ON対決の日本シリーズ第1戦を東京ドームで生観戦【回想】敗戦処理。生観戦録-第27回 2000年(平成12年)編
これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が55ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year第27回 2000年(平成12年)編
(写真:オープニングセレモニーで整列した長嶋茂雄、王貞治両監督)
西暦2000年という年は20世紀最後の一年であり、なおかつ単に世紀が変わる100年に一度の年でなく、西暦1000年代が終わった、1000年に一度の年でもあった。そんな年に、20世紀の日本プロ野球をリードしてきたといっても過言では無い二大スーパースター-ONこと長嶋茂雄と王貞治がセ・パ両リーグに別れそれぞれのチャンピオンチームの将として対戦する。王がホークスの監督に就任した1995年からずっとファンが待ち望んでいた対決がついに実現したのだ。個人的にこれは素晴らしいことだと思った。
また、敗戦処理。としては西暦2000年はネットデビューの年と言っても良い年。細かく言えば1999年からネットデビューを果たしているのだが、「敗戦処理」という名前で元日から当時の@niftyの掲示板「ベースボールフォーラム」をお騒がせした年でもあり思い出深い年であった。
ジャイアンツとしては1996年の「メーク・ドラマ」の年を最後に優勝から遠ざかっており、1998年シーズン終盤には長嶋監督の去就騒動にまで発展した。翌1999年も優勝を逃し、背水の陣で臨んだ。FAで前年のパ・リーグMVP、工藤公康とカープの主砲、江藤智を獲得した他、首脳陣批判などでタイガースとトラブって退団したダレル・メイと逆指名ドラフトで高橋尚成を獲得するなど補強に抜かりはなかった。なお江藤入団で江藤にカープ時代の背番号33を与える意味で、長嶋監督が永久欠番の「背番号3」を復活させることになり、春季キャンプでいつそのユニフォーム姿を見せるかなどが話題を呼んだ。迎えたシーズンは粘るドラゴンズを振り切る形でジャイアンツがリーグ優勝を果たした。
ホークスは1995年からの王体制が前年ようやく成就。南海ホークス時代の1973年以来の26年ぶりリーグ優勝を果たした。もちろん「福岡ダイエーホークス」となって初の優勝だった。オフにFA権を行使した工藤の流出が痛かったが、事前の交渉で後に球団社長に就任する高塚孟が工藤のプライドを逆なでする低評価を提示したことで禍根を残したことも話題になった。それは裏を返せば、親会社ダイエーの天文学的な有利子負債でどうにもならなかった異常な事態を予告したようなものだった。チームの強化に奔走した根本陸夫球団社長、中継ぎでチームに貢献した藤井将雄投手の死などの困難も乗り越え、リーグ二連覇を果たしてこの舞台に到達した。
そんな両チームが激突する日本シリーズだけに当然チケットの入手は超困難。敗戦処理。も一度は諦めたが、たまたまのぞいた新宿の金券ショップで「最後の一枚」を発見し、迷わず購入。正規の価格の5倍弱と割高だったが、正規の古物商登録されているショップなので安心して購入。余談だがこの年の日本シリーズにはローソンチケットを装った偽チケットが事前に発覚したり、ホークスの本拠地、福岡ドームが日本シリーズ期間に別の催し物の予定を入れてしまったため変則日程になるなどの珍事もあった。
ホークス
(中)柴原洋
(二)鳥越裕介
(左)大道典良
(三)小久保裕紀
(一)松中信彦
(捕)城島健司
(右)秋山幸二
(遊)井口忠仁
(投)若田部健一
ジャイアンツ
(二)仁志敏久
(左)清水隆行
(右)高橋由伸
(中)松井秀喜
(一)清原和博
(三)江藤智
(遊)二岡智宏
(捕)村田善則
(投)工藤公康
11年前だというのにホークスのスタメンには今もホークスに在籍している選手が三人。城島健司、井口忠仁(現資仁)も大リーグ移籍を経て今も他球団で現役だ。その一方で先発若田部健一の娘がHKT48の一員としてデビューしているのも感慨深い。
日本シリーズを生観戦するのは本連載でも取り上げた1982年ライオンズ対ドラゴンズ第四戦、1983年ジャイアンツ対ライオンズ第四戦以来だが、第一戦を観るのは初めて。セレモニーの荘厳さが試合に向けての高揚感を強めていった。因みに始球式を行ったのは
この年の夏のシドニー五輪で女子マラソンの金メダリストとなった高橋尚子。
翌第二戦には柔道の同じく金メダリスト田村亮子を起用している。
試合は序盤から動く。
一回裏、二塁打の仁志敏久を置いて四番・松井秀喜がセンターオーバーの本塁打を放ち、ジャイアンツが2点を先制。
ホークスも直後の二回表、昨年まで工藤とバッテリーを組んでいた城島が工藤からレフトオーバーのソロ本塁打を放って反撃開始。
するとジャイアンツもその裏、仁志のタイムリー二塁打で1点を加え、3対1。
この後ジャイアンツは工藤が粘投。
ホークスは先発若田部が四回まで投げた後、渡辺正和、田之上慶三郎と小刻みにつなぐ。そして工藤に疲れが見えた七回表、松中信彦が豪快にライトスタンドに2ランを放り込み、3対3の同点に。
