登板時に相手の投手が打席に立つことは少ないが)で痛い目に合うこともあった。故障にも泣いた2010年。ジャイアンツは戦力としては豊田に見切りを付け、コーチ転身の道を用意した。豊田は現役続行にこだわり、自由契約選手となり、トライアウトも受けずに他球団のオファーを待った。リリーフ陣が不安定なカープが獲得に名乗りを挙げた。

今年の豊田は、プライドもかなぐり捨てて投げていたと思う。ライオンズやジャイアンツで受けていた特別待遇はもう受けられない。稀にではあるが、明らかな敗戦処理もあった。

豊田は現役引退会見で「いずれ指導者になりたい」と語ったそうだ。仮にそうなった場合、おそらくは昨年で引退してジャイアンツのコーチになっているよりは幅の広い、相手の立場に立ったコーチになれると思う。ライオンズ時代もジャイアンツ時代も、若手選手が近寄りがたいオーラを発していた部分があるという。冒頭の写真は昨年ジャイアンツから自由契約となり、既にカープ入団が決まって迎えた年末をジャイアンツ球場の室内練習場で自主トレをしていた豊田がジャイアンツの後輩、笠原将生にアドバイスをしている写真だが、こういうシーンは珍しかったらしい。

過剰にプライドばかりが高い選手は困りものだが、敗戦処理。はプレイスタイルや立ち振る舞いにプライドが滲み出る選手が大好きだ。その意味で小林雅英より豊田が好きだし、小笠原道大を一貫して支持し続けているのもその理由だ。

豊田清、お疲れ様、日本人クローザーをなかなか育てきれないジャイアンツのコーチにいつか戻ってきてくれないだろうか…

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