星野仙一監督が他球団で戦力外通告を受けた選手との獲得交渉制限に一石
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22日の日刊スポーツ他に、ジャイアンツが今季の開幕スタメン入りを果たした脇谷亮太を含む7人の選手に自由契約選手にする旨の通告をしたと報じられた。出場機会を求めて自ら自由契約を望んだ高橋信二を別にすれば、脇谷の他は今季一軍公式戦に13試合出場した円谷英俊、昨年は新人ながら開幕一軍入りを果たした二年目の土本恭平、今季途中に育成選手登録から支配下選手登録を勝ち取った山本和作、そして古川祐樹、斎藤圭祐の5選手。だが記事をよく読むと、脇谷は右肘靱帯手術のため実戦復帰まで相当時間がかかるため、支配下選手の枠を外して育成選手契約にするという。円谷と山本も同様の趣旨だという。
そして今日26日の同紙によると、ジャイアンツはこれら各選手と育成選手契約を結んだという。
育成選手制度は、清武英利前球団代表が中心となって作られた制度。渡邉恒雄球団会長への告発に端を発した騒動で解任されたが、清武前代表肝いりの制度をジャイアンツはその趣旨とは異なる活用をするようだ。
(写真:ルーキーながら開幕一軍入りを果たしたもののわずか二年で育成選手契約に切り替えられたジャイアンツの土本恭平。2010年6月撮影)
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日本シリーズが終了し、既に各球団から続々と戦力外通告がなされているが、どうもファイターズから他球団に移籍した選手が目立つような気がする。下柳剛は別にしても、2008年シーズン後にファイターズからジャイアンツにトレードされたMICHEAL、2009年シーズン後にファイターズからベイスターズにトレードされた松山傑と稲田直人、トレードではないが同じルートのターメル・スレッジの退団も確実視されている。さらに2010年シーズン後にファイターズからジャイアンツにトレードされた紺田敏正。2010年シーズン後にファイターズから戦力外通告を受けてバファローズに入団した坪井智哉とドラゴンズに入団した木下達生。
24日には一回目の合同トライアウトが開かれ、これからトレード戦線も動き出すだろうが、他球団はファイターズの選手を獲ってはいけない…!?
(写真:試合後にファイターズの渡部龍一、金森敬之、今成亮太、大平成一と談笑する元ファイターズの弥太郎、松山傑。2010年6月、シーレックス対ファイターズ戦にて撮影)
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日本シリーズから一日空けた21日、ファイターズからドラフト1位指名を受けた東海大学の菅野智之が予て熱望しているジャイアンツ入りを目指し、ファイターズへの入団を拒否することを表明した。
ファイターズの山田正雄ゼネラルマネージャーは正式なものではないとして、交渉期限の来年3月まで粘り強く交渉するとコメントしたようだが、伯父である原辰徳が率いるジャイアンツを「特別な球団」と位置づける菅野だけに翻意させることは難しいだろう。
なお菅野は社会人野球などに進むと二年後のドラフト会議まで指名対象にならないので、浪人という形で来年のドラフト会議での指名を待つという。
(写真:ファイターズの入団を拒否した東海大学の菅野智之。2011年4月撮影)
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11日の清武英利球団代表兼ゼネラルマネージャーの記者会見に端を発したジャイアンツのお家騒動は、今日(18日)、桃井恒和オーナー兼球団社長が清武代表兼GMを解任するという事態に発展。NPB最大のイベントである日本シリーズの最中に何をバタバタやっているのか!というのが多くの野球ファンの気持ちであろう。
その発端となった清武声明に対する渡邉恒雄球団会長の反撃内容が日本シリーズ第1戦の結果などを差しおいて1面を飾った13日付け日刊スポーツの、日本シリーズ第1戦の詳細な結果が大半を占める2面の片隅に、既にジャイアンツの退団を表明していた森脇浩司前二軍内野守備走塁コーチのバファローズ、野手チーフ兼内野守備走塁コーチ就任が発表されたとの記事があった。
前所属のホークスでは王貞治監督が病気療養のため休養した時に監督代行まで務めた森脇コーチだけにその手腕の発揮が期待されたが、ポストは二軍コーチで、ジャイアンツのユニフォームを一年で自ら脱ぐことになったのは何とも残念。個人的にはヘッドコーチくらいの要職を担わせても問題ない様な気がする。
森脇コーチは、現役で最初に入団した旧バファローズが合併したバファローズのユニフォームを着ることになるが、前述の様にそのポストを見ればそれ相応の人物だとも思えるが…。
(写真:ジャイアンツ球場で脇谷亮太に手取り足取りで守備の指導をする森脇浩司前ジャイアンツ二軍内野守備走塁コーチ。 2011年9月撮影)