同点のまま迎えた九回表、ジャイアンツはこの年のクローザー岡島秀樹を温存し、槙原寛己を投入。シーズン中盤以降、左ふくらはぎを痛める故障で戦列を離れていた投手をつぎ込まなければならない苦しい台所事情だったが、先頭の代打メルビン・ニエベスにいきなり本塁打を浴びて勝ち越し点を献上。この後も一死一、三塁とされて城島のセーフティ・スクイズが微妙な判定ながらホームでアウトとされるラッキーな面もあった。
が、秋山幸二にイレギュラーバウンドのタイムリーを浴びて3対5とされると、最後はロドニー・ペドラザに抑えられてジャイアンツは第一戦を落とした。
【2000年10月21日・東京ドーム】
H 010 000 202 =5
G 210 000 000 =3
H)若田部、渡辺正、田之上、○吉田、Sペドラザ-城島
G)工藤、木村、●槙原-村田善、村田真
本塁打)松井1号2ラン(若田部・1回)、城島1号ソロ(工藤・2回)、松中1号2ラン(工藤・7回)、ニエベス1号ソロ(槙原・9回)=代打
このシリーズは第二戦もホークスが逆転勝ち。いつもならここで移動日だが前述したような事情で移動日なしで行われた福岡ドームでの第三戦に、それまで二戦に積極的につぎ込んできた継投の手をゆるめたところにジャイアンツがつけいって一矢を報いると、中二日空いた第四戦から一気にジャイアンツに流れが行き、結局二連敗の後、四連勝でジャイアンツが四勝二敗で日本シリーズを制した。MVPには本塁打3本を放った松井が選ばれた。
長嶋監督が翌2001年シーズン限りでユニフォームを脱いだので日本シリーズON対決は最初で最後となった。
二十一世紀になっても長嶋茂雄は2004年のアテネ五輪の野球日本代表の監督に選ばれ、王貞治はホークス監督在任中の2006年に第1回WBCの日本代表監督に選ばれた。長嶋監督は病に倒れ五輪の聖地アテネでの指揮を果たせなかったが、王監督はWBCで世界の頂点に立った。しかしその王監督も同年、病気療養による戦線離脱を余儀なくされた。
ジャイアンツ一極集中の時代、そしてその象徴とも言えるON。二十一世紀に入ってもジャイアンツは2007年から2009年までリーグ三連覇を達成するなどまだ輝きを放っているが、福岡のホークスや北海道のファイターズなどフランチャイズの地方分散と、地域密着型球団経営が売り物の球団が増加するなど、球界は変わっている。二十世紀最後のプロ野球の試合がON対決となったのは感慨深かったし、その一戦を生観戦出来たのは光栄の極みであった。
敗戦処理。が金券ショップからチケットを購入したのは今のところこの時だけである。
【参考資料】
2000ファン手帳(ファン手帳社刊)
スポーツ報知2000年10月22日付
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
村石太CD様、コメントをありがとうございました。
> プログで 長嶋茂雄で 検索しています。今 動画で 長嶋茂雄 ミスター ジャイアンツを見ています。9分56秒
21世紀の伝説史 長嶋茂雄 第1巻 「背番号3の時代」1分41秒 長嶋茂雄の守備 0分19秒 カッコいいですね。
ほぉ、そうですか。
私はミスターの現役時代の最後の二年間をリアルタイムに観た記憶があります。
もうその頃は、現役生活の晩年でしたが、それでも「かっこいいなあ」と思いました。
周りの大人の刷り込みもあったのかもしれませんが…<笑>
全盛期の頃の三塁守備は、長嶋がボールを捕るというより、ボールの方から長嶋のグラブに吸い込まれるようなイメージだったという人がいます。
本当に絵になるプレイヤーだったのでしょうね。
投稿: 敗戦処理。 | 2011年11月25日 (金) 23時00分
プログで 長嶋茂雄で 検索しています。今 動画で 長嶋茂雄 ミスター ジャイアンツを見ています。9分56秒
21世紀の伝説史 長嶋茂雄 第1巻 「背番号3の時代」1分41秒 長嶋茂雄の守備 0分19秒 カッコいいですね。
投稿: 村石太CD | 2011年11月24日 (木) 09時31分
長緯様、コメントをありがとうございました。
> おっしゃるように、このころを境にいろいろな面で球界に変化が起きてきた感じがします。
球界再編騒動を始め、いろいろなことがありましたね…。
この年はエントリーでも書きましたように、実質的なネットデビューの年。長緯さんにはこの年からお世話になっており、本当に感謝しています。
その場所からは失礼させていただきましたが、今もブログやツイッターで当時からお世話になっている皆さんと接点を保てているのは嬉しい限りです。
しかしこの日本シリーズの観戦記を書いていて、自分の贔屓チームが今年は日本シリーズに出る可能性がないと考えると寂しくなってきました。
来年こそ…です。
投稿: 敗戦処理。 | 2011年11月 3日 (木) 22時54分
十年ひと昔と申しますが、もうこの対戦から11年経つのですね。
おっしゃるように、このころを境にいろいろな面で球界に変化が起きてきた感じがします。
これから先十年、どのように球界が変わるか、楽しみでもありますし、心配でもあります。
投稿: 長緯 | 2011年11月 3日 (木) 21時34分