TBSついにベイスターズ譲渡成る!
セパ両リーグのクライマックスシリーズ真っ只中のこの日でなくても良いような気がするが、今日(4日)横浜ベイスターズの筆頭株主で親会社のTBSホールディングスが、携帯電話ゲームサイト「Mobage」を運営するディー・エヌ・エー(DeNA)に球団譲渡することが発表された。ディー・エヌ・エーは日本野球機構に「横浜DeNAベイスターズ」として加盟申請。実行委員会、オーナー会議で承認されれば、正式に誕生となる。
マルハ(旧社名:大洋漁業)から球団を受け継いだTBSは昨年も住生活グループへの球団譲渡交渉を進めていたが成立しなかった。ニッポン放送が買収寸前で頓挫してお鉢が回ってきたような形での球団経営だったが、ちょうど10シーズンで撤退となった。
(写真:横浜ベイスターズを買収して早々に、TBSの主導で横浜に天然芝で開閉式のドーム球場を作る構想があるように報じた2002年1月13日付け日刊スポーツ。最初はやる気満々だったのか…)
我ながらこんな古い新聞をよく残しておいたものだ…<苦笑>。
2001年のオフシーズンに横浜ベイスターズの親会社がマルハからTBSになった時、チーム名も変わらず、本拠地の移転もないことから、一部のファンの間で「プロ野球チームの身売りでは最も不幸でない身売り」、「関係者以外誰も傷つかない身売り」等と言われた。確かにこの当時はあの1998年の日本一からまだ三年を経ただけで、佐々木主浩、ロバート・ローズら一部の主力選手の流出などはあったものの、名将森祇晶監督を迎えて前年もAクラスであり、そんなに暗い状態ではなかった。マルハにしても、球団の経営に行き詰まったというより、本業の不振で業態の劇的な変化を迫られ、本業に縁の深くないグループ会社を切り離す必要に迫られ、身売り先を探していると報じられていた。
だが、一度は決まりかけたニッポン放送への身売りが、同じフジサンケイグループでフジテレビがスワローズ球団の株式を持っているのにニッポン放送が別の球団の親会社になるのは野球協約に反しているという、当時のライオンズの堤義明オーナーの異議を代弁したジャイアンツの渡邉恒雄オーナー(これまた当時)の猛反対によって覆され、TBSにお鉢が回ってきたのだが、そのTBSが筆頭株主となっていた2002年から2011年の十年間でベイスターズは八度もセ・リーグの最下位に低迷した。「最も不幸でない身売り」になるはずが、実態は逆だった。
ジャイアンツが読売新聞と系列の日本テレビの威力で全国区球団と目されるほどの人気と強さを獲得したのは今は昔。対ジャイアンツ戦の放映権料を財源として利益を稼ぐ収益モデルが崩れていく時期に球団経営に参入しなければならないのは不幸な面もあったが、それがここまでの成績低迷に直結したとは思えない。いったいTBSは何をやっていたのか?
時あたかも、軌道に乗らないBSデジタル放送の収支。自社ばかりか、キー局としては系列のローカル局の面倒もある程度見なければならない地上波デジタル化対応など、本来ならば球団をアピール、露出できるメディアでありながら他にやらなければならない問題が山積していたのが実態だったろう。そして若年層のテレビ離れという現象も拍車をかけたろう。
この指摘が当たっているとしたら、TBSは良い意味でプロ野球チームのタニマチになりきれなかったのだろう。
マルハ時代の、例えばファームを「湘南シーレックス」と改称して追浜方面を拠点に地域密着の思想を定着させるなどの試みはTBSにも引き継がれたが、それらの旗振り役であった大堀隆球団社長がTBS陣営になって二年で退任(要するにTBS色に染まる)すると、後は惰性でやっていたように思え、残念でならない。
ただ、大堀元社長にしてもその後就任して話題になった電通出身の加地隆雄球団社長にしても、経営手腕はともかく、GM的手腕があるようではなく、チーム強化のキーマンが結局誰だったのか判然としない。遅きに失せた感もあるが、ファイターズから岡本哲司を引き抜き、そのルートで白井一幸を引っ張ってチーム造りを始めたが、ディー・エヌ・エーが舵を取るようになってどう受け継がれるか…もっと早く気付くべきだったろう。
結局、チームの方向性がはっきりしなかったから、主力選手のFA流出を避けられず、逆にFA選手を獲得しようにも獲得できないという形で、腰を据えたチーム造りが出来なかったのだろう。FA権を行使して今季からホークスに所属している内川聖一がベイスターズのぬるま湯的体質や負け犬根性を皮肉っているが、それが実態なのだろう。昨年のオフシーズンには生え抜きでない選手の何人かから契約更改の席でこの球団の異常さを指摘されたという。
1998年の日本一を含む五年連続Aクラスの状態でマルハから球団を受け継ぎ、なおかつ名将、森監督を擁していながら初年度にいきなり最下位。森監督が2002年限りで退任すると、現在に至る低迷の道に進んでいく。中には2005年の牛島和彦監督のように就任一年目でAクラスに浮上させた例もあるが、その牛島監督が翌年最下位に低迷すると辞意を表明。あっさりと手放してしまった。どのようなチームにしようとしていたのか、残念ながら不明だった。
また、経営面で大きな重しとなったといわれる横浜スタジアムの使用料問題に関しても、同様に球場側にいいとこ取りをされていたマリーンズの千葉マリンスタジアムとの関係が、2004年の球界再編騒動でマリーンズにまで合併話が飛び火し、慌ててスタジアム側が譲歩したという事例があるにもかかわらず、例えば昨年の住生活グループとの身売り騒動で名前が挙がった新潟への移転などを交渉材料に出来るでも無し、交渉力の欠如が明らかだ。
球団買収時の経緯が経緯とはいえ、結局TBSが球団を持ったことがこの十年間を不幸な十年間にしてしまったと個人的には判断している。
ディー・エヌ・エーはこのチームをどう導いていこうとしているのだろうか?
新庄剛志だのウオーレン・クロマティだの、突拍子もない監督候補者の名前が挙がっているが、一体どうしようとしているのか?失われた十年間を取り戻すのは容易ではないだろうが、ベイスターズファンに「このチームは生まれ変わった!」と期待感を持たせるような、目に見える動きを初年度から、いやこのオフからして欲しいものだ。
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