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ジャイアンツの清武英利球団代表兼ゼネラルマネージャーが本日(11日)午後2時から「巨人軍のコンプライアンス上の重大な件で、プロ野球界のルールにかかわる」記者会見を行うというので、原辰徳監督が甥である東海大学の菅野智之に「日ハムには行くな」と言ったのがばれたとか、統一球対策で東京ドームの空調を調整して本塁打が出易くなるようにしていたのがばれたかとか、何事かと思ったが、あの件でもこの件でもなく、渡邉恒雄会長によるコーチ人事などの現場への介入を批判したのだった。
まさに大山鳴動して…だが、読売新聞社会部出身の清武代表がコンプライアンスという言葉の意味を取り違えるとは思いにくい…。
(写真:衝撃の記者会見後、宮崎に飛んでキャンプ中の選手達にヘッドコーチの交代について説明するジャイアンツの清武英利前球団代表…嘘です。昨年12月の育成選手の練習時に訓示する清武英利球団代表)
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前から気になっていたのだが、ついに買ってしまった。プロ野球(NPB)のマスコットをカードにしたカードセットだ。1セットでレギュラーカード45枚+開けてみないと誰のかはわからない直筆サインカード1枚、計46枚入りのセットだ。これで「B☆BやC☆Bのファンではあるが、私は別にマスコットのファンではない」と公言していたのに説得力が無くなった<苦笑>。
(写真:「BBM2011プロ野球チームマスコットカードセット“OUR FRIENDS~球場の楽しい仲間たち~”」レギュラーカード45枚+直筆サインカード1枚、計46枚入り税込み3,990円。by株式会社ベースボール・マガジン社。限定3,000セット。ちなみに敗戦処理。が購入したのは2591/3000。)
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セパ両リーグのクライマックスシリーズ真っ只中のこの日でなくても良いような気がするが、今日(4日)横浜ベイスターズの筆頭株主で親会社のTBSホールディングスが、携帯電話ゲームサイト「Mobage」を運営するディー・エヌ・エー(DeNA)に球団譲渡することが発表された。ディー・エヌ・エーは日本野球機構に「横浜DeNAベイスターズ」として加盟申請。実行委員会、オーナー会議で承認されれば、正式に誕生となる。
マルハ(旧社名:大洋漁業)から球団を受け継いだTBSは昨年も住生活グループへの球団譲渡交渉を進めていたが成立しなかった。ニッポン放送が買収寸前で頓挫してお鉢が回ってきたような形での球団経営だったが、ちょうど10シーズンで撤退となった。
(写真:横浜ベイスターズを買収して早々に、TBSの主導で横浜に天然芝で開閉式のドーム球場を作る構想があるように報じた2002年1月13日付け日刊スポーツ。最初はやる気満々だったのか…)
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まだクライマックスシリーズのファーストステージが始まる前の10月26日、日刊スポーツのサイトにタイトルの記事が載った。揚げ足取りの好きな敗戦処理。は抑えの牧田和久が6連投するということは2試合は失敗するということかとツイッターで呟いたところ、「『ファーストステージ2連投、ファイナルステージ4連投でストレート勝ち』という意味ではないか?」という趣旨の反応が複数あった。確かにファーストステージから登場するライオンズがクライマックスシリーズを最短で突破するにはファイターズとのファーストステージを2連勝、ホークスとのファイナルステージを4連勝ということになり、そのすべてに牧田が抑えで登板すれば6連投で勝ち抜ける。
ところが記事での6連投とはファイナルステージの6連戦を指す。公式戦終盤には延長戦を含む3イニングのロングリリーフをこなし、その翌日も最終回にマウンドに上がるなど牧田はフル回転で、バファローズとの三位争い、クライマックスシリーズ進出権獲得争いを制しただけに、クライマックスシリーズでもフル回転するであろうとの趣旨の記事である。
だが、基本的に勝っている試合の最後に投げる牧田がファイナルステージで6連勝するということは、そのうちの2試合で失敗するという意味(3回失敗するとホークスが勝ち上がってしまう)だと思ったので半分皮肉を込めたツイートなのだ。
そして牧田はファーストステージでは2試合とも登板し、ライオンズは2連勝でファーストステージを突破した。今日から始まるファイナルステージでも牧田の連投が続くようであれば…
(写真:ファイナルステージでもフル回転が期待されるライオンズの抑え、牧田和久。2011年3月撮影)
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これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が55ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year第27回 2000年(平成12年)編
(写真:オープニングセレモニーで整列した長嶋茂雄、王貞治両監督)
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